私が澄田薫子と逢瀬の約束を果たしたのは、異常なくらいの春の熱気と、梅雨の湿気が仲睦まじく抱き合っているような日のことだ。


 しばらくの間ずっと雨が続き、当日も降水確率六十%と予報されていたから、こりゃ降るだろうと思っていたが、雨男ともっぱら評判の私には珍しいことに、雨雲ひとつない快晴の空を拝むことが出来た。


 朝の六時に起床し、カビがはえたカーテンを開くと、強烈な日差しが不健康な私の肌を焼き、さては私の日頃の行いが良いからだなあ、と顎を摩りながら満足気に頷くと、待ち合わせの十一時にはまだまだ早い時分だったが、意気揚々と支度をはじめた。


 昨晩は早々に執筆作業を切り上げ、布団に潜りこんだ。ただでさえ病的な人相をしているのに、更に寝不足を重ねていっては、澄田薫子もまんべんなく楽しむことは出来まいとおもんぱかってのことである。ましては、結果論ではあるものの私は寝不足の頭に日光を大量に浴びると、どうにも力が出なくなってしまう特性があるから、昨日の私の慧眼さには恐れおののくばかりだった。


 逆に雨だったとしたら更に、そして更に肌色の悪さに拍車をかけることになっていただろう。どちらにしろ、あるいは逢瀬を目前とした健全な男児の振る舞いとしても、早寝早起きはするべきだ。大学に通っていた時に知り合った、自称博愛主義者の淫乱眼鏡後輩も言っていた。デートに寝不足で来る男は皆死すべきでありますと。


 まあ、そんな女の話などはどうでもよいのだ。


 私はいつになく気合が入っていた。小説に心血を注ぐばかり、他に割けるリソースが最早どこにも残っていない私は、仕事場における無気力代表として扱われることもしばしばであるが、こと今日に際しては、確かに意気揚々としているようだった。とはいえ、私が行おうとしているのは、女子高校生との逢瀬である。私もまだまだ若者であるが、やはり成人と未成人の間にはベルリンの壁のような隔たりがある。心理的にも大きな隔たりが。もちろん恋人として逢うわけではないのだ。ゆくゆくはそうなるのだが、男女というよりは友人としての形をともなった逢瀬である。むつかしい問題はなにもなかった。


 入念に歯を磨き、顔を洗った。髪にムースを馴染ませる。そのまま鏡の中の己と暫く悪戦苦闘を演じていた。目前には道化の私が写っているが、それも数十分の試行錯誤を繰り返すと、真実の私が姿を現した。私はこの頃から、己の容姿に関して自己評価は低い方だった。というよりは、どれほど客観的に見ても、世間的な平均点を超える事はなかったのだ。


 糸のように細い目の瞼の幅を測ろうとしてとん挫したことがある。明らかにする必要がないくらいに狭いからだ。また鼻の高さを測ろうとしたこともある。むろん実行はしなかった。何故なら、世の中には曖昧にしておいたほうが良い事柄もあるからである。ある時は、ふと鏡の前に立ち、その荒廃した砂漠に広がる蟻地獄の住処のような毛穴の数を数えてみたことさえある。


 自分の容姿の醜さに辟易し、途中で飽きてしまった。さていったいどうすると私のこの顔は良くなるのかと考えた時期に……ああ、またあいつの話だ。そう、自称博愛主義者の淫乱眼鏡後輩が言ったのだった。男の見てくれはほとんど髪型で決まると言っても過言ではありません。先輩もその鳥の巣のような髪をどうにかすると、どうにかなるのではないでしょうか。どうにかする必要に差し迫っているのであれば、わたくしがどうにかしてあげるのも、やぶさかではございませんけれども、と。


 私はあいつの言うことは極力信用していなかったものの、当時は確かに差し迫っていたから、遺憾の意を表明しながらご教授願うと、あら不思議、ちょいと髪を整えただけで格好よく見えるのだった。


 幾分か格好良くなると、世界も変わって見える。世の中の男は皆だいたい髪をセッティングしているのだ。


 格好良くなった私の真実の瞳には、ありのままの男たちの姿を捉えた。ほうほう、思っていたよりは、私もマシなのでは? いわゆるイケメンではないにしろ、不細工ということもないのではなかろうかと、算出していた平均点の見直しに成功したのだった。それにより体内で起きていた劣等感などの負の感情と自尊心との戦争は、一先ずは停戦協定を締結、心の均衡は保たれ、差し迫っていたそれも無事乗り越えすべてが上手くいったのだ。

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