第四章『最後の子供達』
四、『最後の子供達』その1
何故、こういう状況になったのだろうか。
来良は包丁でまな板を鳴らしながら、思案に耽る。
偶然、スーパーで米袋を二つ担いだ柄野久 午兎に出会ったのはよく覚えている。雨の中、彼が余りにもそれを重そうに抱えていたから、自ら手伝いを申し出たのも自然の流れだ。そのまま彼の住んでいるマンションへ一緒に行ったのも、別に不思議な事ではない。
問題だったのは、彼の発言である。米袋を満たす大量の精米は、全て未来へ送る資源らしい。殺人事件などで忘れがちであったが、彼の目的は資源の枯渇した未来へ資源を送る事である。だからこそ、気になったのだ。未来の食糧事情、とまで言えばやや大げさだが、千年後の料理が一体どういうモノかを。
――料理なんて、未来にはないよ。
一瞬にして、好奇心は死に絶えた。
思えば、昼休みに食事をしている午兎を見掛けた事がない。別に四六時中彼を監視していた訳ではないので今までその違和感に気付かなかったが、よくよく考えてみればおかしな事であった。
「・・・・・・だからって、食べた事がないなんて有り得ないでしょ。あのスーパーにだって惣菜コーナーあるし、通学路にも色々売ってる。それを一度も口にした事ないなんて、普通はないんだけれど」
「興味がなかったんだよね。食べる物ってどうせ消化されて排出するだけなんだから、何食べても意味がないって」
でも、と午兎はテーブルの脇に置かれたオレンジ色の本を捲る。
「多分そのままだと、僕はこの物語を理解出来ないんだろう。この本には料理が沢山出てくるから」
「偉そうに宣ってないで、ほらテーブル片付けて。グラスそっち、ジンジャーエール真ん中。作るって言ったけれど、それぐらいは手伝ってよ」
キッチンから声を飛ばし、来良はレードルで中身をかき混ぜた。
じゃあ作ってあげるよ、と言わなければ良かった。幸か不幸か、今日は予備校は休み。時間には余裕がある。それが気紛れの引き金となった。
「でも、調理道具は疎か食器までないなんてね。ビックリだよ」
真新しいまな板、真新しい包丁。重ねられた食器やコンロで踊る鍋にフライパンも、全て新品。わざわざスーパーへ戻って一通り揃えたものだ。
同棲か、新婚生活かよ。馬鹿じゃあないのか、わたしは。
「・・・・・・札束の帯を切る、なんて貴重な体験出来たのは良かったけれど、絶対にあの店員さんドン引きしていたよね」
「そうかな? 僕はいつもやっているから、分からないな」
このブルジョア未来人め。
「ほら、サラダ」
中央に配置されたサラダボウルを午兎は矯めつ眇めつ見つめてから、やがて口を開いた。
「これが料理? 野菜、千切っただけじゃあないか」
「トマトは切った。あと、にんにくは刻んでからオリーブ油で炒めてある。ついでに言うと、まだこれで終わりじゃあないから」
来良はキッチンへ戻り、鍋からスパゲティを引き揚げた。周囲に湯気が立ち籠め、大皿には幾何学模様のようにスパゲティが広がる。そこへレードルでたっぷりとミートソースを掛けると、得意げにテーブルへ二つ並べた。
「これこそが、料理ってもんよ」
午兎は踏ん反り返る来良とミートソーススパゲティを交互に見比べる。一通り彼の中で区切りが付くと、手を伸ばした。
「スト――――ップ!! 素手で食べるもんじゃあない! フォーク、これ使って食べる、OK?」
「ああ、これを使うのか」
慌ててフォークを手に持つ来良に習い、午兎はフォークを手に取った。
「これ、引っかけて食べるのかい?」
「ひょっとして、フォーク知らないの?」
「いや、流石に知ってるけれど」午兎はテーブルのスパゲティを一瞥してから口を開く。「これ、細くて長いから刺せないだろう? どうするのかなって」
「ああ――――」
しまった、カレーにしておけば良かったか。手抜きに思われたくないと却下したのが、逆に仇となってしまった。
労力としては、ミートソースだって大して変わらないのに。
どうしてこう、柄野久 午兎に良く思われたいと考えてしまうのだろうか。
「じゃあ、わたしがお手本見せるから真似して」
席に着くと、来良はフォークを手に取りミートソースを絡めてくるりと巻き取った。それをぱくりと一口で平らげ、午兎へ視線を向ける。
「ね、こんな感じ」
「ああ、引っかけるのではなく巻き取るのか」
合点がいった、と午兎はスパゲティにフォークを差し込んで回転させる。三回ほど巻き込むと、フォークに絡みついたスパゲティは大きな球状と化した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
それを暫くしげしげと眺め、口に放り込む。目を上下左右に動かしながら咀嚼し、やがて嚥下した。
「・・・・・・どう?」
「どうって言われても・・・・・・」
「合い挽き使う事が多いけれど、わたしは牛挽きとベーコンを使うの。それからマッシュルームは細かく刻むんじゃなくて、適当に真っ二つにして、後はチーズとバターと生クリームをこれでもかと放り込む――」
「説明はいいや。多分、僕は理解出来ない」
早口で捲し立て始めた来良を制し、午兎は言った。
賢明な判断である。
「じゃあ、美味しい?」
「・・・・・・分からない」
慎重にフォークを操りながら、午兎は答える。
「こういうの、複雑っていうのかな。甘さ、辛さ、僅かに酸味。それが一遍に僕の味蕾を刺激する。端的に言うと、変な気分だ」
ひょっとして、作り方間違えた?
来良は慌てて口に運ぶ。しかし、味はいつもと変わらない。まさかとは思うが、自分の味覚が変になったのかもと青ざめた。
「恐らくだけれど、君の味覚は正常だ。間違っているのは、僕の方さ。食べた事がないんだよ、こんなに色んな味を一度に感じられる食事なんて」
午兎はジンジャーエールを一口飲むと、途端に目を白黒させる。
どうやら、炭酸は苦手らしい。この男にも苦手なモノがある事が、少しだけ嬉しかった。
「いつも何を食べているの?」
来良の問いに午兎は席を立つ。それから自分の鞄を漁り、銀色の煙草ケースのようなモノを取り出した。
「僕の食事はコレだ」
蓋を開けると、理路整然と白いスティックが並んでいる。形状は板状のチューインガムに近い。
「カスミ、って僕達は呼んでいる。米や小麦のような穀物に幾つかのタンパク質を合わせたモノだ」
差し出されたそれを来良は受け取ると、徐に臭いを嗅いでみる。無臭であった。次に舌先で味を確認してみる。無味であった。思い切って口に放り込むと、思った以上に堅い。スルメのような食感で、咀嚼を繰り返すと口の中で溶けて消えていった。
「変な感じ」
「僕にとっては、それが普通なんだ。この食事が君にとって普通なようにね」
「これ、どれぐらい食べるの?」
「君が食べたので、一日分」
「は――――」
思わず、腹部を擦る。迂闊だった。これは不意打ちだ。ヤバい、ただでさえミートソーススパゲティはカロリーが高いのに。
「つ、付かぬ事を伺いますが、そのガムとスルメの中間じみた奇々怪々な物体の総カロリーは
「さあ?」席に着きながら午兎は答える。「でも、君が作った料理の方が高いと思うよ」
「・・・・・・じゃあ、時間が経つと膨れて満腹になるとか?」
「そういう機能はないな」
「え――――じゃあ、どうしているの? だって、これっぽっちじゃあ、お腹いっぱいにはならないでしょ?」
「そもそも、満腹って概念がないんだよ。
スパゲティを絡めながら、午兎は言った。
「言ったろ? 資源がないって。食料も同じでさ、ハイヴ全てに行き渡る程潤沢にはないんだ。僕らがタイムマシンを使って持って帰る食料だって、実は焼け石に水みたいなもの。だから僕達は食べなくても動けるよう、自然と身体がそうなっているのさ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「僕はね、今まで空腹を感じた事がなかった」
淡々とスパゲティを口に運びながら、午兎は続ける。
「今日は何となく、そういう感覚が理解出来たよ」
「それって美味しいって事?」
「さあね。比較対象がまだないから分からない」
「つまり、不味いモノを食べさせればいいという訳か」
来良が浮かべる、含みのある邪嗤。午兎はごくりとスパゲティを呑み込んだ。
「まあ、冗談なんだけれどね」
「・・・・・・君、冗談を放った時とナイフを穿った時の貌が変わらないのは、正直どうかと思うぞ」
「そりゃあそうでしょう、どっちもわたしの貌なんだから」
にべもなく言うと、来良はマッシュルームをフォークで突き刺して口に入れる。
「受け売りなんだけれどね、人間には三つの欲があるのよ。眠いとかお腹空いたとか、そういう動物的な欲。人間は動物なんだから、結局三つの欲には抗えない。だからこそ人間には、満腹になる権利があるとわたしは思うわけさ」
「睡眠欲と食欲、あと一つは?」
「え?」
「まだ二つしか、言ってなかったろ。三つ目は?」
「ぶ・・・・・・物欲?」
「何で、疑問形なのさ」
しかし、とトマトを口に運びながら午兎は納得した。
「それで、この時代の人間は物に囲まれているのか。物欲が制御出来なくて、部屋が物に溢れている。つまりは本能のまま、動物的に生きている訳か」
「それは、部屋にレジンとホワイトメタルを溜め込んでる小説家ぐらいだから。普通に生きている人は、きちんと物欲を制御してるよ・・・・・・多分」
それにしても、と来良は部屋を見渡した。引っ越したばかりだとしても、これ程までに物がない部屋は珍しい。不動産業者が内見用として確保している部屋ですら、もう少し人の営みが感じられる。
「正直、もっと部屋汚いと思っていた。銃とか、その辺にゴロゴロ転がっていたり」
「僕に私物はないからね。ああ、最近はスマホを手に入れたか」
言って、午兎はポケットからスマートフォンを取り出して仕舞った。
「じゃあ、銃は? まさか鞄に入れているの?」
「銃を鞄に入れる必要はないよ。アレはまあ何て言うか、実際見て貰った方が早いな――」
午兎は右手を宙空へ翳す。瞬間、光が彼の掌へ収束し92FSの形を成した。
「転送!?」
「違う。作ってるのさ、この周辺にある元素や粒子をマテリアルとしてね。この時代の感覚では、3Dプリンタに近いかな」
「それの何処が3Dプリンタなのさ。そんな風に精巧に組み上がったブツが一瞬で出力されたら、誰も苦労はしないよ。一体どれだけの人間が光造形のクラックに泣いたり、ABSのギザギザになった表面を滑らかにする為に日夜ヤスリ掛けで苦労していると思っている訳?」
「そりゃあまあ、千年経ってるからね。それぐらいは、念頭に置いて欲しいな」
苦笑すると、午兎はリリースボタンを押して
「で、その3Dプリンタ、火薬も精製出来るの?」
「まさか。そんなものは作れないよ」
「じゃあ、どうして銃から弾が・・・・・・」
東風瑞 来良の疑問は、当然であった。
銃には様々な種類があるが、その多くが〝
つまり、火薬がなければ銃弾は銃から発射されない。幾ら銃を精巧に作ろうとも、薬莢に火薬が入っていなければ出来の良い置物である。しかし、柄野久 午兎は来良と璃子の目の前で銃を放って見せた。銃声を響かせ、対象を穿つ。普通の銃では当たり前の事であるが、目の前の銃では有り得ない。普段銃には全く興味のない彼女であったが、それだけはどうしても気になった。
「火薬以外のモノを燃焼させる、としたら?」
彼女の神妙な貌が可笑しかったのか、笑いながら午兎は問う。
「要するに薬莢内で爆発力を産み出すエネルギーが、この出力された
弾倉のスプリングを緩め、銃弾を一つ摘まみ出す。それは紛れもなく銃弾であったが、精巧に作られた紛い物であった。
「成る程・・・・・・火薬の代わりになるもので、大気やら周辺に漂っているモノという訳か・・・・・・水素、とか?」
「ハズレ。正解はエーテル」
「分かるか!」
そんなトンデモ物質を出されて、分かる筈がない。
「エーテルってアレでしょ、マナとかオドとかそういう類。幾らわたしだって、流石に冗談だと分かるよ」
「冗談、ではないんだけれどね」
午兎は取り出した銃弾を掌で転がしながら肩を竦めた。
「この時代ではまだ観測されていないから架空の存在扱いされているけれど、エーテルはきちんと存在している物質だ。多分、この時代では〝
銃弾を噛み、午兎は銃弾から薬莢を外す。本来なら零れる無煙火薬は一粒たりともテーブルには落ちず、中身は空の虚無であった。
「この通り、エーテルは目視できない。しかしこの物質は可燃性でね。雷管の火花で火薬のように激しく燃える。体積以上のエネルギーを持っているんだ。だからこうして、」
「本物の銃と同じようになる」
銃声。射出された銃弾は、リビングの壁へと深くめり込んだ。
「食事中」
「駄目なのかい?」
「食べている時は、そういう玩具で遊んではいけないの。この時代の常識です」
「そうだったのか」
午兎は手に持つ銃と皿の上に置かれたフォークを見比べる。それから銃を放り投げると、それは宙空で分解されやがて光に溶けて消えていった。
「まあ、こんな具合で好きな時に消す事も出来る。線条痕もその都度違うから、警察にも絶対バレない」
「暗殺にはぴったりの武器ね」
「その為の武器だからね。裏切り者を処分する為のものだから」
裏切り者、か。来良は、にべもなく言い放つ午兎を少し遠くに感じた。あの日見た光景と、重ね合わせながら。
「・・・・・・でも、エーテルをそのまま相手にぶつけた方が効率が良い気がするんだけれど。レーザー銃みたいに」
「昔は出来たかもしれないね、それ。でも今の僕らには無理だ。さっきの銃だって、昔は何種類も同時に出力出来たらしい。でも今では、92FSタイプ一種類だけ。要するにちぐはぐなんだ、僕らの暮らす世界は。未来と原始時代が混在している」
いや、と最後のスパゲティを口に入れながら午兎入った。
「原始時代の方が、良いかもしれないな。少なくとも、あの時代には食料が沢山あったみたいだから」
「おかわりは?」
「え?」
「だから、おかわり。まだスパゲティもミートソースもあるから、食べるかなって。満腹なら、タッパーに詰めて冷蔵庫に仕舞っておくけれど・・・・・・って、此所冷蔵庫もないんだっけ」
「いや、ああ・・・・・・うん。食べたいな。何故かは分からないけれど、いつもと違って食べたくなった」
「言ったでしょ、動物なんだよ人間だって」
笑うと、来良は午兎の皿を持ってキッチンへ歩いて行く。
何だ、これ。本当に同棲か新婚生活そのものじゃあないか。けれどまあいいか、今日ぐらいは。
「そういえばさ、本を読む画期的な方法を見付けたんだ」
「へぇ、どんなもの?」
皿を午兎の眼前へ置き、来良は問う。
「物語を読んでいて、気付いたんだ。結局、人は己の経験以上の想像をする事が出来ないって」
「ふんふん、それで?」
席に着き、来良は自分のグラスへジンジャーエールを注いで口に含んだ。
「取り敢えず、この主人公を君に当て嵌めてみた」
「ブァッ!?」
食道へ注がれていたジンジャーエールが、盛大に逆流する。その際に炭酸が喉を刺激し、噎せて何度も咳き込んだ。
「何故、そのような事をした!?」
「自然とそうなった。不思議とね、君を当て嵌めたらスイスイ読み進められたよ。多分、彼女の面白さが君と似ているんだろうね」
「似てない! っていうか、止めてッ! 本気で止めて!! 妄想で物語の登場人物にされるとか、とんでもない羞恥プレイだから!!」
「悪いけれど、捗るんだ。僕がきちんと読み終えるまでは、主人公になってもらうよ」
「嫌アァァァァァァァァ――――――ッ!!」
赤面して叫び声を上げる来良を尻目に、午兎はフォークを動かした。スパゲティにミートソースを絡め、それを丁寧に巻き込んで口に運ぶ。その動作は一見食事のようであったが、新しい遊びを見付けた子供のようであった。
「楽しいな」
フォークを動かす手を止め、午兎はぽつりと言う。
「多分、これが
「――――――」
午兎の言葉は、来良には理解出来ない。しかし彼のぎこちない木訥な笑顔が無性に愛おしくて、思わず来良の貌も綻んだ。
間違いなく、こんなのわたしのキャラじゃあない。普段のわたしは、もっと卑屈で歪んでいる。お腹の中は、汚濁に塗れて真っ黒だ。
――けれど。
「美味しい?」
「まだ分からない」
まあ、今日ぐらいはいいか。
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