2-3

 時刻は午後一時過ぎ。


 羅奈が昼食に作った料理――それはナポリタンとカレーコールスローだった。


 志貴、羅奈、冬華――全員が食卓につくと、志貴は「いただきます」と手を合わせてから、まずはナポリタンを口にした。


 どうやらナポリタンには、クミンというスパイスが入っているようで、食べたとき、それはほどよい辛さとほろ苦い味が口の中に広がった。


 志貴にとっては、これは新鮮なナポリタンだった。


「どれ、カレーコールスローも……むむっ」


 カレー風味のコールスローなんて食べたことがなかった志貴は、思わずうなった。


 そして、

「なかなかにパンチが効いたコールスローだな。うまいぜ、羅奈。

 ナポリタンを食べたときなんて、椅子から立ち上がりかけたぞ、まったく」

 と羅奈の料理を褒めた。


 羅奈はニコリとほほ笑み、「どういたしまして」と嬉しそうに言葉を返した。


 冬華は羅奈に向かって親指を突き出し、「うまし!」と志貴同様に羅奈の料理を褒める。


 えへへ、と羅奈は笑った。


 と、そのとき――。


「あら、おいしそうに食べているじゃない、あなたたち」

「あっ、蓮華先輩。――今、蓮華先輩の分も用意しますね」

「ありがとう」


 いつもとは違う穏やかな表情をした蓮華がダイニングに現れ、すかさず羅奈は椅子から立ち上がり、蓮華の昼食を用意し始めた。


 この日の蓮華は、黒いTシャツとベージュのティアードスカートを着こなしていた。


 蓮華は冬華の姿を認めると、和やかにほほ笑んだ。


「羅奈ちゃんも冬華ちゃんも……昼食を作りに来てくれて、本当にありがとう。助かったわ。おかげで勉強も一区切りついたのよ」

「あっ、姉貴……それがさ、冬華の奴は料理をつくっ――」


 食卓の下で冬華が志貴の足を蹴る。


 それにより、志貴は痛みでもだえることになった。


 きょとんとする蓮華に、冬華は「よかったじゃん、蓮華先輩。てか、やっぱりさ、料理って楽しいし。そうウチは思うな」とタメ口で返事をした。


 それを聞いていた羅奈は苦笑し、「うんうん。それにですね、“ボクたち”も作った甲斐がありましたよ」とガッツポーズをしてみせる。


 志貴は羅奈のガッツポーズを見て、かわいいと思わざるを得なかった。


 蓮華はクスクス笑うと、「それならよかったわ」と志貴には絶対に見せないような笑い方をした。


 羅奈は蓮華の分の昼食を食卓に並べ、「どうぞ、蓮華先輩」と蓮華に笑ってみせる。


「ありがとう。とってもおいしそうね」


 蓮華は羅奈の顔を見ながら、そう言い、まずはナポリタンを一口食べた。


 そして――。


「おいしい!」


 そう喜びの声を上げた。


 それを合図にし、志貴たちも再び食事を食べ始めた。


 こんなにもおいしくて楽しい家での食事は、いつ以来か。


 そのように志貴は食べながら思った。


 いつもの東堂家の食事は、もっと殺伐としていて、おいしさを感じるゆとりもなかった。


 いつも家族に冷たく当たる洋介のせいで、マイナス思考ばかりで頼りない明日香のせいで、高校受験のためにいつもピリピリとしている蓮華のせいで――志貴は家での食事のおいしさと楽しさを忘れていた。


 時間よ、止まれ。


 そう志貴は心の中で強く思ったが、食事というものはいつか食べ終わるもの。


 十分後には、志貴は料理をキレイに平らげていた。


「ごちそうさまでした」


 そう志貴は心を込めて言うと、椅子から立ち上がり、自分が使った食器を流し台まで持って行った。


 そのとき、まだ食卓で食事を食べていた羅奈が「あっ、志貴くん」と声を上げた。


「片付けは“ボクら”がするよ。……そうだよね、と・う・か?」

「うっ……はい、羅奈様」


 羅奈の脅すような口調に、冬華は縮こまりながら、うなずいた。


 ちなみに言えば、志貴は食器を洗う気など、さらさらなかった。


 志貴にできることは、元気いっぱいに「おう」と返事をすること、それだけだった。


 志貴は流し台から離れると、ソファに座り、そこでしばらくのあいだ、考え事をしていた。


 どうすれば、自分たちは幸せになれるのか。


 やはり、羅奈には嘘をついたことを正直に述べるべきか。


 けれど、それでは志貴は羅奈に嫌われるだろう。


 そしてやはり、羅奈の親友、冬華も志貴を責め立てるだろう。


 幻冬でさえ、冬華に「ダークレモネード作戦」を打ち明けてしまった志貴を許さないだろう。


 ……ではどうすれば?


 どうすれば、志貴たちは幸せになれるのか。


「分からん」


 志貴はソファに寝転び、目を閉じた。

 それで不思議と心は落ち着いた。


 やがて、志貴を呼ぶ声がした。

 それは羅奈だった。


「ん、あぁ……羅奈か。どうした?」

「ごめんね、寝ているのに起こしちゃって」

「え、おれ……寝ていたのか」

「うん、ぐっすりとね」


 寝ていた自覚は、志貴にはない。


 けれど、羅奈が言うのなら、それは本当のことなのだろう。


 リビングダイニングキッチンの壁時計を見ると、時刻は午後二時半を回っていた。


 志貴は寝転ぶのをやめ、ソファに座り直した。


「で、用はなんだ? まさか、もう帰るのかよ」

「それがね、冬華がさ、志貴くんと幻冬くんが入り浸っている、例の“部室”に行きたいんだって。だからボクら、志貴くんと一緒に部室に行きたいんだけど……ダメかな?」

「部室だって?」


 志貴は驚き、思わず冬華の姿を探した。


 冬華はというと、食卓で蓮華とおしゃべりをしていた。


「……ダメ、かな?」


 再び羅奈が訊いてくる。


「いや、ダメではないんだけどな……」


 志貴は言いよどむ。


 なぜかと言えば――。


「部室の鍵は幻冬が持っているんだ。だから、さ。幻冬も呼ばないといけないな、部室に行くには。

 ――おーい、冬華。部室の鍵は幻冬が持っているから、奴も呼んでいいか? というか、あいつを呼ばないと部室には入れないぜ」


 途中、志貴は話の相手を羅奈から冬華に移した。


 すると、冬華は両手で丸を作ると、

「丸~」

 と間が抜けた返事をした。


 志貴は羅奈のほうを見てから、「と、いうわけだ」と真顔で言った。


 羅奈はコクリとうなずく。


「分かった。じゃあじゃあ、じゃあさ……志貴くんは幻冬くんに連絡して。ボクたちは彼の連絡先、知らないからね。だから頼んだよ」

「おう、任された」


 志貴は胸を叩き、ニッと笑った。


 羅奈が目の前からいなくなると、志貴はデニムパンツのポケットからスマートフォンを出しながら、心の中で舌打ちした。


 なぜ冬華が急に部室――つまりは王鳴館に行きたいと言い出したのか?

 それは幻冬に会うためだ。

 早々に冬華は志貴と幻冬とともに話し合いを行い、それで決着をつけたいのだろう。


 それにしても、羅奈と冬華が部室のことを知っていたのは、まさに想定外。

 冬華に至っては、鍵の所有者を知っていた可能性すらある。


 さて、どうしよう、そう志貴は心の中でうなりながら、幻冬に電話をかけた。


 志貴から事情を聞いた幻冬は「なんですと?」と声からして驚いていた。

 が、やがて状況を飲みこんだのだろう、幻冬は「なるほど、『ダークレモネード作戦』も佳境に入った、というわけですね。分かりました、部室の前で落ち合いましょう。グッバイ!」と叫ぶなり、すぐに電話を切った。


「……ふっ」


 志貴は笑みを浮かべながら、リビングダイニングキッチンの天井を見上げる。


 賽は投げられた。

 賽は……投げられたのだ。


「へへっ、どうにでもなれってんだ」


 誰にも聞こえない声で志貴はつぶやくと、部室――王鳴館に行くための支度をするのだった。

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