三、『終わる世界に続く世界』その2

 昭和の面影が残る喫茶店。


 端のボックス席に巨体を埋め、静かに鎺はコーヒーを啜っていた。

 事務所を構える繁華街から、南武線で二駅ほど離れた郊外。団地が建ち並ぶ一角でこぢんまりと営業するそこは、鎺以外の客は居ない。緩慢に、時間だけが過ぎていく。暇を持て余したマスターはパイプを燻らせながら、モデルグラフィックスのページを捲っていた。


「――悪い悪い、遅くなった」

 リン、という音と共に入ってきた男が開口一番に言った。

「頼まれていたモノ、調べてきたよ」

 趣味の悪いアロハシャツを着込んだ小太りの男。整髪料で撫で付けた髪に丸いサングラスという出で立ちで、それが妙にこの昭和を封じ込めた店内に似合っている。男とマスターは顔見知りらしく、男を一瞥すると大した興味も抱かずに雑誌に視線を落とした。

「それにしても、久しぶりに連絡してきたな。元気だったか?」

「言い出しっぺのお前が事務所を軌道に乗せた程度には、元気でやってるよ。尾鷲おわし

「しょうがないだろう、姿くらませなきゃヤバかったんだし。お前みたいに気軽な気持ちで組事務所壊滅出来る程、僕は出鱈目に生きていないんだよ」

 マスターへコーヒーを注文すると、〝尾鷲〟と呼ばれたは窮屈そうに席に身体を押し込める。


「これが、調べた結果だ。特徴的すぎて、直ぐに見付かったぜ」

 尾鷲は自前の鞄からクリアファイルを取り出し、それを鎺に渡す。

「僕の見立てでは、何処かの組織に所属しているような人間じゃあなさそうだ。痕跡の消し方が雑だし、殺し方も手慣れていない。まあ、粋がった素人だろうな」

「だったら楽なんだがな」クリアファイルに収められた資料を眺めながら鎺は言う。「殺し方や証拠隠滅が雑なのは、どうせこの時代じゃあ逮捕されないと高を括っているからだろうよ」

「は? 時代?」

「何でもない、こっちの話だ」

 嘆息し、画像に視線を向ける。不鮮明な画像には、金髪を短く刈り込んだ浅黒い肌の少年が映っていた。


「コイツが、人買い業者に取り繋ぐよう神驒会ヤクザへ言ってきた少年だ。お前が探している奴に違いないか?」

「あのモザイクの仮面は付けていないみたいだが、この白マントは間違いなさそうだ。しかし、まさか組事務所に人買いを紹介しろと宣うとは、流石に想定外だったぜ」

 引きつった貌で資料を読みふけり、鎺は尾鷲に言う。運ばれてきたコーヒーへ砂糖瓶の半分程の砂糖を放り込むと、尾鷲は一口啜ってから頷いた。

「資料に書いてある通り、出迎えた組員も目が点になったようだ。中には、罰ゲームでやらされているのかと疑った奴も居たらしい。だが、この少年は本気だった。札束を並べ、組員達に再度人買いに繋ぐよう要求した」

「札束・・・・・・流行ってるのか、アレ」

 東風瑞 来良から聞いていた柄野久 午兎のを想像し、鎺は小さく苦笑した。


「で、結果は? お巡りさんが道に迷ったお年寄りを駅まで案内するように、連中は懇切丁寧に少年Aを人買いに取り次いでやったのか?」

「資料に書いてあるだろう、気味が悪くなって少年を叩き出したそうだ。十代の少年が札束を積み重ねるなんて、はっきり言って異常な光景だ。危ない事には、関わりたくないんだよ」

「気味が悪くなったって・・・・・・それでも裏社会の人間かよ」

「裏社会の人間だから、だよ。危険な事が分かっているから、気味が悪い事には近付かない。それが裏社会を生き抜く鉄則さ」

「そうして、強きにへつらい弱きを挫いて私腹を肥やす訳だ。下らん生き方だな」

 鼻を鳴らし、鎺は資料をテーブルへ放る。


「まあとにかく、伝手を潰されたという情報は本当らしいな。でなければ、わざわざ自ら赴いて人買いを紹介しろとは言わねぇ。最悪、腕を買われてどっかの組織の用心棒をしている危険性も考えたが、この資料とお前の話から察するに有り得ないだろうよ」

「ヤクザだけじゃあないぜ。黑社会にロシアンマフィア、この少年は都内で幅を利かせている危ない連中に、片っ端からアポイントメントを取っている。全員、少年を警戒して彼をブラックリスト入りだ。だからこそ、余計に見付けるのが簡単だった」

「成る程。つまりは奴らに現代の援軍はなし、か・・・・・・」

 鎺は独り言ちると太い腕を組み、黄ばんだ天井を睨み付けた。


「もう一つ、依頼していた事は調べてくれたか?」

「まあ、そっちが本題だよな。あるぜ、こっちは苦労した」

 尾鷲はにやりと嗤うと、鞄からもう一つのクリアファイルを取り出す。

「失踪した十代の共通点、だったな。交友関係やら職場学校関係は既に警察が調べているが、お前は違う角度から調べてくれと僕に依頼してきた。正直、マジで大変だった。労ってくれ、さあ」

「ご苦労」

 肩を竦めておざなりに言うと、鎺はファイルを手に取る。それは市内の総合病院のカルテと、クリップに挟まれた現在失踪中の少年少女達の写真であった。


「よく気付いたな、韮崎。ぶっちゃけ、失踪事件なんてモノは〝クラスの人間がある日突然全員姿を消す〟なんてレベルじゃあなければ、所轄レベルで処理される案件だ。故に偶然に気付いても、〝市内の人間なんだから市内の病院に通うのは当たり前〟として流される。だからこそ、盲点だった。まさか失踪した十代の人間全員が、この総合病院に通院履歴があるなんてよ」

「そう難しい話ではない。身体データがある所ってのは病院か研究機関と相場は決まっている。でかい病院で尚且つ最初に当たりを付けた所だったから良かったが、これが個人病院だったりしたら骨が折れたぜ」

「骨を折るのは、情報屋の僕なんだけどな」

 嘆息混じりで答えると、尾鷲はマスターへナポリタンを注文する。マスターは心底嫌そうな表情を浮かべると、雑誌を閉じて立ち上がり調理を始めた。


「で、お前の見立てでは少年Aを裏から操ってる奴は、どっかの変態医者なのか?」

「別に医者じゃなくとも、身体データを病院から掻っ払ってくる事は可能だ。黒幕は何らかの方法で病院から身体データを盗み出し、それを使って誘拐のリストを作った。被害者の出自や境遇、交友関係や所得までバラバラなのはその為だろう。犯人の目的は、あくまでも身体だからだ」

「そう聞くと、かなりエロいな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鎺の視線に、尾鷲は射竦いすくめられる。


「話を続けるぞ。ともかく、その黒幕はもう居ない。先程の状況から考えるに、リストを新規で作る事は不可能だろう。少年Aはその時作られたリストを元に誘拐を続けているに違いない」

「おい、黒幕が居ないってどういう意味だ?」

「そいつは既に死亡している。先日、繁華街で身元不明の殺害屍体があったろ? それが恐らく、黒幕だ」

「ああ、あの抗争関係として闇で処理された案件か・・・・・・つか、アレにも関わってんのかよ失踪事件!?」

「犯人の自供によれば、だが」

 鎺の顔をまじまじと見つめる尾鷲。僅か一分ほどの静寂。止めた息を吐き出すように、尾鷲は口を開いた。


「ちょっと待て。ひょっとすると、失踪事件の黒幕は既に殺されていて、その犯人とお前が知り合いだということか?」

「ああ。ついでに言うと、依頼人の一人はその犯人の犯行を目撃している。紆余曲折あって、今は俺が二人を雇っているがな」

「・・・・・・意味が全く分からない」

 だらだらと冷や汗を流す尾鷲の前、ぞんざいにナポリタンが盛られた皿が置かれる。ピーマンにタマネギ、ベーコンとソーセージをケチャップで炒めた昔ながらのナポリタンである。甘みと酸味を含んだ優しい香りと、朱く艶やかに染め上げられたふっくらとした麺が食欲をそそる。しかし今は、食べている余裕はない。


「そもそも黒幕が死んでいるなら、後は少年Aを止めるだけで良いんじゃあないか? そうすれば失踪事件は起きなくなる。事件は無事に解決だ」

「それだけでは駄目だ」鎺は静かに首を横に振る。「黒幕と少年Aが何故リストまで作って誘拐を企てたのか、それが解決しないことには第二第三の少年Aがやって来るだけだ」

「何処から?」

 未来から、と言い掛けて鎺は口を噤む。そんな事を話せば、尾鷲はさらに混乱するに違いない。


「とにかく、失踪した人間の全員がこの総合病院を利用していた事が分かった。後はそこからさらに絞り込んで、何故彼らを誘拐しなければならなかったのかを見つけ出せれば、今度こそ事件は真に解決する」

「少年Aは?」

「この写真を見せて奴に面通しさせる。どうせ、向こうも薄々気付いているだろう。界間旅行者わたるものに適性が必要だと宣ったのは奴だ。要するに、こっちに来れる人間はかなり少ない。なら、一緒に来ている奴の誰かが犯人であるに違いないからな」

「・・・・・・おい、犯人は宇宙人か何かか?」

 冷や汗を拭いながら問う尾鷲に、鎺は頷いた。


「まあ、そんなところだ。ところで尾鷲、お前の住む世界が滅びかけていたとして、自分の暮らす便利な生活を捨ててまで生き残る為に不便な世界へ移住するか?」

「何だそれ、心理テストか?」尾鷲は放り込んだナポリタンを嚥下し口を開く。「まあそうだな、僕なら不便な世界を住み易いように変えるかな。それこそ、便利な世界にあった便利なモノを大量に持ち込んでさ。あ、『無人島問題』みたいに持って行けるモノに個数制限とか掛かっているのか?」

「やはり、そう答えるよな。俺も、そうする」

 鎺は不鮮明に出力された少年の画像に視線を落とす。


「今のところ、未来人に会ったのは奴だけだ。たった独りを基準と考えるのはおかしい。生き残りたくて足掻く野郎も、中には間違いなく居るだろう。何せ生き物というのは、読んで字の如く生きる事に執着している存在だからな。たった千年程度で、そうそう変わるものじゃあねぇ」

 鎺は「未来人って何だよ!?」という尾鷲のもっともな反応を捨て置き、少年の画像を凝視する。その瞳は少年の先、柄野久 午兎と名乗った未来人にして殺人犯を幻視していた。

 常識を逸脱した身体能力と、己の顔を識別させないようモザイク処理する仮面に大口径の.454カスール弾を容易く弾く外套。それらのテクノロジーは、どれも滅びをただ待つ存在には過ぎたであった。故に韮崎 鎺は思考する。、と。


「・・・・・・ひょっとすると、奴の立場と真意がこれではっきりするかもな」

 鎺は独り言ちてから、口を歪めて嗤う。それから懐を弄り、分厚い茶封筒を尾鷲へ差し出した。

「被害者のカルテから、何か共通点を探ってくれ。多分、疾患とか投薬記録とかその辺だろうから、そう長くは掛からない筈だ」

「簡単に言ってくれるな、お前。最終学歴が高校中退の僕に、そんな専門的な事が分かるわけねぇだろう。鑑定してくれる奴に一旦預けなければならないから、結構時間が掛かるぞ。裏ルートから入手したカルテだし、調べてくれる人間は少ないだろうな。かなり難しいぜ、コイツは」

 受け取った茶封筒を中身も確認せずぞんざいに鞄へ放り込み、鎺へ掌を向ける。

「何だその手は」

「必要経費を徴収する手」

「事務所開業時にお前のせいで被った損害、そういえばまだ払って貰っていなかったな。必ず返す、と言われていたが俺の懐にはまだ一円も返って来ていない」

「クソ・・・・・・覚えていたか」

 肩を竦め、尾鷲は素直に手を引っ込めた。


「しかしお前、律儀に探偵やっていたんだな。正直、僕が消えたらとっとと廃業すると思っていたよ。聞いたぜ、お前あの辺の女子高生の間じゃ、ちょっとしたヒーローみたいじゃあないか」

「お前が〝女子高生にモテたいから女子高生は格安にしよう〟と言い出したのがきっかけだろう。俺はそれを引き継いだに過ぎない」

 ただまあ、とナポリタンを貪る尾鷲を矯めつ眇めつ眺め、鎺はやがて口を開いた。

「お前があのまま所長に居座っていたら、間違いなく顧客は百分の一に減っていただろうがな。お前の様相は、不審者か犯罪者にしか見えん」

「ひでぇな、これも考えられたファッションなんだぜ?」

 尾鷲は撫で付けられた髪や自分のアロハシャツ、サングラスを触れながら不平を零す。


「こういう格好はアイコンみたいなモノでな、誰某だれそれも〝僕〟という〝中身〟ではなく〝アロハシャツ〟や〝サングラス〟と云ったアイコンでしか認識出来ない。実際、僕がスーツにネクタイだったらどうよ?」

「似合わない」

「・・・・・・言うと思ったぜ。まあ、似合わないな、確かに。けれども、僕だとは気付かないだろう? 情報屋こういうしごとをしているとな、そういう格好が良いんだよ」

 嘯くと、尾鷲はにやりと笑った。


 確かに強烈な容姿に反して、尾鷲は無味無臭の男である。十年以上の付き合いになるが、韮崎 鎺も〝尾鷲〟という名前しか知らずそれが本名かどうかも分からない。

 情報屋というモノはそういうモノだと気にも止めなかったが、昼の世界に身を置く事が多くなった今では、それがとても奇妙な事に思えた。基本、昼間の人間は無闇矢鱈に自分の正体を隠そうとはしない。東風瑞 来良や沓掛 璃子も、偽名を使ったり正体を隠す習慣はないだろう。

 しかし、あの少年はどうだろう。柄野久 午兎と名乗る自称未来人。常識外れのテクノロジーから未来人である可能性は限りなく高いが、だからといって彼の話を鵜呑みにするのは、余りにも暗愚である。


 柄野久 午兎の暮らす世界が、滅びていようとも栄えていようとも鎺にとっては特に気にする問題ではない。しかし、彼らがこの時代を訪れる理由の真贋は、何としてでも鮮明にしなければならない事案であった。場合によっては、敵対どころか寝首を掻かれかねない。念の為に、気を許せそうな同世代の東風瑞 来良を疑似餌にしてみたのだが、昨日彼女から送られてきたメールから察するに、まだそこまで関係が深まってはいなさそうだ。

 油断は出来ない。しかし何処かで、韮崎 鎺は柄野久 午兎が自分を欺いているようには思えなかった。

 あの眼、仮面を破壊された時に見せた澄んだ双眸。


「な? 殺し屋辞めて良かったろ?」

「まあな」

 迂闊であると知りながらも、それが在りし日の記憶と重なった。

 ただ自動的に殺し続けていた、曾ての自分と。


 殺し屋は、嘘を吐かない。

 拳銃が、嘘を吐かぬように。

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