第35話 エブリンの嘘

 部屋の中からは外の喧騒は小さく。

 どこか冷たい薄暗さがその喧騒さを隔てている。


 エブリンはこの部屋に自分の痕跡を残すために訪れていた。

 ウエディングドレスを膝上くらいまで引き裂いて、左部分にスリットを入れる。


 裂いた布地はイスにかけて『上で待つ』と書いておいた。

 いずれ部屋に戻ってくると踏んで、こうしておけば皇帝は自分に注目せざるを得ない。


 だが、ミスがあった、


 部屋に人が来るのが思った以上に早すぎた。

 しかも訪れたのは皇帝ではなく、レムダルトだったのだがら。


「エブリン……」


 聞き慣れた声が、こんな場所で、このタイミングで聞こえたことにハッとする。

 平静を崩しかけたがしっかりと持ち直して、レムダルトと向き合った。


「どうして君がここに?」


「アナタには関係ありません」


「そんなわけないだろ。どうして異母兄上の部屋に……」


「だから関係ないと……」


「じゃあそれはなんなんだ!!」


 イスにかけられた布地を勢いよく指差す。

 引き裂かれたウエディングドレスがレムダルトの心を大きくのしかからせた。


 それは不安という感情。

 未来に対してよくない思いを瞳に、エブリンを見ることしかできなかった。


 現に彼女の態度がいつもと違う。

 いつもの慈愛溢れる眼差しは消えて、まるで星のない夜空のよう。


「どうして……エブリン、答えてくれ。黙ってないでさぁ」


「答えてどうするんです? アナタになにができるんですか?」


「なにって……」


「レムダルト様。ここまでありがとうございました。申し訳ありませんが結婚式は終わりです」


「え?」


「アナタとの日々、楽しかった。これは本当です。でも、もう終わりなんです」


「終わりってどういうことなんだよ!」


「外の騒動を起こしたのは私です」


「なんだって?」


「私の仲間が騒ぎを起こしたお陰で、私は控え室を抜け出して色々できました。私の得意魔術ご存知ですよね? お陰でこの宮殿は火の海です。ホント無様で笑っちゃいますよ。皆舞い上がっちゃって、炎に包まれればてんやわんやで大パニック。計画通りです。ただ、アナタがここに来るのは想定外でしたが」


「う、嘘だ、君がそんなことをするはずがないッ!」


「……まだ私のこと信じてるんですか?」


「当たり前だろ! 君は、君は俺の大切な人なんだ! こんな悪事を……」


「悪事?」


 エブリンの強い圧に押され、たじろく。

 その視線はすでに味方、ましてやこれから夫になる者に向けるものではなかった。


 だからこそ話した。

 この腐った帝国を統べる皇帝のせいでどんな目に合ったかを。


「私が施設の生まれなのはご存知の通り。でも、本当の私は今よりもっと違ってた。髪も目の色も、身体もね」


「エブリン?」


「私の本当の名前はセリーヌ。皆からいじめられて、的にされて、捨てられて、そして死ぬ間際に魔女と出会ったの。そこで得たのがこの身体。素敵でしょこのプロポーション? 特に胸なんか男を惑わすにはまさにうってつけのものよ。でもそれだけではのし上がれはしない。だから力をつけた。知識でも力でも負けないくらいに」


「そ、そんな……」


「全部アナタのおにいさんのせいよ。だから最初にあの施設を壊してやったの。わかる? アナタに近付いたのも、天使にのし上がろうとしたのも、全部はこのときのためだったのよ」


「復讐だっていうのか? じゃあ、俺のことを愛してるっていうのは……」


「なんで私がアナタにこんなこと教えてるかわかる?」


「えっ」


「ろくでもない人生だったけど、そんな中でも私はアナタのことを好きになったから。ベッドで身体を重ねるのも全然苦ではなかった。でもそこはごめんなさいね。あくまで役割(つくりもの)の身体と顔だから」


 エブリンはどこか思うように笑って見せる。

 そこだけは優しく感じた。


 だからこそ余計になにも言えなかった。

 エブリンは悲しみの連鎖から生まれた怪物なのだ。


 その原因は皇帝である。

 だが、レムダルト自身も無関係ではない。


 彼女を愛し、幸せな未来を思い描いた。

 そんな資格など初めからありはしないにもかかわらずだ。


 皇帝側である自分は奪う者、そしてエブリンは奪われた者。

 

「さて、ここからが本題。私は皇帝を殺します。これは決定事項です。アナタはどうしますか? 私を止める? 戦うのはありだと思いますが?」


 いつもの敬語口調のエブリンがどこか遠く感じたレムダルト。

 エブリンは戦闘は避けられないだろうと思い魔力を溜めていたときだった。


「……よう」


「え?」


「逃げようって言ってるんだ!」


「は?」


「復讐なんてやめて俺と逃げよう! 帝国を離れてふたりで暮らすんだ!!」


 鬼気迫る顔で近付き、エブリンの両肩を揺さぶる。

 瞳が揺れて今にも泣きそうな顔。


 親から離れたくないと駄々をこねる子供のよう。

 悲しげな愛おしさを宿す顔でエブリンをジッと見つめながら。


「俺は加害者側だ。君にあれこれ言える立場にはない。だけど、好きなんだ。一緒にいたんだよ。愛してるんだ。……異母兄上と戦えば、君も無事では済まない」


「当然ですね」


「それはダメだ。君が傷付くのも……肉親が死ぬのも。ワガママなのはわかってる。でもダメなんだよ! そんなことになるくらいなら……俺は今の身分を捨てる。捨てて、君と新しい生活を送りたい」


 駄々をこね始めた。

 だがエブリンには真っ直ぐに届く主張だった。


 真っ直ぐ過ぎるゆえに、あまりに眩しい。


「それはできません」


「なんで……」


「この日のために、私は今ここにいるからです。アナタのこと、私好きですよ。でも、こればかりは捨てる気にはなりません」


 エブリンの決意の固さにレムダルトの顔が歪んでいく。

 幸せから叩き落とされた顔を見ては狂喜していたエブリンも、このときは静かな憂いを表情にこめた。


「どうしても止めたいのなら、私を殺すしかありません。当然ながら私もアナタを全力で殺しにかかります」


「────ッ!」


「どうします? もう、あとには引けないんですよ。私もアナタも」


 エブリンはここで初めて彼に手を伸ばした。

 白の長手袋に包まれた手の感触がレムダルトの頬に伝わる。


 あまりに優しかった。

 優しすぎたからこそ、レムダルトの理性は壊れてしまった。




「エブリンッッッ!!」


「ッ!!」


 誓いのキスではない。

 まさしくケダモノのように彼女の唇をむさぼる。


 流れるような髪を無茶苦茶に巻き込むようにして華奢な身体を力強く抱きしめた。

 温もりと感触が胸板に伝わるように密着させ、エブリンの離すまいとする。


 乱暴そのものだろう。

 だがエブリンは一切の抵抗をしなかった。


 彼のペースに合わせながら、舌と舌をからませる。

 その上ではエブリンのほうが上手だった。


 エブリンはレムダルトをさらに興奮させているのだ。

 壊れた理性を、自分という沼に溺れさせる。


 ボルデージは上がっていき、レムダルトとはエブリンをベッドに押し倒した。

 その豊満な胸はもちろん、スリットの中もまさぐりながらの深いキスを延々と繰り返す。


 罪深き淫蕩にふける中、エブリンはレムダルトのすべてを受け入れた。

 彼の望むままにその肉体を捧げたのだ。


 それに対し、エブリンもまた快楽の中に心地良さを感じていた。



 ────このままずっといられればいいのに。


 だが、もう遅い。

 これ以上時間を割くわけにはいかないのだ。


 最後のキスはあまりに切ない。

 レムダルトはエブリンの魔術で眠りについてしまった。




「見たら殺すって言ったわよね?」


「ん~そんなこと言ったか?」


「言ったわこの覗き魔女」


「……で、コイツどうすんの?」


 着崩れを直しながら物陰の気配を察知したエブリンは、涙を流しながら眠るレムダルトを見て。


「殺されたくなかったら、こっちの頼みごと聞きなさい」


「なんて言いようだお前。……ま、聞いてやるよ」


「この人を安全な場所に。帝国の目の届かない、穏やかで平和なところに」


「いいのか?」


「……愛した男よ」


「そうか」


 気配はレムダルトとともに一瞬で消えた。

 それを皮切りにエブリンも気持ちを入れ変える。


「さぁ、ラストバトルよ皇帝。アンタをこれから地獄に叩き落とす」


 窓をかち割り、外へ。

 宙を飛びながら皇帝の到着を待った。

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