本物のクズ

 先ほどの決意が揺らいでしまいそうになるほど、外はうんざりとするような暑さだった。


 途中、持ってきた水筒で水分補給をしながら……時折ぼうっとしながら、志貴は滝灘中学校を目指し、歩き続けた。


 それで汗まみれになりながらも、志貴は中学校にたどり着く。


 ほかの生徒と同じように校門をくぐり、昇降口で靴から上履きに履き替え、階段を使って二階まで上る。


 そうして志貴は一年二組の教室に入った。

 もちろん、シャキッとしながら。


 大半の同級生はすでに登校しているようで、冷房が効いた教室内はいつものようにざわめいていた。

 その中には羅奈と幻冬と冬華の三人もいた。


 羅奈と冬華が履いている栗色のチェック柄プリーツスカートは二人ともお揃いだったが、羅奈は半袖のブラウスを着ていて、一方の冬華はブラウスの代わりに半袖ワイシャツとVネックニットベストを着ていた。


 幻冬のほうは志貴と同じ制服姿で、ワイシャツとスラックスという格好だった。


 志貴は自分の席の横にスクールバッグを置くと、教壇前にいる羅奈たちに「よう」と一声かけ、三人のそばに寄った。


 元気よく、志貴に挨拶する羅奈たち。


 するとそのとき、冬華がはしゃいだように「ねぇねぇ、あんたたち」と志貴たち三人に向かって言ってきた。


「もうすぐで夏休みだけどさ、あんたたちは夏休み、どこか行く予定でもあるの?」


 志貴たちに夏休みの予定を尋ねる冬華。


 嫌な話題だ、そう志貴は表情を暗くした。


 なぜなら、東堂家は一度も旅行をしていないからだ。


 チラリとほかのメンバーを見る志貴。

 すると、志貴のみならず、羅奈や幻冬も顔を曇らせていた。


 それを見て、志貴は驚く。


 羅奈が表情を陰らせた理由は、志貴にはなんとなく見当がついていた。

 きっと両親との不仲のせいで、羅奈は夏休みのあいだ、どこにも行く予定がないからだろう。


 そこまでは分かる。

 けれど志貴が分からないのは、あの幻冬が表情を曇らせた理由だった。


 途端に雰囲気が重くなったので、冬華は「やばっ。ウチ、何かやらかした……?」と不安の表情で志貴たちを見回した。


 するとそのとき、幻冬が「実は……なんですけども」とおもむろに口を開いた。


「最近、わたしは塾に通い始めましてね。そのため、夏休みはひたすら勉強に励んでいるつもりです。なので、夏休みは遊ぶ暇がほとんどないんですな、これが」

「えぇ!」

「嘘……てか、マジで?」


 羅奈と冬華は同時に驚いた。


 一方の志貴はというと、ギョッとし、思わず後ろに一歩下がってしまった。


 幻冬の言葉を聞いてもなお、志貴は確かめずにはいられなかった。


「いや、えっ、はあ? 『七三分けの大馬鹿野郎』のお前が……塾に通い始め、勉強に励んでいるから、夏休みは遊ぶ暇はない、だって?」

「ふはは……そうなんですよ、志貴殿。ふはっ」


 幻冬の声には覇気がないどころか、彼は悲しそうに笑っていた。

 志貴は涙が出そうになるのをこらえ、「なんで、だよ……お前らしく、ないぞ」と幻冬の両肩をつかんだ。


 幻冬は悔しそうに顔をそらし、「……さすがのわたしも、両親の意向には何度も逆らえませんよ」と唇を噛み締めた。


 志貴は幻冬の両肩を揺らした。


「だってお前……こないだまで、おれたちは自由のまま生きる、そう言っていたじゃんか」


 幻冬は力なく笑い、「それはそれ。これはこれですよ、志貴殿」と志貴の手を振りほどいた。


 それで志貴は何も言えなくなってしまった。


 冬華は何度か咳払いをしてから、「そういやさ」と話を切り出す。


「一年一組にいる村田瞬(むらた・しゅん)っていう男子、あんたたちは知ってる? 女子たちからは『本物のクズ』と呼ばれているヤバい奴なんだけどさ」

「奴の顔は知らないけど……一応、知ってるぞ」

「同じくです」

「同じくだよ」


 志貴たち三人はうなずく。


 冬華は安堵したようにため息をつき、「よかったぁ……それなら話が早いし」と涙目になりながら、このようなことを志貴たちに話した。


「きょうの話なんだけど、ウチが昇降口で上履きに履き替えたとき、その瞬って奴に絡まれそうになってさ。

 まあ、なんとか逃げ切ったけど……けどけど! どうやらウチ、瞬に目をつけられているらしいんだってば。

 だからさ、この教室に瞬が来たら、あんたたちは『冬華は危篤のため、学校にはいない』っていうことを、あいつに向かって言ってほしいの。……ね、できるよね?」


 真っ先にうなずいたのは、幻冬だった。


「ふはっ。わたしたちにできないことなんて、あるわけがありません」

「キャハッ。奴隷一号ってば、いいこと言うじゃん~」


 幻冬と冬華は肘タッチし、二人して盛り上がる。


 そのとき、羅奈が「ちなみに訊くけどさ、どうやって逃げ切ったのかな」と冬華に訊いた。


 羅奈に引き続き、志貴も「顔は? 冬華の顔は瞬に覚えられていないんだよな。それだったら、この場に冬華がいても、なんとかでっち上げることはできそうだけども……どうなんだ?」と冬華に訊く。


 そしたら、冬華は「キャハハ」と笑った。


「ウチに抜かりはないってば、二人とも。

 実際、あいつに顔は見られているけど……でも大丈夫っ!

 ウチの付近にいた女子を冬華二号に仕立て上げて、それで逃げ切ったから大丈夫。

 冬華二号のほうもね、涙が出るくらいに喜びながら、冬華二号役を引き受けてくれたし、やっぱり大丈夫。問題な~し」


「おいおい……冬華。冬華二号が冬華の正体を瞬に教えた場合、それだとすべて意味がなくなるじゃねえか」

「それな。まあ、それはそのときになったら考えようっと。

 ……もっとも、ウチの正体を瞬にバラした冬華二号は、あとでウチがボコボコにするけどね。キャハッ」


「ワア、コワイヨ!」

「そうだよ、ウチはコワインダヨ?」


 そのように志貴と冬華が盛り上がっていた、ちょうどそのとき。


 志貴たちの背後から「あのう、みなさん」という少年の高い声が聞こえてきた。


 志貴が後ろを振り返ると、そこにはワイシャツとスラックス姿の低身長の少年が立っていた。


 マッシュヘアの少年はつぶらな瞳をしていて、そんな彼はニコニコとほほ笑みながら、志貴たちを眺めていた。


 もちろん、彼はこの一年二組の生徒ではないし、ましてや志貴の友達でもない。


 だとすると――。


「……お前、村田瞬か」


 そう志貴が言うと、少年――瞬は目をキラキラとさせながら、「はい!」と元気よく返事した。


 それを聞いて、小さく悲鳴を上げる冬華。


 ほかの二人の反応が気になった志貴は、羅奈と幻冬を少しだけ見た。


 羅奈は引いたように顔を引きつらせていた。

 幻冬は満面の笑みを浮かべながら、瞬のように目をキラキラとさせていた。


「本物のクズ」こと、村田瞬……ここに参上。

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