私の初恋は小学五年生の頃だった。


 その頃から私と弟の性質は如実に違いを浮き彫りにさせはじめた。弟は校庭に出て同級生の子たちとサッカーをしたり、ドッチボールをしたり、鬼ごっこをしたり、とにかく日向で汗を流していたのに対し、私は件の体験から読書の沼に沈み、図書室という空調の効いた日陰で本を読み漁っていた。


 原点が原点なもんで、性知識を身につけるのも人より早かった私は、恐らくは精通も人よりも早かったのだと思う。性行為に辿り着くと、自慰行為を知るのも一瞬だった。当時はこの世にこんな素晴らしい行為があったなんて、と大きな感銘を受けた。これを知らない人は人生の半分損していると、自分の好む何かを強調して伝える時にしばしば用いられるが、まさしく何で今までしてこなかったのだろう、と悔やんだほどだった。


 性器を擦るだけで事足りるのだ。それだけで気持ちよくなれるし、心なしか身体の中に溜まっていた様々な不純物まで一緒に吐き出されるような気がした。それはストレスとか葛藤とか、苦悩とか、とにかく様々なものだ。精を出した時だけ、私は一切合切がどうでもよくなった。快楽に身を委ね、頭の中で考えているものが無駄であるように思えた。私は精通すると同時に、恋を知った。


 厳密には元々知っていたが、性知識を通じて興味を抱き始めたのだ。


 思えば私は不純極まりない子供だったのかもしれない。恋に興味を持ち始めたなどと美化するように言ってはいるが、その実、恐らくただ女体を知りたくなっただけなのだ。同級生の女子の衣服の中はどうなっているのだろうと――もちろん、構造は本で学んでいたから、意識はしていないものの、女体を見ることで、自分がどう感じるのか気になっていたのだろう。


 或いは性行為に対する欲求もあった筈だ。してみたいと思った筈だ。しかし、いざそうして女子を意識してみると、そういった不純な動機とはまったく別なところから、いたってピュアな恋心の発芽もあったように思われる。


 私が好きになったのは学年の中では皆のアイドルだった、明朗快活な女の子だった。小学生時代にすらあったカースト・ピラミッドにおいて間違いなく天辺に位置していた人気者の彼女は、やけた肌が良く似合った。勉強は得意ではなかったが、兎に角スポーツが出来る女の子で、あの頃は男女間の差がようやく出始めた頃合いだったから、唯一運動で男子に勝てる女子として、一種のヒーローのような立場にすらいたようだった。


 ひまわりのように、えくぼをつくって豪快に笑うさまは、思春期の芽生えには不釣り合いな無邪気さがあって、その容姿の愛らしさも相まり、太陽のような存在に思えた。父に弟と比較され、陰と陽などとのたまわれた頃だったから、私には持ちえないものを持っている、あの太陽のような少女に羨望のようなものがあったのだ。一目ぼれと言われればこれもそうなのかもしれないが、当時はその人物というよりは、恋に恋をしていた風情があったから「あの子を僕の好きな女の子にしよう」と、店頭で欲しいものを選んでいるような、実るかどうかはともかく、あるいは買えるかどうかはともかく、恋をするという行為に対して悦に入っている趣があった。


 これは私だけではなく、その初恋の女の子もそうだったし、少しだけ成熟の早かった子らは皆そういう雰囲気があった。異性を意識している、ということを意識しているような……。


 その太陽のような女の子とは、恋の気配どころか、接点もほとんどなかった。私と弟がそうだったように、私と彼女もまた陰と陽なのだ。もし私から何かしらのアプローチをしていたのなら、また違った未来もあったのかもしれないが、臆病な私にそのような度胸があるわけもなかった。


 私はただ陰から彼女を眺めるまま、その恋は静かに終えた。私は地元の中学校に進学したが、彼女は私立の中学を受験して見事合格していた。それがどういうことなのかは分からなかったが、ああ、太陽のような彼女は私たちとは住む世界が違うのだ。漠然と思った。


 澄田薫子は、初恋の彼女に似ている。


 そこに何らかの因果関係があるのかどうかは分からなかった。一つだけ言えるのは、いつも私を虜にするのは、その柔和なえくぼだった。

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