五、『白い沙漠に白い雪』その4

 ハイヴは、死の気配に満ち満ちていた。


 周囲に銃痕が刻まれた屍体が散乱し、個室では電力の供給が絶たれた老人達が事切れている。死屍累々の屍山血河にせ返るほどの血臭と死臭。午兎は銃弾の少なくなった弾倉マガジンを落とし、予備の弾倉マガジンを差し込んだ。

 断続的に響く、銃声。

 否、とハードボーラー構え午兎は頭を振る。


 屍山血河が築かれる前から、この世界は死に満ち溢れていた。

 気付かなかっただけだ。あの世界を訪れる前までは。


「駄目だな、これはもう――」

 午兎は自分の被ったミトラを放り捨てる。ミトラは対象の認識を歪ませる他に、頭部周辺へ空間を湾曲させるエネルギーフィールドを張る無敵の防具であったが、同時にエネルギー消費が激しく重量が嵩む欠点があった。

「何でも防げる代わりに、ダメージが入る度に消費していく。思ったよりも役に立たないな、これ」

 悪態を吐き遮蔽から様子を伺う。直ぐに銃声が轟き、身を隠した。


 あの白い部屋を訪れた瞬間、待ち構えていた〝最後の子供達エグリゴリ〟は躊躇なくこちらへ銃弾の雨を降らせてきた。

 やはり、エリアは予想していた。あちらの世界への侵攻を阻止する為に、自分が遡って単身ハイヴへ乗り込む事を。

 しかし、と遮蔽物越しに一瞥した黒髪の少女の姿を脳裏に、午兎は胸中で独り言ちた。確か、ナオミという名前だったか。親しかったイサクやリベカと違い大した話さえした事のない少女であったが、これ程までの敵意を一遍に浴びせられると僅かに身体がたじろいだ。


「っ――――――!!」

 地面を蹴って、銃を突き出し肉薄する。向こうはナオミを中心にネフィリムが二体。ネフィリムの両手は人の手を模したマニピュレータから室内戦を考慮して自動小銃に変更されていた。

 レーザーサイトの照準が午兎を穿つと同時、終末が近付く世界にしては騒々しい、兇悪な銃弾の音が響く。鈴の音のような薬莢の金属音に不快感を感じながら床を蹴って無軌道に回避し、午兎はハードボーラーの引き金トリガーを引いた。


 .45ACP弾の威力は9×19㎜パラベラム弾の比ではない。野太い銃声と共にネフィリムの頭部が撃ち抜かれ、中央演算装置CPUたる脳が血飛沫を上げて破壊される。駆動部分に廻すエネルギーで手一杯で、防御のフィールドが張れないらしい。来良に破壊された関節の件といい、欠陥製品だと午兎は胸中で嗤った。


「・・・・・・お前等、慣れていないな」

「!?」

 続いてもう一つ、ネフィリムの機動を停止させてから午兎はナオミの背後へ廻る。

「がら空きだぜ、背中。無敵のアルバを翻して慢心しているから、なるんだ」

 ナオミが踵を返す瞬間を見逃さず、午兎は懐からナイフを取り出してラッチを解放し、降り出してブレードを展開させた。それは東風瑞 来良の持っていた折り畳み式キャンプ用包丁バリソン。あの雨の日、もう必要ないからと手渡された黄金色をした粗末な玩具。無慈悲にそれのポイントを背部へ突き刺し、ナオミの肝臓を深く抉った。


 激痛に声も上げる事の出来ぬナオミからナイフを引き抜き、続けて容赦なくハードボーラの銃弾を叩き込んだ。彼女の生死など、確認する暇はない。脇目も振らず午兎は廊下を駆け、目当ての場所たるエーテルプラントを目指す。


 ハイヴは無尽蔵に増改築を繰り返した、蟻の巣のような巨大空間である。しかし当初は無計画に開発を進めていた訳ではなく、機関部と居住区はきちんと分けられていた。現在でもその片鱗は残されており、今こうして柄野久 午兎が屍山血河と共に駆け抜ける居住区階層の中心には、機関部に直結する連絡通路が存在した。

 現在、柄野久 午兎によって殺害された〝最後の子供達エグリゴリ〟はナオミを含めて四人。まだ数は十人を切っていない。稼働状態のネフィリムと合わせれば、あの惨劇を繰り返すには十分過ぎる数である。だというにも拘わらず、エリアは残りの戦力を携えてあの世界へ強行突破はせずに柄野久 午兎の抹殺を最優先事項としていた。


 恐らく、と走りながら午兎は思考する。

 エリアの目的はエーテルプラントの死守ではなく、柄野久 午兎の完全排除。あちらへの侵攻は、残存戦力を使って行う予定なのだろう。

 エリアは知っているのだ。どんな数で挑もうとも、自分達に一切の勝ち目がない事を。あくまでも、〝物語〟としての爪痕を残す事だけでいい。曾てこの世界の老人達が驕り高ぶり、様々な時代でしてきたように。


「まあ・・・・・・舐められているんだろうな。どうあっても、エーテルプラントは破壊されないってのが前提条件なのだから」

 苦々しく吐き捨て、粗末な鋼鉄製の扉を破壊する。ひやりとした空気と共に現れたのは、急な角度に設定された螺旋階段。曾てはハイヴ内のエレベーターが停止した時に使われる非常用階段であったが、現在はエーテルプラントが存在する機関部への連絡通路であった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 闇に閉ざされ下が見えぬ様子に、午兎は思わず息を呑む。イサクは師匠と慕っていた技術者の老人と何度も来ていたらしいが、彼が此所へ来たのは初めてであった。


 そういえばあの老人は、と午兎は不意に思案に耽る。あの老人もまた、イサク達によってケーブルの電力供給を絶たれ、絶命したのだろうか。

 彼は、あの老人を肉親のように慕っていたのに。


「――よう、待っていたぜ」

 長く薄暗い階段を下りた先、連絡通路の入り口に接続する円形状の踊り場。不敵な笑みを浮かべて佇むイサクの姿があった。

「その顔、もっと他にも〝最後の子供達エグリゴリ〟が居ると思っていただろう? 悪かったな、俺一人だ」

「エリアの策か?」

 午兎の問いに対し、イサクは首を横に振る。

「俺が求めたんだ。俺とお前、二人きり。最高だろう、状況としては」

 カイデックス製のホルスターからP99を引き抜き、イサクはそれの照星を午兎へ向けた。


「やろうっていうのか、僕と。本気で」

「本物の拳銃これを手に入れた時からな、やりたかったんだ。本気で、殺し合う。信念も矜持も動機もなく、ただ純粋に。そうすれば――」

、か」

 午兎の言葉に、イサクは押し黙った。それから仕切り直すように声を上げて嗤い、改めて午兎へ銃口を突き付ける。


「ああ、そうだったな・・・・・・お前、から来たんだよな。成る程、そうか。という事は、あの時間の俺はお前にられた訳か。成る程――――」

 イサクは纏ったアルバを脱ぎ捨て、それを踏み付けた。黒いタンクトップに、カーキ色のカーゴパンツ。厚い胸板を鎧うように縛り付けられた予備弾倉スペアマガジンとナイフが呼吸に合わせて揺れる。

「これで、五分と五分だ。敗因を破壊されたナノマシンのせいにされたら、寝覚めが悪いからな」

「言ってろ」

 午兎は己のアルバを翻し、ハードボーラーの弾倉マガジンを落として新しい弾倉マガジンへ切り替えた。


「お前は純粋に殺し合いたいらしいが、僕は違う。僕には確固とした目的がある。その目的の為に――――僕は、お前を殺すよ」

「そうかい・・・・・・」

 須臾。打ち上げられたコインが地面で踊るように、二つの銃口から銃弾が穿たれる。それは互いの急所を狙い放たれた物であったが、両者容易く回避した。


「――――――――――」

「――――――――――――」

 互いに一言も発する事なく、空間に淡々とした銃声が響く。

 ほぼ、互角の戦闘であった。イサクはナノマシンで強化された身体能力を極限まで活用して攻撃を回避し、午兎はアルバによる耐弾性を最大限利用し防御に徹する。

 しかし、やはりコンマ数秒、イサクの反応が早い。乱数以下の誤差のような数値。しかしこの極限状態に於いては、そのコンマ数秒は揺るがない決定的な差であった。


「っ――――――」

 アルバの隙を突いて、深く左腕を穿つ銃弾。噴き出す血が、白いアルバを内側から赤く染め上げる。午兎は痛みに顔をしかめたが、構わずハードボーラーの引き金トリガーを引いた。

 硬直し始めた筋肉が、鈍痛を伴って照準を歪める。.45口径の銃弾は威力が高い分、反動が強い。腕に生じる痛みは、受けた銃傷よりも強かった。


 柄野久 午兎本人さえ気付いていなかったが、体内を循環するナノマシンは身体能力を高めるだけでなくセロトニンへ作用し疲労感を軽減させる効果があった。疲労感は即ち、己の体力へと直結する。ハイヴを訪れてからの連戦により消耗しきった体力は彼の息を上がらせ、単純な判断力さえ鈍らせていたのであった。


 イサクの銃弾が肉薄し、午兎の身体に銃傷が幾つも刻まれた。叫び声を上げる代わりに引き金トリガーを引き、咆吼の如き銃弾を穿つ。

 身体が思うように動かない、苛立ち。これが疲労感であると、午兎は身を持って知る。同時に、胸中へ沸々と沸き上がってくる熱い想い。それは生きているという確かな感覚と、己が動物的な人間であるという揺るがない矜持であった。

 動物は例え傷ついたとしても、目の前に敵が居れば怯まない。手足がもがれたとしても、牙が残る限り戦い続ける。そこに打算も計算もなく、在るのは本能という原初の感情のみ。どんなにアルバが血の汚れようとも、原初の獣と化した柄野久 午兎が自ら戦いを止める事はない。


「ッ!!」

「――――――――!!」

 引き抜かれたナイフが迫り、午兎はそれをハードボーラーの長大な遊底スライドで受け止め、斬り返すように己のナイフで斬り付ける。エッジはイサクの右目を斬り裂き、眼球を裂傷させた。


 イサクもまた、重傷であった。そこかしこから血が噴き出し、防御に使った左手は最早役には立たない。自然体に見えるのはナノマシンの作用による見掛けだけで、彼が満身創痍であることに変わりはなかった。


 互いの本能が、理解する。

 次の一撃が、最後の攻撃である事を。

 二つの弾倉マガジンが、床に落下する。

 差し込んだと同時に響く銃声。


「は――――――――」

 銃弾を受け崩れる午兎の姿を見やり、イサクは口を歪めて醜悪に嗤った。勝負は決した、言葉にせずとも表情が語る。

 しかし。

「!?」

 視界が歪み、膝を付く。ひたひたと傷口から溢れ出す赤黒い血が幾重もの斑点を産み出し、流れた血と比例してイサクの全身から力が抜けていった。


「勝てる訳がないんだよ、お前は」死に逝くイサクを睥睨し、午兎は低い声で言い放つ。「ただ殺し合いたいだけのお前に、誰かを好きになった事のないお前に、僕が負ける訳がないんだよ」

「何だよ、それ。青春にしては物騒すぎるだろう」

 青い顔のイサクは、皮肉交じりに吐き捨てた。

「なんでこんな奴をリベカは――」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 留めを刺すべく、冷酷に午兎はハードボーラーの銃口をイサクへ向けた。僅かに人差し指へ力を込めれば、引き金トリガーが引かれ撃鉄ハンマー雷管プライマーを穿つ。曾ての親友の命をこの手に握っている。だというにも拘わらず、柄野久 午兎の精神は己でも感嘆する程に晴れ渡っていた。


 引き絞られる、その刹那。

「!?」

 頭上から、五人の天使が舞い降りる。


 生物と機械が融合された、機械仕掛けの死の天使。肉体に接続されたパイプが拍動し、無機質なカメラに置き換えられた双眼がピントを調節する。背部スラスターから噴き出す光の翼が仰々しくはためき降り立つと、柄野久 午兎を取り囲んだ。

「エリア、手を出すなと――」

「仕方がないじゃあないか、君が不甲斐なかったんだから」

 靴音が響く階段から、エリアの声が降り注ぐ。

「まあ、時間稼ぎは出来たんだ。上出来じゃあないか」

 ゆっくりと階段を降りていく様は、舞台役者のように芝居がかって鼻に付く。勝者の余裕。無様に内臓を露出させて果てた過去の姿と重ね合わせ、午兎は失笑した。


「こんな人間のぎで、僕が殺せると思っているのか? エリア。確かに最初は驚いたさ、けれど最初だけだ。何度か戦って分かったがソイツらは所詮、だ。組み込んだジェネレーターが小さいから、身体を可動させるエネルギーを産み出す事で精一杯。しかも思考が単調だから、攻撃を予測し易い。たった五体じゃあ、肩慣らしにもならないぜ」

「満身創痍でよく喋る」

 最後の一段を降りると、エリアは優雅にアルバを翻す。

「スペックなんてどうでも良い、こいつらは所詮だ。何度か本来の巨大なネフィリムの開発を試みたが、惨憺さんたんたる結果だったよ。やはり、人間の脳を繋いで並列化させるのは難しいらしい。折角の貴重な素材が無駄になってしまったよ」

 だが、とエリアはネフィリム達に視線を向けた。


「それで良い、今は。何故なら貴様は、その欠陥品に完膚なきまでに敗れるのだから」

「何を、言って――」

 午兎の言葉を遮るように、一歩、一体のネフィリムが彼の正面へ歩み出た。他のネフィリムと差別化を図るように、ミトラに似た仮面を被り、アルバに似た外装を纏った純白のネフィリム。機械的な特徴の目立つ急造された四体と違い、纏まりのあるシルエットは有機的に完成された天使であった。


「新型、という事か・・・・・・」

「ああ、そうだ。わざわざ貴様へ引導を渡す為に製造した、貴様専用の死に神だ。その大鎌に刈り取られるがいい、生憎とヴァルハラもヘヴンも定員過剰らしいがな」

 言うや、エリアは指を鳴らす。命じられた白いネフィリムはゆっくりと己を覆っている仮面を脱いだ。


「ッ――――――――――!?」

 扇状に広がる、黒髪。その中央で、見知った顔がこちらを能面のように見つめていた。あの好きだった匂いは、彼女からはもうしない。彫像のように精巧な姿のようになった反面、血の通う優しい温かさは何処かに置き去りにされていた。


「・・・・・・良いね、その顔だ。私が見たかったのは、貴様のその絶望した姿だ。わざわざ、策を弄しただけはある」

 驚愕したまま固まる午兎に対し、エリアは哄笑を上げながら語る。


「お前がこの時代に戻って来る事は容易く予想出来た。だから先回りして、リベカに命じて東風瑞 来良を攫って来たのさ。最高だろう、このシチュエーションは!!」

「来良・・・・・・」

「無駄だ、貴様の声は届かない。新型とはいえ基本構造は他のネフィリムと差異はない。身体も脳も東風瑞 来良であるが、最早命令を実行するだけの人形と成り果てた。お前を殺す、人の形を成した私の剣だ」

「僕は・・・・・・僕は、何の為に――」

 脳裏へフィードバックする、彼女と過ごした様々な記憶。


 どれもこれも目まぐるしい程に喜怒哀楽が変化していたが、最後のそれはうずくまって沈む彼女の姿であった。

 彼女が二度とあのような貌をしないように、只その為だけに柄野久 午兎は死地へと赴いた。その努力が、僅かな希望が、天使となった彼女の姿に呆気なく打ち砕かれる。


「殺せ」

 感情を押し殺したエリアの命令に、白いネフィリムは失った筈の右腕を頭上へと掲げる。解放音と共に右腕が左右に展開し、内部から出現した発生器からは青い光刃が伸びた。

「奴へ報いを受けさせろ」


 機械へ姿を変容されて尚、彼女の貌には面影があった。

 あの繁華街で初めて心を奪われた、東風瑞 来良の面影が。

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