脱兎のごとく
瞬の言葉を聞いた志貴は、やはり顔をひきつらせた。
冬華は「だ、誰があんたなんかと付き合うかっての……このクズ!」とようやく怒りを露わにした。
しかし、どこまでも瞬はクズだった。
「まあまあ、そんなこと言わないでくださいよ。というか、そもそもぼくはあなたのこと、好きでもなんでもないんですからね」
「うっ……このクズ野郎め」
冬華は悔しそうに唇を噛み締め、拳を固く握った。
羅奈はあきれ果てているのか、目と口、ともに半開きだった。
幻冬は大馬鹿野郎らしく、クツクツと笑い、「瞬殿、あなたはなんてクズで愉快なのでしょうか」と瞬を褒め称えた。
そして、なおも瞬は話を続けた。
「よく聞いてください、みなさん。すべてのかわいい女性は、ぼくに屈服する必要があるんです。
ですから、冬華さん……諦めてぼくの彼女になってくださいよ」
瞬の暴論を聞いた冬華は、今にも泣きそうな顔になるが、それでも瞬に抗議する。
「そんなの嫌に決まってんじゃん! あんたなんて、あんたなんて……」
「あっ、失礼。ぼく、あなたの意見は聞いていませんから。
――ね、ね……あなたがぼくの彼女になったら、ぼくは授業が終わるたび、あなたの元へ向かいます。その場に誰がいようとも、ぼくらには関係のないことです。
そうです、そこでぼくとあなたはチュッチュッするんですよ」
冬華は手で口を覆うと、
「チュッチュッ……うっ、オエッ」
そう苦しそうにえずいた。
見ていられない、そう志貴はついに感じてしまった。
なので、志貴はおずおずと瞬に向かって言った。
「なあ、瞬。こんなにも冬華が嫌がっているんだし……ここはいったん引いたらどうだ?」
瞬は目を丸くし、それからニコリと笑った。
「それは無理ですよ。だって……」
「だって?」
「冬華さんが嫌がる反応、見世物としては最高に面白いじゃないですか。
それにですね、ぼくはアホ丸出しの彼女のこと、とても気に入っているんですよ。
そうです、ぼくは彼女を心から愛している……なら、ぼくらは付き合うべきなんですって。
そう、そしてぼくと彼女は一日に何回もチュッチュッする……うん、いい未来像ですね」
「ははっ……ははは」
瞬のクズっぷりに、もう志貴は笑うしかなかった。
志貴が笑い出すと、釣られたように幻冬も「ふははははは」と大声で笑い始めた。
そしたら、羅奈も「ふふふふふ」と破顔し、とうとう冬華も「キャハハハハハ」と今にも泣き出しそうな顔で笑い出して……ついには瞬も「あははははは」と笑い始める始末。
それからまもなくして、急に冬華はワンワンと泣き出した。
すると、瞬は脱兎のごとく、二組の教室から逃げ出した。
思わず志貴は感心。
「……さすがはクズだ。逃げ足も速いぜ」
「ふはっ。なんという愉快なお方だ……ぜひとも、我ら『えっち会』に加入させなくてはなりませんね」
幻冬は目を輝かせながら、そのように瞬を高評価した。
志貴は驚く。
「えっ、あいつを『えっち会』に入れるのか?」
「当然!」
「いや、それは……うーん、どうだろうな」
そのようなことを志貴と幻冬が会話していると、それまで冬華を慰めていた羅奈が「きみたちもさ、冬華を慰めてあげて!」と二人に向かって大声を上げた。
そのため、志貴と幻冬の二人は会話をやめ、冬華を慰めることに。
やがて冬華はピタリと泣き止んだ。
彼女はフラフラと歩き出し、教室中央の席に座ると、そのまま放心状態となる。
しばらくのあいだ、羅奈は心配そうに冬華を眺めていたが、不意に志貴と幻冬に目を向けると、
「二人とも、今こそ『えっち会』団結のときだよ。あのクズ少年の魔の手から……冬華を守ろう」
そう力強く言うのだった。
幻冬はきょとんとした顔になり、それから首を左右に振った。
「いやいや、羅奈嬢。瞬殿はですね、我ら『えっち会』にふさわしい男でして……ですので――」
「うっさいんだよ、このクズ二号! 少しは常識のある志貴くんを見習ったら? あーもう、きみと瞬くんには反吐が出るよ、ほんっと」
羅奈は幻冬にきつく言い放つと、あきれたようにため息をつき、教卓前の席に座った。
幻冬は肩をすくめると、「さあて、どうなることやら」と自分もまた廊下側の席に座り、机で頬杖をついた。
志貴はというと、
「……同感だな」
そう今さらながら幻冬の言葉に反応してから、ゆらゆらと窓側の席に座った。
それから数分後、志貴はいつものような虚無感に襲われ……たまらず机に突っ伏した。
そしてショートホームルームが始まるまで、志貴はそのままの状態でいた。
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