紙飛行機の惨事

 蓮華というのは志貴の姉であり、志貴よりも二学年上の中学三年生だ。


 難関高校の受験を控えている蓮華だが、珍しいことに彼女は塾には行かず、自宅でひたすら勉強していた。

 蓮華いわく、塾の独特な雰囲気が嫌いなのだそうだ。


 ロングヘアの蓮華は鋭いまなざしの持ち主で、人をにらむときの彼女といったら、それはそれは恐ろしかった。


 そんな地獄からの使者、蓮華によってドアは蹴破られた。


 蓮華は志貴と幻冬の急所を三回にわたって蹴り、挙句の果てには蓮華の頭突きで二人は仲良く気絶。

 気絶から覚めた志貴と幻冬は、複数の男性教師によって生徒指導室に連れて行かれた。


 今年五十歳を迎える生徒指導の厳つい男性教師、矢口(やぐち)教諭の説教を聞き流すこと、一時間。


 授業が始まるとのことで、ようやく志貴たちは解放され、教室に戻ることになった。


「いいか、お前ら。反省の色が見えないようなら、お前たちは出席停止だ、出席停止。

 どうか人生を棒に振るようなことだけは、もうするなよ」


 別れ際、矢口教諭は志貴たちの将来を案じる言葉を口にした。


 少しだけ、少しだけ……志貴は自分の行いを恥じた。


 が、幻冬の「ふはっ」という笑い声を聞いたとき、志貴は「えっち会」の一員であることを思い出し、自分もまた「ふっ」と笑った。


 そんな志貴たちの反応は見飽きたとばかり、矢口教諭はきびすを返し、その場をあとにした。


 これでいい、そう志貴は吹っ切れるのだった。


 志貴は幻冬を引き連れ、一年二組の教室に戻った。


 教室に入るなり、志貴と幻冬は同級生たちからの冷たい視線にさらされた。


 教室内にいる同級生たちは、志貴たちの悪口をヒソヒソと言い合っていて、これ以上ないほどに志貴は居心地が悪かった。


 幻冬は平気なようだったが、志貴はそうでもなかった。


 冷たい視線や針のような悪口もそうだが、特に女子生徒からの視線が……汚物を見るような視線が、志貴の胸をえぐった。


 まさに圧倒的アウェー感、と志貴は教室の引き戸付近で立ち止まり、顔を青ざめた。


 しかし、そんなときに励ましてくれるのは、いつだって幻冬だった。


「何をそんなに顔面蒼白にしているのです、盟友よ……ここは笑い声を上げる絶好のチャンスではないでしょうか」

「そ、そうか? ここで笑ったら、おれたちの居場所はなくなると思うんだが。……いや、先を続けろ、幻冬」


 ふはっ、と幻冬は短く笑った。


「盟友よ、見たまえ。この殺伐と化した教室を。誰も我らのことを人間として思っていないであろう、同級生たちの様子を。

 だが、だがだがだが、だが……笑ってしまうがいい、盟友よ。この場所こそ、我らの墓なのです。

 ゆえに、ここは我らにとってホーム同然の場所……お分かりですか、志貴殿」


 幻冬はそう言うと、上機嫌に笑って、廊下側の席についた。


 やれやれ、と志貴は自分の席である窓側の席に座り、一息つく。

 と、そのとき、志貴は隣の席の女子生徒から、紙クズを手渡された。


 思わず、志貴は「サンキュー」とお礼を言ってしまったが、紙クズは紙クズ。

 なんの役にも立ちはしない。


 無意識に志貴はしわくちゃの紙クズを元の形に戻したが、紙クズに書かれていた言葉を読み、すぐに志貴は後悔する。


「変態へ 死ね、消えろ。このゴミクズめ! ――一年二組女子生徒代表、工藤冬華より(えっへん)」


 志貴は涙目になり、子犬のような目で幻冬のほうを見た。


 幻冬にも同じような誹謗の紙クズは届いているようだったが、仙人のような彼はそれで紙飛行機を折り、教室の空気を切り裂くように「それっ」と紙飛行機を飛ばしていた。


 思いのほか、紙飛行機はよく飛び、円を描き、さらに旋回。


 そのとき、学校のチャイムが鳴り響き、担任教師の島原(しまはら)教諭というスラッとした体躯をした若年男性教師が、胸を張って教室に入ってきた。


 島原教諭が目指すのは、教卓。


 だが、島原教諭は幻冬お手製紙飛行機「誹謗」が教卓の近くを通るとは、まるで思っていない様子。


 そもそも教室内に紙飛行機が飛んでいることさえ、彼は気づいていないだろう。


 島原教諭が教卓につくと同時、「誹謗」は彼の片目を直撃。


 耳をつんざく悲鳴。


 教室がざわめく中、島原教諭は悲鳴を上げ続け、痛そうに両手で片目を押さえていた。


 やがて、島原教諭は片目を手で押さえつつも、復活した。


 けれど、それは神をも打ち倒さんとする怒りで復活した、としか言いようがなく、もちろん彼の怒りの矛先は紙飛行機を飛ばした幻冬に向けられた。


「大宮くん、きみは教室で紙飛行機を飛ばすことが趣味なのか?」


 怒りに満ちた島原教諭の言葉に対し、幻冬は大まじめな顔で、

「愚問ですね、島原教諭。紙飛行機といえば、我ら子どものロマンではないですか。

 そこに紙があれば、紙飛行機を折り、飛ばしてやる……それは我ら子どもの使命なのですよ」

 と答えた。


 引きつった顔で笑う島原教諭は、怒りをこらえるように唇を噛み締め、このような言葉を幻冬に贈った。


「では、大宮くん……今から職員室に行き、そこにいる先生たちから大量の折り紙をもらってきなさい。それでたくさんの紙飛行機を折るといい。

 ロマンであり、使命とも言うのならば、大宮くん……きみは紙飛行機の機長になることをオススメするよ」

「この幻冬め、ありがたき幸せ」


 うやうやしく頭を下げた幻冬は、無邪気な顔で教室から出て行った。


 島原教諭は幻冬を揶揄する生徒の声をとがめ、片目を閉じながら、紅潮した顔でショートホームルームを始めた。


 幻冬なき教室に嫌気が差し、志貴は堂々と教室から出て行った。


 志貴が教室から出て行っても、誰も志貴を非難する者は現れなかった。


 志貴は安堵したが、内心では怒りや寂しさやらを感じ、つい顔が険しくなった。


 いやいや、そんなことよりも、と志貴は雑念を払い、おそらくは職員室に向かったと思われる幻冬のあとを追った。

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