一、『疑惑だらけの転入生』その4
胸が痛かった。
理由は分かっている。恋とかそういう甘酸っぱいものではない、もっと物理的なものだ。ズキズキ痛む胸に顔を
原因はあの男だ、柄野久 午兎。昨日、思い切り頭突きしやがったくせに
「胸、もう少しあったらクッションになったのかな・・・・・・?」
来良の戯れ言じみた妄言は、朗々と読み上げるクラスメイトの声によって掻き消される。自分の小さな胸がコンプレックスという訳ではないが、せめて平均程の大きさがあればこの災難を軽減出来たかもしれないと思うと少し悔しい。
理由はどうであれ、気になっている転入生と出会い頭に衝突するなんて、我ながら下らない少女漫画のようだと来良は思った。どうせなら食パンでも咥えていれば様になっただろうが、夕飯は既に自習室で済ませてしまっていた。ついでに言えば、遅刻したのはその前であってあの時ではない。
「急いでいたのは奴であって、わたしじゃあない」
午兎の背中を一瞥すると、来良はシャープペンシルを転がしてブレザーのポケットを
引き抜いたのは、ホストから手渡されたペンライト。柄野久 午兎の落とし物である。帰宅してから自室でこのペンライトを
まず、ライトが点灯しないのである。ボタンは数個在るものの、どれを何度押しても、レンズから光が照射されることはない。またゴテゴテとした外見に反して繋ぎ目が一切分からないのである。ライトであるならば、バッテリーの投入口かアダプターを接続する充電端子が存在する筈なのだが、どちらも見当たらない。現時点ではボタンの付いた、細長い金属棒。端的に言えば、ガラクタである。そんな使えない物を何故、彼は持っていたのだろうか。
「まさか本当にライトセイバーで、このレンズ壊したらカイバークリスタルが出てくるんじゃあないだろうな・・・・・・?」
矯めつ眇めつ銅色の金属棒を見つめ、来良は半眼で呟いた。
この落とし物のお陰で、柄野久 午兎という人間の正体が余計分からなくなった。路地裏で中年男性を平然と殺していた人間と、こんな玩具を持ち歩く人間。二つが水と油のように繋がらない。せめてこれが暗殺道具の一つであるならば、まだ納得がいくのだが。
「ん・・・・・・? 暗殺道具?」
ひょっとして、これ本当に武器なのではないだろうか? 007に出てくるQブランドのように、特定の順番でキーを叩くと本来の姿に変わるとか。
厭な予感が、脳裏を駆け巡る。そうだ、忘れていたが柄野久 午兎は正体不明の殺人犯なのだ。彼の華奢な身体と顔に騙されてはならない。あの時は銃で殺していたが、暗殺道具の一つや二つ持っていてもおかしくはない。それこそ、ジェームズ・ボンドのように。
「というか、本当にボンドみたいなエージェント? MI6とかCIAみたいな――」
独り言ちてから、来良は小刻みに首を横へ振る。高校生にしてエージェントなんて、まさに漫画の世界だ。物語だ。有り得ない。
しかし、と手にした金属棒に視線を落としながら東風瑞 来良は思考する。柄野久 午兎の性質上、これがヤバい
それこそ、殺人事件の目撃者など、眼ではない。何しろ、これから起こるであろう殺人事件の証拠を持っているのだ。もし彼がそれに気付いてしまったら、今度こそ確実に息の根を止められる。
グッバイ、人生。ハロー、ヤコブの梯子。
別に、断じて死にたかった訳ではない。そもそも東風瑞 来良は生まれてから一度たりとも自死を望んだ事はない。ただ少し、刺激的な世界をもう一度垣間見たかっただけなのだ。明日が昨日の繰り返し、みたいな日々に潤いが欲しかっただけなのだ。
「ヤバい、ヤバい、ヤバい・・・・・・・・・」
その辺に捨てるのは拙い、バレる。神社かお寺に行って納めてきた方が良いのだろうか。呪われている訳ではない、無駄だ。警察が妥当だろう。こういう時こそ、法の番人の出番。己安全を保証すべく、日々税金を払っているのだ。消費税だけだけれど。
しかし、この金属棒を警察に預けたとして、果たして何て言えばいいのだろうか。暗殺の道具なんです、殺人事件の犯人が持っていたんです。信じるか、普通? 少し大きなキーホルダーにしか見えない物を暗殺に使われそうなんですと言っても、本気にしてくれる人間は皆無だろう。よく知らせてくれたね、お嬢ちゃん。きっとパルパティーン陛下がお喜びになるよと笑われるならまだしも、ネットにアップロードする為の新手の悪戯かと勘ぐられ補導される危険性がある。畜生、やはり警察は頼りにならない。
「・・・・・・そもそも、本当にコレが暗殺道具なら警察機関にそれと分からないように偽装する仕掛けがあるよね、絶対」
警察機関も頼りに出来ず、廃棄は不可。かくなる上は、断る予定だった探偵のみ。
「でも探偵って、別にマンガじゃあるまいし事件を解決するのが仕事って訳じゃあないからな・・・・・・」
別料金取られそうだし。五千円超えたら、財布がデフォルトしてしまう。
「あの――」
「やっぱり、自分で持っていた方がいいよね。捨てるに捨てられないとか、とんでもない呪いのアイテムだよね、これは」
「
「へ――――」
いつの間にか、授業は終わっていた。見上げた先には、こちらを睥睨する柄野久 午兎の姿。
「大切な物なんだ。それ、返却してくれないかな」
「は――――――」
気付いた瞬間、東風瑞 来良は教室を飛び出していた。
拙い拙い拙い拙い拙い拙い、廊下は走るなという誰かの声を後ろに追いやって全速力で階段を駆け上る。馬鹿、何で上に行ったんだよ、絶対に下った方が良かったのに。校舎を飛び出してモノレールへ飛び乗った方がまだ逃げ場があっただろう。上に上に行った所で、結局は屋上で行き止まりだ。
「いや・・・・・・でも、外を上履きで走り回る勇気はわたしにはない」
死ぬか生きるかの瀬戸際で、そんな事を考えられる自分の胆力が素晴らしい。実は大物の器なんじゃないだろうか、来良は胸中で己を褒め称えた。
「――いきなり走り出すことは、ないだろう。越水さん」
屋上。今日は曇りで、二人の他には誰も居ない。目撃者皆無。その状況下、淡々とした口調で午兎は言った。
「僕にとって、とても大事な物なんだ。返してくれないかな。タダとは言わない、言い値で買い取るよ」
言い値って何だ、一万円と言ったら払ってくれるのか。後退りながら思考する来良を見つめながら、午兎は自分の学生鞄を開いて帯が巻かれた札束を取り出した。一つで東風瑞 来良が反応を示さなかった為、一つまた一つと札束の数を増やしていく。
「――――――――」
興味がない訳ではない、思考が停止したのだ。一体何処の世界に、女子高生に向けて札束を積み上げる男子高校生が存在するというのだ。
いや――、と来良は処理速度が落ち始めている重い脳を使いながら、考え直す。この男は、高校生にしてMI6かCIAのエージェント。この程度の金など、造作もないのだろう。ほらジェームズ・ボンドだって、ロレックス付けてアストンマーチン乗り回していたし。エージェント業界では普通の行為なのだ。
そもそも、と来良はさらに思考する。この積み上げられたお金は、果たして綺麗なお金なのだろうか。忘れてはならない、この男は殺人犯。殺しの報酬とか、何処かで強盗してきたものとか、或いは偽札なんじゃないか。
「ねぇ、聞いてるかい? 越水さん」
「東風瑞」
喉を鳴らし、大きく息を吸って来良はしっかりと午兎を見た。
「わたしの名前は、東風瑞 来良。よく間違えられるけれど、越水じゃあない」
「ああ、そうだったのか。発音が似ていたから、ついね。やっぱり難しいな、漢字は。ちょっと発音が違うだけで、別の意味になってしまう。済まないね、名前を間違えるのはやはり失礼だ」
「何の・・・・・・つもり? 柄野久君」
「返して欲しいだけ、だよ。君がその手に持っている、僕のトーチを。君が持っていても、ただのガラクタだろうから」
十に届く勢いで抱えた札束を地面へ落とし、来良へ向けて右手を差し出した。
「君が何を怯えているか知らないけれど、他は何もしない」
「嘘吐き」
手を払い除け、来良は言った。帯から逃げた福沢諭吉達が風に舞って、鉛色の空に消えていく。
「殺すでしょ、わたしを。殺し屋が、秘密を知ったわたしを放っておく訳がないじゃあない」
右手で金属棒を握ったまま、スカートのポケットに左手を押し込み、掠れた声で来良は言った。ポケットを満たす金属の冷たさに、触れた指先が僅かに冷える。
「殺し屋? 僕が?」
呆気にとられる柄野久 午兎。直ぐに合点がいったようで、彼は溜まらず失笑した。
「ああ、見てたんだ。でも僕は、殺し屋じゃあないよ。だから君に危害を加えるつもりもない」
「嘘、そうやって油断させておいて寝首を掻くつもりでしょ? このライトセイバーだって、爆弾か何かになっていて――」
「爆弾? 違う違う」
笑う。瞬間、来良の手から金属棒が消え、いつの間にか午兎の手中に収まっていた。
「これは、トーチ。設定した座標へ僕を導いてくれる、旅路を照らす松明だよ」
言うと、午兎は自分が〝トーチ〟と呼んだ金属棒のキーを操作する。来良がどれだけ押しても反応を示さなかったそれは、レンズから光を照射し宙空に幾つもの映像を映し出した。
「ホログラム・・・・・・え、ホログラム!?」
ちょっと待て、こんな風に何もない空中に映し出せるようなホログラムって今の技術で作れるのか? 物体に映像を投影するプロジェクションマッピングでさえ、セッティングが大変なのに。
それに、映し出された映像が何か分からない。ステータスのようなグラフと一緒に表示されている記号は、カタカナに似ているが何処かアルファベットじみていた。
「ひょっとして・・・・・・柄野久君は宇宙人?」
「君、面白いね」
来良は大真面目に問うたつもりなのだが、午兎に軽くあしらわれた。その仕草、非常に腹が立つ。
「違うよ。宇宙人なんて結局、人類が生きている間には出逢えなかったらしい」
ホログラムを寂しげに一瞥し、改まって午兎は来良へと向き直る。
「端的に言えば、僕は未来人というやつだ。今から大体一千年後の未来から、タイムマシンでこの時代へやってきた」
未来人?
タイムマシン?
何を言っているんだ、この男は。正体が殺し屋やエージェントだという方がよっぽど納得出来る。
しかし、このホログラムや見た事のない文字列のような記号群。これをまざまざと見せられたら、確かにうっかり信じてしまいそうになる自分も居た。
「でも一千年後って、そんな先まで文明が存在出来たの?」
「まあ、なんとかね。何度も戦争やら天災やら世界規模で色々起きていたようだけれど、しぶとく人類は残ったよ。まあ、それも一千年が限度だった」
午兎の含みを持たせたような言い方に、来良は小首を傾げる。風が吹き、彼の細い髪が揺れた。
「僕はね、終わろうとしている世界から来たんだ。きっとそう時を待たずして、僕が暮らす世界は終わる。人類は、滅びるんだ」
「もしかして、未来を変えるために柄野久君は――」
「違うよ」
首を横に振って、否定する。
「ついでに言っておくと、この時代が滅びのターニングポイントという訳でもない。僕らがこの時代を選んだのは、色々と都合が良かったからだ。結末を知っている僕らからすると、この辺りの時代は安定期だからね」
「じゃあ何で来たの? 観光?」
人を殺す観光なんて、聞いた事がない。
しかし一千年も先の未来、倫理観が変わっているのかもしれない。
「それも違う。しかし君、本当に発想が面白いね」
午兎は快活に笑うと、それから視線を落とし物哀しげな表情を見せた。シャツから覗く白磁のように滑らかな首筋に、思わず来良の心拍数が跳ね上がる。
来良は改めて、柄野久 午兎を見た。
耳が隠れるくらい伸ばした栗色の髪、薄く輝きを帯びた碧眼。滑らかに整えられた白い面は、こちらが嫉妬する程に美しい。身長は百六十センチある来良より、少し高い程度。それがあどけなさを残した貌やほっそりとしたなで肩の身体と相まって、彼を少女のように錯覚する。
確かに、この時代の人間とは思えない。というか、幾ら何でも日本人離れし過ぎである。たとえ整形したって、この美貌が手に入るかどうか分からない。
ならば、本当に未来人? そんな馬鹿な。
まじまじと自分を見つめる来良を一瞥し、午兎は徐に虚空を見上げた。彼を取り巻く無数のホログラムは、相変わらず意味の分からないグラフや文字列を吐き出している。
「僕がこの世界に来たのはね、僕らが穏やかに死ぬ為だよ」
今にも降り出しそうな空の上、遠雷がじんわりと響く。
それは終わりを告げる、七つの喇叭であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます