二、『歪な同盟関係』その3

「――去年の秋頃に、後輩が面倒な奴に付きまとわれてね」


 旧部室棟の一室、資材と机が積み重ねられた部屋で璃子は来良に切り出した。

「ただのストーカーなら警察か先生呼んで済んだ話なんだけれど、付きまとっていた奴というのが〝レジメント〟っていう危ない少年グループに入っていてさ、気付いた時には遅かった。後はまあ、お約束のパターン。最初はただのストーカーだったくせに、色々文句付けてお金を要求するようになった。慰謝料とかっていってさ。有り得ないよね、慰謝料貰いたいのはこっちだっていうのに。払えなきゃヤバい店に叩き込むとか言われて、藁にも縋る思いで鎺の事務所を訪ねたわけ」

 人差し指で、璃子は机に積もった埃をなぞる。舞った埃がカーテン越しに差し込む光を浴びて煌めいた。


「鎺の八面六臂な活躍もあって、レジメントは壊滅。メンバーはだいたい逮捕。あたしも後輩も春をひさがなくて済んだという、めでたしめでたしな話。どう? つまんない話だったでしょ?」

「何で、そんな話を?」

「不公平だと、思ったのよ。成り行きとはいえ、アンタの秘密知っちゃったから。その・・・・・・隠しているみたいだったし」

「ああ、これ?」

 ポケットからバリソンを取り出し、来良はリズミカルに開閉させる。狭い部屋、金属音は探偵事務所よりも大きく残響した。


「隠しているって訳じゃあ、なかったんだけれどね。ただまあ、こういう事は積極的に言うモノじゃあないでしょ? ドン引きされるどころか絶交だって有り得た訳だし」

 開閉させながら、徐に来良はバリソンを宙に放った。宙を泳ぐ黄金色のグリップ。落下してきたそれを掴み、露出したブレードを収納する。

「そもそもそんな話聞かされて、わたしはどうすればいいのさ。事が事だけに、笑い話にも出来ないんだよ?」

「そうだよね、ごめん。たださ、知って欲しかったのかも。あたしはアンタが思っている程、日の当たる成功街道を歩いていないって」

「ああ、成る程――」

 折り畳んだバリソンを弄びながら、来良は呟いた。


 沓掛 璃子は優等生である。所属する陸上部では記録を出し、学校の成績は常に一桁。交友関係も広く、教師からの信頼もある。東風瑞 来良が考えるものとは多少ベクトルが違えど、十二分に高校生活をエンジョイしていた。

 別にそれを来良は一度たりとも嫉んだ事はない。小学校の頃から、彼女はずっとそういう人生を歩んでいた。ナメクジとまではいかなくともカエル程度には湿ったポジションで暮らす来良にとって、それはまるで別世界の出来事のようで、嫉妬の対象に成り得なかったのである。


 しかし、彼女の目に自分はそう映ったのだろう。嫉むまではいかないまでも羨んでいる、と。何かで、そういう素振りを少しはみせたのかもしれない。ある種、それは仕方のない事である。しかし面と向かって本人から言われると、来良の鳩尾辺りが少し重くなった。


「別に良いんじゃない? たまには道を外れたって。お巡りさんの世話にならなければ、何度失敗しようが修正出来るんだから」

「思い切り、お巡りさん案件なんだけどね」

 言い合い、笑い合う。

 こういうので良いんだ、こういうので。


「ところで、その少年グループってどんな奴なの?」

「レッドルージュってグループ、本人達はグループって言わずにレジメントって自称している。知らない?」

「いや、全然。何、その馬鹿っぽいグループ名は」

 首を横に振って否定すると、璃子は目を丸くした。

「アンタ、ナイフ使いなんでしょ? この辺で一番ヤバくて有名なレジメントだったんだから、知っていると思ったんだけど」

「それ、向こうが勝手に言ってるだけ。レジメントとかギャングとか、そういう裏社会的な話題にはまったく明るくないよ、わたし」

「そうなの・・・・・・まだよく分からないな」

 来良はラッチを固定し、バリソンをポケットへ収納する。


「そんな大層なヤツじゃないって、わたしは。それとも、璃子はわたしがナイフで無差別に斬り付ける危ない奴だと思った?」

「ううん、それはない」

 あまりにも真っ直ぐ即答したので、今度は来良が目を丸くする。

「アンタは絶対にそんな事はしないよ。昔からアンタは、自分の事では絶対に暴力を振るわない人間だからね」

 言って、璃子は真っ直ぐに来良を見た。


「小学生の林間学校でさ、いじめっ子のグループにあたしがカメラ壊された事あったじゃん? あの夜、アンタは持って来たアーミーナイフでそのいじめっ子達の鞄に入っていた下着やら洋服を切り裂いて駄目にしたでしょ? それも、全部一着だけ残して」

「はて、そんな事あったっけかな?」

 わざとらしく目を泳がせる来良に「あったの」と言うと、璃子はさらに話を続ける。


「一着残したのは情けでも何でもなくて、単純にその一着だけで残り二泊を過ごさせるため。お洒落に気を遣うプライドの高い子達だったから、同じ服を着続けるのは屈辱だったと思う。原因を言わなければならないから、先生にもチクれない。結果、彼女達は残り三日間屈辱に塗れた最悪の林間学校を過ごす事になった。本当、昔から人の嫌がる事は徹底的にやる性格だったわ」

「屑の極致だね」

「でも、あたしの為だからそこまでやったんでしょ? 自分のためだったらそこまでしなかった。事実、アンタは以前その子達に携帯を壊されたけれど何もしなかったじゃん」

「その時の恨みが溜まっていただけだったりして」

「ううん、違う」

 茶化す来良に向かい、さらに真っ直ぐな視線を穿った。

 韮崎 鎺の視線も苦手だが、これも辛い。自分がいかにひねくれた存在であるか、まざまざと見せつけられる。


「アンタは、まず誰かの為を優先する。無差別に人を襲うなんて絶対にしない。あたしはそういうアンタだから、好きなんだ」

「あ――――」

 ヤバいと、来良は思った。

 意趣返しのつもりで〝無差別に斬り付ける〟なんて言ってしまったのに、こんな正攻法で撃ち返されるとは。余計、鳩尾の辺りが重くなる。璃子の顔を直視出来ない程に。


 何か、言葉を。気の利いた言葉を紡がねば。しかし口から溢れるものは泡沫のような空気だけで、それが東風瑞 来良を混乱させた。


「――こんな所に呼び出して、何の用?」

 焦った来良が妄言を紡ぐその刹那、部室棟の入り口で声がした。

「この学校、こんな所があったのか。良いね、人が立ち寄らないってのが特に」

 それは柄野久 午兎の声であった。気怠げに入り口へもたれ掛かり、お座なりに周囲を見渡している。


「去年まで使っていたんだけれど、老朽化が酷くてね。来年取り壊して、専科の教室にするんだってさ。正直、部室棟なんて要らないからね。着替えなら更衣室、ミーティングなら空き教室使えば済む事だし」

 璃子の言葉に「ふうん」と頷くと、積み重ねられた机の一つを地面へ下ろし腰掛けて足を組む。その仕草があまりにも自然に優雅であった為、来良は混乱する事も忘れて息を呑んだ。


「僕に用、だったよね? 東風瑞さん。そっちはええと、沓掛 璃子さん、だったかな?」

 伏し目がちであったが、鋭い視線。午兎の値踏みをするような眼差しに、璃子は僅かに怖じ気付く。

「貴方が未来人だということ、知っています」

「ああそう」

「殺人犯、だということも」

「お喋りだね、東風瑞さんは」

 苦笑し、午兎は前髪を掻き上げた。


「つまり、関連か。良いよ、何が聞きたい?」

「千年も未来の人が、こんな過去に来て何をしているの?」

「資源と食料調達さ」

 予期していた質問だったのだろう。来良の問いに間髪入れず、午兎は答えた。


「前にも言った通り、僕らの暮らす世界は滅び掛けている。食料も資源も全く足りない。それを補うために、僕らは現代かこからそれらを輸入しているんだ。タイムマシンを使ってね」

「資源や食料の調達って、どうやっているの? 倉庫借りたり取り引きとかしている訳?」

「普通にお金払って、店で買ってるよ。買った物も、借りてる部屋に置いてるだけ。僕の見た目で分かるだろう? 明らかに未成年の人間なんかに倉庫なんて貸さないし、取り引きだって無理だ。だから地道に店を廻って買い物して、それを未来へ送っているのさ」

 意外と現実的な回答であった。それにあまりにも地味な方法だったので、来良も璃子も少し残念な貌を見せる。


「愉しいね、買い物。僕の居る世界には、もう貨幣経済って廃れていたから新鮮だよ。正直、こんな紙の方が金属のコインよりも価値があるという事に、まだ慣れないけれど。希少価値ってやつなのかな」

 鞄から取り出した札束を適当に積み重ねながら、午兎は己の感想を述べる。その現実を欠いた光景に、璃子は無言で驚愕した。

 そうだ、璃子。これがわたしの味わった衝撃だ。


「まさかそれ、偽札?」

「経年劣化で多少草臥くたびれていると思うけど、本物だよ。コインの大部分は再利用する為に鋳つぶされたけれど、燃やす程度にしか使い道のなかった紙幣はまだかなり残っていてね。廃墟を掘ってみると、こういう束がよく見付かるんだ。紙幣、意外と残る物なんだね」

 未来すげぇ!

 お互い口には出さなかったが、表情が雄弁に語っていた。


「――滅び掛けている、と言ったよね?」

 仕切り直すように咳払いをし、璃子はこちらの出方を窺う午兎に視線を向ける。

「具体的には、どんな風に?」

「どんな風・・・・・・か。難しいね、それ。見せれば簡単なんだけれど、口頭で説明するのは大変だ」

 今度は予想していなかったらしく、午兎は暫し黙考する。やがて思い付いたように目を見張り、二人を見た。

「白、だよ」

 揃って小首を傾げる二人に対し、午兎は更に続ける。


「砂漠化して真っ白になった地面に、しんしんと白い雪が積もるんだ。空も雲に覆われて真っ白くてさ、僕はこっちへ来るまで空にこんなバリエーションがあるなんて知らなかったよ」

 遠くを見つめるように、午兎の双眼が細められる。視線の先には、茜色になった空が優しく校庭を同じ色で包み込んでいた。


「滅びつつある世界というのは、とにかく白くて綺麗なんだ。一面が銀世界で、とにかく幻想的。そんな綺麗な白い世界で、人間も白く朽ちていくんだ。それこそ、綺麗にね」

 何度も綺麗を連呼する午兎であったが、その口調は何処か寂しげであった。綺麗だが、何処か寂しい。それが唐突に来良の中で柄野久 午兎そのものと重なった。

「滅びは・・・・・・止められないの? それこそ、タイムマシンで」

「それ、試さなかったと思う?」

「あ――――――」

 来良の表情に対し、午兎は失笑する。それから肩を竦め、「まあそういう貌、するよね」と独り言ちた。


「試したのは僕らのご先祖様なんだけれどね。タイムマシンまで作って、なんとか滅びを回避しようと頑張った。しかし駄目なんだよ。僕らの終わりは、君達がこれから体験するであろう未曾有の厄災群とは違う。本当の終わり、なんだ。小説だって映画だって、終わりは訪れるだろう? 僕らの終わりは、と一緒。人類という分厚い本の最後の数ページ、それが僕らの暮らす世界だ」

 午兎は組んだ足を戻し、徐に腰掛けた机から飛び降りる。

「そして僕は、そんな最後の数ページで産み落とされた人類最後の子供だ」

「人類最後の子供・・・・・・」


 気が遠くなりそうになる。ただでさえ十年後は疎か一年後の未来さえ不明瞭な来良にとって、一千年後という世界は余りにも現実感が希薄だというのに、その一千年後から来たという目の前の少年が人類最後の子供だなんて。想像するだけで、疲れてしまう。


「周りからは、〝最後の子供達エグリゴリ〟と呼ばれてる。僕らが生まれるまで、五十年ぐらい子供が生まれなかったそうだ。ナノマシンやサイバネティクスの多用で見た目は若く保てるけれど、本当の子供は僕達〝最後の子供達エグリゴリ〟だけ。実に、歪な世界だよ」

 自嘲気味に嗤い、午兎は肩を揺すった。

「どう? 未来の話、面白かったかい?」


「・・・・・・まだ、話して貰っていない事がある」

 静かに腕を組んで話を聞いていた璃子が、口を開く。

「何故、殺した? そんな滅びを待つような世界、憎しみなんてないでしょう。ならばその殺人には、理由があった――――違う?」

「へぇ――――」

 愉しげに璃子へ視線を送り、午兎は口元を吊り上がらせた。


「それ、聞くんだ。危ないんじゃあないかな、犯人にそれを聞くってのは。死ぬかもよ?」

「覚悟はしている。元々は、あたしが興味本位でこの子の問題に首を突っ込んだのが原因だから。そのぐらいのリスクを背負わないと、不公平だ」

「覚悟、不公平、ねぇ――」

 嘗め回すような口ぶりで言葉を紡ぎ、午兎は璃子の出方を窺う。璃子は身を強張らせ、来良にも聞こえるぐらい大きく喉を鳴らした。

「駄目だな、その程度では。その程度で、首を突っ込んじゃあいけないよ」

「何、言って――」

 言葉が終わるよりも早く、璃子の顔面に銃口が突き付けられる。


「どうせ玩具だろ? なんて、ありきたりな反応はやめてくれよ。白けるから」

 引き金トリガーには人差し指が掛かっており、撃鉄ハンマーは起こされていた。このまま午兎が僅かにでも指先へ力を込めれば、撃鉄ハンマー撃針ピンを刺激し薬室チャンバーに籠められた銃弾が射出される。銃口と眉間の距離は短く、銃弾が逸れる事はまずあり得ない。


「これ、92FSっていってね。大型のくせに、なかなか使い勝手が良い拳銃だ。僕はコレを使い慣れてるし、自慢じゃあないが腕も良い。君達殺すなら、数秒も掛からないよ」

「・・・・・・でも、バレる。銃声が聞こえたら、誰だって不審に思って此所へ来る。立場上、警察の世話にはなれないんじゃない?」

 首筋に冷や汗を感じながら、余裕を装い璃子は答える。刹那、銃声が響き彼女の頭上を銃弾が掠めた。


「ほら、鳴った。で、誰か来た?」抑揚のない声で午兎は言う。「意外とね、気にならないんだよ銃声って。何回か鳴らせば気付く人も出てくるだろうけど、一発なら気付かない。特にこの国では銃は珍しいみたいだから、銃声が鳴ったところでそれが銃声だとは気付き難いらしいね」

 君以外は、と午兎は振り返る。振り返った先で来良が、剣呑に双眼を細めたままナイフのエッジを首筋に這わせていた。


「早かったじゃないか。銃声と共に僕に飛び掛かってくるなんて、思いもしなかったよ。やはり君は面白い」

「さっさと銃を下ろせ。さもなくば、このままブレードを引く」

 底冷えするような低い声。その声に、璃子は疎か発音した来良自身さえも驚いた。

「無理だよ、君には出来ない」

 抑揚のない声で、午兎は答える。ナイフをぴたりと宛がった首筋から、じわりと鮮血が滲み出た。白磁のような柄野久 午兎の肌に、赤い血は実に映える。汗に血の混じった臭いが、来良の鼻孔を強く刺激する。ナイフを握る手は微動だにしなかったが、視線はその赤々とした首元へ釘付けにされていた。


「何故?」

 午兎が引き金トリガーを引くように来良が右手に僅かでも力を掛ければ、彼の頸動脈は深く傷付けられ致命傷を負う事は間違いない。しかし午兎はそれを畏れる事は微塵もなく、また彼女が自分の命を奪う事はないと確信していた。

「わたしが貴方を殺さなかった未来でも、見て来たの?」

「面白ね、その発想。だが、残念ながら違う」

 失笑し、午兎は表情を僅かに弛緩させる。


「僕が引き金トリガーをクリックした瞬間、君は僕を確実に殺せた。けれども君は警告に留めただけで、それを実行に移す事はなかった。断言しよう、君は人を殺せない。そこの彼女の言に従えば、

 言うや、刹那。午兎はその身を翻し、来良の背後に回り込む。ナイフを叩き落とし、彼女の後頭部に銃口を突き付けた。

「言えよ、誰かに頼まれたんだろ? でなければ、人殺しの前に二度も現れようとは思わない。君みたいに頭の良い娘なら特に、ね」

「・・・・・・残念だけれど、頭の良い娘は向こう。わたしは授業に着いて行くのが精一杯な落伍者おちこぼれだよ」

 嘆息すると、来良は開いた両手を挙げた。


「それ、何のジェスチャー?」

「降参って意味。話すからさ、銃下ろしてよ。普通そうに見えるかもしれないけれど、それ結構怖いんだよね」

「分かった」

 午兎が銃を下ろした瞬間、来良は踵を返して広げた右手を振りかぶり、彼の左頬に叩き付けた。

「殺せないかもしれないけれどね、傷付ける事ぐらいなら出来るんだよ」

「・・・・・・面白いね、やっぱ」

 熱を帯びた左頬を撫でながら、午兎は嗤う。


「で、僕に接触するように言ってきた人間の名前は?」

「韮崎 鎺って探偵。事件を解決するために、柄野久君と同盟関係を結びたいんだって」

「それは、殊勝な探偵さんだね。しかし答えはノーだ。だって僕にその探偵と同盟関係を結ぶメリットがない」

「でも、」

 バイト代が良い、と言い掛けて来良は言い淀む。高校生にとって大金だとしても、札束をレゴブロックのように積み重ねるような人間には端金だろう。そもそも彼は、あまりお金に価値を見出していない気がする。交渉の材料としては、余りにもお粗末だ。

 憧れの菊ナイフだって選り取り見取り即金で買える値段なんだけどな、バイト代。


「でも?」

「・・・・・・探偵は、知っている」

 値踏みをするように首を曲げた午兎に対し、意を決して来良は言葉を紡ぐ。

「最近起きている十代わたしらを対象とした誘拐事件が、柄野久君と関係しているって事を」

「何処から、そんな事を・・・・・・?」

 午兎は来良に気付かれぬように独り言ちると、思案し直ぐに一つの結論に達する。

 あの大男、殺し屋ではなく本当に探偵だったのか。


「・・・・・・ああ、そうだ。誘拐事件は僕らの仲間が引き起こしたものだ。その探偵に言っておけ。首謀者は僕が始末した。事件は、解決したとね」

「まだ、終わっていない」踵を返しかけた午兎を呼び止めるように、来良は声を張り上げた。「誘拐事件はまだ続いている。その事件を解決する為には、どうしても柄野久君の力が必要なんだ」

「さあね。別の人間なんじゃない? 犯人。だって首謀者は君の目の前で死んだ訳だし――」

 瞬間、ぴたりと午兎の口が停まった。


 本当に、終わったのか?

 自分でも、何処かで不可解だと思っている。あの男が何故人間を梱包して送っていたのか、まだ謎のままだ。大司祭シェム・ハザは子供を作る為だと言った。しかし絶望に打ちひしがれていたとはいえ、この世界で子供を作って育てていた人間が、果たして遠い未来に人間を送ってまで子供を作ろうと企むだろうか。


 まだ終わっていない、来良の言葉を胸中で反芻する。

 彼を利用した奴が居る。そいつはまだ、この世界で人間を攫って未来へ送る行為を止めてはいない。何故なら、そいつにとって彼は自分の数ある手駒の一つだったのだから。

 だが、何故この世界の人間を未来へ? 大司祭シェム・ハザの言う通り、この世界の人間にとってハイヴは地獄だ。連れて来られた途端、毒を浴びて死に至る。

 分からない。解らない事だらけだ。

 ならば、判りやすい場所に身を置く事が賢明だろう。


「・・・・・・気が変わった。付き合ってあげるよ、その探偵に」

「本当に?」

「ああ、本当だ。だが、メリットがないのは頂けないな」

 来良が「メリット?」と聞き返すよりも早く、午兎は彼女へ間合いを詰める。そして戸惑いの表情を浮かべる来良の顎を指で上げて、彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。

「な――――――」

として、貰っておくよ」

「なあッ――――――――」

 ようやく事態を把握し、わなわなと震える来良を尻目に、午兎は踵を返す。そのまま右手を挙げて部屋を出た。


 何故だろう、彼女を見ていると無性に嗜虐心が刺激される。

 わからない。

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