1-10

 ようやく地面から立ち上がった志貴と羅奈。


 志貴はキョロキョロと辺りを見回すと、「ここはどこなんだ」と羅奈に尋ねた。


「……あぁ、ここ? ここはボクの自宅付近の細道だよ。

 それとも滝灘中学校の近く、と言ったほうがいいかな」


 若干羅奈は沈黙したが、ちゃんと志貴の質問には答えてくれた。


 そういえば、と志貴は羅奈がいまだに制服姿でいることを気にした。


 そのため、ついに志貴は「てかお前さ、まだ家には帰っていないわけ? それで大丈夫なのかよ」と羅奈を気にかけた。


「これは痛いところを突かれたね」


 羅奈は陽気に笑うと、志貴に事情を説明した。


「そうだよ、まだボクは帰宅してない。というのも、さっきまでボクは冬華とカラオケをしていたからなんだ。

 きみや幻冬くんもそうだろうけど、ボクや冬華も帰宅部だからね。

 学校の授業が終わるなり、ボクらは駅前のカラオケに直行して、そこで二時間くらい歌っていたよ」

「げっ、冬華だって? ど、どこにいる……奴はどこだ!」


 怒りのあまり、志貴が拳を握りしめると、羅奈は愉快そうに笑った。


「見てのとおり、冬華はいないってば。少しは冷静になろうよ、志貴くん」


 羅奈は志貴の肩を何度か叩き、カラカラと笑った。


「……お前、よく笑うんだな」

「え~? だっておかしいんだもん。ふふっ」

「笑うな。……冬華の奴、絶対に許さねえ。

 あいつ、絶対に性格悪いだろ。じゃなきゃ、あんな悪口、普通は書けねえよ」


 志貴が声を荒らげると、急に羅奈は神妙な顔になった。


「どうした?」

「……いや、なんでもないよ」


 明らかに思い詰めたような表情の羅奈だが、あえて志貴は訊かなかった。


 おそらく羅奈は今朝の騒動を思い出しているのだろう。

 だからいきなり雰囲気が変わったのだ、と志貴は考えた。


 そこまで考えたとき、唐突に志貴は思い出した。


「ダークレモネード作戦」を……思い出した。


 さらに幻冬の顔を思い浮かべたとき、志貴の呼吸は乱れ始めた。


 そう、志貴は羅奈に好きだと告白し、交際を迫った。

 それはつまり、志貴は羅奈に嘘をついているということ。

 志貴が羅奈を騙すことで、羅奈と冬華を「えっち会」に加入させようとしているということ……。


 しばらくのあいだ、二人のあいだに気まずい沈黙が流れる。


「……そういえばさ、志貴くん」

「なんだよ」


 このとき、志貴は嫌な予感がした。


 そして、その予感は的中する。


「きみはボクのどこを好きになったの?」


 ついにきたか、と志貴は薄暗がりの中、青ざめた。


 けれど、この問いに対する答えは、すでに志貴の中にあった。


「お前ってさ、ボクッ娘だろ? おれはそんなお前のことが好きなんだ。

 ――ほら、女性が『ボク』っていう一人称を使うと、なんだか新鮮味があるじゃん。で、興奮するじゃん。それだよ、それ」

「えぇ……?」


 困惑する羅奈。


 しかし、これは嘘ではなかった。


 実際、羅奈が「ボク」と言うたび、ほんの少しだが、志貴の胸は甘酸っぱくなるのだ。


「なんだよ、変か?」


 志貴は羅奈から目をそらし、仏頂面になる。


 けれど、羅奈はかぶりを振った。


「ううん、変じゃないよ。……むしろ、とっても嬉しいよ」

「は? え、いや、嬉しいって……なんでそうなる」


 引かれた、と志貴はてっきり思っていたが、どうやらそれは違うようだった。


 羅奈は無邪気な顔になって、こう答えた。


「だってさ、きみはボクの一人称を受け入れてくれるじゃん。……どこかの分からず屋の二人とは違って、ボクの一人称を認めてくれる。

 それはボクにとって、とても嬉しいことなんだよ」

「そんなの当たり前じゃんか。いや、だっておれたち……そもそも仲間、だろ?」


 これもすべて「ダークレモネード作戦」のため……。


 そう志貴は罪悪感を覚えながらも、期待のまなざしで羅奈を見つめる。


 一方の羅奈は――。


「……そうだね。ボクたち、仲間だね」


 思わず志貴がドキッとするような、そんな愛のある笑みを羅奈は浮かべていた。


 その笑顔があまりにもまぶしくて、つい志貴は目をそらしてしまった。


「ええっと……さて、そろそろおれは家に戻るか」

「もちろん、ボクも一緒にね」


 こうして志貴と羅奈は東堂家のマンションを目指し、軽く雑談をしながら、ゆっくりと歩き出すのだった。

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