④
澄田薫子の買い物は恙なく終わり、あとは喫茶店に寄って一服、日が暮れるまでモール内を適当にぶらつきながら初の逢瀬はお開きとなった。
あまりにあっけのない幕切れに些か落胆したが、まあ、こんなものだろうとも思っていた。その「こんなもの」というのは、私の
物書きの性なのか、あるいはモテない男の性なのか、たまの休みに遊びにいっただけのことで、その裏を勘ぐってしまう免疫のなさにやるせない何かを覚えた。
とはいえ、私にしてはよく話した方だと思う。プレゼントを選ぶという口実があったとはいえ、自然体に近い状態で澄田薫子に接することが出来ていた。もちろん下心なども含めると内心にはハリケーンが暴れ回っているようだったが、それをおくびにも出さずにことを終えた私は、戦場から還った新兵のような、大きな達成感に包まれていた。後から分かったことだが、彼女にはそうした、人の素顔を暴く特殊な能力を持っているようだった。
それは彼女自身が極めて自然体だからなのだろう。ひねくれた私は常日頃から言葉の裏を読む癖が身についているが、こと澄田薫子の言葉には裏表がなく……というよりは、もしかしたらあるのかもしれないが、話している相手にそうした裏を読ませない、独特な間合いがあるようである。知らず知らずに額面のままに受け取っている私がいて驚いた。
そして若干の恐怖を抱いた。私のような自尊心だけが肥え太った成功体験の少ない醜男にとっては、「女に手玉にとられる」という状況が一種の美であるように思え、また男の夢であるように思え、不覚にも悪い気はしなかったが、その時はまだ、私は小説を書くために澄田薫子と関係を持ちたがっていると信じて疑ってはいなかったから、惹かれつつあることは薄々勘付きながらも、自分はちゃんと両足を地につけ立っているのだと安心しきっていた。
彼女の人の素顔を暴く特殊な能力に、足を払われ、今まさにすっころがっているなどとは思わなかった。
その肥え太った自尊心は視野を狭くさせる。上から見下ろしているように感じても、そこには遠近法などの様々なトリックがあるのであって、実際のところは、下から怯えるように見上げているものなのだ。いとしい女子高校生を神聖不可侵の女神であるかのように、いつのまにか、這いつくばって首を垂れている。
*
私と澄田薫子の世界は、ゆっくりと広がっていった。
一度店の外で会ってしまうと、そのハードルは一気に下がるもので、二回目、三回目と順調に逢瀬を重ねていった。
澄田薫子は逢う度に色んな貌を魅せた。礼儀正しい後輩としての貌、天真爛漫な女子高校生としての貌、計算高い大人の女性の貌……それらは適確な場面において表面に現れ、私の心を千々に乱れさせる。一見して調和しているように思われるそれは、思春期特有の不安定さの表れでもあった。爬虫類顔店長に怒鳴られた時もそうだ。奔放な性であるのは間違いないだろうが、年相応に将来への漠然とした不安を抱え、常に涙を溢す可能性を秘めた、枯れ木のような脆さがある。暗闇の中に佇む、あのこじんまりとした背中の頼りのなさは見間違いではなかった。
確かに大人の男が、それも長身の男が怒鳴ると誰だって怖いものだ。しかし、彼女の普段の様子からは涙の影など片隅にも見せない明瞭さがあったから、皆泣くとは思っていなかったに違いない。
私が高校生だった頃を思い出す。あの広陵とした荒野の中心で、たった一人、行く当てもなく彷徨っている、学生服に身を包んだ陰鬱な表情の私は、谷底のように黒々とした孤独と睨み合っていた。思春期とは、孤独と戦い続けながら、明ける春を待ち、物思いに耽ることを言うのである。何かしらの答え見出す者もおれば、何も分からないまま諦める者もおる。等しく時間は流れ、歳を取る。それだけは確かなことで、だからこそ人生にはドラマが生まれる。私には根底に母の不貞がふてぶてしく居すわっていたが、きっと、そのドラマを自らの手で生み出したいがために、筆を執るのだった。そして、すべての頑張っている人たちもまた、己のドラマを生み出したいがために頑張るのであろう。
ああ。素晴しき哉。人生。
私は書かねばならぬ。そのために生まれてきたのだ。
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