五、『白い沙漠に白い雪』その3

 あの映像を見た多くの人々の予想に反し、事態は瞬く間に終息を見せた。


 当然の結果である。白い仮面ミトラ白い外套アルバ、そして人体を兵器化させた死の天使ネフィリム達。〝最後の子供達エグリゴリ〟はこの時代を生きる者達を遥かに超える技術力を保有してはいるが、それが即ち圧倒的な戦力アドバンテージになるとは限らない。兵器の威力だけで戦力差を埋める事が出来るのであれば、世に戦略も戦術に必要なく戦術家も軍略家も揃って失職するだろう。とどのつまり、彼ら〝最後の子供達エグリゴリ〟は強大な兵器を有していながら、戦闘に対する知識と経験が絶望的なまでに不足していたのであった。


 事態を速やかに収束させる為、陸上自衛隊特殊作戦群が投入された。彼らは風に揺らぐアルバの僅かな隙を突き、正確にレミントン製のM24で胸部を狙い穿った。9×19㎜パラベラム弾は疎か、大口径の.454カスール弾さえも通さぬ最強の盾。しかしそれを介さなければ、単なるに他ならない。東風瑞 来良の発想と根本は同じであったが、導き出した経験と技術力は雲泥の差であった。

 狙撃された〝最後の子供達エグリゴリ〟は、直ぐさま彼らへ反撃しようと狙撃ポイントへ攻撃を仕掛けた。しかし幾重ものビルを粉砕し無数の爆炎を巻き上げた無敵のビーム兵器とて、小さな人間を排除するにはその桁外れの威力が枷となる。結果、彼らが大火力で立っていた仮初めの優位は呆気なく瓦解し戦線は容易く崩壊した。


 最強の矛と盾をどんなに所持していようと、それを運用する術を持たなければ単なる棒と板切れの集合に過ぎない。この世界に魔法めいた奇跡や因果は存在せず、在るのはただ式に彩られた物理法則のみ。故にどんな〝最強の兵器〟とて物理法則の無慈悲な楔には逆らえず、綿密な戦略と針の穴を通すような戦術さえ構築出来れば現代兵器でも十二分に対処出来る。事実、そうして大手ニュースサイトをハッキングしてまで大言壮語を並べた〝最後の子供達エグリゴリ〟達は、特殊作戦群の隊員らによって一人また一人と数を減らしていった。


 時間にして、約三時間。それが、特殊作戦群が状況を開始してから終了に掛かった総数であると同時に、彼らのこの世界での寿命であった。


「――まだ、ほんの子供なんだよな」

 雨粒を弾く屍体袋ボディ・バッグのファスナーを上げる手を止め、目出し帽を被った隊員の一人がぽつりと呟いた。

「何で年端もいかない子供達が、こんな事を・・・・・・」

「それ以上、考えるな。戻って来られなくなるぞ」

 男の先輩と思わしき隊員が、肩を叩く。

「しかしこいつら、一体何処から来た人間なんだろうな」

「まるでマンガの登場人物、みたいですよね」

「マンガ?」

「もしくはアニメ。何ていうか、顔立ちが現実離れし過ぎていて、創作の世界から飛び出したような感じがするんです」

「ああ、だからビームを使ったのか」

「かもしれません」

 ファスナーを上げて少女の顔を覆い隠すと、男は徐に周囲を見渡した。見知った繁華街。昼も夜も変わらぬ喧噪は鳴りを潜め、瓦礫と化したビルの間からすすり泣く声やうめき声が響いていた。遠くでは救急車のサイレンが響き、我が子を探して名前を呼び続ける母親の悲痛な声が胸を抉る。


 事態はたった三時間で収束した。

 しかし、この凄惨な光景は収束する事なく尾を引き続ける。

 うなされるような悪夢程、醒めぬように――



         ◇



「――一週間だ」

 コンクリートで囲われた狭い地下室へ無骨に誂えられた、手製の射撃場シューティング・レンジ。断続的に響く銃声が止んだ事を見計らって、韮崎 鎺は口を開いた。


「あれから、一週間も経った。それなのにお前は未だに臨戦態勢なのか、柄野久 午兎」

「――――――――――」

 首に掛けた薄汚れたタオルで顔面の汗を拭い、午兎は手にした銃を一瞥した。コルト社の開発した名銃モデル1911を某国がデッドコピーした、模造品。しかし彼の出力した92FSとは違い、無煙火薬で作動する本物の拳銃であった。

「反動には大分慣れたな」

「おい、人の話を聞け」

「聞いている」

 リリースボタンを押し、軽くなった弾倉マガジンを下へ落とす。

「僕はいつでも臨戦態勢だ。何せ、たった一週間しか経っていないんだから」

「まあ、それはそうだな――」

 鎺は嘆息すると、己のスマートフォンを取り出してタップする。ニュースサイトもタイムラインも、一週間前に起きた未曾有のテロ事件の話題で持ちきりだった。


 無理もない。死者128人、重軽傷者1024人、行方不明者32人。未曾有の犠牲者を出したテロ事件でありながら、その多くが政府関係者によって完全に秘匿されている。首謀者である彼らの人種や目的、そして彼らが使用した未知の兵器群。政府の行った記者会見ではそれらについて一切触れられず、単なるテロ事件として事務的に処理された。普段ならば条件反射で与党を批判する野党ですら、この事件についてはノーコメントを貫いている。その異常性から、マスコミやネットコミュニティでは憶測が飛び交い、宇宙人の侵略説まで大真面目に論じられていた。


「正直なところ、政府だって手をこまねいているんだろうよ。防衛白書で外国からの侵略は想定されていても、未来からの侵略なんて普通想定されてねぇからな。宇宙人の方がまだ可能性がある」

 政府の対応を批判するコメンテーターを半眼で見やり、鎺は独り言ちた。

「なあ、ご自慢のタイムマシンを使って一週間前に戻り、連中を片付ける事って可能なのか?」

「それは出来ない。タイムマシンでの移動は、僕が住んでいる世界とこの世界の双方向だけだ」

「成る程・・・・・・役に立たないタイムマシンだ」

「可能なのは僕が直接あの世界へ戻り、一週間前の侵攻を阻止する事だ。その為に、こうして僕は銃の腕を磨いている」

 弾倉マガジンへ黄金色の銃弾を詰める午兎の手元を見つめ、鎺は肩を竦める。


「例え元の世界に戻っても、間違いなく連中には勝てないぞ」

「!?」

「拳銃で悪党を成敗できるのは、西部劇と刑事物だけだ。そんなモノでどうにかなるのであれば、こんな状況にはなっていない」

 鎺は己のスマートフォンを午兎へ見せた。市内の被害状況が在り在りと映し出されている。職員達の迅速な対応で中央線は僅か二日で復旧していたが、それでもまだ東京高尾間が全線復旧する事はなく、特に被害の大きかった立川駅は上下線で路線バスによる振り替え輸送が行われていた。


特殊作戦群が連中を鏖殺出来たのは、奴らの練度と装備のお陰。どちらもないお前が行ったところで、結果は見えている。地の利は間違いなく向こうにある、返り討ちで瞬殺だ。連中がこっちの地形に慣れていない一週間前に戻る方が、まだ勝機はある。俺も昔の伝手を頼って加勢してやれるし」

「だが――」

「俺の所に来たばかりの時より、動きは確かに良くなった。認めよう。だが、それには〝素人と比べて〟という枕詞が付く。ナノマシンで極限まで身体能力を強化された連中と張り合える程ではない。自分でもそれは、よく分かっているんだろう?」

 柄野久 午兎は応えない。黙々と銃弾を込め、弾倉マガジン銃把グリップへ押し込めた。


「どうやら、お前が破壊されたナノマシンは、筋肉に作用して身体能力を強化するものだったらしいな。筋肉そのものは、お前自身のモノだ。使い方さえ身に付ければ、以前のような身体能力を取り戻せる可能性は高い。だが、それには時間が掛かる。幾ら急いたところで、無為に時間と体力を消費するだけだ」

「じゃあ、どうしろと?」

「取り敢えず、休め。お前、俺の事務所に転がり込んできた時から碌に寝ていないだろう。自在に身体を動かしたかったら、適切な休息を取る事が賢明だ」

「そんな時間、僕にはない」真新しいターゲット・ペーパーを取り付けながら、午兎は答えた。「誤差から逆算して、あと二日が限度。それを過ぎれば、連中がこの世界を襲う前の世界には帰れなくなる」


「なら、とっと帰れば良かったじゃあないか」

「それは――」

「迷ってんだろう? 自分の手で時間を弄っていいか。バタフライエフェクト、と言ったか。どんな些細な事でも、一つの事象を変えてしまえば、とんでもなく大きく結果が変容する。丁度、蝶の羽ばたきが大きな嵐を引き起こすように」

「何故、それを!? この時代ではまだ確立されていない理論の筈だ」

「映画だよ。確立なんてしなくてもな、この世界ではそれこそ手垢が付く程に使い古された理論だ。ロボット三原則と同じぐらいにな」

「物語、か――」

「心配するな、そういう意味で言った訳ではない。ひょっとすればこの時代の人間にバタフライエフェクトを教えた未来人が居たかもしれんが、そんな事はどうでもいい。問題は、、ということだ」

 視線を落とす午兎に対し、鎺は嘆息する。


「お前、自ら進んで選択した事ないだろう。お前の世界ではそれで良かったのかもしれないが、この世界ではそいつは命取りとなる。自分自身で、結果を選択しなければならない。ただ無為に引き金トリガーを引いて鬱憤晴らしをするだけでは、選ばない事と同義だ」

「――――――――――」

「前にも言ったが、別に良いんだぜ。普通の高校生として、普通の暮らしをしても。まあ、今こう言うとにしか聞こえんかもしれないが」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「後悔するぞ、選択せずに流されれば必ず」

 鎺の言葉に、午兎は無言を貫いた。ボタンを押し、ターゲット・ペーパーを定位置へ固定させる。銃を構え、引き金トリガーを引く。銃声がコンクリートの室内に反響し、無数の薬莢が甲高い音を上げて散らばった。


「――ああ、こんな所に居たの」

 立て付けの悪い扉が開き、来良と璃子が入ってくる。二人とも私服であったが、璃子が半袖のカットソーなのに対し、来良は長袖のワンピースであった。

「うわっ、臭ッ!?」

「仕方がないだろう、換気の悪い地下なのだから。消煙と紫煙、汗の臭いが篭もって堆積しているんだ。それこそ年単位で」

「うげぇ」

 舌を出して露骨に不快感を示す璃子。来良はそれを押し退けて、射撃に勤しむ午兎の前へ出た。


「元気そうだな」

「うん。入院って言っても、形だけだからね。傷口はほら、ナノパッチで完全に治っていたから。お医者さん、驚いていたよ。どれだけ自然治癒力が高いんだって。だからまあ、怪我で入院しているっていうよりかはモルモットみたいな感じだよね」

 笑う来良の右袖は、風の止まった吹き抜きのように凪いでいた。

 切断された、右腕。それはもう、二度と戻らない。弱々しく動く右袖に、午兎は顔を曇らせる。


「大丈夫だよ、わたしは。お母さんも腕一つで済んで良かったって言っていたし、お父さんはまあ泣いていたけれど、なんとか平気。だからそんな貌しないで、ね?」

「だが――」

「実はわたし、両利きなの。だから右腕なくなっても、日常生活に支障はない。まあ、ちょっと歩くのは大変だけれど。凄いよね、人間の腕って。物を掴んだりするだけじゃなくて、腕は歩く時のバランサーになっていたなんてね」

 それに、と含みを持たせた貌で鎺に視線を向ける。鎺は僅かに視線を逸らし、己の数日前の発言を後悔した。

「紹介してくれるんだよね、凄い義手作ってる人。仕込み武器とかガンガン付けちゃうヤツ。折角仕込むならあれが良いな、大きなナイフ。ジャキンってやりたい、ジャキンって」

「そんなモノ付ける訳ないだろう、単なる義手だ。まあ、表で出回ってる義手よりは多少便利だろうが」

 鎺は右手で顔を覆い、呻くような声で答える。

 少しでも沈んだ気持ちを和らげてやろうと口を滑らせたのだが、やはり間違いだったか。


「ナイフも仕込み武器も、お前には必要ない。関わるな、もうこっちには。右腕の件で分かったろう。これ以上親御さんを泣かせるな、ちゃんと学校にも行け。お前、退学届なんて出したらしいじゃあないか」

「何故それを!? 流石は探偵」

「いや、璃子に聞いた」

 鼻を使わず口で呼吸する璃子を一瞥し、鎺はにべもなく答える。

「ええとね、今回の一件で分かったんだよ。わたし、多分あっちで暮らすのに向いていないんじゃあないかって。イサクって人に言われたよ、右腕を切断されても平然としてるわたしが普通じゃないってさ」

「それは単純に、気分が昂ぶっていたせいだ。俺だって若い頃、内臓がはみ出たまま夜通し戦い続けた事がある」

「とんでもない若い頃の思い出ね・・・・・・」

 遠くを見るような眼差しで語る鎺に対し、げんなりとした口調で璃子は突っ込みを入れる。


「ああ、じゃあなくてね。なんていうか、あの時〝普通の女子高生〟ならガタガタ震えているんじゃあないかって思ってね。わたしは、、そればかり考えていた。それって、駄目だと思う。日の当たる世界で生きる人は、そういう事を普通に考えちゃいけないんだ」

「なんていうか・・・・・・お前は、歪んで捻れて逆に純粋だな」

 肺に溜まった空気を吐き出すように鎺は嘆息した。

「この際だ、よく聞いておけ。所詮人間というモノは、何奴ドイツ此奴コイツも生まれた時から大なり小なりブッ壊れている。しかもが悪い事に、修理は出来ないし取り替える事も出来ない。生きている限り、と騙し欺し付き合っていくしかないんだ。自分が変だから別の世界へ逃げ込もうとするのは、選択しているのではなく流されているだけ。そんなは、直ぐに喰い散らかされておしまいだ」

「じゃあ、どうしろと?」

 口調に剣呑さを含む来良を鎺はしっかりと見つめる。


「考えろ、自分で。お前達は生き急ぎ過ぎだ。世界が終わるのは千年も先の事で、お前達自身が終わる訳ではない。自分の持っている時間と照らし合わせて考えるんだ。自分が、今、何をするべきかを」

「・・・・・・僕は、この世界で生きる。色々と大変だとは思うけれど、彼女と一緒なら頑張れるような気がするんだ」

「だ、そうだ」

 鎺は腕を組み、横目を来良に向ける。急に話題を振られた来良は困った貌を浮かべ、作り笑いで言った。

「ええと――――――は、嫌かな?」

「いや、ヒモじゃあないでしょ。間違いなく、億を超える資産があるんだから」

 璃子の突っ込みなど一切聞きもせず、午兎はしきりに〝ヒモ〟の意味を聞き出そうと来良を困らせる。

 ああ畜生、目の前でいちゃつくんじゃねぇ。


「そもそも、自分自身で選択しろって言っていたくせに、思い切り誘導しているじゃん。詐欺だよ」

「良いんだよ、別に。今はな」抗議する璃子に対し鎺は言った。「俺が言う選択とは、もっと重要な選択だよ。それこそ、生死の懸かった選択だ。俺は詐欺師でなく探偵だからな、そんな所で誘導なんて芸当はとても出来ん」

「よく言うよ。来良を〝ナイフ使い〟とかってその気にさせたくせに・・・・・・」

 璃子は半眼で独り言ちると、二人に視線をやった。相変わらず、じゃれ合っていて腹が立つ。しかし何処かその遣り取りは、哀しさを孕んでいるように見えた。


「・・・・・・ねぇ来良、学校辞めないよね?」

「あんな事言われたら、流石にね。受験の為、将来の為、そんな事じゃあないからさ。でも出しちゃったからな、退学届。どうなるか分からない」

 未だに〝ヒモ〟の意味を聞き出そうと奮闘する午兎を左手で押し退け、来良は答える。

「大丈夫。大怪我して気が動転したと思って、先生が保留しているみたい。っていうか、来たでしょ病院に」

 璃子の言葉に、来良は首を大きく左へ傾げた。

 記憶にない、というジェスチャーである。

「あ――――もしかしたら、韮崎さん来た後かも。義手作ってやるって言われて、それからの記憶が飛んでるから」

「やはり言わなければ良かった・・・・・・」

 悪気なく答える来良に対し、鎺は再び右手で顔を覆って後悔の言葉を吐いた。


「まあ、とにかく。此所は空気が悪い。上の事務所に行くぞ」

「自分で言うか、ここまで散々散らかしておいて」

「仕方がないだろう。元は賭場だった場所だからな、その頃からの汚れがこびり付いている。俺が汚したのは、少しだけだ」

「自慢げに語るな、そして人の所為にしない」

 璃子は嘆息し、それから俯いて僅かに視線を逸らす。

「掃除ぐらいなら・・・・・・いつでもしてあげるよ。それぐらいしか、あたしには出来ないからね」

「そうか。今度、宜しく頼む」

 短く告げると、鎺はドアノブに手を掛け――――反射を利用し、懐から己の白銀に輝く愛銃を抜き放った。

 トーラス社の大口径リボルバー、レイジング・ブル。ドアに銃口を向け、躊躇なく引き金トリガーを引き絞る。ドアに無数の穴が開き、気配は実体となって人の形を成した。


「・・・・・・いきなり撃ってくるとは。あまりにもあんまりじゃあないか、原始人」

「まさか生き残りがいたとはな、未来人」

 眼前。白い外套を身に纏った銀髪の少年が、薄ら嗤いを浮かべている。両手がすっぽりと外套の中に這入り込んでいる為、どう動くかまるで分からない。

「エリアッ!!」

「こちらの世界では初めまして、エノク。それとも、そこの雌猿のように〝午兎〟と言った方が良かったかい?」

「猿って、何で未来人は皆して口が悪いのさ!」

「顔の形は猿というより、狸だな」

「現代人にも馬鹿にされた!」

「何の用だ、エリア。まさか彼女を侮辱する為に来た訳ではないだろう?」

 鎺と来良の遣り取りを無視して、午兎はエリアへ問うた。


「まさか。私が貴様に会いに来た理由はただ一つ」

 見透かしたような視線を穿ち、エリアは右手を午兎へ伸ばす。

「貴様の持っているトーチを渡せ。力尽くでも、奪ってやる」

「何だ、そんな事か」

 失笑し、午兎は肩を竦めた。

「良いよ、持っていけ。そんな物、僕には必要ない。僕はこの世界で暮らす。この世界の人間として」

「この世界で暮らす、だと? 力を行使せず、ただ一人定命の存在として」

「ああ。そもそも、お前が命じたんだろう? 僕の体内を巡るナノマシンは、イサクによってその殆どが破壊された。今じゃもう、銃を出力する事も出来ない。ただの人間として生きていく以外、道はないだろう」

 言うと、午兎は懐からトーチを取り出した。

 アンティーク調の懐中電灯。思えばこれが、全ての始まり。


「ほら、持って行けよ。どうせ、僕がこれを使ってお前の寝首を掻くと思ったんだろ? が外れて良かったじゃあないか」

「・・・・・・お前達は、本当に親子だな」

 差し出されたトーチに目もくれず、肩を強く振るわせてエリアは歯を向き出した。

「こちらの感情を悪びれもなく土足で踏みにじり、悪意なく嘲笑する。そっくりだよ、大司祭シェム・ハザと。その醜悪な態度など、正に瓜二つだ」

 殺意の篭もった双眼。昂ぶらせた感情を押し込めて、エリアは顔を引きつらせて嗤う。

「気が、変わった。トーチは貴様が持っていろ」

「どういう事だ・・・・・・?」

 理解出来ず呆ける午兎の貌を満足げに眺め、エリアは自然な動作で外套を翻えした。


「拙いッ!!」

 翻した先、黒光りする拳銃。グロッグ社のモデル38。銃口は真っ直ぐに東風瑞 来良へ向けられている。反射的に鎺が引き金トリガーを引くが、銃弾が放たれる事を阻止する事は出来ない。

 二つの銃声が重なり響く。白い外套の隙間を擦り抜け、.454カスール弾がエリアの腹部を大きく貫いた。しかし阻止する事は出来ず、同時。彼が放った銃弾は真っ直ぐ来良へとその顎を開く。

「はは・・・・・・最高だ、その貌」抉られた腹部から赤いモノを垂れ流し、エリアは口元を赤くしながら叫んだ。「これでもお前は、この世界で暮らすつもりか!? 最愛の人間を失って、まだ!!」


「・・・・・・失わせないよ、絶対に」

 刹那。叫び声を掻き消すように、璃子が割って入る。

 その胸は、己の血で赤く円形に汚れていた。

「そんな哀しい結末・・・・・・駄目だよ、この二人には――」


「璃子!!」

 ぐらりと揺らぐ沓掛 璃子の身体を来良は抱き抱える。その腕の中で、彼女の双眼は静かに光を失っていった。

「最後の最期、外したが・・・・・・まあ、これもまた一興だ」

 身体を揺らし。エリアは自嘲気味に嗤う。

「さあ、選択しろよ。大司祭シェム・ハザの教えに背いて我々と同じ禁忌の存在となるか、罪の意識を抱えたまま生き恥を晒すか」

「黙れ、耳障りだ」

 午兎は引き金トリガーを引き、エリアの眉間を撃ち抜く。反動で仰向けに倒れ絶命した彼は、死して尚、哄笑するように口元を痙攣させていた。


「ナノパッチ、あれがあれば!!」

 午兎は拳銃を放り捨て、来良の元に駆け寄った。璃子の服を剥がし、銃傷へナノパッチを貼付する。しかしナノマシンは作動せず、彼女が意識を取り戻す事はない。璃子の開いた瞳孔を確認し、静かに首を横に振った。

「駄目だ、もう。ナノパッチは死んだ人間には使えない」

「そんな――――」

 力なく膝を付き、来良は肩を振るわせる。泣いているように思えたが、涙が一筋も溢れていなかった。嗚咽とも呻き声とも違う掠れて乾いた声が、小さな唇から細々と流れ出している。彼女の喪失感がじわりと午兎の心を犯し、怪我を負っていない身体が内側から悲鳴を上げるように痛み出した。


「最悪の選択肢だ、これは」痛みを堪えるように手にしたトーチを握り締める。「どうあっても僕は、この世界で普通に暮らす事は出来ないらしい」

「勝算はないぞ。それでも行くか?」

 鎺の問いに午兎は首を横へ振った。


「ただ、一つだけ。タイムマシンを停止させる事なら、出来る気がする」

「どういう事だ?」

「タイムマシンへ電力を供給する発電所、エーテルプラントを破壊すれば、少なくとも奴らがこの世界へ行く事は出来なくなる。当然、連中もそれを見越してエーテルプラントは固めているだろう。そこを突破すれば、勝機はある」

「その身体で、か? ナノマシンを失ったその身体で」

「それでも動く事は出来る。連中を全員殺す事は不可能だが、エーテルプラントの破壊ぐらいは保つだろう」

「そうか――」

 小さく、嘆息する。何も言わず踵を返すと、鎺は山積みとなった段ボールから黒いガンケースを掴み、それを午兎へ突き出した。


「選別だ、持っていけ」

 箱を空けると、現れたのは鈍色の拳銃。床に転がる鎺から貸与された1911によく似ていたが、その遊底スライドは長大で1911の二倍はある。そのシルエットは、午兎に何処か短剣を思わせた。

「AMT社のハードボーラー。作られたアメリカでも滅多にお目に掛かれないレアものだ。俺が使おうと散々苦労して入手した銃だが、お前の方がこの銃に向いているからな」

「どういう意味だ?」

 パックマイヤー製の銃把グリップの感触を確かめながら、午兎は問う。


「この銃は未来から来た奴が使うんだ。まあ、映画の話だがな」

「また、物語か」

「不満か?」

「いや、いい」

 弾倉マガジンへ銃弾を一つ押し込み、銃把グリップに差し込んで遊底スライドを引く。同時、薬室チャンバーに.45ACP弾が送り込まれ、撃鉄ハンマーが下げられた。午兎は具合を確認すると、徐に引き金トリガーを引きターゲットペーパーへ撃ち込む。


「少し、気になったんだ。僕も、物語の一つなのかと」

 遊底スライドが後退して停止するハードボーラーを構えた先、中心部が真っ直ぐに穿たれたペーパーが無軌道に躍っていた。

銃弾アモは、アメリカン・イーグルをしこたま用意してある。予備の弾倉マガジンはその辺に転がっているやつを好きなだけ持っていけ。事前に合うか合わないか、きちんとチェックしろよ」

 鎺は簡素なテーブルへ、星条旗が大きく書かれた小箱を幾つも雑に並べる。

「わざわざ、すまない」

 深々と頭を下げる午兎に対し、鎺は腕を組み深く息を吐いた。

「・・・・・・礼なんざ要らん、気持ち悪い。結局、俺は何も出来なかった。先日も、今日も。そうして俺は、今もこうして最悪の選択肢を後押ししている。けなされる事はあっても、礼を言われる筋合いはない」


「律儀だな、随分と」午兎は開放状態ホールド・オープンとなったハードボーラのスライドストップを落としながら言った。「そこまで僕に肩入れする理由ぐらい、最後に聞かせてくれ」

「親近感、だな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「そんな貌すんな、ブン殴るぞ」

 やれやれと肩を竦め、鎺は応える。

「体格とか顔じゃあねぇ、だ。こっち長いから、お前も薄々気付いているんだろう? 俺が真っ当な少年時代送っていない事ぐらいは。ずっと、殺し続けていた。老若男女、関係なく。当然、常識なんてモノは持っていなかった。だから似ているお前を見ると、ちょっとな」

「お節介だな」

「ああ、お節介だよ。俺も歳を取ったからな」

 にべもなく言い放つ午兎に対し、鎺は後頭部を掻き毟った。


「そんな俺に、常識を教えた物好きが居てな。彼女が居たから、今の俺が此所に居る。殺し屋でなく探偵としての俺が、今此所に」

「――――――――」

「東風瑞 来良の為に、なるのか? お前がに行く事が」

「勿論だ」

 力強く、頷く。

「あの日、僕は誓った。彼女を守ると。それは単に彼女の側に居るという事ではないんだ。彼女が暮らす世界がこんな有様では、本当に彼女を守った事にはならない」

「それは、独りよがりではないのか? 男という生き物は、お姫様を守りたがる哀しい生き物だからな。千年経っても、その馬鹿さ加減はDNAから消えていないようだ」

「かもしれないな」

 午兎は屈託なく笑った。

「けれど、人間というのはそういうものだろ? 動物的、だから。本能がなくなったら、それこそ人間じゃあなくなってしまう」


「もう少し、お前は利口だと思っていたぜ。俺みたいに不器用に生きやがって、そんな本質まで似る必要はないってのに」

 失笑する鎺を無言で通り過ぎ、午兎はうずくまった来良へ近付いていく。彼女は彫像のように固まり、双眼は常闇のように黒く窪んでいる。辛うじて身体は生きてはいるが、心が死に絶えようとしていた。


「ごめん、一緒に居られなくて。でも、僕が必ずこの結末を変えてみせるから。街も壊れず沓掛 璃子も生きていて君も右腕を失わない――そんな当たり前の世界と、僕が一番好きな君の笑った貌を取り戻す。こんな巫山戯た結末、物語なんかにさせやしない」

 東風瑞 来良は何も応えない。午兎は彼女を暫く無言で見つめていたが、やがて口を開いた。

「さようなら」

 トーチからホログラムが照射され、柄野久 午兎の身体は光に包まれる。眩い光に目を閉じる一瞬で、彼は姿を消した。


 千年後の未来へと。

 やがて終わる、世界へと。


「っ――――――」

 瞳に、光が灯る。呪いじみた、幽鬼の光が。徐に立ち上がると、来良は脇目も振らず地下室から全速力で抜け出した。外に出ると灰色の世界が広がっている。空は曇り、地上は瓦礫の山。見知った幹線通りは瓦礫を撤去する為のダンプカーやショベルカー、自衛隊の車両が何台も停まっており、非日常の空間となっていた。


 まるで戦争だ、そう口にしようとした自分の愚かさに胸中で嗤う。

 戦争なのだ、これは。終わり逝く未来が宣戦布告し、己の生存を賭けて戦った。その結果が、この瓦礫の山なのだ。結果は、現在に生きる我々の勝利である。しかしそれは大局的な話であり、自分の周囲に至っては完膚なきまでの敗北であった。

 自分は利き腕を失い、親友である璃子も喪った。未来へ帰った柄野久 午兎もまた、失うだろう。たった一人で、あの集団に立ち向かえるとは到底思えない。

 全ては、エリアという銀髪の少年の思惑通り。彼はきっと、世界に刃向かうという甘言で仲間を誑かし、その実、柄野久 午兎という一個人の抹殺が目的だったのだろう。でなければ、あの状況下でトーチを破壊しないという選択肢は生まれない。


 絶望させたいのだ。絶望の中で、彼を抹殺したいのだ。

 じわりと、胸が熱くなる。痛む胸を押さえようと右手を動かすが、それがもう存在しない事に気付いて、更に胸が熱く痛んだ。

 どうして、今日なんだ。今日だけだったんだ、璃子が居たのは。右腕がないと色々不便でしょ、と笑って着いて来てくれたのに。わたしがままを言わなければ、そもそも事務所になんて行かなかったのに――


「っ――――――――」

 来良は拳を握り締め、強く歯を軋ませた。しっかりと口を閉じていなければ、闇の底から嗚咽が溢れ出しそうになる。思い切り拳を握らなければ、喪失感が沸き上がってくる。一人で耐えねばならない。こんな時に肩を抱いて慰めて欲しい人は、もう此所には居ないのだから。

 側に居て、と言いたかった。

 行かないで、と叫びたかった。

 言葉の代わりに石のような後悔ばかりが、胸中で降り積もっていく。涙が重く、のし掛かる。

 数分前の出来事を、全てなかったことにしたくなるぐらいに。


「――東風瑞 来良さん、でしょ?」

 刹那。後ろから、呼び止められる。

 聞き覚えのない声に来良が振り返ると、白い外套を纏った赤い髪の少女が佇んでいた。


「初めまして、わたしの名前はリベカ。良かったらちょっと、お話し出来ないかな?」

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