カップルになった二人
志貴は羅奈とともに「トールハウス滝灘」のエントランスまで来たはいいが、重厚なオートロックのドアとインターホンを前にして、いよいよ怖気付いた。
鍵は家の玄関に落としてしまった。
なので、志貴にはインターホンを押すしか、ほかに道はない。
それはつまり、家の中にいる家族の助けなしでは、志貴は家の中に入れない、ということを意味する。
さあ、どうする、と志貴は眼前のオートロックのドアをにらみつけながら、生唾を飲みこんだ。
そのとき、羅奈は「んー」という声を上げると、志貴に尋ねた。
「ちなみに、志貴くんたちの部屋は何号室?」
「……四〇五号室だ、愛しきボクッ娘。――うーん。さて、どうしたもの……かっ?」
志貴が東堂家の号室を教えると、羅奈はインターホンのボタンを操作し、なんとチャイムを鳴らしてしまった。
ピーンポーン、ピーンポーン……。
「あっ、このお馬鹿!」
志貴は悲鳴のような声を上げるが、時すでに遅し。
やがてインターホンのスピーカーからは、蓮華らしき声の人物が応答した。
「あら、これはこれは……誰かと思えば『えっち会』のメンバーの一人、東堂志貴じゃないの。
で、そちらは……あら? あなた、もしかして――」
「その節はどうも、蓮華先輩。志貴くんの“彼女”の浜崎羅奈です。――志貴くんったら、道端で泣いていましたので、家までお連れしました」
「あ、それはどうもご丁寧に……ありがとうね、羅奈ちゃん」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
「ええ、ありがとう」
「…………」
「…………」
「……あの、ドアを開けてくれませんか? 正直言って、ここは寒いです」
「えっ? あ……そ、そうよね。今開けるわ」
羅奈が促すと、ようやく蓮華はオートロックのドアを解錠した。
二人のやり取りを聞いていた志貴は、思わず「……姉貴の奴、ちょろいな」と言葉を漏らした。
羅奈は険しい口調で「そこ! お口にチャックだよ」と志貴をとがめた。
志貴と羅奈はオートロックのドアという関門を突破すると、エレベーターで四階まで昇り、四〇五号室の玄関前で足を止めた。
志貴が家のインターホンを押すと、うっすらと中から「開いているわよ」という蓮華の声が聞こえた。
恐る恐る、志貴は玄関扉を開け、羅奈とともに家の中に入った。
廊下には鋭いまなざしをした蓮華がいて、彼女は仁王立ちで志貴をにらんでいた。
蓮華に怯えた志貴は、何も言葉を発せられずにいた。
ただいまという言葉も、今の志貴には言うことができなかった。
志貴にできることといえば、目の前で仁王立ちをする蓮華と見つめ合うこと……ただそれだけだった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……た、ただいま」
が、志貴は気まずさのあまり、とうとうその言葉を口にした。
すると、蓮華はニコッとほほ笑む。
もちろん、鋭いまなざしをしたまま。
「お帰りなさい、志貴。学校を無断で早退したあなたのこと、わたしはずっと待っていたのよ。そう、ずっとね。
オカエリナサイ、シキ。ようこそ、絶望の東堂家へ……ヨウコソ!」
「ヒエッ……」
たまらず志貴は後退った。
その拍子に、志貴は後ろにいた羅奈とぶつかってしまう。
「あ、すまん」
志貴は羅奈に謝り、元いた場所に戻った。
羅奈は苦笑し、「いいっていいって」と笑って許した。
そのとき、蓮華は深いため息をついた。
「あなたたち、今朝よりもずいぶんと仲良しになっているわね。……一体、それはどうして?」
志貴はドキッとし、すぐには答えられなかった。
そしたら、先に羅奈が蓮華の質問に答えた。
「それは志貴くんがボクに告白したからですよ。ふふっ……きょうからボクたち、カップルなんですよ、蓮華先輩」
「なるほどね、謎は解けたわ」
「ですです」
蓮華は納得したように何度かうなずいていたが、やがて蓮華は「な、なんてこと!」といきなり叫び出した。
急に叫び声を聞いた志貴はというと、顔をしかめた。
「おい、うるせえって、姉貴……」
「黙りなさい! ――とうとう志貴にも青春が訪れた、ですって……?
まだわたしには青春が訪れていないというのにも関わらず、よりにもよってあの志貴に青春が訪れた、ですって?
ゆ、許さない……許さないわよ、志貴」
「いや、それをおれに言われても……そういう文句はだな、青春の神様にでも言ってくれ」
「黙りなさい、このケダモノ」
「ケダモノって……姉貴さぁ」
そのとき、不意に羅奈が「あのう」と声を上げたかと思えば、真剣なまなざしで蓮華を見つめる。
「……志貴くんから聞きました。
志貴くんのお父さんが志貴くんのことを悪く言っていたと、そう彼から聞きました。それについて、蓮華先輩はどう思っていますか」
思わず志貴は目を伏せ、唇を噛み締めた。
沈黙。
やがて、蓮華は羅奈の質問に答えた。
「そりゃあ志貴によくないところがあるのは事実よ。
……でもだからと言って、あんな残酷なことを平然と言える父親は、父親失格ね。いえ、今すぐに父親をやめてもいいくらいだわ。
わたしだって、わたしだって……! あのあと、お父様からきつく言われたのよ。
悔しかったし、悲しかったし、すごい腹立たしかったわ。嫌な人よ、あの人は」
「……今、親父は何をしているんだよ。というか、お袋は?」
聞くに堪えない。
そのため、志貴は話題を変えた。
「お父様はリビングのソファでテレビを見ているわ。お母様は……ショックで寝込んでいる、わね」
「あのクソ親父……おれたちをなんだと思っているんだ。畜生、畜生……!」
志貴は歯を食いしばり、拳を握りしめた。
蓮華は鼻をすすると、羅奈に目を向けて「ごめんなさい」と謝った。
「本当はリビングで話したかったのだけど、そこにはお父様がいるから……あなたに嫌な思いをさせたくないのよ。
こんな場所で話すことになって、ごめんなさいね」
「いえいえ、お気になさらずですよ。――あ、ではボクはそろそろ家に帰りますね」
そう羅奈は言うと、スクールバッグを背負い直し、玄関扉を開けた。
「ありがとな、羅奈」
「帰り道、気をつけてね。ありがとう、羅奈ちゃん」
志貴と蓮華の言葉を聞いた羅奈は、ニコリとほほ笑む。
そして去り際、羅奈はこのように志貴に言った。
「きょうから交際スタートだね、ボクたち。だから、さ……以後よろしくね、志貴くん!」
志貴が言葉を返すよりも前に、羅奈は玄関扉を閉めるのだった。
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