3-8

 志貴の部屋に入るなり、瞬は「なんですか、このきちんと整理整頓された部屋は……荒っぽい志貴さんの部屋とは思えませんね」と言って、当然のように部屋にあったゴミ箱をのぞきこみ、真剣な顔つきでゴミ箱の匂いを「クンクン」と言ってから嗅ぐ。


「……うん、臭くないです。パーフェクトですよ、志貴さん!」

「苦しみながら死ね」

「とまあ、死んでね」


 あうんの呼吸で、志貴と羅奈は瞬の額にデコピンした。


 瞬は額を押さえ、「い、痛い……」としばらくのあいだ、うずくまっていた。


 瞬がノックアウトしているあいだを狙って、志貴は先ほどから浮かない顔をしている羅奈に言葉をかけた。


「大丈夫だって、羅奈。姉貴とお袋、今は二人とも落ち着いてるからさ。だからな、パッといこうぜ」

「……うん、そうだよね。志貴くんがそう言うのなら、大丈夫だよね」


 羅奈はニコッと笑い、それまでの暗い顔つきとは決別したようだった。


 少しためらったが、志貴は羅奈の頭をなでた。


「そうそう、そうでなくっちゃな」


 そのとき、それまでうずくまっていた瞬が立ち上がった。


「酷いですね、二人とも。このぼくにデコピンをするなんて、なんという大罪。すべてのかわいい女の子が許しても、このぼくが許しませんよ。

 それになんですか、そのイチャイチャっぷりは……恋人がいないぼくへの当てつけですか、それ」

「いんや、違うな」

「だね。違うよ」


 瞬の被害妄想を否定する志貴と羅奈。


 瞬は志貴たちをあざ笑う。


「まあ、いいですよ。きみたちは好きなだけイチャイチャしていてください。

 え、ぼく? ぼくはきみたちに恨みを募らせ、やがてきみたちを……ふ、ふふ。

 さあて、このゲーム、最後に勝つのは誰でしょうかねぇ」


「少なくとも、お前は早々にゲームから退場するだろうな」

「ボクも同感かな。絶対、きみだけは勝者になれないと思う」


 嫌な笑い方をする瞬に、志貴と羅奈は言い返した。


 すると、急に瞬は真顔になったかと思えば、こんなことを羅奈に訊いた。


「そういえば、羅奈さんって、一人称が『ボク』なんですね。……ボクッ娘になった理由って、何かあるんですか?」

「あるはあるけど……なんでそんなこと訊くのかな。――ね、志貴くんもそう思うでしょう?」


 羅奈は不快そうな顔をすると、志貴に同意を求めた。

 が、志貴は瞬と同様に、羅奈がボクッ娘になった経緯を知りたかった。


 なので、志貴は手を合わせると、羅奈に頼んだ。


「すまん、羅奈。よければ、おれにも教えてくれないか……? お前がボクッ娘になった理由、おれも知りたいんだ」

「えぇ……?」


 羅奈は困惑したように眉をひそめたが、志貴の後押しのためか、ついに彼女は折れた。


 羅奈はそっぽを向いたまま、話し始めた。


「『ボク』っていう一人称はさ、なんだか優しそうじゃん。だからね、ボクはそれを使ってるの。うん、それに……」

「……それに?」


 志貴は話の続きを促した。


 羅奈は口を一文字に結ぶと、一度息をつく。

 それから彼女は志貴と瞬のほうに目を向け、言葉を継いだ。


「『わたし』とか『あたし』とか、そういう女性らしい一人称、ボクは大嫌いだから。

 女性が使うような一人称を自分で言ったりするの、ボクはすごく不快に感じるんだ。……ボクの両親のせいで、ね」


 羅奈の目がキッとなる。


「というと?」


 話の続きが気になるのか、瞬は羅奈を急かした。


 羅奈は目を伏せるが、すぐに視線を志貴たちに戻した。


「幼い頃から、ボクの一人称は『ボク』……でも、そのときから両親はボクの一人称を『わたし』やら『あたし』やらに変えようと、女性らしい一人称に変えようと、必死だった。

 でもね、ボクは両親の言いなりになりたくなかった。だってこの優しそうな一人称、ボクは好きだから、手放したくなかったから。

 両親から女性らしい一人称を強制されればされるほど、ボクはそれらの一人称が嫌いになった。

 両親も必死だっただろうけど、ボクも必死だった。

 結局、ボクは意地でもそれを守り通した。でも、でも……!」


 つらそうに自分の両腕を抱きしめる羅奈。


 もう話さなくていい、そう志貴が羅奈に言葉をかけるよりも前に、羅奈は堰を切ったように話し出した。


「ボクが自分の信念を守り通した結果、ボクは両親からの愛を失うことになった。

 ボクが『ボク』という一人称を使うたび、ボクは両親からビンタを受ける。だから両親がいるところでは、ボクは自分の一人称を使えない。

 ……不条理だよね、こんなの。少なくとも、ボクはそう思うな」


 羅奈は小さくしゃっくりすると、志貴と瞬に向かって弱々しくほほ笑んだ。


 羅奈の心からの叫び。

 それは志貴の胸を打った。


「なあ、羅奈。お前のどこを好きになったのか、おれは前に言ったけどさ……お前を好きになった理由、それとは別に追加してもいいか?」

「な、何かな」


 志貴と羅奈は見つめ合う。


 瞬は「おっとぉ? まさかの二度目の告白ですかぁ?」と二人をからかうが、そんなこと、志貴は意に介さなかった。


 志貴はまっすぐに羅奈を見すえながら、堂々と言った。


「お前の一人称が好きなだけじゃない……おれ、お前の優しいところも好きだ」


 羅奈は息を呑み、それから涙をにじませながら、ほほ笑んだ。


「志貴くん……そっか、そうなんだね。ありがと、志貴くんっ!」


 志貴はニッと笑い、「ああ」とうなずいた。


 そのとき、二人のイチャイチャっぷりに耐えかねたのか、不意に瞬が「うわあ……うわあ!」と悲鳴を上げた。


 志貴は瞬をにらみつけ、「うるさいぞ、瞬」と注意した。


 直後、このやり取りのどこがおかしかったのか、羅奈は笑い出した。

 それに釣られ、志貴や瞬も笑い出す。


 シリアスな雰囲気から脱した志貴たち。

 その後、三人は話が弾み、夕暮れ前まで話しこんでいた。

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