第二節

 私の創作の原点には母の不貞ふていが、ふてぶてしく居すわっている。


 私がその現場を目撃(聞き耳をたてていただけのものだが)した日から、母が家を立ち去ってゆくまでの一連の流れというのは、あまりにもあっけなく淡々としていて、劇的なものは何もなく、まるで事務的な作業を熟しているかのように、恙なく終息へと向かった。


 小説にするのなら、山もなく谷もないようなそれは、だけど、どこかうすら寒いほどに異質な雰囲気を持った物語であった。


 ことの顛末てんまつはこうだ。


 母と父の会社の後輩の不倫関係は、あっさり公となった。私がばらした訳ではない。父が自力で突き止めたのである。この時の私は十一歳だった。本を読んでいたからか、歳のわりには聡明な子であると専らの評判であったが、しかし、その三つ巴の関係の複雑さを理解するには些か早い段階だった。


 なので正確なことの運びは定かではないが、よくよく考えてもみれば、そも母と父の会社の後輩の関係は相当に細い綱の上で成り立っているものだ。


 恐らくはそのスリリングな緊張感をも享楽きょうらくへと昇華させ、それがすべてを盲目的にさせていたに違いない。父とその後輩はセールスマンだった。いわゆる営業職というやつだ。何やら変な水やら、壺やら、絵画やらを売りさばいていたと聞いている。それははたして合法的なものなのかをまずは疑ったものの、論点はそこではない。


 要はある程度自由に外を動き回ることが出来る職についていたという事が問題なのである。実にありふれた話だ。何千の物語を歩んできた私にとっては、展開と展開をこじつけるための作者のご都合主義とすら思われてくる。兎も角、最初の接点も定かではないものの、試みようと思うだけで、二人の秘密の逢瀬はいともたやすく実現する環境にはあったというわけだった。まあ、それが仕事の最中であることを除けばの話であるが……。


 私が思うに、その後輩は母との時間を割くあまり業績不振に陥ったのだ。そこが真っ当な会社ならば、営業の最中に自由にさせないような仕組みがあるはずだ。それは色々あるだろうが、まあ、一日の予定を上司に報告しなければならないのは、まず当然だろう。もちろん帰社した後には成果も報告せねばなるまい。昨今ではGPSを搭載させたものを社員に持たせたりするのかもしれない。まともに働いたことがない私にとっては憶測の域を出ないものの、概ねそんな感じであろうと思われた。


 きっと、母との関係を保つために、会社では様々な噓八百を並べ立てていたのだろう。実際にその後輩は会社を去ったらしいし、そのあとのことはほとんど何も知らない。分かっているのは、母との関係は公になったと同時に解消されたということだ――とはいうものの、私も最初は半信半疑だった。


 恋は盲目とは言うが、自分の生活の基盤である会社の信用を捨て去ってまで、母との関係を欲したということになる。それも世間的に後ろ指をさされるような、背徳の関係だ。そこに甘美な響きがあるのは、もう大人なのだし私にも分かる。分かりはするが、どこかフィクションの世界の話だと思っていた。何かを壊してまで得ようとする気持ちが分からなかった。


 妻の不倫を知った時の父は、怒るでもなく、泣くでもなく、途方に暮れるでもなく、あらかじめシナリオが用意されていたかのように、ただ離婚届を用意した。そして母も今更ながら妻としての貞淑ていしゅくさを思い出したような趣でそれに判を押した。ただ、それだけだ。二人は特に会話もなく、事実確認だけを済ませ離婚した。


 不思議なのが、それから五年に渡って私たち家族は同じ家で暮らしていた。父はいつものように朝早く出勤し、母もまた朝早くから家事を始める。離婚後も機械のように同じ生活を続けている両親は、どこか得体の知れない不気味さがあった。


 幼い私には、いや今の私にだって、まったくもって二人が何を考えているのか分からない。もちろん極めて物理的な障害はあった。母は生まれてから四十年間働いたことがなかった。学校などでする教育的労働の経験はあったが、然るべき対価を受け取って成り立つ労働はついぞ行う機会はなく、今まで排他的な家庭の中で穏やかな日々を送ってきた、いわゆる精神的お嬢さまだった。母の両親、つまるところ私の母方の祖父母は確かに過保護だった。金があったわけではなかったが、私たちの可愛い娘に労働などとんでもない、というふうに、散々にあまやかしてきた。実際のところ、嫁に出すつもりもなかったようだった。


 その辺の紆余曲折も知らされてはいなかったが、まあ、とにもかくにも、離婚したところで母が社会に出てやっていける訳もないのだった。頼るべき祖父母はその時既に他界していた。


 或いは、父の方だって料理を作る事さえ出来ないのだ。


 一緒に暮らしていた方が互いにとって好都合であることは否めなかったようである。

 私は母の不貞を知ってからというもの、こうした段階を経て、ますますよく分からなくなっていった。それを知るために文学に傾倒していった。そうなると私も積極的に両親には関わらなかった。蚊帳の外にいるような気分にさせられたからである。二人には諸々の経緯はあったものの、一種の特別な関係性があるように思われた。夫婦として永らく生活し、互いの歩幅も心得ている。そんな二人が離婚を経て新たな形で丸く納まった。それが良いことなのか悪い事なのかはむつかしい問題だったが、一つだけ思う事は、夫婦でなくなった二人の子供である私は、一体何者なのかということだ。


 当然答えは簡単である。前述の通り二人の子供だ。それ以上でも以下でもなかった。しかし、どうにも心理的な隔たりが、両親と私との間に出来てしまった気がしていた。それから目を背けるために、読書に励んでいたというのもあるのだろう。弟はというとあっけらかんとしていた。


 そもそも離婚の意味を理解しているのかさえ怪しいものだった。ともあれ両親は目の前にいるのだから、私のようにその関係性の如何を求めるのはナンセンスなのかもしれない。弟は今も父とともに暮らし、そこから大学に通っている。私と違って外界を好んだ。高校に入ってからサッカーをはじめ、一気に頭角を現し、大学もスポーツ推薦で入学したほどだった。


 世間的に複雑な家庭環境である我が家から、太陽のような青年が成長していた。月と太陽。陰と陽。しばしば父は私と弟をそう例えるが、その陳腐な比喩表現が、私は大嫌いだった。というよりは、何らかの枠組みに押し込められるのを好まなかった。


 母が出ていった理由は、恐らく父ですら分かっていなかった。


 私は十六歳だった。当初は他に新たな男が出来たのだろうと思ったが、考えれば考えるほど接点の作りようがないことに気が付いた。家にいるのは幼い私ではない。多感な高校生の私である。知らない男があがり込んできたら不審に思うし、前科も知っている。母はスーパーや百均などの生活に必要なものを買いにいく時以外は、ほとんど外出しなかった。


 家でやることがなくなると、本を読んでいた。母も本の虫だった。フィクションに毒され、妄執に囚われ、そうして不貞に憧憬を描いた、ということなのかもしれない。恋に恋をする文学少女が、そのまま流されるままに亭主を持ち、子を育んでしまったら、その取り残された恋心の形が異様に歪んでしまったとしても何ら不思議ではない。


 私はこの不透明な、両親の関係性を小説にしようとした。


 しかし、母の行方は知れず、父は何も話さない。何度も何度も考えたが、両親の感情のグラデーションは依然として見えないままだ。もどかしい。恐らく私には、幼心に突き刺さった、言い表す事のできないこの情動を、何らかの形で清算したいという腹心があった。小説として形にすることで、それが叶うと思っていた。一向に完成しないまま、焦りだけが募ってゆく。まるで袋小路に追い詰められているようだった。この表現は陳腐だろうか。でもそれが的確だった。私はこれを完成させなければ、先には進めない気がしていた。


 澄田薫子によってもたらされた刺激的な意欲のもと(それは小さな針だったが、インスピレーションとはそうしてできた小さな穴から生まれることがある)そんな過去やら両親やらとはまったく関係のない、のちにくだらないと一笑に附してしまうような恋愛小説だけが、徐々に輪郭を浮かべはじめていた。

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