2-6

 広々としたリビングでは、幻冬と冬華がコの字のソファに座り、何やらおかしげな会話を繰り広げていた。


「ねぇ、奴隷一号? どうしてここはイカ臭い匂いがするの? 臭いし、吐き気がするんだけど」

「あっはは、それはあなたが高貴な女性で美しいからですよ」


「キャハハ……失せろ、変態二号が。今すぐ、ウチにキンキンに冷えたレモンティーを持ってこい」

「ふはは! キンキンに冷えたコーラならありますがね。……いかがなさいますか?」


「じゃあ、今すぐキンキンに冷えたコーラをここに持ってこい。

 ――あ、もちろんコーラは未開封のままね。で、中身が噴き出したりなんてことがあったら、あんた、星屑になって消えるからね。

 そこのところ、ちゃんと理解してる?」

「……なるほど、キンキンに冷えたレモンティーですね。ただいま、自販機で買ってきますので、少々お待ちを」


 幻冬は慌ただしくリビングから出て行った。


 するとそのとき、冬華が志貴と羅奈のほうに目を向け、ニヤリと笑う。


「あっれ~? イチャイチャしてるじゃん、あんたたち。いつの間にか、そんな仲~? やばーい、いやらしいー」


 志貴は言い返した。


「あっれ~? 独りぼっちじゃん、お前。いつの間にか、独りぼっち~? やばーい、寂しいー」

「や、やめたほうがいいと思うよ、志貴くん……」


 羅奈は冬華の顔色を窺いながら、志貴に警告した。


 冬華は笑顔を引っこめると、仏頂面になり、プイと横を向いた。


 あはは、と羅奈は苦笑いを浮かべると、さりげなく志貴の手を離した。


 好きな人の手が離れたことで、志貴は心の一部が切り離されるような感情を抱いた。


 羅奈は冬華とは一番離れた席に座った。

 もちろん、志貴は羅奈の隣に座った。


「…………」

「…………」

「…………」


 静まり返る。


 かと思えば、遠くのほうから幻冬が館から出て行く物音がした。


 幻冬が一時的にこの場からいなくなったこと、それは志貴にとって不安の材料となった。


 そう、幻冬が館から出て行ったことで、急に志貴は心細くなったのだ。


 早く戻ってこい、そう志貴は念じずにはいられなかった。


 と、そのとき、冬華は「あのさ、羅奈」と今度はまじめな口調になって、羅奈に話しかけた。


「あんたはさ、こいつのどこを……志貴のどこを好きになったの? 意味分かんないんだけど、マジで。いや、ガチで。マジ意味分かんない」


 志貴は羅奈をチラリと見て、さらにもう一度、チラリと見る。


 すると羅奈は、

「人を好きになるのに、理由がいるわけ?」

 と若干怒ったような口調で言い返した。


 冬華は言いよどむ。


「そ、それはまあ、そうだけど……」

「でしょう? 冬華が納得できたのなら、よかったよ。ボクからは以上だから」

「でも、こいつは……!」


 やめろ、言うな、と志貴は青ざめながら、冬華をにらみつけた。


 それと同じタイミングで、羅奈は「つまりね、冬華」と言葉を継いだ。


「ボクは志貴くんを選んで後悔していないわけなんだって。だからさ、志貴くんを敵視しないであげて。

 志貴くんを憎んだり恨んだりするのは、冬華じゃない……交際相手のボクがするべきこと。……それでいいよね、冬華」


 冬華は志貴を一瞥してから、じっと羅奈を見つめる。


 やがて冬華は、

「……少しだけど、今度こそ分かった。あんたの気持ちはね」

 とやはりまだ納得できていないみたいで、そのようなひねくれた言い方をした。


 はあ、と羅奈はため息をつく。


「頑固者だね、冬華は」


 そう羅奈は微笑を浮かべた。


 そのとき、館の玄関のほうから騒々しい足音が近づいてきた。


 志貴は足音に違和感を覚えた。


「あれ、スリッパではあそこまでの足音はしないはずなんだが……幻冬の奴、まさか靴のまま入ってきたのか? この館は確か……」


 土足厳禁、と志貴が言いかけたとき、乱暴にリビングの扉が開かれた。


 ホールから入ってきたのは、息を切らした汗だくの幻冬だった。


「うおおぉ……お待たせしました、冬華嬢……約束の品、キンキンに冷えたレモンティーを持ってきましたよぅ」


 一歩、また一歩、さらに一歩……幻冬は冬華のいる場所にゆらりゆらりと近づいてくる。


「……こっわ。きっも」


 そう不快そうに言いながらも、冬華は幻冬から“キンキンに冷えた”レモンティーの五〇〇ミリペットボトルを受け取った。

 汚いものを受け取るかのような表情で。


 一息つく幻冬。


 しかし――。


「あれ、ボクと志貴くんと幻冬くんの分は?」

「……はい?」


 羅奈の言葉を聞いた幻冬は、即座に顔が引きつる。


 もちろん、幻冬は一本のペットボトルを持ってきただけだ。


 志貴は吹き出すと、幻冬に向かって顎をしゃくった。


「ほら、行ってこいよ。今度はちゃんと三本買うんだぞ……?」


 幻冬は呆然としたように突っ立っていたが、やがて吹っ切れでもしたのだろう、彼はかっこつけたように「ふっ……はっ!」と猛ダッシュでリビングから出て行った。


 幻冬を見送った志貴は、ポツリと言葉を漏らす。


「……幻冬、あいつはいい奴だった」

「いや、死んでないし!」


 冬華のツッコミに、志貴は大笑いした。


「ああ、まったくだ」

「まったくだよ、志貴くん」


 羅奈はそう言うと、カラカラと笑った。


 幻冬が館に戻るまで、志貴たちは幻冬の話で盛り上がるのだった。

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