4-5

 志貴はゆっくりと羅奈に近づいた。

 羅奈のいるすぐそばには、刃が剥き出しになったナイフがあった。

 けれど、それでも志貴は羅奈に近づく。


 一歩、二歩……三歩。

 四歩。

 至近距離。


 志貴が羅奈の名前を呼ぼうとした、そのとき――。


「きょうほどではないけど……志貴くんが泣きじゃくっていたあの日も、きょうみたいに冷える夜だったよね」


 羅奈はうずくまった状態のまま、そのように不意をつく形で言ってきた。


 驚いた志貴は身体をビクッとさせた。


 志貴が驚いている合間に、羅奈はうずくまるのをやめ、ユラリと立ち上がっていた。

 ナイフを持って。


 志貴と羅奈の視線が交差する。


 このとき、志貴は羅奈が病んだ目をしていることに気づき、息を呑んだ。

 羅奈の異変はそれだけではなく、返り血だろうか、彼女の両手は血まみれになっていた。

 それに志貴は羅奈が何も靴を履いていないことにも気づいた。


 変わり果てた羅奈の姿に、志貴は目を背けたくなった。


「なんの……用」


 羅奈は怖いくらいに無表情のまま、志貴たち三人に尋ねた。

 それに答えたのは冬華だった。


「羅奈の馬鹿! ……あんたを助けに来たに決まってるじゃん」


 だが――。


「……ボクを警察署にまで連れて行くつもり?」


 冬華の言葉を聞いていないのか、それとも無視しているのか、羅奈と冬華の話は噛み合わない。

 冬華は動揺したように怒鳴った。


「そ、そんなことするわけないじゃん、羅奈のアホ!」


 一方の羅奈は無表情のまま、不気味に志貴たちを眺めていた。

 が、次の瞬間、その羅奈が唐突に狂ったように笑い出す。


 思わず志貴は後退った。


 羅奈が笑い出すのを見た幻冬は「何がおかしい?」と彼女に詰め寄った。

 直後、羅奈は笑いながらナイフを幻冬に向け、威嚇。

 それで幻冬は何歩も後退る。

 遅れて、冬華は小さく悲鳴を上げた。


 羅奈はニタニタと笑いながら、このようなことを言った。


「……“わたし”ね、本当はみんなの嘘や隠し事に気づいていたんだ」

「お、おれたちの嘘や隠し事、だって?」


 志貴の心臓がドキンとなる。

 志貴が動揺するのを見ると、羅奈はまたもや狂ったような笑い声を上げてから、再び話し出す。


「そうだよ~? 始まりは志貴くんがついた嘘だったけど、やがてはみんなの隠し事となったんだよね。

 ――酷いなぁ、ボクに嘘をつくなんて、隠し事をするなんてさ。ほんっときみたちは……許せない」


 怒りを露わにする羅奈。


 羅奈が何を言っているのか、志貴には分かっていた。分かっていた。

 けれど、そんな現実を志貴は認めない。


 だから、志貴は羅奈に訊かずにいられなかった。


「お、おれがついた嘘って……なんだよ。いつ、おれたちがお前に隠し事をしたよ。だっておれたちは……仲間、だろ?」

「笑わせるな!」


 羅奈は怒声を上げ、今度は志貴に向けてナイフを向けた。

 もはや後退ることもできないほど、志貴は目の前の羅奈を恐れていた。


 羅奈は一気にまくし立てる。


「何が仲間だ、何が『おれ、お前のことが好きだ』だよ。全部、全部全部、全部全部全部、全部! 嘘だったじゃないか、この大嘘つき野郎!」


 志貴は膝から崩れ落ちた。

 けれど、羅奈の怒りは収まらない。

 しかも羅奈は自分が怒っていることに愉悦を感じているかのように、嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「それにさ、きみも馬鹿だよね、志貴くん。よく考えてみなよ……この“わたし”が嘘つきの志貴くんのことを好きになると、本気で思った?

 ――あははっ、馬鹿だよね、滑稽だよね。きみがさ、ボクの“嘘”にまんまと引っかかってくれて、本当によかったよ。

 ちなみに“わたし”の嘘は、“好きでもない志貴くんのことを好きと言うこと”、だね。よーし、復讐、大成功~」


 羅奈はナイフを弄びながら、そう言った。


 志貴は言葉を失った。


 これら真実を聞いた冬華は泣き出してしまい、何度も羅奈に謝るが、それを羅奈は「うるさい!」と一喝。

 それでさらに大声で泣く冬華。


 そんなとき、幻冬は震える声で言った。


「おれは悪くない……おれは悪くない。すべて志貴がやったことだ、おれは何ひとつ悪くない。全部、お前の……志貴のせいなんだ」


 志貴はハッとして立ち上がると、幻冬のほうに体を向ける。

 幻冬は放心とした様子で、志貴を見ていた。

 そんな幻冬は抑揚のない声で言った。


「すべてはお前が企んだことだ。おれと冬華は……巻きこまれた、だけ、だ」


 最後に幻冬は引きつった笑みを浮かべる。


 志貴はあっけにとられていたが、やがて幻冬の言葉を否定するため、何度もかぶりを振った。


「違う、違うぞ、幻冬……だってお前、お前、は……『青春乙女作戦』の実行犯だろ……? そんなこと、言うなよ。おれたちは共犯者、だ」


 幻冬も首を左右に振った。


「すまないな、志貴。おれは覚えていないんだ、あのときのこと、を」

「それ、嘘、だろ……?」


 またもや幻冬は首を横に振り、「覚えていないんだ」と覇気のない声で再び否定した。


 直後、志貴は幻冬に怒鳴った。


「ふざけるなよ、幻冬……ふざけるなって!」


 志貴は幻冬を突き飛ばす。

 幻冬は仰向きのまま、地面に倒れる。

 それでも志貴の怒りは収まらない。


「お前は『七三分けの大馬鹿野郎』なんだぞ……目を覚ませ、この馬鹿野郎!」

「それを演じていた……だけだ」


 幻冬はおもむろに立ち上がると、弱々しく笑った。

 そんな幻冬の情けない姿を見て、悲しくなった志貴は顔をクシャクシャにして泣き出す。


 それを見た羅奈は「あはっ、きみたちは面白い! いつ見ても最高だよ」と狂ったように笑い、それから彼女はこんなことも言った。


「というか結局、蓮華先輩は志貴くんに“本当のこと”を教えなかったんだね。うんうん、よっぽど蓮華先輩は志貴くんに本当のことを教えるのが嫌だったんだろうねー」


 直後、志貴はピタリと泣き止んだ。


「……本当のこと? ……なんだよ、それ」


 羅奈に訊く前から、志貴は嫌な予感が最高潮に達したが、それでも訊かずにはいられなかった。


「なんだよ、それ。姉貴が何を隠しているんだよ」


 羅奈はケタケタと笑う。

 そして志貴は悲しき真実を知る。


「知らないのー? ボクさ、きのう蓮華先輩と会ったんだ。それで話したの、あの人に。

 お宅の弟さんが“わたし”のことを好きだと偽って、ずっと騙していた、ってね。それでボクは復讐をしようと思っている、ってね」


 志貴の表情が硬くなる。


「……姉貴の奴、それでおれに羅奈に謝れって、忠告をした、のか。そうか、そういうことだった、のか」


 もう志貴は笑うしかなかった。


「そうか、『えっち会』は……もう終わってしまったんだな」


 そのときだった。

 複数の足音が聞こえたかと思えば、突然現れた五人の警察官があっという間に羅奈を囲んだのだ。


 あっけにとられる志貴。

 すると、一人の小太りの警察官が志貴を後ろに引きずった。


「な、なんだってばよ」

「危ないから、下がっていなさい」


 小太りの警察官はそう言うと、志貴の身を守るように立ち塞がった。

 見ると、幻冬や冬華も警察官によって後ろに引きずられ、やはり警察官によって守られていた。


 一方、警察官に囲まれた羅奈はケラケラと笑い、「何それ、最高で最悪……結局はボクが悪者なんだよね。そっか、そうなんだよね」と観念したかのようにナイフを地面に落とした。


 すかさず、羅奈の周りにいた警察官がナイフを回収。


 警察官の一人はいかにも優しげな口調で「浜崎羅奈さん、だね」と羅奈に話しかけた。

 羅奈はコクリとうなずき、「そう……ですけど」と反応した。

 このとき、羅奈は意気消沈とした様子で警察官と対話していた。


 やがて羅奈は事情聴取を受けるため、警察署にパトカーで向かうことになった。

 志貴たちも事情聴取のため、やはりパトカーで警察署に向かうことに。


 いつもの志貴なら、人生初めてのパトカーに乗ったことに興奮していただろうが、今は違う。


 羅奈、羅奈、羅奈。

 羅奈。

 それだけが頭を占めていた。


 志貴はパトカーに乗っているあいだ、同乗者の警察官に羅奈はどうなるのかと、訊いてみた。

 すると、このように警察官は言葉を返してきた。


「彼女は触法少年といって、まだ十四歳未満だから、罪に問われることはないよ。……まあ、安心しな」


 志貴は何も言わずにうなずいた。


 その後、警察署に着いた志貴と幻冬と冬華は、三人同じ部屋で事情聴取を受けた。

 事情聴取が終わると、志貴は警察官の運転するパトカーで自宅に帰った。


 自宅の食卓には全員が席についていた。

 何事かと志貴は家族全員に訊いてみた。


 すると、明日香は泣き始め、蓮華も嗚咽を漏らし始めた。

 そんな中、洋介は気まずそうに、けれどはっきりとした声で言った。


「おれと明日香は離婚することになった。蓮華と志貴は明日香と一緒に暮らせ。もちろん養育費は送る。もうおれには……家族なんてもんは必要ない」


 洋介は疲れ切った様子で、志貴に夫婦の離婚を打ち明けた。

 明日香の泣き声はさらに大きくなり、とうとう蓮華は大声で泣き出す。

 そんなありさまだった。

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