第24話 The point of no return

 あの集まりから数日した日の夜。

 レムダルトとエブリンはともにソファーに座りながら、仕事終わりの一杯を楽しんでいた。


 エブリンの淹れる紅茶は身も心もほぐしてくれて、仕事終わりに飲むには最適だ。

 レムダルトは彼女とのこの時間がなにより好きで、今では彼女の腰に手を回して抱き寄せるようにくつろぐようにもなった。


「フフフ、以前は手を繋ぐだけで顔を赤くされていたのに」


「最初のときのことは言わないでくれ。俺だって成長したんだぞ」


「そうですね。色んな女の人と気さくに話されるので、最初は意外にプレイボーイなのかなと思いましたけど」


「あ、あのなぁ……」


「冗談ですよ。こうしてアナタに触れていただけるだけで、私は幸せです」


「エブリン……」


 レムダルトのエブリンの腰に回している手に力が入る。

 途端に、この時間がもう終わってしまうのが寂しく感じられた。


 もっとエブリンと話していたい、まだ一緒にいたいと思い会話を弾ませようと考えるも、なにも思い浮かばない。

 そんなとき、エブリンのほうから話を持ちかけてきた。


「レムダルト様は氷の魔術に長けておられますが、魔術はどなたから教わったのですか?」


「うん? あぁ、第一天使のラーズム様さ。あの方は皇帝陛下のご意見番も務めてる。皇帝陛下……いや、異母兄上(あにうえ)がまだ小さかった俺に彼を教育係としてつけてくれたんだ」


 ラーズム老の手ほどきにより、レムダルトはメキメキとその才能を伸ばしていき今に至る。

 皇帝だけでなく、今の上司であり教育係でもあったラーズム老もまた、彼にとってかけがえのない絆だった。


「大変だったよ。俺の出生に関してはエブリンのことだからもう知ってるだろうけど、当時の俺にとっての絆は異兄上とラーズム様……いや、爺やだけだったんだ。このふたりだけが、俺を認めてくれた。ここにいていいんだって感じさせてくれた。そのお陰で今の俺がいるんだ」


「では、私もおふたりに感謝せねばなりませんね」


「え?」


「だって、もし皇帝陛下やラーズム様がおられなかったら、きっと私はアナタと……」


 エブリンは目を潤ませながらレムダルトを見つめながら、両腕を彼の背中に回し、密着させる。

 その所作に思わず心臓を跳ね上がらせたレムダルトは、顔を真っ赤にした。


 完全に術中にあると睨んだエブリンは微笑みを絶やさずレムダルトの頬を撫でながら語り掛ける。

 

「私の気持ち、知らないわけではないですよね? もうここまでの関係なのに」


「え、あ、いや……俺は」


「フフフ、その気がないってことかしらね。……残念」


 エブリンはスルリとレムダルトの腕から離れ、窓のほうへ歩いていく。

 レムダルトは突如なくなった彼女の温もりに切ない表情をしながら立ち上がるが、どう言葉をかければよういのかわからず、口をパクパクと動かすだけだった。


「秘書になればアナタと一緒の時間ができると思ってた。そして、私も天使になればきっともっとアナタとの時間が共有できるとも……」


「え、天使だって?」


「えぇ、小さいときからの夢だったんです。天使という偉大な魔術師になりたいって。でも、その道の途中で、レムダルト様、アナタに出会ってしまった。私の夢に、愛が圧し掛かったのです」


 エブリンは振り向くと、綺麗に澄んだ碧い瞳を悲し気に覗かせる。

 振り向いた拍子に揺れる金色の髪と、女性特有の曲線が美しく揺れながらレムダルトに熱い感情を向けるその動作は彼を瞬く間に魅了した。


「天使か……うん、確かに君の実力ならあるいはね。でも、仮にだよ? もしもなんらかの理由で君が天使になってしまったらだ。君は時間をもっと共有できるって言ったけど、それは難しいよ。天使としての仕事をする以上、ずっとにはいられない。別々の道を歩むことだって……」


 そう言って俯くレムダルトに、まるでそっと空から舞い降りた天女のように眼前まで歩いてきたエブリンは優しく伝える。


「えぇ、きっと秘書のときのようにはいかない。でも、ひとつだけ道はあります」


「どんな?」


「フフフ、わかりませんか? ────私はアナタとずっといたい。帝国を守る同志として、一生の伴侶として」


 エブリンの言葉を聞いたとき、レムダルトの頭の中が真っ白になった。

 恋仲とも言えるこの関係が終わるのではないかと内心恐怖していた日々の最中、目の前の麗しの想い人からの愛の言葉。


 今までに経験のない感情がレムダルトの中で爆発しそうになる。

 レムダルトは涙しながら微笑んだ。


 窓から差し込む明かりをバックにするエブリンが霞んで見える。

 ゆっくりと手を伸ばして彼女を抱きしめるレムダルトは、喜びのあまりのか細い声で何度も感謝の言葉をエブリンに述べた。


 人生最大の喜びを与えてくれた彼女に対して、レムダルトは是非ともお礼がしたいと、皇帝直々に申し出ることを決意する。


「エブリンと結婚したいから彼女を天使にしてくれなんて、多分聞いてはくれないだろうけど。俺、やってみるよ」


「レムダルト様……嬉しい」


「約束する。必ず俺は君を天使にする……。そして、必ず君を幸せにする。だから……」


「はい、信じております。あの、しばらく、このままで。アナタの温もりが消えるんじゃないかって思うと、なんだか怖くて……」


「あぁ、あぁ……ッ!!」


 エブリンを離すまいと強く抱きしめるその腕の中で、エブリンは計画通りと言わんばかりに笑んでいた。

 男には見せられない冷たい眼光に吊り上がった口角は、まさに妖婦、悪女のそれに相応しい。


「今日は私、帰りたくないです」


「え……」


 執務室の続きにあるドアの向こうは、レムダルトの部屋だ。

 その方向にチラリと視線を向ける。


「レムダルト様、今宵だけでも。ダメ、ですか?」


「あ、いや、俺の部屋は今散らかってるしその……」


「ハァ、ここまできて煮え切らない人……意気地なし」


「わ、わかった! いいよ、一緒に、だよな?」


「クス、えぇ、一緒に。……あ、でも、本番はまだダメですからね?」


「ブッ! ちょ、な、な、な、なにを……ッ!」


 完全に掌で踊るレムダルトの腕を抱きながら、エブリンは彼の部屋へと一緒に向かう。

 とりあえず天使への切符は手に入れた。


 これが上手くいくかは、第五天使の抹殺にかかっている。

 エブリンは確信していた。


 皇帝はきっとレムダルトの意志を尊重すると。

 レムダルトは皇帝にとって数少ない心を許した存在。


 ずっと気にかけていた異母弟が、やっと伴侶となる女性を見つけたとならばきっと喜ぶ。

 エブリンは宮廷道化師をしているアルマンドに、前にあることを聞かされていた。


 皇帝は実は自分の噂を聞き、妾のひとりにしようかと狙っていたが、レムダルトの秘書になったことで一旦手を引いたことを。


(あぁ、私は愛と復讐の炎。天使という高みに立った直後、帝国は私という燎原の火で混沌に満ちる)


 エブリンはレムダルトにベッドに押し倒されながら本物の天使さながらに微笑む。

 熱と沈黙の空間の中で両者は重なり合うも、やはりどこかすれ違っていた。


 そのすれ違いによる違和感をレムダルトに悟らせなかったのは、もしかしたら一時(いっとき)の愛がなせる業のひとつなのかもしれない。


 事実レムダルトは、彼女を愛している。

 だが愛を感じれば感じるほどに、心の内に秘めたこれまでの寂しさが次第に強くなっていった。


 自分に溺れていく男の温もりを感じながら、エブリンは目標に近づいていっているのを実感する。

 ────長いようで短い夜は、徐々に明けていった。

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