4-6

 それから二週間後、洋介と明日香の離婚届は役所で受理された。


 志貴と蓮華は明日香の元に残り、洋介は実家に戻った。

 洋介と明日香の離婚に伴い、志貴と蓮華は明日香の旧姓の「大山」の名字になった。


 大山志貴。

 それは違和感しかない名前だと、志貴は強く感じていた。


 警察署に羅奈が連れて行かれてからというもの、志貴はあまり外には出ず、学校も不登校になってしまった。


 あれから羅奈がどうなったのか、ずっと志貴は気になっていたが、それは蓮華が教えてくれた。


「今、羅奈ちゃんは自宅にいるそうよ。痛い目に遭ったせいか、羅奈ちゃんの両親、すっかり今は優しくなったみたいで……彼女、今は両親と打ち解けているみたい」


 それを聞いたとき、志貴は羅奈の幸せを純粋に喜べなかった。

 どころか、蓮華に八つ当たりをしてしまった。


「なんだよ、それ……うちは両親が離婚したのに、羅奈のほうはめでたしめでたし、かよ。ふざけんな、ふざけんな!」


 その日、志貴は初めて家の中で暴れた。

 壁を蹴破り、家具を壊し、それを止めてくる明日香と蓮華を突き飛ばし、二人に向かって暴言を吐き……それはもう散々だった。


 それ以来、明日香と蓮華は志貴を怖がるようになった。

 こんなはずでは、と志貴は暴れたことを後悔し、何度も二人に謝ろうとしたが、それはついに言葉になることはなかった。


 十二月三十一日の日曜日、大晦日。


 もうすぐ二〇二四年を迎えようというとき、志貴は自分の部屋のベッドで寝転び、マンガを読んでいた。


 次のページをめくろうとしたそのとき、家にエントランスのチャイム音が鳴り響く。

 どうせ誰かが出るだろうと、志貴はそれを無視してマンガを読み進めていた。


 それからしばらくして、二度目のチャイム音。

 これは玄関から鳴らされたチャイム音だった。

 これも志貴は無視し、構わずマンガに集中。


 だが、何やらリビングダイニングキッチンのほうが騒がしいことに気づき、そこでようやく志貴はマンガを置いた。


 志貴はリビングダイニングキッチンに向かった。

 リビングのソファには、コートを着た羅奈と幻冬と冬華が座っていた。

 突然の来客は、この三人のようだった。


 彼らは志貴の存在に気づくと、それぞれ顔を見合わした。


 志貴は動揺のあまり、キッチンのほうでお茶くみをしている白いセーターと灰色のタックスカート姿の蓮華に怒鳴った。


「おい、誰がこいつらを入れていいと言った? あいつらは、あいつらは……!」

「……仲間、ではないのかしら」


 蓮華は強気で言い返した。

 それを言われ、志貴は不意に三人への愛しさや寂しさが込み上げてきた。

 けれど、そんな感情はすぐに消し去る。


「そうだよ、過去にはおれの仲間だったさ。けど、あいつらはもうおれの知るあいつらじゃない。あいつらが仲間のはずがないんだ」

「そう? でも三人とも、志貴のことが心配でここに来たのよ」

「あいつらが……おれなんかのために心配を?」


 と、そのとき、誰かが志貴の肩を叩いた。

 直後、志貴はまた誰かから肩を叩かれ、さらに誰かから肩を叩かれる。


 志貴は涙交じりに、振り返った。

 それは羅奈。

 それは幻冬。

 それは冬華。

 志貴の目の前には、その三人がいた。


 幻冬は照れ臭そうに言った。


「おれはろくでもない作戦を考え、お前たちを傷つけた。お前一人が悪いわけじゃない。おれも悪い。

 ……すまなかったな、志貴。おれはすべての責任をお前に押しつけてしまった。本当に悪かった」


 冬華は目に涙をたたえながら、こう言った。


「やっぱさ、この四人が一番じゃん? だから結局、こうして集まるわけ」


 羅奈は天使のような笑顔になると、このように言った。


「このメンバーの誰かがつらいときこそ、ボクらは団結しなければいけない。だから今こそ、『えっち会』復活のとき……少なくとも、ボクはそう思うな」


 志貴の目に涙が浮かぶ。

 そして志貴はむせび泣いた。


 そんな志貴の背中を優しくさするのは、羅奈だった。

 それを見守るのは、幻冬と冬華と蓮華。


 しばらくのあいだ、志貴は泣いていたが、やがて泣き止んだ。

 その後、志貴たち五人は雑談を始めた。

 気づけば、志貴たちは二〇二四年を迎えていた。


 すると、不意に幻冬はこんなことを言い出した。


「おれたちはおれたちなりに、青春を卒業するべきではないだろうか」


 志貴は目を丸くした。


「それって、つまりはどういうことだよ」

「まあ、待て。そう焦るな。……島原教諭が前に言っていたこと、お前たちは覚えているか? おれたちが大人になるためには、まずは青春を卒業しなくてはダメだ、という言葉だ」


 蓮華を除き、全員がうなずく。


 幻冬は唇を舌で舐めると、「そうか、それなら話が早い」と話を続けた。


「そのとき、おれは島原教諭と同じ意見だった。だから、無理にでもおれは青春を卒業した。

 ところが、だ。羅奈が暴走してから、おれはとうとう目が覚めた。

 無理やりに青春を卒業したって、何もいいことはない。状況は悪くなるばかりで、何も得をしない。それどころか、おれは汚い大人になるばかりだ」


 そこでだ、と幻冬は人差し指を一本伸ばした。


「おれは考えた。そしたら、思った以上に早く結論は出た。

 ……おれたちはおれたちなりに、青春を卒業するべきなのだと、な。

 なぜって、こうしておれたちはまた四人集まることができた。ならば、たとえ青春を卒業しても、またこのように集まることができるはずだ。

 今や、おれたちは偽りの友情で一緒にいるわけではない。おれたちなら、青春を卒業しても……『えっち会』を卒業しても、またともにいることができるのではないか、そうおれは結論づけたのだよ。

 ……どうだろうか、お前たち」


 志貴はあっけにとられていたが、それもすぐに喜びへと変わった。


「幻冬、お前って奴は……最高だな。そういうお前の独特な考え方、おれは好きだぜ」

「ふっ、さすがはおれの盟友、志貴だな。おれの考えに共感を覚えたか」


 志貴と幻冬は不敵に笑い合う。


 と、そのとき、志貴と幻冬は冬華から肩を勢いよく叩かれた。


「痛いぞ、冬華……?」

「おれになんの恨みがある、冬華よ」


 志貴と幻冬がそれぞれ文句を言った直後のこと。

 冬華がしたように、羅奈も志貴と幻冬の肩を叩いた。


 もはや、痛がることしかできない志貴と幻冬。

 見ると、羅奈と冬華は目を輝かせていた。


「いいじゃん、それ。幻冬の考え、ウチも賛成だし。ウチらはズッ友だよっ!」

「うん、ボクもそう思うな。なんだかロマンチック。ボクらが青春を卒業して大人になっても、また一緒に集まることができる、か……いいね、それ」


 幻冬は満足そうにうなずく。


「島原教諭の言うとおり、おれたちは大人になるために青春を卒業する。だが、おれたちの辞書には定石の言葉はない。

 ……子どもから大人になるための第一歩は何か、それは青春を卒業すること、そう島原教諭は言ったな。

 だが、さらにおれはこんな言葉を追加する。

 ――青春を卒業した大人が手に入れるものは何か、それはともに青春をしてきた仲間との絆……お前たちも、そうは思わないか?」


 志貴は何度もうなずいた。

 見ると、羅奈や冬華や蓮華も幻冬の言葉にうなずいていた。

 そのとき、こんなことを蓮華は提案した。


「この県の南東部の半島、宇名田(うなだ)市には初日の出にもってこいの場所があるのよ。いわゆる地元民しか知らない穴場、ね。

 青春を卒業するというのなら、そこまで自転車で行って、そこで初日の出を見るのはどうかしら。海に近い場所だから、水平線から初日の出が浮かぶところを見られるのよ。

 もっとも、キレイな初日の出を見られる場所は、八百段以上の石段を登った先の尾見(おみ)神社という場所にあるのだけど……だからこそ、最高の卒業式になると思わないかしら」


 志貴たちは顔を見合わせる。

 そして、それぞれ志貴たちはうなずいた。


 そうとなれば、志貴たちが動くのは早かった。


 志貴と蓮華は家にある使い捨てカイロや手袋、懐中電灯やペットボトル飲料を探し出すと、それを卒業式に出るメンバーに配った。

 羅奈たち三人は、あらかじめ両親に連絡し、自分たち独自の卒業式があることを説明。


 すべての準備が整ったとき、それまで寝室で寝こんでいたらしい黒ニットとベージュのギャザースカート姿の明日香が、リビングダイニングキッチンに現れた。


「みんな、一体何事なの?」


 志貴は明日香の顔を見るなり、愛しさが込み上げ、気づけば明日香を抱きしめていた。

 涙を流しながら。


「志貴……?」

「暴れたりして、ごめん。お袋、こんなおれをここまで育ててきてくれて、ありがとう。ほんとにありがとな、お袋……!」


 言いたいことを言い終えると、志貴は明日香から離れ、羅奈たちのほうを振り返った。


「行くぞ、お前ら」


 すると、明日香が志貴たちの前に立ちはだかった。


「行くって、こんな時間にどこ行くのよ。い、行かせないわよ……子どもたちだけでは行かせない。

 だって、わたしは大人だもの。わたしは子どもたちを守る義務があるの……だから絶対に行かせない!」


 志貴は息を呑んだ。

 なぜって、志貴はここまで強気な明日香を見るのは初めてだったからだ。


 いつもオドオドとしていて、頼りない明日香。

 それが今、明日香は志貴たちを引き止めるために立ちはだかり、志貴たち子どもたちを守ろうとまで言っている。


 志貴が泣き出しかけた、そのとき――蓮華が明日香を抱きしめた。


 あっ、と志貴は声を出して驚いたが、一番驚いたのは明日香のようだった。

 明日香は目を丸くし、「れ、蓮華……?」と動揺したようにつぶやいた。


 蓮華は鼻をすすりながら、このように優しく言った。


「大丈夫。大丈夫よ、お母様……志貴たちは帰ってくる。必ず、大人になって帰ってくるから、大丈夫……!」


 感極まったのか、それからすぐに明日香は泣き出した。

 それに釣られ、蓮華も泣き出す。


 そのとき、幻冬が志貴に「今のうちだ、行くぞ」と耳打ちした。

 志貴はうなずき、それからすぐに羅奈と冬華に目で合図。

 それで志貴たち四人はそれぞれ荷物を持つと、リビングダイニングキッチンから出た。


 志貴は玄関の外に出るとき、後ろを振り返った。

 リビングダイニングキッチンからは、明日香と蓮華の泣き声がまだ聞こえる。


「……お母さん、お姉ちゃん。おれ、卒業式に行ってくるよ」


 志貴は明日香と蓮華に向けて力強くつぶやいてから、力強い一歩を踏み出し、家を出た。

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