1-11

 志貴は羅奈とともに「トールハウス滝灘」のエントランスまで来たはいいが、重厚なオートロックのドアとインターホンを前にして、いよいよ怖気付いた。


 鍵は家の玄関に落としてしまった。

 なので、志貴にはインターホンを押すしか、ほかに道はない。

 それはつまり、家の中にいる家族の助けなしでは、志貴は家の中に入れない、ということを意味する。


 さあ、どうする、と志貴は眼前のオートロックのドアをにらみつけながら、生唾を飲みこんだ。


 そのとき、羅奈は「んー」という声を上げると、志貴に尋ねた。


「ちなみに、志貴くんたちの部屋は何号室?」

「……四〇五号室だ、愛しきボクッ娘。――うーん。さて、どうしたもの……かっ?」


 志貴が東堂家の号室を教えると、羅奈はインターホンのボタンを操作し、なんとチャイムを鳴らしてしまった。


 ピーンポーン、ピーンポーン……。


「あっ、このお馬鹿!」


 志貴は悲鳴のような声を上げるが、時すでに遅し。


 やがてインターホンのスピーカーからは、蓮華らしき声の人物が応答した。


「あら、これはこれは……誰かと思えば『えっち会』のメンバーの一人、東堂志貴じゃないの。

 で、そちらは……あら? あなた、もしかして――」

「その節はどうも、蓮華先輩。志貴くんの“彼女”の浜崎羅奈です。――志貴くんったら、道端で泣いていましたので、家までお連れしました」

「あ、それはどうもご丁寧に……ありがとうね、羅奈ちゃん」

「いえいえ、当然のことをしたまでです」

「ええ、ありがとう」


「…………」

「…………」


「……あの、ドアを開けてくれませんか? 正直言って、ここは寒いです」

「えっ? あ……そ、そうよね。今開けるわ」


 羅奈が促すと、ようやく蓮華はオートロックのドアを解錠した。


 二人のやり取りを聞いていた志貴は、思わず「……姉貴の奴、ちょろいな」と言葉を漏らした。


 羅奈は険しい口調で「そこ! お口にチャックだよ」と志貴をとがめた。


 志貴と羅奈はオートロックのドアという関門を突破すると、エレベーターで四階まで昇り、四〇五号室の玄関前で足を止めた。


 志貴が家のインターホンを押すと、うっすらと中から「開いているわよ」という蓮華の声が聞こえた。


 恐る恐る、志貴は玄関扉を開け、羅奈とともに家の中に入った。


 廊下には鋭いまなざしをした蓮華がいて、彼女は仁王立ちで志貴をにらんでいた。


 蓮華に怯えた志貴は、何も言葉を発せられずにいた。


 ただいまという言葉も、今の志貴には言うことができなかった。


 志貴にできることといえば、目の前で仁王立ちをする蓮華と見つめ合うこと……ただそれだけだった。


「…………」

「…………」


「…………」

「…………」


「……た、ただいま」


 が、志貴は気まずさのあまり、とうとうその言葉を口にした。


 すると、蓮華はニコッとほほ笑む。

 もちろん、鋭いまなざしをしたまま。


「お帰りなさい、志貴。学校を無断で早退したあなたのこと、わたしはずっと待っていたのよ。そう、ずっとね。

 オカエリナサイ、シキ。ようこそ、絶望の東堂家へ……ヨウコソ!」

「ヒエッ……」


 たまらず志貴は後退った。


 その拍子に、志貴は後ろにいた羅奈とぶつかってしまう。


「あ、すまん」


 志貴は羅奈に謝り、元いた場所に戻った。


 羅奈は苦笑し、「いいっていいって」と笑って許した。


 そのとき、蓮華は深いため息をついた。


「あなたたち、今朝よりもずいぶんと仲良しになっているわね。……一体、それはどうして?」


 志貴はドキッとし、すぐには答えられなかった。


 そしたら、先に羅奈が蓮華の質問に答えた。


「それは志貴くんがボクに告白したからですよ。ふふっ……きょうからボクたち、カップルなんですよ、蓮華先輩」

「なるほどね、謎は解けたわ」

「ですです」


 蓮華は納得したように何度かうなずいていたが、やがて蓮華は「な、なんてこと!」といきなり叫び出した。


 急に叫び声を聞いた志貴はというと、顔をしかめた。


「おい、うるせえって、姉貴……」

「黙りなさい! ――とうとう志貴にも青春が訪れた、ですって……?

 まだわたしには青春が訪れていないというのにも関わらず、よりにもよってあの志貴に青春が訪れた、ですって?

 ゆ、許さない……許さないわよ、志貴」

「いや、それをおれに言われても……そういう文句はだな、青春の神様にでも言ってくれ」

「黙りなさい、このケダモノ」

「ケダモノって……姉貴さぁ」


 そのとき、不意に羅奈が「あのう」と声を上げたかと思えば、真剣なまなざしで蓮華を見つめる。


「……志貴くんから聞きました。

 志貴くんのお父さんが志貴くんのことを悪く言っていたと、そう彼から聞きました。それについて、蓮華先輩はどう思っていますか」


 思わず志貴は目を伏せ、唇を噛み締めた。


 沈黙。


 やがて、蓮華は羅奈の質問に答えた。


「そりゃあ志貴によくないところがあるのは事実よ。

 ……でもだからと言って、あんな残酷なことを平然と言える父親は、父親失格ね。いえ、今すぐに父親をやめてもいいくらいだわ。

 わたしだって、わたしだって……! あのあと、お父様からきつく言われたのよ。

 悔しかったし、悲しかったし、すごい腹立たしかったわ。嫌な人よ、あの人は」

「……今、親父は何をしているんだよ。というか、お袋は?」


 聞くに堪えない。

 そのため、志貴は話題を変えた。


「お父様はリビングのソファでテレビを見ているわ。お母様は……ショックで寝込んでいる、わね」

「あのクソ親父……おれたちをなんだと思っているんだ。畜生、畜生……!」


 志貴は歯を食いしばり、拳を握りしめた。


 蓮華は鼻をすすると、羅奈に目を向けて「ごめんなさい」と謝った。


「本当はリビングで話したかったのだけど、そこにはお父様がいるから……あなたに嫌な思いをさせたくないのよ。

 こんな場所で話すことになって、ごめんなさいね」

「いえいえ、お気になさらずですよ。――あ、ではボクはそろそろ家に帰りますね」


 そう羅奈は言うと、スクールバッグを背負い直し、玄関扉を開けた。


「ありがとな、羅奈」

「帰り道、気をつけてね。ありがとう、羅奈ちゃん」


 志貴と蓮華の言葉を聞いた羅奈は、ニコリとほほ笑む。


 そして去り際、羅奈はこのように志貴に言った。


「きょうから交際スタートだね、ボクたち。だから、さ……以後よろしくね、志貴くん!」


 志貴が言葉を返すよりも前に、羅奈は玄関扉を閉めるのだった。

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