1-9

 そのまま時間は流れ、やがて志貴は泣き止んだ。


 羅奈は志貴から離れると、地面に横座りし、志貴をじっと見つめる。


 羅奈は穏やかな口調で、志貴に「少しは落ち着いた?」と訊いた。


 志貴は羅奈の目を見て話そうとしたが、それがどうにも気恥ずかしく、そっぽを向きながら「まあな」と羅奈に返事した。


「そっか。それならよかったよ」


 心底安心したような羅奈の声に、思わず志貴は彼女のほうに目を向けた。


「どうしたの?」

「……お前、ほんとお人好しだな。

 お前を騙そうとするため、おれはここで泣いていたのかもしれないんだぜ。それなのに、お前ときたら……慰めるだけじゃなく、おれにハグまでしてさ。

 お前の見立てどおり、おれは悪者の中の悪者かもしれないんだぞ」


 ガオー、と志貴は怪獣のような声を上げ、そのようなポーズを取った。


 一方の羅奈はあっけらかんとしていた。


「そんなこと言っても、きみが泣いていたのは事実だよね」

「うっ」


 志貴は胸を押さえ、苦しむ真似をする。


 羅奈はクスクスと笑ったが、すぐにマジメな顔になる。


 それを見て、志貴はおどけるのをやめた。


「あんな泣き方をするのは、よほどのことがあったからに違いない、そうボクは思ったんだ。そう、だからボクはきみを抱きしめた……ううん、きみを抱きしめたかった。

 きみが悪者であろうとなかろうと、ボクはきみの悲しみを消したいと思った。……それにね、いつものきみに戻ってほしかったからだよ、志貴くん」


 あくまでも羅奈は志貴を励ます役割に徹していた。


 またもや志貴は心を揺さぶられ、涙を流すところだったが、今度はこらえた。


「そいつは結構。なぜなら、今のおれは平常に戻ったからな。もう元気いっぱいだぜ」

「ほんとかなぁ。まだまだ元気が足りないように見えるよ、ボクには。だって――」

「親父が言ってたんだ。おれは出来損ないだ、ろくでなしだ、ってな」

「……え?」


 羅奈は息を呑み、信じられないとばかりに志貴を凝視する。


 志貴は「ふっ」と寂しげに笑った。


「あのクソ親父、それまでおれたち家族のことをほったらかしにしていたくせにさ。

 おれの出来の悪さをお袋と姉貴のせいにするなんて、マジ狂ってるぜ。……今にお袋も親父に愛想を尽かして、離婚届を親父に突き出すかも、なーんて」

「……志貴くんの家庭環境、そこまで悪いの、もしかして」


 羅奈に言われ、志貴はここ最近の家庭の様子を思い返してみた。


 仕事を言い訳にし、家族をほったらかしにする洋介。


 傍若無人の洋介のせいで、日に日にやつれていく明日香。


 そのような家庭環境のせいでストレスがたまり、幻冬との出会いをきっかけとして、好き放題に学校生活を送る志貴。


 そんな家庭環境の中でも、きちんと勉強をするが、毎日のように家族と喧嘩をする蓮華。


 東堂家の家庭環境は悪い、そう志貴は結論づけた。


 志貴はそれらを羅奈に打ち明けると、羅奈は「そっか」と目を伏せた。


「どこの家庭も、そういう感じなんだね」

「そういうお前の家庭は、どうなんだよ。そっちは……大丈夫なのか?」


 羅奈はかぶりを振った。


「古い価値観を持った両親ほど、嫌になるものはないよね。……ボクの一人称って、『ボク』だよね。でも、この一人称を両親はすごく嫌っているんだ。

 女性らしくない、そう両親はいつも言うんだよね。

 で、その一人称を使うたび、ボクは両親からお仕置きを受ける……そう、こんなふうに」


 羅奈は自分の頬を手で軽く叩いてみせた。


 志貴は眉をひそめる。


「それ、虐待じゃんか。警察呼べよ」

「うん、そうだね。虐待だね」

「なら……!」

「でもね、志貴くん」


 羅奈は大まじめな顔になったかと思えば、いきなり破顔した。


「そんな嫌な両親でも、ボクにとっては大切な両親なんだ。……だからさ、警察とかに通報なんて、ボクにはできない」


 志貴は唖然とした。


 羅奈は達観していて、立派だ――そう志貴は感心した。


 けれど一方では、志貴は大人の思考を持つ羅奈に不快感を持っていた。


 そんな志貴の幼稚な思考を吹き飛ばすかのように、羅奈はこうも言った。


「でもね、もしもボクの限界が来たときは、そのときは警察とかには通報しない。そのときはボクが両親を……ふふっ」


 その羅奈の言葉は謎があり、そして非常に物騒な言葉だった。


 不気味に思った志貴の全身は、いつの間にか粟立っていた。


 ゾクリ。


 けれど、そんなことはおくびにも出さず、志貴は「それはなんとも頼もしい。お前、絶対立派な女性になるぜ」と羅奈をもてはやした。


 羅奈は目を丸くし、そしてニコッとほほ笑んだ。


「志貴くんが元気になって、よかったよ」

「おう、サンキューな。――そして、だ……そろそろおれ、家に戻るよ。

 もっとも、今のおれは自宅の鍵を持っていないけど……まあ、どうにかなるだろうよ」

「そっか。なら、家まで送るよ」

「ははっ、ご冗談を」

「え」

「え」


 志貴と羅奈は口を半開きにしたまま、それぞれ見つめ合う。


 そして、

「マジ、ですか……?」

「マジ、ですよ……?」

「……ははは」

「……あはは」

 そのように志貴たちは気まずげに笑い合った。

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