二、『歪な同盟関係』その4

「――制服姿、様になっているじゃねぇか」


 探偵事務所、出迎えた韮崎 鎺は柄野久 午兎の姿を見るなり皮肉げに口元を歪めた。

「アンタは全然似合っていないな、職業。看板、探偵事務所でなく殺し屋にした方が良いよ。そこのチラシのキャッチコピー〝迅速な浮気調査〟じゃなくて〝浮気相手に実力行使〟に変えれば客入りはもっと良くなるんじゃあないか?」

「悪いな、殺し屋稼業は三年前に看板を下ろしたんだ。それにお前の粗相そそうをしでかしてるお陰でな、職には苦労してない」

 午兎の悪意に満ちた言葉に対し、鎺は嘘か誠か判断に困る言葉で答える。


「意外と早く連れてきたな。トラブルに見舞われて紆余曲折、一ヶ月ぐらい掛かると思っていたぜ」

「むしろ、一ヶ月分のトラブルと紆余曲折を一日で経験したと言いましょうか・・・・・・」

「何があったんだ?」

 午兎の後ろ、憔悴しきった貌で肩を下げる来良に鎺は怪訝な視線を向けた。

「その、ええと・・・・・・ですね――」

「そこの柄野久君に、無理矢理初めてを奪われてね」

「ほう――――」

 双眼に静かな殺意を湛え、鎺は中央の事務机につかつかと歩いて行く。引き出しの開く音。それが強く閉められた途端、鎺の右手には大型のリボルバーが握られていた。


「え、本物!? モデルガン!?」

「決着を付けた方が良さそうだな、色情魔」

「色情魔の意味は分からないが、馬鹿にされている事だけは理解した。よって殺す」

 唐突な銃の登場に驚愕する来良を尻目に、剣呑な目付きで睨み合う鎺と午兎。その光景は不倶戴天の天敵のようで、とても同盟を結んだ関係には思えない。

「拗れる前に言っておくけれど、奪われたのは貞操じゃなくて唇だからね。というか、ショック受けすぎなのよ。今日だって、ふぬけになってたし」

 これ以上事態が悪化する事を畏れ、璃子が口を挟んだ。

「クラスどころか学校中で話題のイケメンが初めてだったんだから、むしろラッキーとか・・・・・・」

「思わない!」

 髪を逆立て、来良は猫のように怒る。


「他人の粘液が口に入るとか、絶対無理。気持ち悪い」

「粘液言うな」

「その粘液には何億個もの口内細菌が・・・・・・」

「それに関しては、問題ない」

 鎺と掴み合っていた午兎が口を挟んだ。

「僕の体内にはナノマシンが巡っている。そいつらが悪性の細菌を駆除しているから、感染や罹患の心配はない」

「そういう問題じゃない!」

 鋭く視線を穿つ来良に、思わず午兎は首を竦める。


「腹が立つのよ、凄く。気持ち悪いってのもあるけれど、スカした台詞と一緒に唇奪っていったのがムカつくの。通り魔みたいな事をしでかしておいて、周りのイケメン無罪みたいなその免罪符が特に許せない!!」

 来良は捲し立てながら、不意に璃子と視線が合う。彼女はばつの悪そうな貌をして俯いた。


「・・・・・・そこまで怒るとは思わなかった」

 丸太のように太い鎺の腕を擦り抜け、午兎は来良の前へ出る。

「火に油を注ぐような言い方で悪いけど、出来心だったんだ。なんとなく、そうしたくなった。怒る事も、分かっていた。その貌も見たくなった。予想通り、面白かった。けれども君には、面白くなかったらしい」

「うだうだ言葉を並べるなよ、みっともないぜ」

 しどろもどろと言葉を紡ぐ午兎に対し、鎺は嘆息と共に言葉を吐き出した。


「そういう時は、素直に謝っておけ。幾ら丁寧に理由説明されてもな、怒っている時は誰も聞いちゃいねぇんだよ」

「経験談?」

「さてな」

 璃子の問いに対し、鎺は肩を竦める。二人の遣り取りが馬鹿にしているように思えて、午兎は顔と態度を硬直させた。


「こりゃ駄目だ、完全に意固地になってる」

 頭を横に振ると、鎺は事務机に手にしたレイジング・ブルを無造作に置き、脇に置かれた茶封筒を拾い上げた。

「何はともあれ、任務は完了だ。ご苦労だったな、報酬だ」

 鎺から差し出された封筒に、顰め面であった来良は少し貌を綻ばせる。そのしっかりとした厚みから、間違いなく目当ての物を購入出来る確信があった。

「無駄遣いするなよ?」

「分かってる」

「クリスリーブ、スパルタン、リックヒンダラー」

「・・・・・・何故、分かった?」

 胸中を見透かされ固まる来良に対し、鎺は嘆息混じりに後頭部を掻き毟る。


「別にお前の金の使い方にあれこれ言うつもりはないが、この際機材揃えて作ってみる気はないのか? その方が構造も熟知出来るし、愛着も湧くだろうに」

「その妄言はわたしの美術と技術の成績表を持て言うんだな、自慢ではないが〝2〟以外の数字は見た事がない」

「本当に自慢出来る成績ではないな・・・・・・」

「やめて! 心底哀れんだ視線をわたしに送らないで!」

 両耳を押さえて悶絶する来良に対し、鎺は肩を竦めた。


「取り敢えず、契約は終了だ。また何かあったら、連絡をくれ。出来る範囲で力になってやる」

「ちょっと待て、彼女は一緒じゃあないのか?」

 茶封筒を鞄に押し込み帰り支度を始めた来良と璃子に視線を向け、午兎は鎺へ問う。

「僕は彼女と一緒だから、君と手を組む事を了承した。彼女が居ないのであれば、僕はこの同盟を降りる」

「は? いや、お前何を言って――」

「それに僕は、彼女を怒らせたままだ。挽回する機会が欲しい」

「駄目! 絶対に駄目ッ!!」

 唐突な午兎の発言に、璃子と鎺は口々に否定する。しかし午兎は頑なにそれをけ、己の主張を曲げはしなかった。


「――もう、しょうがないな」

 喧々囂々けんけんごうごうと響く中、来良は口を開いた。

「わたしが参加しなければ事件は解決しなさそうだし、大変だけれどやってみようかな」

「大変・・・・・・って、確実に命懸けの案件をアンタそんな簡単に!?」

「しょうがないよね、解決しないと次々誘拐されちゃうし。そのまま放置すると、わたし達だっていつ誘拐の被害に遭うか分からないんだよ?」

「その誘拐の被害に遭う確率増やしてどうするんだ」

「危機感と表情が解離しているぞ、お前」

 半眼で来良を見やり、鎺と璃子の二人は口々に言う。頬を綻ばせた来良の貌は、とても自ら危険に飛び込む様には思えない。

「しかし実際、数は多い方が助かる。被害者は、この市内だけでも十人は超えている。短期間でそれだけの数を誘拐するという事は、かなり組織立って動いている何よりの証拠だ。だが大きく動けば動く程、尻尾は掴みやすい」


 まあ、もっとも――と様子を窺う午兎へ鎺は視線を向けた。

「未来人の団体さん達がやってるとなると、話は別だ。幾ら日本の警察が優秀とはいえ、流石に手錠持って未来まで追いかける事は出来ないからな」

「それなら、問題はない」鎺の穿った視線を受け流し、午兎は答える。「タイムマシンを使うには適正が必要だ。全ハイヴの適正者を掻き集めたとしても、組織で活動するには足りない。だから犯人はバイトみたいなものを頼んで誘拐しているんだよ」

「ハイヴとは?」

「この時代で例えるなら、国かな。でももう、規模としては国じゃないね。世界の総人口、千人切ってるから」

「滅び掛けている、というのは本当らしいな」

 午兎の言葉に、鎺はつまらなげに応える。


「だからこそ・・・・・・過去から人間を輸入して、滅びを回避するってのは考えられないか?」

「有り得ないな」

 獣のような眼をした鎺の言葉を午兎は正面から受け止める。

「ただでさえ資源が乏しいんだ。わざわざ人口増やしても滅びが早まるだけだ」

「滅びが早まるだけ、ねぇ――」

 油断なく午兎を見据え、歯を向き出して鎺は嗤った。

「じゃあ何故、せっせと人間を梱包した? 意味があるからこそ、お前のお友達は未来へ人間を送っていたんだろう?」

、ではない。唯のだ」

 鎺の言葉を剣呑に否定し、午兎は言葉を紡ぐ。


「あの男は狂っていた。ハイヴで禁止されている過去での繁殖を果たし、剰え屍体をハイヴへ送り続けた。意味なんてない。一連の行為は、彼が狂乱していた事の何よりの証明だ」

「過去での、繁殖?」

「子作りでしょ、所謂セックス」

「セ――――」

 性行為を連想する言葉にやや臆する来良に対し、にべもなく璃子は応えた。


「ああ、そうだ。穏やかな死を絶対とする僕らの世界では、過去に移住して子供を儲ける行為は禁忌とされているのさ。そうしなければ、〝界間旅行者わたるもの〟達が生き残りたがって過去に押し寄せる。間違いなく、歴史に異常を来してしまうだろう」

「〝界間旅行者わたるもの〟って?」

「過去と未来を行き来する者達を僕らは〝界間旅行者わたるもの〟と呼んでいる。タイムマシンへの適性を持ち、トーチを標に雑用を押し付けられた働き蜂」

「働き蜂が亡命とは笑えん冗談だ」静かに午兎の話を聞いていた鎺が、徐に口を開く。「その口ぶりから察するに、お前はそういった裏切り者を暗殺する役職に就いている・・・・・・違うか?」

「副業だ。本業はあくまでも、食料と資源の調達。僕らの世界にはそれらが枯渇している。だから僕ら界間旅行者わたるものが過去に行って、それらを未来へ運んでいるんだよ」

「ショボいタイムマシンの使い方だな」

 鼻を鳴らし、鎺は言った。


「俺なら好き勝手歴史を改ざんして、面白可笑しく暮らすぜ」

「それは未来のある人間の言い分だ。どんなに享楽に溺れようとも、待っているのは絶対的な終焉。そんな状況で面白可笑しく過ごした所で意味はない。一時の快楽のために歴史を改ざんするより、慎ましやかに滅びを待つ生き方の方が理性的だ」

「ふうん。それでも俺は、どうせ滅びるなら歴史なんて知ったことかと思うけどな」

「野蛮人だな、お前」

「生まれてこの方、お行儀の良い生き方をした事がないんでね」

 肩を竦めて鎺は嘯く。

「そもそも滅びるって時に、人類の過去なんて気にする方がどうかしている。自分の葬式に誰を呼ぼうか考えているぐらい、それは無駄な行為だ。どうせ〝その時〟は皆揃って天国に居るんだしな」

「天国・・・・・・、天国か――」

 鎺の言葉を磨り潰すように、午兎は歯を軋ませた。


「・・・・・・なあ、この世界では死んだら天国に行くってのは、普通の考え方なのか?」

「天国、極楽、ヴァルハラ。宗教や文化によって言い方に差異はあれど、死後安息を得られる地の発想は全国各地に存在するな。誰だって死んだ後に何もない事は怖いのさ。だから、終わった後に広がる楽園のような世界を夢想する」

 まあ地獄というのもあるけれどな、と鎺はおざなりに言葉を吐き出す。しかし午兎は真剣に彼の言葉を考えているようで、双眼を上下に動かし思案に耽っていた。


「お前の暮らしている世界には、天国ってないのか?」

「ああ。大昔に宗教という概念が消えてから、死後の世界に思いを馳せる事はなくなった。だから、天国はない」

「成る程な、そいつはまた寂しい世界だ」

 吐き捨てると懐から煙草の箱を取り出し、それからいつもの要領で一本取り出そうとして止める。未成年が居る場所で喫煙はしない、それが韮崎 鎺の矜持であった。

「何となくだが、未来ってのが大体分かった。俺はやっぱり、この時代が良いな。思想も法律も、色々と気楽だ」

 箱を事務机へ放り投げると、鎺は来良へ顔を向ける。


「お前、本気で首を突っ込むのか? 思ったよりも、事態は碌でもない茨で雁字搦がんじがらめだ。断言する、間違いなく二回は死ぬ事になるぞ」

「分かってる。でも見過ごせないからね」

「本音は?」

「面白そう」

 一斉に注目が注がれる。自分の失言に、来良は青ざめた。


「あ・・・・・・いや、その――――」

「そんな事じゃないかと思っていたが、まさか直球とはな。恐れ入ったぜ」後頭部を掻き毟り、鎺は口元を引きつらせる。「お前ぐらいの年頃は、非日常こっちに憧れるものだ。火遊びぐらいなら別に構わないが、今回の件はそんなレベルでは済まされない。お前みたいにスキルを持って一線を越えられる奴なら、尚更だ」

「止めておけ、って言うつもり?」

「逆だ。には荒治療、とことんまで深みに填まって貰おう。抜け出せなくなるか、それとも二度と近付かなくなるか。全てはお前次第だ」

 だが、と今度は午兎へ視線を向けた。


「そのままだと、お前は間違いなく死ぬ。幾ら俺でも、そこまで鬼ではない。だから用心棒を付ける事にした。それも、最強の用心棒だ」

「何で、僕が彼女の用心棒なんだ?」

「お前挽回したいって言っていただろう? この世界で己の名誉を回復させるには、用心棒が手っ取り早い。もっとも、彼女が了承するかは分からんがな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 含みのある鎺の言葉。その横で璃子が「何処の世界の話だ」と宣ったが、誰も聞いてはいない。


「・・・・・・分かった。用心棒の件、引き受けよう」

「だ、そうだ。お前はどうする? 無理矢理押し倒して唇を奪うような危険人物を用心棒として受け入れるか?」

「押し倒された訳じゃあないし、反省しているなら。でも今度やったら、絶対殺す」

 鎺に対して頷くと、来良は午兎を睨み付ける。その手にはブレードを展開させたバリソンが握られていた。午兎はそんな彼女を一瞥し、口元を緩めた。


 恐らく、「殺す」という言葉に反応したのだろう。

 君には絶対殺せない。舐められている、確実に。来良は彼に奪われた唇を小さく噛んだ。


「良い答えだ。同盟の条件は彼女の参入、だったな。答えを聞こうか」

「ああ約束だからな、関係を結ぼう」

「よし、これで丸く収まった。お前と同盟関係が結べれば事件が解決し、お前は彼女にしでかした失態を帳消しに出来る。彼女は彼女で、無敵の用心棒のお陰でちょっとした火遊びが愉しめるって寸法だ。これこそ、大団円。いやあ、良かった良かった」

 微妙な距離を維持する来良と午兎の背中を力強く叩く上機嫌な鎺の後ろ、げんなりとした表情を浮かべ肩を落とす沓掛 璃子が居た。


「コレ得してるの、鎺だけじゃん・・・・・・」

 歪な同盟関係が結ばれた三人を尻目に、璃子は胸中で思う。


 大人って、やはり狡い生き物だ。

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