楽しい食卓
時刻は午後一時過ぎ。
羅奈が昼食に作った料理――それはナポリタンとカレーコールスローだった。
志貴、羅奈、冬華――全員が食卓につくと、志貴は「いただきます」と手を合わせてから、まずはナポリタンを口にした。
どうやらナポリタンには、クミンというスパイスが入っているようで、食べたとき、それはほどよい辛さとほろ苦い味が口の中に広がった。
志貴にとっては、これは新鮮なナポリタンだった。
「どれ、カレーコールスローも……むむっ」
カレー風味のコールスローなんて食べたことがなかった志貴は、思わずうなった。
そして、
「なかなかにパンチが効いたコールスローだな。うまいぜ、羅奈。
ナポリタンを食べたときなんて、椅子から立ち上がりかけたぞ、まったく」
と羅奈の料理を褒めた。
羅奈はニコリとほほ笑み、「どういたしまして」と嬉しそうに言葉を返した。
冬華は羅奈に向かって親指を突き出し、「うまし!」と志貴同様に羅奈の料理を褒める。
えへへ、と羅奈は笑った。
と、そのとき――。
「あら、おいしそうに食べているじゃない、あなたたち」
「あっ、蓮華先輩。――今、蓮華先輩の分も用意しますね」
「ありがとう」
いつもとは違う穏やかな表情をした蓮華がダイニングに現れ、すかさず羅奈は椅子から立ち上がり、蓮華の昼食を用意し始めた。
この日の蓮華は、黒いTシャツとベージュのティアードスカートを着こなしていた。
蓮華は冬華の姿を認めると、和やかにほほ笑んだ。
「羅奈ちゃんも冬華ちゃんも……昼食を作りに来てくれて、本当にありがとう。助かったわ。おかげで勉強も一区切りついたのよ」
「あっ、姉貴……それがさ、冬華の奴は料理をつくっ――」
食卓の下で冬華が志貴の足を蹴る。
それにより、志貴は痛みでもだえることになった。
きょとんとする蓮華に、冬華は「よかったじゃん、蓮華先輩。てか、やっぱりさ、料理って楽しいし。そうウチは思うな」とタメ口で返事をした。
それを聞いていた羅奈は苦笑し、「うんうん。それにですね、“ボクたち”も作った甲斐がありましたよ」とガッツポーズをしてみせる。
志貴は羅奈のガッツポーズを見て、かわいいと思わざるを得なかった。
蓮華はクスクス笑うと、「それならよかったわ」と志貴には絶対に見せないような笑い方をした。
羅奈は蓮華の分の昼食を食卓に並べ、「どうぞ、蓮華先輩」と蓮華に笑ってみせる。
「ありがとう。とってもおいしそうね」
蓮華は羅奈の顔を見ながら、そう言い、まずはナポリタンを一口食べた。
そして――。
「おいしい!」
そう喜びの声を上げた。
それを合図にし、志貴たちも再び食事を食べ始めた。
こんなにもおいしくて楽しい家での食事は、いつ以来か。
そのように志貴は食べながら思った。
いつもの東堂家の食事は、もっと殺伐としていて、おいしさを感じるゆとりもなかった。
いつも家族に冷たく当たる洋介のせいで、マイナス思考ばかりで頼りない明日香のせいで、高校受験のためにいつもピリピリとしている蓮華のせいで――志貴は家での食事のおいしさと楽しさを忘れていた。
時間よ、止まれ。
そう志貴は心の中で強く思ったが、食事というものはいつか食べ終わるもの。
十分後には、志貴は料理をキレイに平らげていた。
「ごちそうさまでした」
そう志貴は心を込めて言うと、椅子から立ち上がり、自分が使った食器を流し台まで持って行った。
そのとき、まだ食卓で食事を食べていた羅奈が「あっ、志貴くん」と声を上げた。
「片付けは“ボクら”がするよ。……そうだよね、と・う・か?」
「うっ……はい、羅奈様」
羅奈の脅すような口調に、冬華は縮こまりながら、うなずいた。
ちなみに言えば、志貴は食器を洗う気など、さらさらなかった。
志貴にできることは、元気いっぱいに「おう」と返事をすること、それだけだった。
志貴は流し台から離れると、ソファに座り、そこでしばらくのあいだ、考え事をしていた。
どうすれば、自分たちは幸せになれるのか。
やはり、羅奈には嘘をついたことを正直に述べるべきか。
けれど、それでは志貴は羅奈に嫌われるだろう。
そしてやはり、羅奈の親友、冬華も志貴を責め立てるだろう。
幻冬でさえ、冬華に「ダークレモネード作戦」を打ち明けてしまった志貴を許さないだろう。
……ではどうすれば?
どうすれば、志貴たちは幸せになれるのか。
「分からん」
志貴はソファに寝転び、目を閉じた。
それで不思議と心は落ち着いた。
やがて、志貴を呼ぶ声がした。
それは羅奈だった。
「ん、あぁ……羅奈か。どうした?」
「ごめんね、寝ているのに起こしちゃって」
「え、おれ……寝ていたのか」
「うん、ぐっすりとね」
寝ていた自覚は、志貴にはない。
けれど、羅奈が言うのなら、それは本当のことなのだろう。
リビングダイニングキッチンの壁時計を見ると、時刻は午後二時半を回っていた。
志貴は寝転ぶのをやめ、ソファに座り直した。
「で、用はなんだ? まさか、もう帰るのかよ」
「それがね、冬華がさ、志貴くんと幻冬くんが入り浸っている、例の“部室”に行きたいんだって。だからボクら、志貴くんと一緒に部室に行きたいんだけど……ダメかな?」
「部室だって?」
志貴は驚き、思わず冬華の姿を探した。
冬華はというと、食卓で蓮華とおしゃべりをしていた。
「……ダメ、かな?」
再び羅奈が訊いてくる。
「いや、ダメではないんだけどな……」
志貴は言いよどむ。
なぜかと言えば――。
「部室の鍵は幻冬が持っているんだ。だから、さ。幻冬も呼ばないといけないな、部室に行くには。
――おーい、冬華。部室の鍵は幻冬が持っているから、奴も呼んでいいか? というか、あいつを呼ばないと部室には入れないぜ」
途中、志貴は話の相手を羅奈から冬華に移した。
すると、冬華は両手で丸を作ると、
「丸~」
と間が抜けた返事をした。
志貴は羅奈のほうを見てから、「と、いうわけだ」と真顔で言った。
羅奈はコクリとうなずく。
「分かった。じゃあじゃあ、じゃあさ……志貴くんは幻冬くんに連絡して。ボクたちは彼の連絡先、知らないからね。だから頼んだよ」
「おう、任された」
志貴は胸を叩き、ニッと笑った。
羅奈が目の前からいなくなると、志貴はデニムパンツのポケットからスマートフォンを出しながら、心の中で舌打ちした。
なぜ冬華が急に部室――つまりは王鳴館に行きたいと言い出したのか?
それは幻冬に会うためだ。
早々に冬華は志貴と幻冬とともに話し合いを行い、それで決着をつけたいのだろう。
それにしても、羅奈と冬華が部室のことを知っていたのは、まさに想定外。
冬華に至っては、鍵の所有者を知っていた可能性すらある。
さて、どうしよう、そう志貴は心の中でうなりながら、幻冬に電話をかけた。
志貴から事情を聞いた幻冬は「なんですと?」と声からして驚いていた。
が、やがて状況を飲みこんだのだろう、幻冬は「なるほど、『ダークレモネード作戦』も佳境に入った、というわけですね。分かりました、部室の前で落ち合いましょう。グッバイ!」と叫ぶなり、すぐに電話を切った。
「……ふっ」
志貴は笑みを浮かべながら、リビングダイニングキッチンの天井を見上げる。
賽は投げられた。
賽は……投げられたのだ。
「へへっ、どうにでもなれってんだ」
誰にも聞こえない声で志貴はつぶやくと、部室――王鳴館に行くための支度をするのだった。
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