第33話 グリファスの聖戦

「グリファス神父ったら……一体いつまで待たせるのかしら」


 揺れる蝋燭の灯火の群れ。

 冷たい空気が肌を撫でる地下礼拝堂で、聖女ユナリアスはほんの少しばかり苛立ちを募らせていた。

 待てど暮らせどグリファス神父が現れる気配がない。


 むしろ彼の性格上、すでに来ていてもおかしくないというのに。

 そんなことを考えていると、ふと『甘い香り』が鼻腔をくすぐった。


 この礼拝堂に充満しているようで、特に悪い気分はしなかったが、静かな雰囲気なこの場所である分少し不気味に感じる。

 次の瞬間、割れるような頭痛が一瞬。


 数歩よろめいたが、なんとか体勢を立て直して何度か瞬きをする。

 だが視界まで曇ったガラスのように不明瞭になっていった。


(なに……なにが、起こって……)


「顔色が随分と悪いようですな……大丈夫ですか?」


「ぐ、グリファス神父ッ!」


「随分とおぼつかない……まるで幻覚でも見ているようにね。クククククク」


 背後から声が聞こえた。

 しかし振り向いても誰もいない。


 灯火の中で、ぼんやりと彼のシルエットがいくつも、いたるところに見える。

 何度も目をこすって確認するが、正確な位置を捕らえられない。


 この異常な事態に、ユナリアスの本能が騒めき、ある疑念を抱かせる。


「グリファス神父、これは一体どういうことですか?」


「どういうこと、とは? それと、アナタは一体どこを見ておられるのです? 私はここだ」


「質問に答えなさい! なぜこんなマネをするのです!?」


 ユナリアスはグリファス神父の凶行が信じられなかった。

 だが、状況的にこういったことができるのは彼しかいない。


 ではなにをしたのか、なにが目的なのか、それを聞きたかった。

 いつもとは違う、暗く低い声で話すグリファス神父は、彼女の視界の中で不気味にシルエットを揺らしながら歩み寄る。


 アルマンドの発明品にして『樹怨のヴェニターナ』を打倒した武器を背負った、異形の姿で。


「なぜだと? なぜ、と言ったか? わからないか聖女ユナリアス。────我が妹を殺しておいて、自分には殺される道理はない、と?」


「妹? ま、待ちなさい。アナタの妹は……」


「病気で死んだ。表向きはな。だが、実際は違った……お前に殺された」


 そう言ってグリファス神父はユナリアスの足元に、妹毒殺の際に使用された袋を投げつける。

 それを見たユナリアスの表情が曇った。


「この日を今か今かと待っていたぞ。ずっと待ち望んでいた。姉はすでに地獄にいるぞ? 次はお前が行く番だ」


「ね、姉様、が……? な、なにを言っているの? アナタは一体なにを……」


「なんと物分かりの悪い。……樹怨のヴェニターナは自分が偉くなりたいから、妹も偉くなって凄いと思われたいからという理由で多くの不正を働いた。そんなとき、お前の短慮が我が妹を殺してしまったため、急いで隠蔽したのだそうだ。知らなかっただろう? 姉はその報いを受けたのだ」


 グリファス神父は右手に斧を持ち、左腕のガントレットの爪を煌かせる。

 幻覚も相俟って、それはさながら悪魔のように映った。


「ひぃい! ……な、なんてことを、この外道ッ!! よくもヴェニターナお姉様をぉぉおおおッ!!」


「肉親を喪って悲しいか? なぜ悲しいかわかるか? 奪われたからだ。特に……己の利益のために理不尽に殺されたときなどはもうたまらない!! その首謀者がのうのうと生きていることにもなぁ!!」


 グリファス神父は左腕のガントレットからガスを噴射すると姿を消した。

 対ユナリアスのために開発された、ヴェニターナ戦で使ったのよりもっと強力なものだ。


 なにが幻覚で、なにが現実か。

 その境目すら打ち消してしまう冒涜的な世界へと精神を誘うほどの効能を持つ。


「ゲホッ、ゲホッ……。────ひ、ぎゃぁぁぁあああああぁぁああああああああッ!!」


 ユナリアスは悲鳴を上げる。

 先ほどまで視界に映っていた神聖な地下礼拝堂は完全に別世界となっていた。


 蛆虫が絶え間なく天から降り注ぎ、腐った死肉がブヨブヨと床の上で踊る。

 飾られていた聖人像は悍ましい魔物のように変わり果て、ギョロギョロと無数の目をひん剥いてユナリアスを見ていた。

 

「ぎゃああああ! ぎゃああああああッ!!」


 臭いも感触も全部ある。

 肉や血が肌にこびり付き、そこに蛆虫が食らいついていった。


 魔力を練ろうにも、思うようにコントロールが効かない。

 魔導炉そのものにも影響を与えるほどに強い幻覚作用があるのだ。


 まさしく呪われた密室。

 ここはグリファス神父の憎しみの世界。


 しかし怒りの悲しみの炎は、これだけに留まりはしない。

 幻覚や幻聴の世界はさらなる進化を遂げる。


《ユナリアス様……どうしてです。どうしてアナタは私を殺したのですか?》


「ひッ! あ、アナタは……っ!!」


 目の前に現れたのはグリファス神父の妹。

 毒で喉をやられたせいかガラガラ声で血を噴き出しながら喋る。


 そればかりか喉にポッカリと、褥瘡(じょくそう)でもできたかのように穴が開いてしまっていた。

 グチャグチャと音を立てながら辛うじて人型を保っている彼女の姿に、ユナリアスは戦慄する。


《信じていましたのに……アナタはきっと高潔な精神の持ち主であると、信じていましたのに……》


「ぁ、あぁああ……ま、待って……お願い……」


《よくも裏切ったなぁあああああああああああッ!!》


「うわぁあぁああああああッ!!」


 気が狂ったような叫び声を上げて襲いかかる彼女から逃げ回る。

 雄叫びを上げて迫ってくるグリファス神父の妹に恐怖しながら泣きじゃくり、必死にこの狂気の世界からの出口を求めた。


 すると今度は、磔刑にされた姉ヴェニターナが肉塊の床からゾルゾルと生えてくる。

 蛆虫だけでなく、蜂やムカデなどの害虫に蝕まれ、ズクズクになった姉の姿にユナリアスは絶句しへたり込んだ。


《ユナリアス……ユナリアス……アナタは本当に手間のかかる妹。アナタがバカなせいで……私はこのザマ》


「お、お姉様。ヴェニターナお姉様……違う、違うの……これはぁ」


《なにが違うの……アナタが早まったことをしなければ……私は今ごろ、第五天使として日常を送っていたのにぃぃいいい……アナタのせいよ、全部アナタのせいよッ!! ……返せ、私のこれまでの苦労……私の輝かしい人生……全部返せぇぇえええええッ!!》


「いやぁああああッ!! ごめんなさい! ごめんなさいお姉様ぁああああッ!!」


 ヴェニターナは口から大量の蛆虫を吐き出しながら怒号を上げる。

 そして後ろからはグリファス神父の妹が迫って来た。


 ユナリアスはなりふり構わず逃げ回る。

 どれだけ助けを求めても周りにあるのは異形の住人たち。


 しかし、ここでやっと人らしい人に出会えた。

 

「グリファス神父ぅぅぅぅうううううッ!!」


「……」


 ユナリアスは滑り込むように彼の足元に跪き、縋りついた。


「お願いです! すぐにこの世界から解放してください! 頭が狂いそうで……もう耐えられないッ!」


「……」


「なんとかおっしゃって! えぇそうです! 私はアナタの妹君を殺しました! どうしても聖女になりたくて……魔が、魔が差したのです!」


「魔が差した? ほう、それは初耳だな」


「あ、いや、違います! 今のは、その、言葉の綾で……」


「言葉の綾!! ほう、権力欲しさに我が妹を殺しておいて"魔が差した"、"言葉の綾"!! ……随分と立派なワードが出てくるじゃあないか」


「待って……待って……えと、えっと」


「まともに喋ることも叶わないのか……こんな大馬鹿者に、私のたったひとりの身内は死んだ。私の人生は、妹の人生は……ッ!」


 グリファス神父の冷たい声がマスク越しに響く。

 

「だがそれも終わる……永獄の苦しみをお前に与えてやるッ!」


 装置をフルパワーで作動させた。

 左の爪でユナリアスの胸を突く。


 そこから注入された毒液は、報復と慟哭を司る魔女が作った最高級の代物。

 死してなお、毒は効き続ける。


 魂となって地獄へ落ちようとも、再度生まれ変わろうとも、なにをどうしようとも、この毒が抜けることはない。

 ────ユナリアスの輪廻が終わるそのときまで。


「あがッ! あがぁああああああッ!!」


「さらばだユナリアス。地獄でも来世でも、蝕(むしば)む毒に身も心も苛まれるがいい……」


 斧が一閃し、ユナリアスの頭をカチ割った。

 毒状態のまま放置してもよかったが、やはり最後は自らの手で決めておきたい。


 手を放すと、斧が刺さったまま頭が一瞬震えた。

 そして力なく倒れる。


「……復讐は、終わった。やり遂げたぞ」


 グリファス神父はマスクの中で呼吸を整える。

 宿願を果たせたことに、薄っすらと涙を浮かべた。


 すべての呪いから解放された気分だ。

 背負っている装備が嘘のように軽く感じる。


「さて、ロザンナがどうなったか……彼女もそろそろ復讐を終えたころあい、か?」


 グリファス神父は余韻に浸りながらも、素早く地下礼拝堂から地上へと駆け上がった。

 彼が去った礼拝堂にはポツンとユナリアスの遺体が転がっている。


 聖女の死とは思えぬほどに凄惨で、恐怖と狂気に染まった表情で固まる顔が天井を見上げていた。

 地位と権力に魅了された女は、孤独に生涯を終えた。



(穢れなき権力などこの世には存在しない、か。たとえそれが聖女という立場であっても……)

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