第28話 皇帝への謁見前の朝

 第五天使撃破から数日が経つが、まさに息をつかせぬほどの忙しさだった。

 魔王対策の会議が幾度も行われ、それが夜通しで行われることも。


 ヴェニターナの葬儀もあり、その際聖女ユナリアスは悲しみの涙を流す。

 姉を慕っていたため、その泣きっぷりは多くの者の心を射止めた。


 ある日の未明、聖堂にある神の像の前でユナリアスは跪きながら、大粒の涙で床石を濡らしている。

 そこへグリファス神父がやってきた。


「おお神よ! なぜ我が愛しき姉を! 帝国のためにその清廉なる心を以て尽くしてきた我が姉をなぜ! これも、聖女たる私の試練であると言うのですか!」


「聖女ユアンナ、この度の件、お悔やみ申し上げます」


「アナタは……グリファス神父」


「アナタの姉君、ヴェニターナ第五天使はまさに天の御使いの如く立派なお方でした」


「あぁグリファス神父……そう言えば、アナタの妹君は病でお亡くなりになっていましたね」


 グリファス神父の眉が一瞬動きを見せる。

 ぬけぬけと息をするように嘘を吐く目の前の女に殺意を抱かずにはいられない。


 しかしそこはさすがのグリファス神父。

 それ以上表情を変えることなく、淡々と彼女に話を合わせる。


「えぇ、ですが妹もアナタが聖女となったことで、天国で満足していることでしょう。アナタなら妹の意志のみならず、お亡くなりになった姉君の意志を背負って強く気高く生きられるのでしょうから」


「そ、そうでしょうか……。私は今、自分が情けない。聖女という存在であるのに、こうも立ち直れないでいる……自らの心の弱さを感じております」


「……聖女様の苦しみを癒す術を私は持ってはおりません。ですがもしも頼られることあらば……いつでもお力になります。もっとも、無力な私にできることなどほとんどないでしょうが」


「そ、そんな! あぁグリファス神父、気高き聖者の精神を持つ人よ! アナタのお陰で、私はまた前へ進めそうな気がします。これからも、私の相談に乗ってくださいますか?」


「仰せのままに。いつでもお声をおかけくださいませ」


 グリファス神父は聖女ユナリアスからなの信頼を得ることに成功した。


(参考にさせてもらったぞエブリン。この方法、有用に使わせてもらうとしよう。しかし……芝居に芝居を重ねるのもまた気苦労の多いものだな。エブリンは幼いころからこれをずっと行っていたのか?)


 そう考えるとグリファス神父はエブリンに憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

 たまに彼をからかったりするあのあどけなさの残る表情の裏では、ずっと暗いものを隠し持っている。


 悲しみから立ち直ろうと、神の像の前から踵を返すユナリアスを見送ったあと、グリファス神父はその像を見上げて呟いた。


「神よ。どうか我らをお見守り下さい。たとえアナタの意志に外れる道を歩むとしても」


 大聖堂に朝日が差し込む。

 それは同時に多くの者の目覚めを現した。


 エブリンも然り。

 彼女はゆっくりとベッドから身を起こして軽く伸びをした。


 しかし自分の部屋ではなく、レムダルトの部屋でだ。

 隣りでまだ寝息を立てる半裸のレムダルトを起こさぬように静かにベッドから降りる。


 窓から差し込む仄かな光がエブリンのしなやかな肢体を優しく照らした。

 黒いレースがあしらわれた紫色の下着のみ彼女の肉体を包んでいるため、ほんのりと温い室温が肌身に染みる。


 起床時間までにはまだ早いが、いつもより早く目覚めたエブリンは上衣を羽織り、朝の準備をしようかと思った。

 そのとき、ドアと床の間に1枚の紙が差し込まれているのを発見する。


『執務室で待ってる。すぐ来い。アルマンド』


(アルマンドが? ふ~ん、まぁアイツならこの格好のままでもいいか)


 わりと適当に考えながら、ドアを開いて執務室へと入る。

 ソファーにはアルマンドが座っており、いつの間にか淹れた紅茶を愉しんでいた。


「おはようエブリン。お、そんな格好で来てくるとはな。ストリップかな? それともオレとストリップ勝負がしたいのか? 負けへんぞ」


「なに馬鹿なことを言ってるの。こんな朝っぱら来るなんて、アナタこそなにごと?」


 エブリンは向かいのソファーに座り、同じく紅茶を飲む。

 

「たまにはいいじゃねぇか。お前さんとこうしてふたりで話すなんて久しぶりじゃないか?」


「何度もあったわよ」


「あーそっでっか。……それよりその恰好から察するに、ついにレムダルトとヤッたのか?」


「ざ~んねん。彼ったら直前でヘタレて小一時間布団に包まっちゃったもの。そのあと、軽めに甘やかしてあげただけ」


 連日行われる、今までにない緊張感を持った会議で精神的に疲弊したレムダルト。

 特にヴェニターナの死は彼にとってかなりショックだったらしい。


 というのも、ヴェニターナはレムダルトにとっては先輩にあたる存在で、聖女ユナリアスとの付き合いの中で親しくなり、姉のように慕っていた側面があった。


 当然レムダルトはこの姉妹の裏の顔を知らない。

 しかしまぎれもなく親しい存在であった彼女が死んだことで、親愛を感じる者の死を間近に感じ取ったのは明白。


 最初は気を張っていたレムダルトだったが、ふとエブリンが死んでしまったらと考えたら、とんでもなく悲しい気持ちになったらしい。


 そして昨晩、レムダルトは精神的疲弊のせいで半ば強引にエブリンをベッドへと連れて行った。


 エブリンは最初は驚いたが、自身への信頼や依存性を高められるのならと思い、彼の気持ちに身を委ねようと思ったのだが、瞬時に冷静になったレムダルトが顔を真っ赤にして動きを止めて、布団へ潜り込んで謝罪を繰り返すという姿を見せた。


 これにはエブリンもさらに驚愕することに。


「は~、なるほど。一時の感情で黒歴史を作っちまったわけか」


「未遂ってことにしてあげたわ」


「それ譲歩になってない。逆に傷付くパターンやぞ」


「知らないわよそんなの」


 エブリンは紅茶を一飲みして、カップを受け皿に置いた。

 

「でも、ベッドの中の彼、結構可愛かったわよ? 小動物みたいで」


「完全に手玉に取ってんなぁ。さすがオレの教育の賜物だな」


「ハァ~、そこは……うん、認めざるを得ないわね」


「テキストとジェスチャーだけだったが、房中術だって教えてやったんだから使えよ~? 遠視で見ててやる」


「絶対イヤ! 釘刺しとくけど、レムダルトとの間のこと見たら殺すから」


「へいへい。……さて、オレはそろそろ行くかな。用件だけ言っとく。今日、ロザンナと会うことできるか?」


「ロザンナって、あの新しく来た? ん~、今日の仕事とかを考えるとねぇ」


「別に日中じゃなくていい。夜だ。夜にでも会ってやれ」


「夜ね。わかった。予定は明けておく」


 そう伝えるとアルマンドは、最初からいなかったかのように、この場から消えた。

 ただひとりエブリンが執務室のソファーに座り、紅茶をもう一杯。


 するとレムダルトが起きてきて執務室へ入って来た。

 そしてエブリンの格好を見てまたしても顔を真っ赤にして瞬時に背中を向ける。


「え、え、え、エブリン! あ、朝っぱらか……ッ! ふ、ふ、服を着てくれッ!」


「まぁレムダルト様ったら。昨晩は私の服を脱がせたくせに、今度は服を着ろと言うだなんて」


「わー! き、昨日のことは、その……えっと……うぅ……」


「もう、煮え切らない人。言ったではありませんか。私は気になどしていないと。それに、昨晩のアナタはとても可愛らしかったので。フフフ、いいものを見させてもらいました」


「え、エブリン! く、くぅう。……こ、紅茶飲んだら服を着てくれよ? 仕事があるんだから」


「わかっております。今日の予定はすでに把握しております。時間に遅れずキビキビ動きましょう」


 こうしてエブリンとレムダルトは、またいつものように仕事への準備をする。

 今日は会議はなく、通常の仕事となるため、時間的にはまだ余裕をもった動きができた。


「エブリン、結婚の件なんだけど、皇帝陛下は君を第六天使にしようかと考えておられる」


「第五天使ではなく、……新しい天使の枠を作られ、そこに私を?」


「うん、第五天使には古参の上位師の内の誰かを入れるらしい。……それでも、大丈夫かな?」


 第五天使の座に古参を入れるというのは、あくまで体裁を保つというのも含まれているだろう。

 上位師であるのなら喉から手が出るほどに欲しいであろうその座に、有能とはいえいきなり小娘が入ればそれだけで不満が生じる。

 それを抑えるための処置だ。


「えぇ、まったく問題はありません。あ、私としたことが、皇帝陛下にご挨拶を申し上げなければ……」


「そうだな。時間が空いたら一緒に行こう。……結婚はまだ時間はかかるらしいけど、皇帝陛下は俺たちを歓迎してくれている」


「嬉しいです。レムダルト様」


 エブリンは執務机の前に座るレムダルトの背後からそっとしなだれかかるように腕を回した。

 ここまで非常に長かった、ついに皇帝を眼前に置くことができる。


(待ってなさい皇帝。愛しのダーリンと会いに行ってあげるわ。もっとも……その先に待っているのは地獄でしょうけど)

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