四、『最後の子供達』その3

「そんなに頻繁にご飯作りに行っていたら、それもう付き合ってる事と同じでしょ。事実上の同棲じゃん」


 放課後。自分の席にてスマートフォンでレシピを検索していた来良に対し、璃子は嘆息交じりに言った。

「アンタが鈍感すぎる事に今更突っ込むつもりはないけれど、そろそろ立場をはっきりしておいた方がいいんじゃない?」

「また屋上に呼び出されない為?」

「そっちもあるけれど、柄野久君の方。彼だって、幾ら未来人だったとしても人間なんだから色恋沙汰はある筈だからね。このまま思わせぶりな態度のままだと、生殺しじゃあない?」

「生殺しって・・・・・・じゃあ、どうすればいい訳さ?」

っちゃえ」

 突然の暴言に、思わず手にしたスマートフォンが滑り落ちる。

 頑丈なやつを買っておいて良かった。でなければ、画面が割れている。


「何故、そういう発想に?」

「結局、最大のコミュニケーションだからね。身体が文字通り交わるんだから、良くも悪くも相手の全てが分かる。それに、」

「それに?」

 スマートフォンを拾いながら、おざなりに来良は問う。

「ぶっちゃけ年頃の男の子って、エッチしか頭にないでしょ?」

「世の中には、どうやって少ない予算でまともに戦えるデッキが組めるか、腐心していた高校時代を送っていた小説家だって居るんですよ?」

「そういう、教室の隅っこで暗い青春を送っていた奴は例外です」

 非常に失礼な事をのたまい、璃子は己の髪を弄った。


「それにさ、彼って未来人な訳でしょ? いつかは未来に帰らなければならない。思い出を作っておいた方が、後々切なくならなくていいかもよ?」

「だからって、肉欲に溺れた思い出じゃなくても別によくない?」

 そもそも、と来良は半眼で璃子を見つめる。

「璃子さんはどうなのよ? 処女の耳年増って、一番存在だよ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「おい、その貌止めろ」

 微妙な表情を浮かべる璃子に対し、すかさず来良は言った。


「前にも言ったけれど、わたしとアイツはそんな関係じゃあないんだってば。あくまでも契約、ビジネスライク。わたしはアンダーグラウンドな世界に首を突っ込みたくて、彼はその用心棒をしてくれる。そういう関係なの」

「アングラに首を突っ込みたい、ねぇ――」

 にんまりと笑い、璃子は来良の顔を覗き込む。

「最近、物騒な事に首を突っ込むよりも、彼と過ごしている時の方が多そうだけれど?」

「・・・・・・・・・・・・」

 ぐうの音も出ない。


「知りたいのはアングラじゃあなくて、彼の事だったんじゃあないの? 初めから」

「そんな事はない・・・・・・と思う」

 初めて柄野久 午兎に出逢った時、緩慢な世界が終わりを告げて何か特別な物語が始まるように思えた。しかし今では、彼と過ごす緩慢な世界を楽しんでいる自分が居る。


 彼は殺人犯だ。忘れてはいない。そして被害者は、彼の暮らす遠い未来に誘拐した少年少女を送っていた。大事件だ。そしてまだ誘拐は続いている。碌でもない事が水面下で起きているのは、間違いない。

 でも、これ以上踏み込んでしまったら。〝彼〟という存在そのものに近付いてしまったら。間違いなく、今の緩慢な世界はいとも容易く瓦解するだろう。

 それだけは、絶対に厭――――


「・・・・・・ごめん、ちょっと巫山戯過ぎた」

「え?」

「まさか、泣くなんて思わなかったから」

「い・・・・・・いや、そんな馬鹿な・・・・・・」

 来良は自分の頬に触れた。僅かに一筋、湿っている箇所がある。

「散々玩具にしてから言うのもアレだけれど、本当に心配しているんだよ? これでも、あたしは。なんていうか、今のアンタは柄野久君が居なくなるとどうにかなりそうだからさ。端から見ていて、かなり心配なんだよ」

「うん、ありがとう。こっちこそ、ごめん」

 来良は雑に頬を拭うと、椅子を引いて立ち上がった。

「今日、予備校だから。そろそろ行くね」

 短く言うと、鞄を担いで璃子の顔も見ずにそのまま教室を後にした。途中、来良を屋上に呼び出した少女と擦れ違う。しかし彼女は目線を逸らしただけで、何も言っては来なかった。


 彼女の一団が、柄野久 午兎の家に自分が度々訪れている事を知ったらどう思うだろう――――来良は、仄暗い思考を巡らせる。しかし直ぐに無駄な事だと悟って止めた。連中を見下したとしても、自分の気持ちが晴れるわけではない。それどころか、後で自分が虚しくなるだけだ。

「あ――――」

 いつの間にか、階段を通り過ぎてしまっていた。考え事をして歩くのは、やはり良くない。来良は、慌てて階段がある所まで戻ろうと踵を返した。

 途端、不意に図書室を視界に捉える。正しくない。正確には、図書室で本を捲る柄野久 午兎が視界に入った。ほぼ無意識に、足が図書室へと向く。自分でも馬鹿だと思うぐらいに。


「・・・・・・何、読んでるの?」

「ああ、君か」

 午兎は頁を捲る手を止め、顔を上げた。

「ちょっとね、神話を調べていた」

「神話?」

「うん。ちょっと、神様について気になってね」

「何で、神様? ってか、前に未来には宗教がないって言っていたでしょ」

「ああ、僕の暮らす世界には宗教もなければ神も居ない。でも、僕の暮らす世界より前は、神様が居るんだ。しかも、こんなに大勢。万能の存在が多いけれど、人間みたいな欠点を持っている神様も少なくない」

「それは人間が考えたからじゃあない? だから人間の願望が形になった全知全能の神様が居たり、親近感のある浮気ばっかりしたり酒席で失敗する神様も居る」

「イサクも、同じ事を言っていたな」

 その言葉を聞いて、来良の喉がヒリヒリと渇いていく。


 イサク、前にも聞いた名前。確か、兄弟に近い存在だと言っていた。兄弟というなら、やっぱり男だろうか。

 それとも――――――女性?

 胸が、傷んだ。

 以前彼とぶつかった時とは違い、切なく痛い。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」

 来良の言葉に「ふうん」と応え、午兎は続けた。

「神様は人間の想像力の産物、確かに納得出来る。しかし胸騒ぎがするんだよ、僕は」

「胸騒ぎ?」

 気付かれないように胸を押さえながら、来良は問う。

「僕は、最初物語が理解出来なかった。この本を読むまで」

 午兎は本を掲げ、来良へ見せる。ミヒャエルエンデの『モモ』、彼に勧めた来良が一番好きな本。


「何回も、読んだ。それでも、分からなかった。きちんと物語が分かるようになったのは、一昨日だ。多分それは、僕に経験が足りなかったからだ。料理の事も、人の気持ちも、僕は全然知らなかったから。分かるようになって、ようやく想像して物語を読めるようになった。君と話して食事をして、スマホで検索しなければ僕は一つも理解出来なかった」

 パラパラと捲ったオレンジ色の本を箱に収め、午兎は言った。

「そんな何も知らなかった僕だから、疑問に思ったんだよ。何かを想像するには経験が必要だ。ならば、、ってね」

「それって、どういう――」

 ごくり、と来良は喉を鳴らす。これ以上聞いてはいけないと、本能が警鐘を鳴らす。これは彼の存在そのものに触れる事案だ。それに触れてしまえば、この緩慢な世界など消えてしまう。全ては一炊の夢。待っているのは、辛い現実。この下らない胸の痛みなど、忘れるぐらいに。


「今の僕らは、タイムマシンを使ってこの時代にしか行けない。でもそれはタイムマシンに問題があるのではなく、単純に使用する電力が足りないからだ。つまり、僕らより前の電力が豊富にあった時代でタイムマシンを使用出来た人間達は、時間を自在に旅行出来たという訳だ」

 午兎の視線から逃れるように、来良は目を逸らした。彼の開いていた本が見える。それは美術書であり、開かれた頁にはミケランジェロの『最後の審判』が載っていた。

 天使。路地裏で初めて彼を目撃した時、彼は白い外套を身に纏っていた。その姿は、この『最後の審判』に描かれている天使そのもの――――


「え・・・・・・まさか、え・・・・・・」

 そんな馬鹿なと、理性が叫ぶ。宇宙人説よりはマシかもしれないけれど、幾ら何でも有り得ないだろう。

「うん、そのだと思う。当時の人間達は、遠い未来から来た僕らのような人間から神様を連想したんだよ。実際、色々な時代に行っていた記録も残っている」

 けれでも、納得している自分が居た。それと同じぐらい、さっきの警鐘が強くなる。

 確実に踏み込んでいる、彼という存在そのものに。


 また、胸が痛み出す。

 それは切なさよりも、一抹の寂しさを伴った痛みであった。



         ◆◇◆◇◆



 モノレール北口駅デッキの上。複葉機の模型を掲げたブロンズ像の足下にあるベンチで、趣味の悪いアロハシャツを着込んだ小太りの男がマンガ雑誌を読みふけっていた。


「・・・・・・今時、こんな接触の仕方はないんじゃあないか?」

 男の頭上、訝しむような声が降ってくる。男は聞き慣れた声を確認すると、漫画雑誌を閉じて声の主を見上げた。

「一度やってみたかったというのもあるが、此所では恨みを買っている連中が大勢居るからな。見付かったら、間違いなく僕は殺される」

「どうせお前を殺そうとしている連中なんて、お前にツケを踏み倒されたキャバクラやイメクラの関係者だろ。自業自得だ、諦めろ」

 それに、と声の主――韮崎 鎺は嘆息する。


「季節外れのアロハシャツそんな格好で駅のド真ん中に陣取っている方が、色々と目立つ気がするけどな」

「大丈夫だ。キャバクラもイメクラも、別の格好で行っている。声色も別だ。僕だと気付く奴はまず居ない。ああそうだ、君も一緒にどうだい? ガキばっか相手にしてると、ロリコンになっちまうぜ」

「待ってろ、尾鷲。今、連中に通報してやる」

「止めろ、マジで止めてくれ!!」

 半眼でスマートフォンを操作する鎺に対し、泡を食って男――尾鷲は悲鳴を上げて懇願した。


「・・・・・・お前、情報屋を強請ゆするとかとんでもねぇ奴になったな」

「お前のお陰だ。お前が勝手に消えてから、そういう仕事も俺がやる羽目になったからな。お陰で、少しは腹芸というものを覚えた」

 さて、と鎺は仕切り直す。

「調べが付いたんだろう、例のカルテの結果だ」

「でなければ、敵だらけのこの街なんかに戻って来ないっての」

 鎺の双眼を見つめ、尾鷲はニヤリと嗤った。


「詳細は後でコイツを見てくれ」尾鷲は鞄からクリアファイルを取り出し、鎺へ渡す。「単刀直入に言うが、カルテの共通点は簡単だった。全員、花粉症の検査を受けに来ていた」

「花粉症?」

「ああ、花粉症だ。毎年毎年、よくもまあ植物の分際で盛りやがって。本当に春は憂鬱になるぜ」

「そうなのか、大変なんだな色々と」

「大変なんだよ、色々と」

 尾鷲は剣呑な眼で鎺を見つめる。


「被害者が花粉症の検査を受けに来たという事は理解したが、そんな共通点が何だって言うんだ。ニュースでやっていたが、花粉症なんて国民の二人に一人の罹患率だそうだな。わざわざカルテを取り寄せてまで誘拐する必要はないと思うぜ」

「まあ、そう思うわな。だが、共通点はそこじゃあない。失踪者の体質だ」

「体質?」

 鎺の問いに対し、尾鷲は頷く。


「花粉症と一口に言っても、アレルギー物質となる花粉はスギ以外にも沢山存在する。代表的なのはスギとヒノキ、そしてブタクサにイネだ。誘拐された人間は市の総合病院で血液検査を受け、全員が同じ組み合わせに対して耐性を持っていた」

「珍しい事なのか?」

「探せば結構居るだろうよ。他に共通点らしい共通点は見付からなかった。ま、詳しくは渡した資料を見てくれ」

「耐性が共通点、か。少し睨んだ事と違うな」

「何だと思ったんだ?」

 ぼやく鎺に対し、欠伸を噛み殺しながら尾鷲は問う。


「カルテからの共通点、俺は病歴だと思ったんだ。持病や身体的特徴など共通点のある奴を片っ端から誘拐している、と」

「何の為に?」

「決まっているだろう、ソイツに成り代わる為だ」

「成る程な、確かに」

 面白げもなく尾鷲は応える。

 自分と身体的特徴が合致する人間を誘拐し、犯人がその人物に成り代わる――――彼らの暮らす裏社会では、日常的に行われる事であった。


「だが、自分と同じ耐性を持っている人間を拉致る意味はない。大した特徴にはならん。それに、証拠を隠滅する為とはいえ、あっちに梱包して連れて行く必要もない。実際、奴は屍体をそのまま放っておいた。となると、当初考えていた通りやはり身体が目的という事か」

「何だ、そのホラー」

「セオリーとしては臓器だが、果たして終末に向かっている世界でそんなモノが必要になるかどうか・・・・・・」

「・・・・・・どんな奴なんだよ、犯人」

「全く分からん。手掛かりは、先日お前から貰った写真程度だ」

「マトモに答えられても、困るんだがな・・・・・・」

 嘆息混じりに尾鷲は言うと、話題を切り替えるべく尾鷲は別の話を振った。


「臓器移植で思い出したけれど、拒絶反応ってあるだろ? 適合するかしないかっていう。アレってさ、血縁者でも適合しない場合があるんだとよ。テレビで骨髄移植の事やっていてさ、幼い息子と適合出来なくて父親が――」

「おい、ちょっと待て」

「あん? ここからが泣ける話でさ・・・・・・」

「いや、そんな話はどうでもいい」語り出す尾鷲を強い口調で制し鎺は言った。「拒絶反応だ。それって、要するにアレルギーみたいなモノなんだろう?」

「厳密には違うけれど、気になる事でもあったのか?」

「何らかの拒絶反応を避ける為に、耐性を持つ人間を選別しているとしたら、どうだろう?」

「どうだろうって、お前・・・・・・それこそ、何の為に?」

「分からない」

 こっちは意味が分からない――尾鷲は胸中で独り言ちた。


「連中が拒絶反応を理由に餞別している事を知っているだけで、今は十分だ。後は、直接本人から聞き出せばいい」

「おいおい、写真に姿は捉えられているけれど少年Aは基本的に神出鬼没だぜ? 加えて、最近はめっきり姿を現さない。どうやって炙り出す気だ?」

「この際、少年Aは放っておく。どうせ時期が来れば、勝手に出て来るからな」

 鎺は口を低く歪めて嗤うと、懐からスマートフォンを取り出しロックを解除する。タップして呼び出したのは、アプリケーションソフト。それは秋葉原にあるショップの店主に仕込ませた、柄野久 午兎のスマートフォンを常時監視する為のマルウェアであった。


「泳がせるのも、これで終わりだ。少年Aの顔写真と被害者の共通点、纏めてコイツに突き付けてやって反応を確かめる。そうして、今度こそはっきりさせるんだ」

「何をだ?」

「決まっているだろう?」

 午兎は陰惨に嗤う。

、だよ」

「お前――――」


 その貌を尾鷲はよく知っていた。

 何故なら、殺し屋時代に彼はいつも同じ貌をしていたから。

 何時から韮崎 鎺は、この陰惨な笑みを浮かべなくなったのだろうか。


 決まっている。

 酔った自分が戯れで、女子高生限定の探偵業を始めようと男に宣ったあの日からだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る