第五章『白い沙漠に白い雪』
五、『白い沙漠に白い雪』その1
〝
彼らの多くが齢二百を優に超え、既にその肉体は生物学上は死んでいる。彼らの魂が辛うじて現世に留められているのは、全身に施されたサイバネティクス手術よる臓器の有機械化と、有形成分と共に血管を流れるナノマシンの恩恵であった。しかしそれらを維持する為の電力は彼らの身体には残されて居らず、背中から伸びたケーブルを介してエーテルプラントから供給される。そこには、人間性を捨ててでさえ生き延びようとする生物の浅ましさであった。
否、彼らは生物である事さえ放棄していた。全身を覆う外皮ですら、肉ではなくカーボン・セルロイド。魂の根幹たる脳でさえ、シナプスの修復に数えきれぬほどの有機物が使用されている。生物の定義は様々だが、人工物の塊を生物とは呼べぬだろう。
その身体は、偽り。
穏やかな死を迎える為生き存えた故に、永遠に死ぬ事を許されぬ呪われ囚われた魂。
そのような状況下でも、彼らは決して理性を失わなかった。どのような状況に於いても、正確に記憶し再生する。当然である。失敗する事は多々あれど、基本的に機械はデータを正確に保存するのだから。人間のように余計な改変は行われない。
感情とは食材が調理され料理になるように、記憶の積層が適度に改変される事によって生じる現象である。それは生物にしか出来ず、機械には出来ない。生物であることを放棄し、外部電力により起動し可動する一つのデバイスと成り果てた彼らは、既に〝理性を失う〟という生物的な感覚さえ消失していたのだった。
現在。エーテルプラントから電力の供給を絶たれ、己の身体が致命的な状況でも彼らは平然としていた。平然と昨日と変わらぬ生活を送り、平然と明日のような振る舞う。それは機械的で、出来の悪いカラクリ人形であった。
彼らが人間であったのは、とうの昔。
自ら進んで囚われる、前の姿。
――故に。
彼らは決して〝死〟んだのではなく、役目を終え機能を停止させたと表現した方が妥当であった。
その亡骸は、彼らの暮らすハイヴがそうであるように少しずつ朽ち果てやがて灰燼と化す。歪な窓の外で、白い沙漠へしんしんと降り積もる白い雪のように。
「・・・・・・来たか」
重いドアが開く音に、
「ケーブルからの電力供給が途絶えた時、最初は故障かと思った。メンテナンスもままならない状況下で、不安定なエーテルプラントが今日まで稼働していた事自体が奇跡なのだから。ついにこの時が来たかと身構えたが、どうも様子がおかしい。何故なら、供給が絶えたのはあくまでケーブルだけなのだから。直ぐに思い至ったよ、君達・・・・・・いや、君の仕業とね」
「は――――」
「なんでもお見通しだ、まだそんな妄言を吐くつもりか。最早、貴様はハイヴの指導者などではない。他の部屋で藻掻き死んで逝った害悪共と同じ、生き存えるだけの屍だ。只の屍より質が悪い。自分達は何百年と浅ましく生きたくせに、〝
「強要など、していないさ」柔和な笑みを湛えて
「詭弁だな」
エリアは吐き捨てると、一歩部屋へ這入る。
「貴様達にとって、〝
「知識、か。アレが知識とは、君達は底の浅い人間だ。本でもなく音楽でもなく、君達が
「見下すのか、我々を」
「あくまでも、冷静に評したのだよ」
「どうした? もっと近付いても良いのだよ。ただの害悪、なのだろう?」
「っ・・・・・・・・・・・・」
「この程度で臆するとは、やはり君はまだ子供だ」
嘆息し、
「気付いていないと、思ったのか? 多少の力を手に入れて驕り高ぶったか、少し
「ハイヴのネットワークはイサクが掌握した筈だ。万が一の為にバックドアが仕掛けてあったか? それとも何かマルウェアを――」
「そんな手など、使えると思うかい? そんな技術があれば、そもそもネットワークを掌握などされないさ」
「君達がやっている事は所詮、焼き直しなのだ。何千何万と繰り返されてきた、焼き直し。だからこそ動向が把握でき、だからこそ君達の戯れ事を捨て置いた。どんな道を進もうとも、失敗する事は確定しているからな」
「巫山戯るなッ!!」
エリアは口角泡を飛ばし、激高する。
「予言者のつもりか、貴様! 焼き直しだと? 我々が水面下で同志を増やし綿密に組み上げてきた計画を、只の猿まねだと嘲るというのか!? 一体、誰の――――」
「決まっているだろう?」言葉を遮り、
ぞっとするほど、柔和な笑みであった。巧が彫り上げた彫刻のように均整の取れた皺が入り、穏やかに口を緩めている。だが、怖い。エリアは未知の恐怖に、一歩後退った。
「君達の偽りの身分やセーフハウス、それらを一体どうやって手配したと思っている? それだけではない。我々はタイムマシンという〝力〟を保持しているのだ。それを己の生存の為に行使しようとする輩が出ないと本気で思うかね?」
君達がそうであったように、柔和に細められた双眼が刃の切っ先のように鋭くなる。
「ベオウルフに邪悪竜、もしくは桃太郎に鬼ヶ島の鬼。今日まで紡がれてきた物語は、空想の産物であると同時に我々の失敗の記録でもある。竜も鬼も、当時の人間から見た我々だ。そして大抵の神話がそうであるように、神懸かった英雄により我々は排除された。それだけではない。敵対するハイヴ同士、同じ時代で殺し合った事もある。君達が発見したコンフェッショナルは、謂わばそれの残滓だ。君達は禁断の知識と諸手を挙げて喜び勇んでいたが、とんでもない。アレは我々の敗北の歴史そのものだ」
「だから、貴様等は神を否定したのか」
絞り出すように言葉を紡ぎ、エリアは奥歯を軋ませた。
「神というモノの馬脚を見てしまったから、だよ」
「
「どうだっていい。形状など、幾らでも自在に変えられるのだから」
「それで、どうするかね? 失敗と分かっていて、敢えて突き進むのは蛮勇でもなくただの自爆だ。しかし君達は突き進むだろう。曾て、我々がそうであったように」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
見透かしたような表情に、エリアはさらに奥歯を軋ませる。磨り減ったモノが舌をざらつかし、嚥下すると臓腑が熱くなった。
「君達は浮き世離れした理由から〝穏やかな死〟を説いていると思っていたようだが、大いなる勘違いだ。我々は何度も世界に刃向かい、歴史の数だけ時代を蹂躙した。その結果なのだよ、穏やかな死は。我々は数えきれぬ過ちを犯し、十二分に思い知った。人は世界には勝てぬ。我々の真なる終わりが訪れるまで、穏やかにこの時代で暮らすのだと」
「それが、
「それが、本当の理由か――」
エリアに憐憫の眼差しを向け、
「君達は自分の生存を賭けて、世界に挑むのではない。己の境遇を恨み、世界に呪いを撒き散らす気だな?」
「だからどうした」
憐憫から視線を逸らし、エリアは冷酷に言った。
「世界は既に呪われている。少々撒き散らしたところで、どうということはない。多少の揺らぎはあるだろうが、やがて元に戻る。源流から湧き出た水が大海へ向かうように、孰れはこの滅びが満ち満ちた世界に集約されるのだ」
「要は
「下らないと、捨て置くか。戯れに泥から人形を産み出した、貴様が!!」
踏み込み、エリアは懐から拳銃を引き抜いた。それは出力した物ではなく、彼が自らガンショップで購入したものである。オーストリアのグロック社が開発した、〝モデル38〟と名付けられたポリマーフレームの自動拳銃。四角く無機質なその外観は、このハイヴという空間に不思議と似合っていた。
「随分と時間が掛かったね。最初から、
銃口を突き付けられて尚、
「わざわざ貴様の部屋だけ電力の供給を続けていたのだ」怒りと恐怖を押し殺し、エリアは言い放つ。「このように、私が手ずから貴様を殺す為に」
「憎いかい、そこまで」
「この地獄に産み落とされれば、誰だって恨む。それが人為的であれば尚更だ」
「そうか――」
「貴様等にとって我々は都合の良い泥人形だが、それでも確固たる人格がある。ただの働き蜂として、制作すれば良かったのだ。そうすれば、寝首を掻かれずに済んだというのに」
言い終えると、エリアは口を歪めて嗤った。
「貴様に、穏やかな死など迎えさせるつもりなどない。
「それで君の気が済むのであれば、別に構わないよ」
柔和に笑い、
「ただ、これだけは言わせて欲しい。君には――――君達には、我々のような生き方をして欲しくなかったのだ。失敗し続け、絶望する人生など歩んで欲しくなかった。この世界で、我々と共に穏やかな死を迎える必要もない。ただ普通に、あの時代で普通の少年として生きて死んで欲しかった」
「それが〝
「言い訳ではない、本心だ」激高するエリアを真っ直ぐに見つめ、
本当はリベカにも向こうで暮らして欲しかった、
「今からでも、遅くない。気が済んだ後で構わない。計画を破棄して、一個人としてあの時代で暮らして欲しい。それが、我々ハイヴで失敗し続けた者達の総意だ」
「馬鹿か、貴方はァッ!!」
激高。人差し指に力が入り、銃弾が射出された。それは
「事態は最早、そういう段階を過ぎている! あの世界で暮らして欲しかった? ならば、そう我々を送り出せば良かったのだ!! 自分達の働き蜂などにせず、ただ別れを告げれば済んだのだ!! 何処まで自分本位の浮き世離れした発想で愚弄するのか、我々を!! 残されていないのだ、そんな選択肢! 我々には、もう!!」
憤怒に滾るエリアの言葉を
「暮らして欲しいのは、貴様の本当の息子だけだろう! エノク、唯一この世界に産み落とされた最後の子供!! 我々は所詮、奴の遊び道具に過ぎない。ただの泥人形に、無用な希望を抱かせるな!!」
「・・・・・・君の言う通り、確かに最初は彼の話し相手として君達を制作した」
指が二つだけ残った右手を伸ばし、
「だが、それはきっかけに過ぎない。君達は等しく、我々にとっての希望だったのだ。だからこそ君達は、〝
「詭弁だ、それは!!」
伸ばされた手を振り払い、エリアは怒りを露わに叫ぶ。手から滴る血が、エリアの頬を汚く汚した。
「貴様達は人形遊びに興じていただけだ!! 我々を慰み者にしただけだ!! 希望? そんな御大層なモノであるならば、あの害悪共は私を欲望のはけ口などに出来やしないだろう!!」
「まさか・・・・・・いや、そうか――」
鬼の形相で捲し立てるエリアを沈痛な表情で見つめ、
「許してくれとは、言わない。そのような資格はない。だが、それでも、これだけは言わせて欲しい。我々への復讐は幾ら行っても構わないが、その結果君達が不幸にはならないでくれ。君達は、今のままでは確実に凄惨な地獄を目の当たりにする。それだけは、どうしても避けて欲しいのだ」
「何故だ!? 何故貴様は〝
「父親だからだ」
「エノクだけではない。君達のデザイニングされた遺伝子情報にも組み込まれている。父親なのだ。だからこそ君達の不幸を嘆き、絶望へ続く道へ向かう君達を止めようとする」
「ならば私を助けなかった!? 己が父親だと宣うならば、まずは子供を救うのが責務だろう!!」
「知らなかったのだ。本当に、何も――」
「もういい!!」
エリアの怒りは銃弾となって
「何処までも身勝手な男だ、貴様は」
事切れた
「そこまで我々の計画を厭うのであれば、我々が地獄へ向かう事を目的の一つに加えてやろう。これもまた、復讐の一環だ」
スライドストップを下げ後退したままの
ケーブルが、接続されていなかったのである。
何故、自身へケーブルを接続しなかったのか。エリアは思考を巡らせたが、適当な答えは見付からない。電力が絶たれる事を予見していたから、というのが一番納得出来る解答であったが、それではむざむざとこちらの侵入を許した意図が理解出来なかった。
「・・・・・・まさか、贖罪のつもりか」
エリアは物言わぬ屍体と化した
「何処まで愚かなのだ、貴様。苦痛を伴えば己の罪が濯がれるなど、有り得る筈はないというのに」
屍体は何も語らない。血に汚れ瞳孔の開いた空虚な視線が、じっとエリアを見つめるだけであった。
「ああ、そうか。死して尚、貴様は私にそのような目を向けるのか。全く以て、腹が立つ」
吐き捨てると、エリアはもう一度屍体を蹴り上げた。宙を舞い、床に強く叩き付けられた。物言わぬ存在と成り果てた
「せめて、苦痛に悲鳴を上げれば良いものを」
だらんとした、
「っ――――――――」
それがエリアは気に食わず、何度も屍体を踏み続ける。
骨が折れ、内臓が潰れ、床の血溜まりがより一層広がる。屍体を破壊すれば破壊するほど、
「精々、何も出来ない自分を呪うがいい。理想という醜悪な花畑に囲まれてな」
肩で荒く息をし、返り血を拭いながらエリアは怨嗟を籠めて吐露する。
「誰が父親だ、誰がッ!!」
エリアの慟哭が、教会じみた部屋を反響した。
「――――――――――――」
その一部始終をリベカは部屋の外で聞いていた。気配を消して壁にもたれ掛かり、ゆらゆらと緩慢に降りしきる雪を眺めながら。終わりきって、白くなった世界。色をなくしたあの沙漠を、いつかエノクは美しいと言った。とても綺麗だと、眼を細めて笑いながら。
自分には、墓標にしか見えなかった世界。きっと自分の最期も、あの白い沙漠に埋もれて逝くのだろうと考えていた世界。それを綺麗だと言った彼が、好きだった。
終わりは決まっている。そして近い。だからこの想いは胸に秘めたまま、ひっそりと潰えていくのだろう。降り積もる雪が、一面を覆い隠すように。
リベカはエリアに気付かれぬよう、静かにその場を後にした。
まだ慟哭は聞こえている。
何もかも覆い隠すことが出来るあの雪ですら、エリアの声は掻き消す事が出来ない。
「――――――――」
それから、もう一つ。リベカは足早に歩きながら、自分の胸を強く押さえた。
自分が犯しこれから犯す、数えきれぬ罪。
拭っても拭いきれぬ両手の血は、永遠に降りしきる雪でさえ赤く染め上げるだろう。
まるで、己の罪から逃れたがる自分を責め立てるように。
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