二、『歪な同盟関係』その5

 レッド・ルージュ。


 かつて三多摩地域に於いて畏怖を込めてその名を呼ばれた、レジメントである。殺人、恐喝、薬物売買。彼らは〝非行少年の寄り合い〟などという生易しい集団ではない。わば、殺し屋集団。悪徳の限りを尽くし、ティーンエイジャーを中心に繁華街の裏の裏まで手中に収めていた。

 警察は疎かヤクザですら手を焼いていた彼らが、三多摩地域の繁華街の支配から退いたのは昨年十一月。きっかけは、グループ構成員の一人が組織の支配力を傘に、地元の高校に通う女子学生をかどわかした事件であった。


 少女を助けるべく彼女の先輩に雇われた探偵によって、レッド・ルージュは繁華街の支配権を失うレベルまで壊滅した。断じて安楽椅子に座って犯人を推理し、警察に引き渡したのではない。彼らが最も得意とする暴力に彩られたフィールドで、かつて彼らが弱者達に行ってきたように完膚なきまでに蹂躙されのだ。

 嵐が過ぎ去った後には、何も残らない。

 くして、栄華を誇っていたレッド・ルージュの構成員達は皆、夜の巷で粋がるチンピラにまで身をやつしていたのであった。


「あの探偵さえ、居なければ・・・・・・」

 大きなバッグを担いで前傾姿勢で両手をポケットにねじ込み、もり 竜也りゅうやは苦々しげに吐き捨てた。去年の今頃であれば胸を反らして堂々と歩いていた繁華街の往来、今ではネズミのように縮こまって建物側の道をコソコソ歩いている。

 道路側は駄目だ。僅かでも隙を見せれば、直ぐにワゴン車で拉致される。最近、臓器なかみ目当てと思わしき人攫いが相次いでおり、元レッド・ルージュのメンバーも数多く姿を消している。組織に恨みを持った連中が、人買いに売り飛ばしたのだろう。腹は立つが、仕方がない。潰れたグループに容赦など微塵もないのだから。


 が起きるまで本当に愉しかった――竜也は夜空を見上げながら回想する。気に食わない奴は取り敢えず殺し、気に入った奴は適当に遊んでから殺す。よく自分達レッド・ルージュを〝マフィア〟だと宣う奴らが居るが、それは大きな間違いだ。自分達の専門はあくまでも殺人。薬物売買も恐喝も、その過程で生じた副産物に過ぎない。逆らった者はすべからく喰い散らし、散乱した骨と肉は格好の看板となる。仁義だ絆だとが好きな温い連中と一緒にされては、レッド・ルージュの名が廃るというものだ。

 それなのに。

 だというのに、あの探偵は――



 ――一流の殺し屋の条件、教えてやろうか?



 見た事もない大型のリボルバーを構え、その探偵は嗤って問うてきた。周りにはその銃弾によって果てた屍の山が、無数に広がっている。

 一方的だった。探偵が現れた瞬間、一瞬にして倉庫を埋め尽くしていたメンバーは須く屍と化した。あの時、卑しくも屍体の真似事をしなければ、間違いなく竜也も死んでいただろう。

 生まれて初めてだった。骨の髄まで、恐怖で冷たくなったのは。

 思い出すだけで、怖じ気が走る。沸き上がる恐怖で身が竦んだ。しかしそれ以上に、怒りが込み上げてくる。その怒りは月日が経つ毎に大きくなり、森 竜也の感情の大部分を占めるようにまでなっていた。


「次は・・・・・・殺す」

 探偵の虚像に向けて低く呟く。竜也の凄惨な貌に、往来を歩く数人が畏れ戦き足早に立ち去った。

 そうだ。それが普通だ。俺は殺し屋、人から怯えられることはあれ自ら怯えることはない。

 は唯、一瞬の気の迷いだ――――


「・・・・・・何だよ、お前ら」

 刹那。空気に殺意が孕む事を感じ取り、低い声で竜也は言った。

 眼前に五人の少年。皆、沈殿した双眼で竜也を見つめ各々右手や左手を不自然に鞄や懐に差し込んでいる。

 同業者ころしや、か。竜也はつまらなげに少年たちを確認すると、「着いてこい」と右手の親指を上げて踵を返した。殺し屋は頭の捻子が飛んでいる。人を殺せるのだから。しかしこんな往来、わざわざ警察に掴まる事を前提で殺人しごとを行う馬鹿は居ない。捻子は飛んでいても馬鹿は居ないのが殺し屋だ。獰猛であるがしたたかに。それが巷で粋がるチンピラ共と違う所だ。


「お前ら、誰に頼まれた・・・・・・なんて、聞いたところで意味がないよな。殺し屋が依頼人の事、話す訳はねぇ」

 普段、誰も立ち入らない繁華街の路地裏。何日か前に妙な殺人事件があった場所らしいが、今は規制線も解除されてその時の痕跡はない。適当に周囲を確認すると、振り向き様に竜也は言った。

「だがまあ、察しが付く。レッド・ルージュを恨んでいる誰かさん、なんだろう?」

 少年らは何も答えない。竜也は嘆息し、バッグを下ろす。ファスナーを下げてバッグを開き、己の得物を露わにした。


 それは金属バットであった。野球をするために使う、何の変哲もない単なる金属バットである。リトルリーグ用なので、一般的なバットよりも小さい。これこそが森 竜也の得物であり、数々の人間を血溜まりに沈めてきた最強の凶器であった。

 周りの人間は大体がナイフを使う。金がある奴は銃を使った。しかしナイフは直ぐに折れてしまい、銃は弾が切れれば投げ付ける程度しか役に立たない。だがバットは違う。ナイフと違って折れないし、銃のように弾切れにならない。適当な急所にブチ当てて昏倒した所を死ぬまで殴り続けてやれば、後は勝手に死んでくれる。周りは所詮喧嘩の道具だと笑っていたが、竜也はこの金属バットに絶大な信頼を置いていた。

 引き抜いたバットを握り込む。血と汗が染み込んだ革紐がじんわりと手に馴染む感覚と同時、森 竜也は繁華街で鬱屈した日々を暮らすチンピラから一流の殺し屋へと変身を遂げる。


――――――――ッ!!」

 少年達が動き出すよりも早く、竜也はバットを振り上げ振り下ろす。中に鉛を仕込んでいるので、見た目より重い一撃。少年が壁にめり込み、破裂した頭蓋から脳味噌の混じる血潮を吹き上げた。

 ああ、この感覚だ。この興奮だ。返り血を顔面で受けながら、竜也は歓喜にせた。どんな贅を尽くした享楽であろうとも、この高揚感は決して得られない。一方的に殺し、蹂躙する。最高だ。だから俺は殺しがやめられない。

 最後の少年に振り上げた一撃を叩き込む。五人全員を惨殺。御馳走様でした、と荒く息を吐いて竜也は嗤った。


「――リストに載っていた人間が、こんなにも暴れ馬だったとはな」

「!?」

 驚いて竜也が振り返ると、そこにはスーツケースを引いたてるてる坊主のような男が居た。

 白い外套を纏った長身の男。外套が全身を鎧っている為に、体格は判断出来ない。顔はどういう原理か知らないが、モザイクが掛かったように不自然なノイズが走る。男と判断出来たのは、声が男のものであったからだ。


「誰だ、アンタ。この屍体共のリーダーか?」

 正体不明のてるてる坊主。竜也は油断なく得物を構え、男の出方を窺った。

「お前に正体を話した所で、理解は出来ないだろう。お前の身柄を拘束しに来た誘拐犯、とだけ捉えてくれれば十分だ」

「誘拐だァ?」

 剣呑に問い返し、竜也の脳裏に一つの事例が思い浮かぶ。都内で連続している十代の誘拐。ひょっとしたら、それの犯人は目の前に居るてるてる坊主なのではないだろうか。


「俺達の計画に、お前の身体が必要なんだ。悪いが拒否権はない。一緒に来て貰う」

「何で、俺なんだよ。そこで転がってる屍体の一つでも、持ってけばいいだろ。ま、屍体になる前の話だけどな」

「リベカの話だと、適合率の問題らしい。何しろ百年以上前の機械なんで、調整する術は既に失われているんだと。だから始めから適合率の高い人間を選別して、向こうへ送っている訳さ。奴が血迷ってこの世界で子供なんて作らなければ、大司祭シェム・ハザに睨まれて消される事もなかったんだ。お陰でこのリスト以上の人間を向こうへ送れなくなっちまった。大損害だよ、まったく」


 男がぼやく言葉の一つ一つが、竜也には分からない。日本語で喋っているのだが、意味が全く理解出来ない。しかし自分の身に危険が迫っているという事は、辛うじて理解出来た。



 ――一流の殺し屋の条件、教えてやろうか?



 くそう、なんだってこんな時に探偵の言葉が脳裏によぎるんだ。まさかビビってる? それはあり得ない。訳の分からないコスプレ野郎なんかにビビるようでは、レッド・ルージュの看板など背負う資格などないからだ。


「俺がそんな申し出に従う訳ねぇだろう、頭沸いてるのか?」

「だったら、どうするんだ?」

――――――よッ!!」

 叫び声と共にてるてる坊主の頭へ向けて、竜也はバットを振り下ろす。しかしその一撃は、頭頂部へ到達する前に見えない壁に阻まれて弾かれた。


「エノクの助言が功を制したな。一回だけの使い捨てとはいえ、なかなかの防御力だ」

「なっ、何だよ・・・・・・

「エネルギーフィールド、みたいなもんだ。あと七十年で実用化されるぜ」

「は・・・・・・はァッ!?」

 意味が分からない、超能力者かコイツ。竜也は理解を捨て去って再びバットを振り上げた。しかし今度は壁を蹴っててるてる坊主はバットを回避し、竜也の後ろへ廻る。


「野蛮な奴って、どんな時代からも消えないもんだな」

 てるてる坊主は、くぐもった声で嗤う。それから懐へ手を入れ、拳銃を引き抜いた。

「最悪、向こうに送るまで生きてりゃいいんだ。それに、使うのはどうせ脳とか脊髄ぐらいのもんだしな」

「な――――」

 何を言っている、と竜也の言葉が終わる前に銃弾が断続的に彼の身体を穿つ。一瞬にして竜也の全身から力が抜け、がらんと手からバットが滑り落ちた。


「さて、さっさと送っちまうか。まったく、コネがないってのも面倒だな。こういう事も自分でやらなきゃなんねぇんだから」

 懐に拳銃を仕舞い、代わりに金属棒を引き出す。自身の血溜まりに蹲り、霞んだ竜也の目にそれはアンティーク調のナイフに見えた。

 連れて行くって言っていたくせに、留めを刺す気か――――竜也は毒突くが、青ざめた唇にその言葉が載ることはない。



 ――一流の殺し屋の条件、教えてやろうか?



 あの言葉がまた、リフレインされる。何だってこんな時に限って、脳裏に浮かぶんだ。癪に障る顔で嗤う探偵の顔と共に。そもそも一流の殺し屋の条件など単純明快、殺される前に殺し続ければ良いのだ。だからこそ、レッド・ルージュは一流の殺し屋であったのだから。



 ――違うな、そうじゃねぇ。



 虚像の探偵は銀色のリボルバーを構えながら、愉しげに首を振る。その態度が尚更癪に障り、竜也は口火を切るようにバットを振るった。

 結果は、散々であった。死屍累々、積み重ねられた死山血河。たった一人の少女を救うために、組織全てを壊滅させられた。たった一人のによって。

 どうして、こんな事を今更。幾ら走馬灯とはいえ、もっとマシなものを見せてくれればいいのに。何でこんな、人生最悪の記憶を人の断りもなく――


「立てるのか・・・・・・急所を外したとはいえ、出血は致死量だぞ?」

 バットを拾い上げて徐に立ち上がった森 竜也に対し、てるてる坊主は興味深げに声を上げた。舐め腐っている、その態度が竜也の身体でアドレナリンを噴出させ怒りを力に変換させる。

「殺される前に殺す・・・・・・それが、一流の殺し屋の条件だ」

「違うな、引き時が分かっている奴だ」

「!?」

 てるてる坊主から紡がれたのは、あの時と同じ言葉。故に竜也はさらに激高し一心不乱でバットを振るった。


「な――――」

「殺し屋だか何だか知らないが、勝ち続ける奴というのは得てして勝てる奴にしか喧嘩を売らないんだよ」

 一撃を難なくなして回り込んだてるてる坊主は、竜也の背中にナイフを突き立てる。体内に残された血液が噴き出すように、彼の着込んだ服が赤黒く染まった。

「だからお前は――――」



 ――だからお前等は、チンピラ止まりなんだよ。



 てるてる坊主の言葉に、探偵の虚像がくっきりと重なる。

 ああクソ、巫山戯ふざけるな――遠退く意識の中で、竜也は呪いの言葉を一心不乱に吐き出した。しかしそれは全て声にはならず、路地裏の闇へと消えていく。


 刹那、彼の周りを取り囲むように青白い光が次々に浮かび上がる。

 それが森 竜也が目撃した、この時代最後の光景であった。

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