第三章『終わる世界に続く世界』

三、『終わる世界に続く世界』その1

 日曜日、来良と午兎は秋葉原に居た。


 話は、遡ること一週間前。同盟関係が結ばれた帰り際、璃子が午兎に連絡先の交換を申し出た事がきっかけであった。



 ――僕、スマホ持ってないよ



 柄野久 午兎の素っ気ない発言は爆弾低気圧を呼び込み、探偵事務所は局地的な寒波に見舞われた。


 お前未来人だよな、鎺の引きつった口元が声にならぬ言葉を午兎へ問い掛ける。何で未来人がスマホ程度を持っていないんだよ、と。勿論それは呆ける来良も璃子も同じ疑問であり、また彼のメールアドレスやIDが出回っていない回答でもあった。

『協力者が何処に居るか分からないと、色々不都合だ』

 必要性を感じないと断固拒否する午兎に対し、鎺はスマートフォンの所持を求めた。持つ持たないの押し問答が小一時間続き、ようやく鎺が午兎の条件を呑むことで一応の決着が付いた。


 その条件とは、スマートフォンの購入場所。秋葉原で買いたいと、午兎は言った。三人がその辺で問題なく買えると何度説得しても、彼は頑として受け入れない。普通の店では偽造した個人情報が使えるか分からない、と。一応この街にもそうした非合法な店はあるのだが、何故か午兎は首を縦に振らない。最終的に鎺が伝手を使って秋葉原の店を手配する事になったが、端から見ていた来良には何故彼がそこまで秋葉原に固執するか理解出来なかった。


 ひょっとして、オタク?

 それとも、未来人の情報収集?

 どちらにせよ、非合法な店には少し興味があった。路地裏のさらに奥の奥に構えられた粗末な店。実に憧れる。きっと金さえ払えばクレムリンさえも引っ張ってくる、金に汚い老人が店主をしているに違いない。

 そう、思ったのだが。そう思って、わざわざ秋葉原まで着いて来たのだが。


「普通の店じゃん・・・・・・」

 店を出て開口一番、来良は言った。

「店内とかヤバい雰囲気出していて、慳貪けんどんな態度の店主とかが出迎える店かと思ったのに、店内は綺麗だし店員の態度も凄く丁寧だし、夢が・・・・・・思い描いていたアンダーグラウンドの夢が音を立てて崩れていく・・・・・・」

「そんなモノが夢なんて、安いというよりは歪だね」

 手にしたスマートフォンを操作しながら、呻く来良に対しておざなりに午兎は相槌を打つ。白いポロシャツにジーンズ、そしてニューバランスのスニーカー。彼の私服は初めて見たが、未来人らしさの欠片もない何の変哲もない格好である。どうせ未来人を自称するならば、せめてスター・トレックに出てくる服装を披露して欲しかった。


「というか、見るからにヤバい店なんて直ぐに警察に目を付けられる。ヤバい店ほど、普通なんだよ」

 午兎の言葉に、来良はぐうの音も出せない。流石は殺人犯。警察への目の逸らし方もきちんと心得ているらしい。

「でも何で、アキバな訳?」

 話題を変えるべく、来良は午兎へ問うた。

「来てみたかったんだよ、一度。いつもイサクから話だけは聞いていたから。凄く面白い街だって」

「友達?」

「カテゴリとしては、兄弟に近いな」

 午兎から発せられた〝兄弟〟という言葉に、来良は新鮮さを覚えた。思えば、一度たりとも柄野久 午兎の家族関係や交友関係を考えた事がなかった。〝最後の子供達エグリゴリ〟というぐらいだから、彼にも親や兄弟が居ても不思議はない。しかし何故だかどんなに思いを巡らせてみても、そこに微塵も現実感はなかった。


「そんなに近しい人なら、誘って一緒に行けばいいのに」

「僕に仕事があるように、彼にも彼の仕事があるんだよ。それに、いつもこっちの世界に居る訳じゃあないからね。タイムマシンを起動するには、とてつもない電力が必要だ。そう何度も気軽に動かせる物じゃあないんだよ」

「スマホも持っていなかったくせに、まだ未来人の設定を引っ張るか」

「引っ張るも何も、事実だよ」

 それに、と午兎は手にしたスマートフォンを青い空へ翳す。起動していたカメラがシャッター音を奏で、空を四角く切り取り時間を止めた。


「こうして当たり前のように君達は持っているけれど、個人用の小型デバイスなんて僕らの世界じゃ誰も持っていない。例えあったとしても、機能が複雑すぎてとても使えないだろう。けれどもこうして周りを見渡すと、普通の人間が当たり前のようにこの小型デバイスを使いこなしている。凄い事なんだよ、これは」

「たかがスマホなのに」鞄から自分のスマートフォンを取り出し、来良はしげしげと眺める。「なんかさ、未来ってもっと凄い所だと思っていた。でも話聞いてるとさ、なんか世知辛いね。スマホもないなんて」

「この時代から先、技術はそう発展しないのさ。性能は良くなるけれど、根本は変わらない。だからこの時代と未来は、暮らしもさほど変わらないよ。まあ、終わりが近い世界から来た僕が言っても、説得力はないけれど。多分、君が見たら原始時代だと思うんじゃあないかな、僕らの暮らし」

 語り終えると、午兎は周囲に視線を向けた。


「だから行ってみたかったんだ、秋葉原。人が沢山居て、こうして科学技術に満ちあふれている。僕にしてみれば、現実感のないお伽噺のような世界だよ。あんなロボットだって、僕の世界にはなかったし」

「未来なのに、ロボットがないの?」

 来良は午兎が興味を示したホビーロボットに視線を向けた。対戦ゲームに使用される掌サイズの二足歩行型ロボット。組み立て済みのフレームへプラモデルのようにパーツを組み込み、外見と性能を自分好みにカスタマイズ出来るらしい。東風瑞 来良は全く興味がなかったが、クラスの男子達が教室で遊んでいる所を何度か見た事があった。


「壊れたやつならハイヴの外にも中にも沢山転がっているけれど、ああして動いているのはこっちへ来て初めて見たよ。だからハイヴでの作業は僕らが人の手を使ってやってる。アレ、もう少し大きかったら良かったな。そうすれば、荷物持ちに便利なのに」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ロボットを見つめる愉しげな午兎の横顔を見つめながら、来良は彼の暮らす未来を思考する。


 彼は言った、自分の世界は人類という本の最後の数ページだと。これから先、どんなに未曾有の事態が起きてもしぶとく生き残っていた人類が、千年先の遠い未来では絶滅の危機に瀕している。

 あそこまで栄華を誇っていた恐竜さえ、絶滅したのだ。人類もいずれ滅びる事ぐらい、来良でも予想出来る。しかしそれが千年も先の未来で、尚且つ自分が死んだずっと後の事となると話は別だ。現実感がなく、どう想像を巡らせても陳腐な予想しか出来ない。

 柄野久 午兎の家族や友人を考えた時と同じように。


「別にね、向こうの世界が嫌いって訳じゃあないんだ。育ってきた場所だし愛着もある。しかし、こうしてこっちの世界で暮らしていると何処からか罪悪感が湧いてくるんだ。きっと、街があるからかな。人の営みがあるから、そう感じてしまう」

「向こうの世界だって、街ぐらいあるでしょ? 人の営みだって」

「前に言ったろう? 総人口千人切ってるって。街なんてとてもじゃあないけれど、形成出来ない。そりゃハイヴには人が居るけれど、営みというには程遠い。丁度、あんな感じだよ」

 午兎が指差した先には、家電量販店。店先にはまた別の犬や猫を模したペット用ロボットがケーブルに繋がれて並んでいた。


「電源ケーブルがなければ、いずれバッテリーがなくなって動かなくなる。だから自分の部屋から出られないのさ。営みなんて、とてもとても」

「そりゃ、お腹が空けば動けなくなるんじゃあないの?」

「食糧の問題じゃあないんだよ。言ったろ? ナノマシンとサイバネティクスで若作りしているって。それでなんとか延命しているけれど、百年以上生きているから其処此処にガタが来ている。生命維持の為に常にケーブルに繋がれていて、部屋から出る事が出来ない。見た目は若いのに、やっぱり何処か老人なんだ。あっちに居るときは気にならなかったけれど、なかなか異常な光景だよは」

「死が身近にある世界・・・・・・未来というより、まるで死後の世界みたい」

 徐に来良の口を衝いた言葉に、午兎は目を見張る。


「天国って事かい? それは」

「イメージだけれどね。流石に天国は行った事ないから」

 ねぇ、と来良は横断歩道前で立ち止まる。そして直ぐに、今日が歩行者天国であった事を思い出した。

「この間も、韮崎さんに天国の事を聞いたよね。どうして?」

 歩行者天国。車の代わりに人が行き交う車道で、午兎は暫し黙考してから口を開く。

「君が見た、殺人現場。そこで僕が殺した男が、死ぬ間際に言ったのさ。死後の世界があるから、死ぬ事は怖くないと。死ぬ事が、終わる事が怖くて過去へ逃げたくせに、自分が死ぬ事が怖くないって意味が分からない。分からないから、考えている。どうして彼はそういう心境になったのか」

 人混みを掻き分けながら、午兎は静かに語る。それを横目で見つめながら、来良は彼の後を追った。


「柄野久君・・・・・・」

「別に、贖罪じゃあないよ。僕は仕事であの男を殺した。罪悪感を抱く余地はない。ただ、不思議なだけだ」

「いや、そうじゃなくてさ・・・・・・」

 ひょっとして気付いてないのか、コイツは。来良は引きつった貌で言葉を続ける。

「案外、馬鹿なの? 柄野久君」

「は?」

「いやだって、分からない事を知ろうともせずにただ考え続けているなんて〝馬鹿〟って形容する以外ないでしょ?」

「知ろうともしない? 僕が?」

「だってそうでしょ、殺された人の事情もろくに考えないで、その人が死んだ瞬間の事だけ考えているんだから。それじゃあ、何も分からないのは当然だよ」

 肩を竦め、来良は嘆息した。


「多分、待っていたんだと思う。天国に、その人が会いたかった人が居たんだ。死ねばその人達に逢える・・・・・・そう信じていたからこそ、死ぬ事が怖くなかったんだよ。本当にあるかどうかじゃなくて、彼はそう信じていた。それだけの事。難しく考え過ぎるから、分からなくなるんだ」

「驚いた。ろくに事情も知らないのに、よくそこまで考えられたね」

 目を丸くして驚く午兎に対し、来良はこめかみを押さえる。

「想像だよ、全部想像。でも、それぐらいは思い付く。覚悟を決めるきっかけってのは、案外単純な事だから。わたしじゃなくても、思い付くと思うよ。千年後の未来を想像するより、ずっと簡単」

「千年後に生きている僕には、それを発想する方が遥かに難しいな」

「物語でもよくあるシチュエーションでしょ? それとも、千年後には物語がないの?」

 午兎に問いながら、来良はビルに視線を向ける。そこには新発売のゲームの看板が大きく掲げられていた。


「ハイヴにアーカイヴされているとは思うけれど、僕は興味がなかったから読んでないな」

「いや、興味なくても触れるでしょ? 例えば日本でなら『こころ』なり『人間失格』なり有名どころは」

「それは君達が、しっかりと教育を受けているからだよ」

 半眼で反論する来良に、困ったような笑みを浮かべる。

「ハイヴでは読み書き計算の習得するけれど、物語みたいな教養関係はカリキュラムに含まれていない。だから僕は、あの学校で学習するまでそれらに触れたことはなかった」

「でも未来からタイムスリップして過去に来るんだから、その時代に流行っている物語を調べておくものじゃない? 話題とかで浮くかもしれないし、それが原因で万が一未来人だってバレるかもしれないし――」

 来良の言葉が終わる前に、午兎は首を横に振った。


「法令や常識は一通り学ぶけれど、そこまではとても。何せ、学ぶことが多すぎてね。僕は未来から来た。それも百年や二百年じゃあない、千年先からだ。当然言葉も文字も、変わってしまっている。それらを完全に使い熟すのに時間を費やしたから、物語に触れている暇はなかったのさ」

 それに、と午兎は少し茶化した笑みを浮かべる。

「僕はいつでも浮いている。そんな僕が未来人だと宣ったところで、変人のトロフィーが一つ増えるだけだ」

「それもそうか」


「物語」

 変に納得した来良に午兎は徐に問うた。

「君は、どんな物語が好きなの?」

「好きな物語・・・・・・?」

「詳しそうだからね。お勧めがあるのかと思ってさ」

「そう言われてもな――」

 此所はアキバだぞ、その辺で気になったの適当に買えよ。


 来良は胸中で独り言ちながら、辺りを見渡した。新作ゲームにアニメやマンガの販促広告。四方八方、色取り取り。この街は物語に溢れている。こちらが望む望まぬに関わらず、五感全てに物語が注ぎ込まれる。しかし、眼前でこちらに問うて来る少年はまるで気付く様子はない。

 思えば、国語の時間も柄野久 午兎はいまいちピンと来ていなかった。黒板に板書された小説の一文を、暗号でも解読するように彼は辿々しく読み上げていた。まるで、自分が初めて英語に触れたときのようだ。どんな巫山戯た笑い話でも、主語動詞形容詞に分解する事で精一杯だったあの時。物語なんて、いちいち気にしていられなかった。多分、そういう感じで彼は世界を見ているのだろう。

 知らない世界で、知らない言葉と文字に囲まれて。


「・・・・・・わたしも詳しい方じゃあないから、アレだけれど。強いて挙げるならば、『モモ』かな。ミヒャエルエンデの。小学校の時に読んで、今もたまに読み返している」

「どこで読める?」

「本屋さんでも図書館でも、好きな所で」

 歩行者天国を行き交う人々を眺めながら、午兎は言った。

「へぇ、じゃあ読んでみようかな」

 立ち止まって、来良へ笑い掛ける。

 擦れ違う人のスピードが速く、来良は此所だけ時間が停まったような錯覚を覚えた。


 違う時間から来た人。

 未来人。

 そして、恐らくは最期の人類。

 同時に、それはつまりと直感した。

 自分の住む世界が滅びるならば、いっそ現代で暮らせばいいと思っていた。

 でも、違う。言葉や住む世界は違っていても適応出来る。しかし歩いて行く時間だけは、変える事が出来ないのだ。東風瑞 来良がこの現代を歩いているように、柄野久 午兎は未来を歩いているのだろう。同じ時代という路面の上、互いに交わる事なく。それはまるで、薄いガラス板に遮られているようであった。


「これ、わたしのID」

 来良は自分のスマートフォンを操作し、午兎へ見せる。

「メアドは後でLINEで送る。もうスマホ持ってるんだから、LINEもメールも出来るでしょ?」

「そうだね。元々、それが目的だったんだ。良いよ」

 午兎は頷くと、ぎこちない操作で登録を試みる。その過程で何度も「違う」「そうじゃない」と彼女に指摘されたが、何とか無事に登録を済ませる事が出来た。


「で、アキバ」

「何?」

「何か見たい物とかないの? 案内してあげるよ。詳しいって程じゃあないけれど、たまに行くからね。上野のついでに」

「上野?」

「御徒町の方にね、凄く品揃えの良いナイフ専門店があってね。暇な時に行くんだよ」

「ああ、あのナイフそこで買ったのか」

 午兎の何気ない言葉に、来良は目を逸らす。

「・・・・・・あの店はね、折り畳み式キャンプ用包丁なんてノンブランドのナイフは置いてない。というか値札のゼロは基本四つ以上だから、わたしの財布の容量を軽く超えている・・・・・・だから見ているだけ・・・・・・」

「何で君は、そんなに死んだ眼で力説しているんだ・・・・・・?」

 得体の知れない気迫に呑み込まれ、午兎は引きつった貌になる。


「うるさい、ただ早く成人にならないかなって話。大人になればバイト出来て、見るだけじゃなくてナイフ買い放題だし」

 例えガラス板のように遮られていたとしても、近付けばちゃんと声は聞こえる。ガラス越しに側に寄りそって、共に同じ歩幅で歩いて行く事だって可能だろう。

 だが。

「ほら、言ってみなよ。行きたいところ。ベタだけど、やっぱりメイド喫茶とか? それとも――」

「・・・・・・君は、大人になれるんだね」来良の言葉を遮るように、午兎は言葉を紡ぐ。「僕は大人になれないから、それがどういうモノか分からないんだ」

「あ――――――――」

 声を聞いて、歩幅も合わせられる。


 しかしガラス越しでは、決して触れ合えない。

 触れたいと、思ってしまうのに。

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