二、『歪な同盟関係』その2
その探偵事務所は、繁華街からやや幹線道路沿いに面した場所に建つ雑居ビルの三階にあった。
左右に小刻みに揺れるエレベータに不安を感じながら、来良は璃子と共に三階を目指す。かつては塾やカルチャーセンターが入っていたのだろうか、階を表示するプレートにはそれらしき名前が刻まれていた。しかしどれも看板を残して撤退しており、今では明かりが付いているフロアは三階だけである。
「・・・・・・お前が、依頼人の東風瑞 来良か。璃子から大凡の話は聞いている」
窓際に大きな事務机。いかにも探偵事務所然とした雰囲気の部屋、探偵韮崎 鎺はドアを開けた二人を一瞥して口を開いた。顔は写真よりもずっと整っており、派手なレザージャケットを着ている以外は比較的落ち着いて見える。
「クラスメイトのメアドかIDが知りたいんだな?」
「はい・・・・・・ええ、はい」
「こう言っては、なんだが――」
渋面を作り、鎺は自分の後頭部を雑に掻き毟った。
「自分で聞くことは出来ないのか? その方が安上がりだぞ」
「ですよねー」
知ってる。来良は引きつった作り笑いを浮かべた。
「それと俺は今忙しいんだ。ちょっと厄介な事件が何件か立て込んでいてな」
「殺人事件?」
「誘拐だ。世間じゃ、まだ失踪扱いだがな」
目を輝かせて問う璃子に対し、鎺はにべもなく答える。
「お前達の学校でも注意喚起が起きているだろう? 最近、十代の少年少女が次々と姿を消している。自分の家族を探して欲しいと、依頼が引っ切りなしに来ていてな、構っていられないんだ」
「儲かっていいじゃん」
「茶化すな、真面目な事件なんだ。被害者に失礼だろう」璃子の言葉を叱りつけ、鎺は腕を組む。「詳細は明かせないが、誘拐が起きているのは事実だ。歳が十代後半という事ぐらいしか共通点がなく、犯人が何を基準として誘拐しているかは不明。だから、お前達も気を付けろ」
「しょうがないな、じゃあ日を改めてって事で」
「申し訳ない」
ああ、と思い出したように鎬は声を上げた。
「そいつに関する名前とか写真などはないか? 手ぶらで帰すのもなんだし、調べてやる。片手間だからいつになるか分からんし、依頼料はタダで良い」
「名前は、柄野久 午兎です。写真はありません」
「あたし、あるよ」
璃子はスマートフォンを操作し、柄野久 午兎の写真を表示させて鎺へ見せる。
「かなりのイケメンでしょ? うちのクラスでもファンが大勢居てね。放っておいても、写真がLINEで廻ってくるのさ」
「え? わたし、来ないよ?」
「そりゃ、LINEをメールと変わらない使い方していればね。どうせグループだって、友達と家族ぐらいなものでしょ?」
「クラスメイトのもあります。メッセージ殆ど来ないけれど」
「それ、四月に便宜上作ったやつでしょ・・・・・・」
璃子は嘆息すると、食い入るようにスマートフォンを見つめる鎺に視線を移した。
「これでいいの?」
「ああ、十分だ。コイツの名前、柄野久 午兎と言うのか・・・・・・偽名か? まあ、本名という事はないだろう。問題なのは――」
ひとしきり自説を呟いてから、鎺ははたと二人の訝しむ視線に我に返る。
「コイツのメアドを知りたいのは、本当に彼への告白に使うからなんだな?」
「それ以外、何に使うって言うのさ。まあ、アダルトサイトに会員登録とか悪い使い道は色々あるけれど、別にそこまでする程の恨みはないからね」
「璃子、お前には聞いていない」
手を上げて制し、鎺は言った。それから油断のない双眼で来良を捉える。
「本当に、告白する気なのか? 柄野久 午兎へ。こう言っては何だが、俺はお前がコイツに告白するとは思えない。お前の目的は別にある、違うか?」
視線の鋭さに、東風瑞 来良は射竦められる。
正直、ホスト崩れのなんちゃって探偵だと侮っていた。適当な肩書きで女を引っかけて金をせびる下郎、とまではいかないまでも、似たような事はちょっと考えていた。しかしこの視線、これはいけない。一種の凶器である。喉元に当てられたナイフのように、余計な軽口を削ぎ落としてしまう。真実しか、話せなくなる。
ヒリヒリし始めた喉を来良は鳴らす。
この男、本物の探偵だ。
「正直、告白する気は全くありません」
「え? えぇ、マジで!?」
驚愕する璃子を無視して、来良は言葉を続ける。
「けれども、わたしが彼を知りたいと思うのは本当です。わたしが知りたいのは、メールアドレスでもIDでもない。柄野久 午兎という男が、一体何者なのか知りたいのです」
「何者か・・・・・・ね」含み笑いを浮かべ、鎺は言った。「そんな事、俺が一番知りてぇよ。探偵にあるまじき台詞だがな」
「ねぇ、ちょっと置いてきぼりなんですけど」
話に着いて行けなくなった璃子が、慌てて口を挟む。
「え、何? 二人は分かってますよ的な空気、何なの? ちょっと分からない。何者か知りたいって、どういう事?」
「ごめん、璃子。この前、話す気だったんだけれど」
混乱を鎮めるべく深呼吸し、来良は璃子の両肩を強く掴む。
「柄野久 午兎は、殺人犯で未来人だったのよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
余計に混乱した。それはまるでブルースクリーンが表示されたパソコンのようで、璃子は英文を吐き出す代わりにブツブツと不明瞭な言葉を紡いでいた。
「知っていたのか、奴が人殺しだという事を。成る程、確かに正体を知りたくなるな。理解した」
「理解しちゃ駄目でしょ、名探偵! っていうか、殺人犯は辛うじて理解出来るけれど、未来人って何!?」
「俺の世代だとアーノルド・シュワルツェネッガーの事だな」
ターミネーターのような出で立ちの鎺は、何処か遠くを見るような眼差しを浮かべ暢気な口調で答える。
「しかし、未来人というのは初耳だ。話してくれ、詳しく聞きたい」
「詳しく・・・・・・といっても、本人から聞いただけだからなんとも。何をする気かは知らないけれど、この時代が都合が良かったから来たみたいです」
「都合が良い、ねぇ――――」
親指と人差し指で顎を撫で、鎺は言葉を反芻する。数日前、写真の少年と出会った時の事を思い出しながら。
「彼は、人類が滅んだ世界から来たって言っていました。どうして滅んだかは知らないけれど、別に過去に戻って未来を変えるつもりはないらしいです」
「じゃあ何のために過去である
それより、と璃子は来良へ顔を柄付けた。
「何でそんな事、アンタが知ってる訳?」
「本人に聞いたのよ、昨日。彼の落とし物、わたしが持っていて。大事な物らしくて、返したら色々話してくれた」
札束の事は触れず、来良は答えた。一束は疎か一枚だって受け取っていないが、何となく後ろめたくなったからである。
「その落とし物って何だ?」
「アンティーク調というか、ライトセイバーのキーホルダーみたいな懐中電灯です。彼はトーチと呼んでいました」
「
先日を思い出しながら苦笑し、鎺は肩を竦めた。
「未来人なんて、スクリーンの中でしか会った事がないから何とも言えんが、奴が未来人だと仮定すると色々と合点がいく。流石の俺でも考えが及ばなかったぜ、犯人が未来人なんてな」
「犯人・・・・・・ですか?」
「ああ、そうだ。誘拐犯、奴も恐らく未来人だ」
「――――――――――――」
璃子が再びフリーズした。さもありなんと、来良は胸中で深く頷く。そりゃそうだろう、憧れていた名探偵が突拍子もない事を言い出したのだから。
「俺が柄野久 午兎と出会ったのが、誘拐犯の取り引き場所でな。奴らは攫ってきた人間達をせっせと梱包していた。犯人の目的は分からんが、そこに未来人と仮定される柄野久 午兎が居たんだ。犯人が未来人かそれに類する存在である可能性は高い」
「仲間って事?」
やや再起動し始めた璃子が、幽鬼のような声で鎺に問う。
「いや、むしろ敵対関係に思えたな。俺と出会ったのも、出会い頭の衝突事故みたいなものだろう。同じ事件を追っていて、そこでブチ当たったみたいな感じだ」
「じゃあもしかして、わたしが目撃した殺された人って――」
「ああ。恐らくではあるが、誘拐事件の関係者だろう。奴は事件の関係者を軒並み消し去っていた。俺も実際奴に狩られそうになって、なかなかスリリングな体験をしたぜ。お前も、気を付けた方が良いかもしれないな」
「でも、彼は目撃者と知ってもわたしを殺す気はないって・・・・・・実際、彼にトーチを返した後も殺されはしなかったし――」
「・・・・・・それは、妙だな」
声のトーンを落とし、鎺は暫し黙考する。やがて一つの結論に達して来良を見据えた。
「もう一度、柄野久 午兎とコンタクト取れないか? 奴が危険な殺人犯だという事は理解している。しかし奴と共闘出来れば、確実にこの誘拐事件が解決出来る。向こうはお前を素人と
「ちょっと、ストップ」
来良が何か言葉を紡ぐ前に、璃子が口を挟む。
「この子を囮に使う気!? それに素人と見做してって、アンタ一体何のプロだと思ってるの!」
「左腕」
鎺の言葉に、来良はぎくりと肩を振るわせた。
「甲から腕に掛けて形跡がある。それも慢性的に、だ」
「え、アンタまさかリスカ――」
「リストカット? そんな可愛げのある行為じゃないぜ、コイツは。そうだろう? 東風瑞 来良」
「あ、あはははは。ちょっとお肌のケアで、産毛を剃っただけですよー。みんなやるでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
またあの視線で、こちらの喉元を穿ってきた。逃げられない。
観念した来良は、ポケットから金属棒を引き抜いた。
「やっぱりな――」
鎺は嘆息し、来良が差し出した金属棒を一瞥する。それは午兎が持っていたトーチとは別の金属棒であった。縦に規則正しく穴が開けられた真鍮製の棒が一膳の箸のように並んでおり、背部のラッチで堅く固定されている。見た目よりも重く、そして凍るように冷たい。
「随分と年代物だな。大方、金物屋の売れ残りだろう」
ラッチを弾き、鎺は手首のスナップを利かせた。降り出されたブレードが蛍光灯の光を浴びて燦めき、切っ先を来良へ突き付ける。
「バタフライナイフってやつ・・・・・・?」
「バリソンとも言う。メーカーは分からんが、意外と造りはしっかりしているな。ブレード鋼材は440か、スタンダードなステンレス鋼だな。可もなく不可もなく。もっとも、本当かどうかは分からんが」
切っ先を向けたまま、鎺は来良に問うた。
「さて、話して貰おう。普通の女子高生がスマホと一緒に持っているような得物じゃあないぜ、コレは」
「お・・・・・・」
「ん?」
「折り畳み式キャンプ用包丁、です」
「は?」
「バタフライナイフでもバリソンでもありません、折り畳み式キャンプ用包丁です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
予想外の言葉に、今度は鎺の思考が停止する。
「商品にそう書いてあったので、間違いありません」
「そうか、書いてあったのであれば仕方がない」
「あ、納得しちゃうんだ・・・・・・」
しかし、とやや引きつった貌で鎺は続けた。
「問題はそこではない。お前が何でこんなモノを持っているのか、という事だ」
「当然、護身用です。殺人事件を目撃したんですよ? 身を守りたいと思うのは当然です。銃刀法違反は重々承知していますが、乙女の安全の前では法律など紙切れ同然です」
「嘘だな」
ブレードのエッジを指でなぞりながら、にべもなく鎺は言う。
「このエッジの鋭さ、自分で研がなければまず出ない。市販されているナイフってのは、結構エッジが甘い物が多いからな。だから玄人は購入したナイフは、研ぎ直して使う。しかし護身用に買ったナイフをわざわざ研いで使うという発想、素人は絶対に思い付かない。それに一定の角度で研ぐには、ある程度の技術も要るからな」
「いや、今時ランスキーとかスパイダルコのシステムを使えば誰だって簡単に研げますよ。それだってランスキーですし」
半笑いを浮かべながら、来良はお座なりに答えた。
「そもそも、普通の女子高生はランスキーは疎かホローグラインドもコンベックスグラインドも知らないんだよ。刃厚や鋼材とグラインドの関係を熱心に語り合う女子高生が居て堪るか」
「話すかも!」
「いや、話さないって」
真顔で否定する璃子に、来良はこの世の終わりのような表情を見せる。
畜生、親友に後ろから撃たれた。
「確かにこの子は、小学生の頃から肥後守やらスイスのアーミーナイフやらをポケットに入れていたけれど、それが何か今回の件と関係あるの? 法律を破っているというのは、この際置いておいて」
「ナイフ使いだ」
韮崎 鎺の口から紡がれた言葉に、東風瑞 来良はがくりと項垂れる。それは丁度、探偵の名推理により犯行が曝かれた真犯人の姿であった。
「実際の戦闘経験はなさそうだが、
「それほどでも」
「褒めていない」
スナップを利かせてブレードを黄金色のハンドルへ収納すると、ラッチを締めて来良へ手渡した。
「しかしよく気付いたな、探偵くん。戦闘経験がないと分かった理由を後学の為に教えてくれ給え」
「ムカつく言い方だな・・・・・・」
鎺は後頭部を掻きむしる。
「剃った腕だ。お前の袖から見える腕、利き腕と反対の毛が不自然に剃られている。研ぎ具合を確認する為に腕の毛を剃ったようだが、利き腕が露呈する恐れがあるから普通プロはやらん。だから戦闘経験はないと踏んだ」
そうだろう、と鎺は来良へ視線を送る。観念したように受け取ったナイフのラッチを弾き、何度もリズミカルにナイフを開閉させた。小気味の良い規則正しい金属音が、室内に響く。その光景に、璃子は以前テレビで見たフラメンコのカスタネットを連想した。
「動画の真似して遊んでいただけなのに、ナイフ使いだなんて大仰だよ」
ぴたりとナイフの開閉を止めると、来良は鎺へ言った。
もう面倒だ、敬語なんて使わない。
「きっかけはそうだろう。俺が言ってるのは、お前の本質だ」
「適当言うな、そんな内面なんて分からないでしょ」
「分かる。普通、年頃の少女が見知らぬ男の経営する怪しげな探偵事務所に入ってきたならば、少しは身構える筈だ。そこに居る璃子だって、最初は俺をかなり警戒していた。けれどもお前は、俺に普通に接した。元々の胆力が強いというのもあるのだろうが、それはお前が何かがあった時に対応出来る切り札を持っていた何よりの証拠でもある」
鎺は「別にビビってないし」と否定する璃子を尻目に、さらに言葉を続ける。
「俺が言ってるのはな、お前は容易く一線を越えられる人間だという事だ」
「は――――――」
大きく息を吐いてから、来良は一足飛びで間合いを詰める。彼女の姿を見失ったと同時、鎺の背後に飛び乗って彼の太く浮かび上がった頸動脈に手にしたナイフの切っ先を突き付けていた。
「お返し。刃物は人に向けてはいけません」
「やはり、大した胆力だ」
鎺の言葉に口を歪めて笑うと、来良は背中から飛び降りてナイフを収納した。
「柄野久 午兎と、もう一度コンタクトを取れば良いんだね?」
「ああ。頼んだぞ、奴を引き入れる事が出来れば、この事件は解決する。誘拐事件はまだ続いている。警察では、末端の人買いを何人か捕まえるのが関の山だ。真実までは絶対に辿り着けない」
何せ犯人は未来人なのだから、と肩を竦める。
「協力者という事で、バイト代は弾むぜ」
「――ちょっと待ってよ、ストップ」
話が纏まり掛けていた時に、慌てて璃子が口を挟んだ。
「そもそもあたし達は依頼に来たの、協力者になるつもりなんて毛頭ない。幾らナイフの技能があったって、この子は素人。間違えて警察の厄介になったら、責任取れる訳?」
「正直、責任は取れない。降りかかった火の粉は各々で払ってくれ。コンタクトを取った後の事は俺が何とかする。深くは関わらせない、約束しよう」
「何とかって・・・・・・鎺のそれは当てにならないのよ。後輩の件でわたしが囮にされた時だって、助けに来たのギリギリじゃない」
人差し指でこめかみを押さえながら、璃子は嘆息する。
「俺がお前達の高校に直接出向いて、柄野久 午兎と接触するのがベストである事は重々承知している。しかしそれでは間違いなく、俺は奴と戦闘状態になるだろう。目撃者でありながら柄野久 午兎と直接対峙し殺されなかった彼女こそ、この仕事に相応しい。もっとも、予想外の事態は往々にして起こるものだ。その為のスキルなんだ、ナイフ使いのスキルは。当然戦闘に参加させる気はないし、物騒な目にも遭わせない」
「この子をそんな目に遭わせたら、あたしは今度こそ貴方を許さない。どんな手段を使ってでも、殺してやる。それでも雇うというならば、あたしも雇いなさい」
沓掛 璃子の眼は真剣そのものであった。以前彼女の後輩が少年グループと揉め事を起こして駆け込んできた時も、眼だけはこのような覚悟を宿した眼であった事を韮崎 鎺は思い出していた。
身体は、小刻みに震えていたというのに。
「分かった。前回の事もあって、お前の方が色々と慣れているからな。彼女をサポートしてくれ。何となくそいつは、土壇場で突拍子もない事をしでかしそうだからな」
「あははははは・・・・・・」
毛先を弄りながら、来良ははぐらかすように視線を泳がせた。
「危ないんだからね、本当に分かってる?」
「分かってる分かってる」
「本当かな・・・・・・」
訝しむ璃子に笑い掛け、来良は胸中でガッツポーズを取る。
愉しくなってきた。
こういうのを待っていたんだ、わたしは。
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