第二章『歪な同盟関係』
二、『歪な同盟関係』その1
モノレール駅に隣接した、マンション。
柄野久 午兎は十一階でエレベーターを降りると、自室である1107号室に向かった。ポケットから取り出したディンプルキーを廻して部屋の中に入り、脱いだ靴も直さず薄暗いリビングまで歩いて行くと、担いでいた学生鞄をフローリングへ放り投げる。
照明を付けると、ソファーは疎か食事を摂るテーブルさえ配置されていない殺風景なリビングが露わになった。備え付けの食器棚にもマグカップと食器数点が仕舞われているだけで、ガラス戸越しに台所が見える。その台所もまた、包丁も鍋もなく閑散としていた。
引っ越しの荷物が片付いていないから、ではない。荷を解くべき荷物が一つも見当たらないのである。それはリビングだけでなく、寝室など他の部屋も同様であった。
「――――――――」
午兎はカーテンを少し開け、眼下の景色を見つめる。立川方面へ向かうモノレールがノロノロと発車していった。それを見送るとカーテンを閉め、踵を返す。ブレザーの懐から東風瑞 来良と名乗った少女に返却されたトーチを取り出すと、横のキーを押した。キーを通して読み取られた指紋とDNA、己の体内を流れる識別用ナノマシンがトーチの使用者を『柄野久 午兎』と認識し、レンズから宙空にホログラムを表示させる。
先程、屋上で東風瑞 来良に見せたステータス画面とは全く違う映像。それぞれ、現在の座標軸と時刻軸、それから帰還ポイントへの乖離率が表示されている。ホログラムを数度タップし、数値を変更。承認ボタンを押した瞬間、殺風景なリビングが白亜の部屋へと変わった。
当然、部屋が変化したのではない。柄野久 午兎自身が、空間と時間を跳躍して白亜の部屋を訪れたのだ。トーチに内蔵されたタイムマシンとのコネクション機能を使用して。
「――久しぶりじゃん、お帰り」
白亜の部屋の出口に腕を組んでもたれ掛かる少女が、午兎に向けて右手を挙げる。
歳は柄野久 午兎と同じ程度。炎のように赤く長い髪を大きく三つ編みで束ねている。周りを取り囲む白い壁よりも白く長いローブを身に纏い、まるで魔法使いのような出で立ちであった。
「こっち滅多に帰ってこないからさ、心配したよ」
「向こうでは学生という設定だからね、そう好きな時間には帰れないよ。それに、今日は納品の日じゃないだろう? リベカ」
「それもそうなんだけれどね」
リベカと呼ばれた少女は自分の顎を人差し指で撫でながら、天井を見つめる。LEDとも蛍光灯とも違う光が、
「けれども、最近多いから。向こうに行って、帰ってこなくなった人。まだわたし達〝
「仕方がないだろう、
「穏やかな・・・・・・・・・・・・死、ねぇ――」
忌避を含ませたリベカの言葉に対し、午兎は肩を竦めて嘆息する。
「それが、
「そんな凄く先の未来なんて、普通は考えないよ。それにこの地球でわたし達を観測する事が出来る知的生命体なんて、もう誕生しないだろうし」
「――分からないぜ? 世界の終わりと言ったって、俺達人間が滅びるだけだ。ひょっとしたら、ミジンコが言葉を喋る時代が来るかもしれない」
若い男の声に、午兎とリベカは振り返る。白亜の部屋にまた一人、白いローブを身に纏った少年が現れた。
歳はやはり、午兎やリベカと同じ程度。短く刈り込んだ金髪と浅黒い肌、そして筋肉質の長身が特徴の少年であった。少年の背後には大きな麻袋が無数に積み重ねられており、破れた袋の端から僅かに小麦が零れていた。
「取り敢えず、これだけだ。残りは後日持ってくる。それとほら、幾つか電子パーツや周辺機器も買ってみたぜ。これで少しはコンピュータの延命が出来る筈だ」
言うと、少年は量販店の紙袋を午兎へ渡す。彼はシールを剥がして中身を確認する。
「SSDか。HDDよりマシとはいえ、この辺量子コンピュータばかりだから、コイツだとあんまりデータを突っ込めないんだよな」
「言うなよ。情報を立体で保存出来るドライブが普及するのは、もう少し先の時代だ。文句があるなら、タイムマシンの開発者に言ってくれ」
「百年前に、タイムマシンで行くのかい? それが無理だから、僕は文句を言っているんだよ」
「まあ、そうなるな」
少年は肩を竦めて失笑する。
「取り敢えずこの外付けSSDは、ポートとコネクタを弄れば現行機にも十分対応出来る。あとはジャンクパーツを掘り出して、騙し欺し使っていく感じだな。それより問題なのは電源だ。直ぐ壊れるくせに、あの時代には置いていない。ストックが切れたら、ジャンクと既製品をキメラ化して使っていくしかなさそうだ」
まあ、と少年は自嘲気味に口を歪めた。
「パーツのストックが切れる前に、俺達がくたばる可能性の方が大きいけどな」
「やめてよイサク、そういうのは」
「悪かったよ、リベカ。洒落にしては些か趣味が悪かった」
リベカにイサクと呼ばれた少年は彼女に素直に謝罪し、それから午兎へ視線を向ける。
「お前、これからどうするんだ? まだハイヴに居るなら、ラボに来いよ。この袋を納めたら、俺も行く。じーさんが、お前の装備を調整したがっていたぞ」
「ああ、行くよ。久しぶりに見て貰わないと、ガタが来ているかもしれないからね」
「そもそも、エノクは何でハイヴに戻ってきたんだ?」
「理由がなければ、自分の家に戻ってきてはいけないのかい?」茶化したようにイサクに言うと午兎は答える。「
「最悪じゃん」
「うん、最悪。だから、君と久しぶりに話せるのを楽しみにしているよ。じゃあ、また後で」
「ストップ」
白亜の部屋から出て行こうとする午兎をリベカが呼び止める。
「エノク、その格好で
午兎の格好は、帰宅した時と同じ格好であった。何も特徴のない藍色のブレザーとグレーのスラックス。大仰なローブを身に纏う二人に比べ、些か地味な出で立ちであった。
「そんな格好で歩いていると、また文句言われるよ。
「良い思いね、僕はそっちのローブの方が高性能だと思うけれど」
「性能じゃなくて、お洒落の問題。分からないかな」
「分からないね、興味ないから」
じゃあ、と午兎は学生服のまま歩き出した。出口を抜け廊下を数歩進んだ所で振り返り、まだ何か言おうとするリベカに向けて顔を近づけた。
「な、何よ?」
予想外の行動に、リベカは顔を引きつらせる。しかし午兎は気にすることなく更に自分の顔を近づけ、彼女の身体を矯めつ眇めつ観察した。
「違うな」
「何が」
「昨日さ、クラスメイトの女の子と屋上で話したんだ。詳細は省くけれど、その時彼女から何か良い匂いがしたから、女の子ってそういうものなのかなってふと思って試してみたんだけれど、やはり違ったみたいだ。手間を取らせて済まないね」
「はぁ!?」
言い終えると、午兎は手を上げて再び白い廊下を歩き出した。後ろからはリベカの罵詈雑言とイサクの笑い声が聞こえてくる。
いつもの光景だ、午兎は胸中で独り言ちた。自分やイサクがからかうと、リベカは決まって本気で怒る。その貌が面白くて、ついやり過ぎてしまうのだ。
この終わり掛けた世界へ戻る度、生まれ育った場所の筈なのに外国のように感じていた。それは回数を重ねる毎に強くなり、最近では自分は最初から向こうで生きてきたように思えていた。しかし今日こうして二人に出会って、やはり自分の故郷はこの朽ちかけたハイヴなのだと確信した。
元は一時的な避難用シェルターとして建設されたこのハイヴは、住民増加に伴って増改築が進められ、今ではハイヴで暮らす住人さえ詳細を把握している者は居ない。大凡、地上五十階地下二十階の多層ハニカム構造から〝
歩きながら、午兎は窓を見やる。かつて広報用の大型ホロディスプレイが填め込まれていた壁をくり抜き大きな硝子を填め込んだ窓からは、一面白い光景が広がっていた。
しんしんと降り積もる雪、そしてそれが降り積もる沙漠の大地さえ白。分解されず砂の混じった雪に埋もれた骸骨の群れが広がり、朽ちた文明の残骸が彼らの墓標のように白い大地へ無数に穿たれていた。
きっとこのハイヴも、やがて滅びに呑み込まれ墓標の一つになるのだろう。白い大地に白い髑髏。きっととても綺麗な光景だろうが、それは何処か現実味を欠いていた。
故に、何処か宙を歩いている気分になる。踏み締めている感覚がまるでなく、自分が今何処を歩いているか不鮮明。だからだろう。自分の故郷かどうかさえ、判別出来なくなるのは。
「入ります、
かつて自動扉であった重い引き戸を開け、午兎は大きな部屋に入る。現れたのは、教会の礼拝堂を思わせる荘厳な空間。此所だけは何故か白亜の部屋や廊下と違い、一切の白がなかった。
「よく帰ってきてくれた、エノク」
「リベカには会えたかね?」
「ええ。戻ってきて最初に会いました」
「それは良かった。彼女はお前をとても恋しがっていたから」
節と皺に塗れた両手で午兎に触れながら、
「彼女だけ、ですからね。僕ら
「そのような事はないよ、エノク。彼女はきちんと、日々の仕事を熟している。最近はこの第三十三ハイヴの地図製作に夢中で、未踏破のエリアを四つ発見した。一つは通信施設だったようで、コンピュータの中からまだ使えるCPUを何個も発見した。あちらでは量子コンピュータ用のCPUはまだ手に入らないから、凄い手柄だ」
「イサクが喜びそうだ」
エノクの言葉に、
長い月日と度重なる厄災が、人類のレジストリ深くまで刷り込まれていた神という存在を削除した結果、煌星の如く存在する宗教は全て潰えた。今では聖典や聖書の類は古典として人々に認識され、教養の一つとなっているが信仰している者はいない。
神は居ない。何故なら神は、乗り越えられる試練しか与えぬ慈悲深き方である筈だから。
厄災が吹き荒れる度、世界の終わりだと、神がお怒りになったのだと、終末論者達は声高らかに聴衆に語りかけた。しかしそれをまともに聞き入れ、滅びを受け入れた者は少ない。普段万物の霊長などと傲っているが、所詮は人類も系統樹に組み込まれた生命体の一つに過ぎない矮小な存在である。他の生物同様、己が生き残ることを第一条件と本能に刷り込まれており、自ら終末を望む者だと少数派であった。
何処までも意地汚く、何処までも滑稽に。そうした結果がこのハイヴであり、またそれを抑制する役割として
「あっちの世界は楽しいかい?」
「人が沢山居て、目が回ります。電車に人を積み込む感覚は、未だに慣れません」
「満員電車、というやつか。あれを体験出来るとは、羨ましいな」
「羨ましくありません、大変です。水も食料も十分なのに争いが絶えないのは、きっと満員電車が原因です」
「そうかそうか」
語る午兎の口調が余程おかしかったのか、
「楽しんでいるようで何よりだ。仕事ではあるが、あちらで十分に羽を伸ばしてくるといい。君達子供は遊ぶのも仕事の一つだ。本当ならばリベカも体験出来れば良かったが、仕方がない。適性がないのだから」
「きっと、それをリベカは望んでいませんよ。彼女は怖がっています。向こうの世界に行って堕落することを」
「堕落、か――――」
渋面で重く言葉を吐き出し、
沈黙が、礼拝堂を冷たく満たす。午兎は静寂を破るように、押し黙る
「彼女がそう考えるのも無理はありません。貴重な電力を消費してタイムマシンを動かしたにも関わらず、そこでの生活に慣れきって帰還を拒む人間が後を絶たない。そうした
「普通に生活し、やがて平凡に死ぬ世界に触れる事が誘惑とは、実に哀しい事だ。もしリベカが普通の暮らしを堕落と捉えているのならば、それは彼女の罪ではなく我々大人の罪だ」
柔和な貌に鬼が宿り、
「依頼していた仕事、首尾はどうだ?」
「滞りなく。命じられた通り、彼に関係する全ての人間を処分しました。何故彼が誘拐までして、資源や食料のように若い人間をハイヴに連れて来ていたかは未だに不明ですが」
「彼は、終末に抗っていた。あちらの世界で子供を作った事も、ハイヴへ人間を連れてきた事もその一環だろう。子供が生まれれば、我々人間は種を繋ぐ事が出来る。やり方が強引ではあったが、それも彼の切なる想いの現れだろう」
口調こそ沈痛な面持ちであったが、
「連れて来られた人間達は?」
「全員死んだよ」
「
「違うよ。彼らにとって、この世界は毒が多過ぎるのだ。耐性のない彼らは十分と保たない」静かに首を振って
「迷子・・・・・・ですか」
「もっとも、我々は迷う事はないがな。滅びまで、一本道だ」
それを
「君には引き続き、逃亡者の抹消を命じる。世界の総人口が一千を切り法が意味を為さなくなりつつあるが、だからといって大罪を見逃す理由はない。僅かに残った秩序を維持する為にも、逃亡者は決して生かしてはならないのだ」
「御意」
話は終わった、午兎はそう判断して踵を返す。
「・・・・・・エノク」
重い戸を両手で開く午兎を
「済まないと思っている。子供であるお前達に、こんな汚れ仕事を押し付ける
「構いませんよ、別に」振り返り、午兎は
頭を下げ、一礼。そのまま午兎は廊下へ出る。
「――帰ってきたようだな、エノク」
廊下に出た瞬間、後ろからよく通る声で呼び止められる。須臾、午兎の両手がじわりと汗ばんだ。
「
振り返ると、白いローブを身に纏った少年がそこに居た。イサクやリベカのように、歳は午兎と同じ。氷のような銀髪に、炎のように赤い双眼。二人が午兎へ友好的に接していたのに対し、眼前の少年の表情と言葉は何処か悪意を孕んでいた。
「・・・・・・何の用だ、エリア」
「別に。挨拶だよ、他意はない。丁度私もシアトルから帰ってきたのでね、何か気に障ったかい?」
「いや、特には。びっくりしただけだ。君が僕に話し掛けてくれるとは、思わなかったからさ」
午兎の言葉に、エリアは顔を僅かに硬直させる。
「いい気になるなよ、エノク。例え君が
「
予想外の言葉に、午兎は失笑した。
「そんなつもり、更々ないよ。それにもう、そんな時間は僕らに残されていない。それこそ、無駄な足掻きだ。いっそ、名乗ってみたらどうだい? 自分が真なる
「――――――――」
エリアは顔を紅潮させ、憤怒に身体を震わせる。それをつまらなげに見つめ、午兎は踵を返した。
「エノク!」
名を呼ばれ、午兎は歩みを止める。
「本当に君は、ただ終末に身を任せる気か? あの死に損ない共に弄ばれ、この死に満ちた大地で朽ち果てても構わないというのか!?」
エリアの言葉に午兎は振り返る事なく佇み、やがて緩慢に口を開いた。
「構わないよ。というか、実感がないんだ。今まで穏やかに死を迎える事しか考えていなかったから、それが続いていくなんてまるで想像が出来ない」
「そうか・・・・・・所詮、君は――」
後ろから、掠れたエリアの声が聞こえてくる。最後の方は全く聞き取れなかったが、構わず午兎は歩き出した。
廊下で歪に並ぶ窓の外、しんしんと降り積もる雪が白い大地を更に白く染め上げている。
それはまるで、世界から色が失われていく様であった。
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