三、『終わる世界に続く世界』その4

 その機械はタイムマシンと呼ばれている。しかしに〝機械マシン〟という形の概念はなく、あるのは人を過去と未来へ導くシステムのみであった。


 開発されたのは2900年代初期であると推測されるが、開発者の記録と共に開発経緯は削除されていて詳細は不明。仮にも時を司るシステムが自身のログ程度さえ遡れないのは、幾ら何でもお笑いぐさであったが事実である。恐らく何らかの意図があったのだろうが、その時代を訪れる手段が消失した今となっては分からない。


 タイムマシンを起動する為には、膨大な電力を消費する。豊富な発電施設により無尽蔵の電力を生み出していた時代、タイムマシンは自在に時を巡れた。しかし終焉に向かうハイヴに於いてタイムマシン起動に割ける電力は最早残されては居らず、現在は観測地点から近く比較的電力消費量の少ない2020年代を行き来するのみであった。


 二十一世紀に於いて信じられているように、時間という存在は過去現在未来と一つの線に連なっているわけではない。大きな駅に敷かれた線路のように、過去現在未来が並列化してそれぞれの時を刻んでいる。そして並んだ時間という線路に整然とした法則性はない。故に、観測地点から捉えて直近の過去よりも、千年以上経過した過去の方が観測地点から近いという事象も多々発生する。これも、タイムマシンによる時間観測の結果導き出された新たな発見の一つであった。


 時間の概念だけではない。平行世界や多元世界、ミッシングリンクに至るまで今まで世界の謎とされてきた法則や真実が、人類最後の発明品であるタイムマシンの存在によって次々と解明されていった事実は、皮肉とも呼べぬ茶番であった。

 人類は滅びる。タイムマシンで得られた真実や知識もまた、やがて白い雪と砂へ溶けて消えていくだろう。人々が曾てこの世界で他愛なく暮らした記憶と共に。


「――――――――」

 白む世界が見慣れたハイヴの形を成した時、イサクは細めていた双眼を緩めた。

 大型のスーツケースを引き、数歩でぴたりと止まる。白い部屋の出入り口から通路を歩くリベカを見付けたからだ。

「ああ、イサク。お帰り」

 リベカもイサクに気付いたようで、手を挙げて白い部屋へ入って来る。

「今回は、間隔が短いね。忘れ物?」

「流石の俺でも、そんな間抜けじゃねぇよ」

 茶化すリベカに半眼で応えると、イサクはスーツケースへ視線を向けた。

の用件だ」

「ああ――――か」

 リベカの貌が曇る。それに釣られるように、イサクの双眼も影が差した。


「オッサンの伝手を辿ってみたが、全滅だった。あのオッサン、見た目に反して意外とやり手だったらしい。まあ、俺みたいなガキがコネクションを作ろうってのが、そもそもの間違いなんだけれどさ」

 イサクは苦笑すると、スーツケースを何度か軽く叩く。

「今回は難物だったぜ。ラボで白仮面ミトラに改良を加えてなかったら、結構ヤバかったかも」軽口を叩くと、スーツケースをリベカへスライドさせた。「さっさと〝コンフェッショナル〟を空けてくれ。もたもたしてると、折角のが駄目になる」

「その事なんだけれど・・・・・・」

 リベカは顔を俯かせる。

「やっぱり、止めにしない? だって、わたし達の行いは大司祭シェム・ハザ様の教えから明らかに逸脱している行為だし――」

「安らかな死を、か」

 蔑むような視線をリベカへ向け、イサクは吐き捨てた。


「礼拝堂から一歩も出られないが、よく言うぜ」

「イサク!? そんな不敬な言葉、もし大司祭シェム・ハザ様に聞かれたら――」

「奴に聞かれる? そいつは有り得ねぇな。じーさんが死んでから、ハイヴ内のネットワークは俺が掌握した。コンピュータを半分魔法だと思っているような連中に、俺が後れを取る事はないね」

 それに、と続けながらリベカの服装をイサクは矯めつ眇めつ観察する。いつものようなローブ姿ではなく、動き易いスクラブを身に纏っていた。

「何か行動を起こさなければ、ずっとこのままだ。お前だって、死に損ない共の下の世話には飽き飽きしているだろ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 イサクの問いに対し、リベカは俯いたまま奥歯を軋ませる。


「・・・・・・悪かった。適性がないお前にその仕事を押し付けたのは、他でもない俺達なんだよな。だがコイツが成功すればそんな事、もうしなくて済むんだぜ」

「適材適所、だから。このハイヴで自由に動ける人は、もうわたし達〝最後の子供達エグリゴリ〟しか残っていない。去年から大司祭シェム・ハザ様だって足を悪くしているし、ケーブルで繋がれるのだってそう遠くない。適性がないわたしがあの人達の世話をするのは、当然だよ」

 掠れるような小さな声。ぽつりぽつりと呟いたリベカの言葉が彼女の本意でない事は、イサクには手に取るように分かった。


「適材適所、か・・・・・・」

 深く息を吐き出し、イサクは俯くリベカの顔を強引に上向かせる。

「なら、さっさとコンフェッショナルを起動させろよ。あのシステムを使いこなせるのは、お前だけだ。早く処置を始めないと、肝心の脳が死ぬ。オッサンが死んだ以上、俺達はリストに従うしかないんだ。貴重な素材を無駄にしたくない」

 そもそも、と顔を近づけイサクは言い放つ。

「未踏破ブロックでアレを見付けて〝告解室コンフェッショナル〟と名付けたのは、他でもないお前なんだぜ?」

 イサクのその言葉は、呪いであった。罪の意識に苛まれ、胸中が焼けるように熱くなる。


「・・・・・・うん、分かった。でも待って、最初は適性検査から。ナノマシンとの適合率をチェックしなければ、施術中に素材が壊死する危険性もある。例えリスト通りだとしても、調べるまでは分からない。無駄にしたくないなら、焦らないで」

「分かった」

 頷くと、イサクはリベカを解放した。

「・・・・・・ねぇ、イサク」

 肩を振るわせ、リベカは問う。

「本当に、エノクに言わなくて良いの? 彼だって――」

「アイツは、大司祭シェム・ハザの飼い犬だ。話せば間違いなく、計画が大司祭シェム・ハザの耳へ届く」

「でも、きちんと話し合えば――」


「・・・・・・無駄さ。奴には生きる矜持も気概もない」

 背後からの声に、二人は振り返る。そこには帰還したばかりのエリアが佇んでいた。

「あの男は、例えるなら人形だ。疑問も抱かず、与えられた仕事を淡々と熟す自動人形。そんな男を我らへ引き入れる必要など、何処にも存在しない」

 エリアは腕を組んだまま淡々と言葉を紡ぐ。


「曾て、我々も人形だった。大司祭シェム・ハザの命を疑いなく、正確に実行する傀儡。しかしコンフェッショナルで知識と力を得て、我らは変わった。自ら考え自ら生きる人間へ、生まれ変わったのだ」

「ああ、そうだったな・・・・・・生まれ変わったんだ、俺達は」

 イサクは髪を掻き上げ、エリアへ同意した。リベカも隣で両手に力を込めて無言で頷く。

「俺達を〝最後の子供達エグリゴリ〟と持ち上げ、その実遣い潰していた大人と世界に目に物見せてやろうぜ」

「私と共にシアトルで動くナオミとラケル、そしてエリシャも計画に加わった。これでこのハイヴの〝最後の子供達エグリゴリ〟はほぼ我々の傘下という訳だ」

「エノクを除き、ね・・・・・・」

「リベカ! お前――」

 右手を挙げてイサクを制し、エリアはリベカへ向けて歩き出す。


「ならばこうしよう。彼には、計画の最終段階で話せば良い。その頃には例え大司祭シェム・ハザの耳に入ったところで、後の祭りだ」

「うん、そうだね・・・・・・分かった、そうする。じゃあ、そろそろわたしはコンフェッショナルに行くよ。準備しなきゃだし」

 リベカは困ったように笑うと、イサクから預かったスーツケースを引いて通路の奥へと消えていった。


「・・・・・・本気で、エノクを引き入れる気か?」

 二人だけになった白亜の部屋。徐にイサクはエリアへ問う。

「人数が足りないのは事実だ。我々が敵対するのは、世界そのもの。柵などを気にしていては、とても務まらんよ」

「だが・・・・・・アイツは、違う。アイツの遺伝子情報は――」

「二十一世紀に浸りすぎたか、イサク。血筋で選別とはな」

「けど・・・・・・」

 エリアの炎のように赤い双眼が、イサクの言葉を凍らせた。


 怖い貌であった。表情そのものが鋭利な刃物になったような錯覚さえ覚える。それは憎悪や怨嗟の域を超え、ただ一つの狂気と化していた。

 イサクにはまるで分からない。何故、エリアがこうもエノクを敵視するのか。しかし彼の醸し出す凄味に、ヒリヒリと喉が焼け付き両頬が剣で斬られたように傷んだ。

「・・・・・・ああ、そうだな」

 頭を振って、イサクは言葉を呑み込む。

「土壇場になれば、アイツだって俺達に加わる。目を覚ませば、この世界が間違っている事に気付くだろうさ」

「当たり前だろう。奴とて、私や君と同じ〝最後の子供達エグリゴリ〟なのだから」

 口元に笑みを湛えたものの、イサクを凝視するエリアの目は一切笑っていなかった。


 イサクは確信する。この男は、エノクを仲間へ引き入れる気など微塵もない。それどころか、いつ彼の寝首を掻こうかと虎視眈々と狙っているきらいさえある。

 危険な状況だ。イサクは内心舌打ちした。個人の恨み辛みは、計画を綻ばせる一因になりかねない。感情の赴くまま暴れたいのであれば、全てが終わってからにして欲しかった。


「・・・・・・イサク、一つ問う」

「!?」

 エリアの問いに、引き戻された。冷や汗で、背中が湿っていくのがよく分かる。それでも平静を保ちながら、イサクは応えた。

「ああ、何だよ?」

「タイムマシンの事なんだが。現在の電力事情で、我々はあと何回2020年代を行き来する事が出来ると思う?」

「そうだな――」

 イサクは背中に不快感を感じながら、手を顎に押し当てて思考する。


「現在の電力を百として、五十は老人達の生命維持に割り振られている。残り二十はハイヴの施設維持で十は食料生産。残った二十がタイムマシンに使用出来る割合だ。その割合を俺達界間旅行者わたるものの人数で割ると、精々一人五回ってところだろうな」

「五回。それは、随分と少ないな」

「ああ、少ない。行き来の間隔を長引かせれば少しは対処出来るとは思うが、かなりジリ貧だろうな。それまでに計画を進めて、リスト通りに――」

「何故君は、残された電力を繰り合わせる事だけを考えて、新たに電力を生み出そうとは考えない?」

 イサクの言葉を遮り、エリアは疑問を口にする。


「発電所を作れってか? そりゃ、前にリベカがエーテルプラントの残骸をハイヴで発見したが、アレを修理して稼働させるにはあの時代のパーツだけでは不可能だ。せめて、暗黒物質ダークマターの海からエーテルを抽出する基礎理論が完成した2100年代でなければ――」

「何故、修理する必要がある?」

 首を傾げ、エリアは言った。

「五十、あるのだろう? 電力はそこから引っ張ってくればいい」

「おい、話聞いていなかったのか? 使えるのは二十。五十ってのは、老人共の生命維持――――」

 気付く。エリアの意図をイサクははっきりと理解する。同時、血の気がすっと引いていった。


「何を臆している、イサク。遅かれ早かれ、奴らは死ぬ定だ。我々がこの地を離れれば、奴らは生きては行けぬのだから」

「でも、だからって・・・・・・生命装置を止めるなんて・・・・・・」

「別に、全ての老人をケーブルから引き剥がす訳ではない。そんな事をすれば、大司祭シェム・ハザに気付かれる。最初はそうだな、下層民ロウワー辺りから始めればいい。このご時世、機械の故障などだ。そうだろう?」

 ぞっとする笑みを浮かべ、エリアは言い放った。

「人間と考えるから、気が咎めるのさ。そうだな、バッテリーと考えればいい。我々に電力を供給してくれる、バッテリー。そうすれば、ほら気は咎めない。バッテリーに感情はないからな」

「お前――――」

 言葉に詰まるイサクに対し、エリアは靴音を鳴らして詰め寄る。


「君、ひょっとして我々の計画が、多くの屍の上に成り立つ事を理解していないのか? 百や二百という数ではない。千や万という単位の無辜むこの命が犠牲になる。たかが千にも満たない死に損ない共に留めを刺す程度で倫理観が揺らぐのであれば、この先とてもではないが保たないぞ」

 イサクの肩を強く掴み、エリアは剣呑な視線を近づける。それは丁度、切っ先を喉元へ突き付ける行為によく似ていた。


「偉そうにリベカへのたまったのは戯れか? 覚悟を決めろ、イサク。我々の計画は、常に多くの流血を伴うものだ」

 それに、と歯を向き出してエリアは嗤う。

大司祭シェム・ハザの教義に従い、彼らは安らかな死を求めているのだ。ならば望み通りに救ってやろうじゃあないか」

「ああ・・・・・・そうだな。お前の言う通りだ」

 両肩に強い痛みを感じながら、イサクは同意した。

「どうかしていたぜ・・・・・・とうの昔に、俺の手は血で汚れているってのにさ」

「きっと、疲れていたんだ。根を詰めすぎているからな」

 イサクの言葉にエリアは満足げに笑うと彼を解放する。


 やはり、怖い男だ。裏切れば、容赦なく殺されるだろう。

 しかしそれ以上に感じたのは、この世界とケーブルに繋がれた老人達に対する途方もない怨讐であった。滅びから逃れ生き残りたいという他の〝最後の子供達エグリゴリ〟の願望とは明らかに違う。それはこの世界だけに留まらず、最悪あちらへも影響を及ぼしかねない危険な願望であった。


「期待しているぞ、イサク。君は私の同志で居てくれるな?」

「ああ、勿論だ」


 解放されて尚、痛みを感じるイサクの両肩。

 それがまるで、警鐘のように彼の脳へ信号を送り続けていた。

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