第19話 エブリンの憂鬱、闇魔術のグレゴリー
昇級の式が終わり、上位師として働いてから早数か月。
エブリンは中位師時代よりも精力的に行動する。
エブリンとグリファス神父からのリークにより、魔王はさらに攻勢を強める。
死角を抉り、ついには一国を壊滅させるに至った。
魔王はここを根城とし、ほかの反乱軍の者たちを招き入れ、軍隊を築き上げていく。
しかも魔王の噂を聞いた、帝国と対立していた他国から莫大な支援を受けるようにもなった。
魔王をトップとする新たな敵対勢力の登場に、皇帝は大激怒。
国家を揺るがす一大事として、上も下も右往左往する中、エブリンは上位師としてその有能ぶりを発揮していく。
魔王軍との戦いでは、お互い情報を共有しつつ、上手く帳尻を合わせた。
反乱軍を生贄に出すことを最初は渋った魔王だが、己の目的を見失うなというエブリンの説得により、彼らはエブリンの手柄の一部となるために、戦場にて散っていく。
こういった戦闘は勿論、大量の書類作業に部下の管理、たまの天使たちの接待など、上下問わず自らの存在をアピールしていった。
同じ上位師は勿論、中位師や下位師からの信頼や羨望の眼差しは留まることを知らず。
さらに注目を得ようと調子に乗ったエブリンは服装にもこだわった。
エインセル上位師のように、ゆったりとしたドレスのような服装ではなく、もう一方の上位師の服装を選んだのだ。
中位師の制服よりさらに上等な質でできた制服をまとう。
スカートはヒラヒラしたものではなく、ヒップや脚のラインを美しく見せるタイトなものにした。
胸元はわざと開けて、幼さがまだ残る少女でありながら蠱惑的な部分を強調するように。
このときからエブリンはある人物にアプローチをかけ始めた。
天使の中のひとり、第四天使である。
しかしなぜ第四天使なのか?
この天使は、皇帝へと至るためのキーパーソン的存在なのだ。
氷牙のレムダルト、19歳
異名のとおり、氷魔術を専門とした上位魔術師。
皇帝とは異母兄弟にあたり、その魔術の才は地上最強の魔術師とまで言われる皇帝も一目置くほどである。
異母弟(おとうと)への信頼は厚く、誠実な性格を好み、第一天使であるラーズム老を彼の師に当て、今日まで自分の傍に置いている。
前の第四天使が病死したあとに、彼がその座についた。
人柄も良く才能もあるレムダルトが第四天使になることに誰も異論はなく、彼は帝国中から祝福されるという恵まれた人生を歩んだ。
エブリンはアルマンドと協力しレムダルトの行動パターンや好みなどを十全に把握した上で近づき、仕事は勿論、ときには偶然を装ってそのままふたりだけの時間を作ったりもした。
レムダルトからの信頼を勝ち取り、正式に秘書として新たなスタートを切ることとなる。
その前日の夕方だった。
「ねぇアルマンド」
「あん?」
「今の私、最強じゃない?」
「うん、そういうとこやぞお前」
出世したエブリンは上位師の寮の一室で、アルマンドを呼び、ともにくつろいでいた。
中位師のときよりずっと快適な部屋で、エブリンはソファーに腰掛けながらコーヒーを一杯。
エブリンの悪い癖がまた出てきたので、アルマンドはそれを軽くたしなめた。
「大丈夫大丈夫。ヘマは絶対しないわ。」
「まぁいい。しっかし驚いたなぁ。まさかこんな短期間でここまで昇り詰めるたぁ」
「でしょう? 私だって考えて動いているのよ」
「だがなエブリン。ちょいと目立ち過ぎだぜ。同期の上位師のグレゴリーってヤツいたろ? アイツもうお前のストーカーになってんぞ?」
「あぁあの人? ……確か同期で闇魔術の達人だっけ? こないだなんてプレゼント貰ったわ。大きい宝石のついたダイヤモンド。あー気持ち悪い」
同じ時期に上位師になった男で、宮廷魔術師となったその日からずっとエブリンのことを見ていたらしい。
最初は警戒こそしなかったが、ここ最近になってからは随分と視界に入るようになった。
やたらと言い寄ってきてはデートだのプレゼントだのと、エブリンに対してアプローチをかけてきて、それが段々過激になってきている。
こういった行動をするのはグレゴリーだけではないが、彼は一段と抜きんでていた。
「でも、その気持ち悪さも終わり。明日からはもう第四天使の傍につきっきりになるんだから。もう相手する必要はないわ」
「そうかねぇ。そうは思えんな。オレの未来予知によるとだな……」
「あー大丈夫。なんかあってもグレゴリー程度私がなんとかするから。未来予知なんてズルを使わなくても平気よ今の私なら」
「おいおいおい、今までオレの能力めっちゃ頼りまくってこき使いまくったのにそりゃねぇぜ。ホントにいらねぇんだな? 知らねぇぞ?」
「ごめんって、アナタの能力は頼りにしてる。でも平気よ。今の私なら。さぁて、私そろそろ出るわ。書類を届けるの」
そう言って魔術研究のデータを記した書類を持ち、部屋を出た。
アルマンドは視線のみで見送り、真剣な顔つきで考え込む。
「やれやれ、めんどくせーことになりそうだぞ。ちょっとフォローしてやるか」
アルマンドはスゥッと透明化でもするように、エブリンの部屋から跡形もなく消えた。
彼女が未来予知で見たのは明らかな"邪魔"だ。
復讐の快進撃を続けるエブリンに水を差すような存在に、アルマンドは一種の嫌悪感を抱いていた。
(しかしさて、だからといってオレが一から十まで助けてやるってのも、それはそれで面白くない。……成長したエブリンがどういう反応をするのか、どういう対応をするのか、見てみたい気がする)
嫌悪感の裏で、愉悦や好奇心が渦巻き、アルマンドの行動を鈍らせる。
自分が面白ければそれでいいという彼女の性には、彼女自身逆らえなかった。
アルマンドはにやけた顔の中にドス黒い殺意を滲ませながら、ことの成り行きを見守ることにする。
エブリンが夕焼けの光で染まる宮殿の廊下を歩いているときだった。
もうすぐで書類を届ける人間の下へ辿り着こうとしていたとき、物陰から忌み嫌うべき存在が現れる。
エブリンと同い年くらいの少年で、見た目は悪くはないのだが、エブリンに対する執着が強い。
そのため、彼と出会う日はたいてい憂鬱になる。
「エブリン!」
「グレゴリー上位師……、なんでしょう?」
「なんでしょうじゃない! 秘書になるんだって? どうして!?」
「どうしてって……。あの、アナタの事情と私が秘書としてレムダルト様にお仕えすることに一体どんな関係があるんですか? 私は私の、アナタはアナタの仕事をすればいいだけの話でしょう?」
「関係あるに決まってる! 君、ずっとレムダルト様にアプローチかけてたよね? それって、レムダルト様に気があるってことじゃないのか!?」
悲しげな顔とは正反対に、グレゴリーは声を張りエブリンを威圧する。
今の時間人通りは少ないのが救いだが、ここまで大きな声を出されると誰かに聞こえる可能性があるというのを考えると、エブリンは恥ずかしさと苛立ちで、表情をしかめ始めた。
「ボクはずっと君のことを見てきたんだ! 君は誰よりも綺麗で有能で特別なんだ。君が宮廷魔術師としてやって来たときからボクは知ってる。ボクは君を誰よりも理解してる! なのに君はいつもボクにつっけんどんな態度をとって、デートの約束もすっぽかすし……」
「デートの約束なんか一度もしてません。くだらない妄想はやめてください。……あと、ずっと見てきたってどういうことです? レムダルト様と私が会ってたときも見ていたんですか? ……なんて気持ち悪い」
エブリンは冷淡な瞳で睨みつけながら、グレゴリーの脇を通り抜けようとした。
だがすぐにグレゴリーに腕を掴まれ、進行を邪魔されてしまう。
「やめてください。大声出しますよ?」
「待ってくれ! 悪かった……確かにデートの約束なんかしてない。妄想だった。君がレムダルト様に会ってたところを見ていたのも認める、認めるよ。だけど、信じてくれ。ボクは君に嫌がらせをするためにこうしてるんじゃない。君を貶めようとか、そういうのじゃないんだ。ボクの本当の気持ちを君に伝えたいだけなんだよ。そうだ、あの指輪! あの指輪なんてまさにそうだ! コツコツ貯めてようやく手に入れた指輪なんだよ」
「あぁ、あの大きい宝石の? 申し訳ありませんが捨てました」
「────え?」
「嘘です。今も持っていますが、正直処分に困っています。近い内に売りに出そうかと。……あ、返しましょうか? 別の誰かに差し上げれば、きっと喜んでくださるでしょう」
エブリンの言葉を聞いてグレゴリーは硬直したままじっと彼女を見ていた。
瞳からは光が消え、深淵の狂気に憑りつかれたような闇色の眼差しを向けている。
エブリンの腕からグレゴリーの手が滑り落ちた。
解放されたエブリンは会釈をしてプイッと踵を返して行ってしまう。
「────……」
そろそろ日が完全に落ちる。
宮殿を闇が包み始めていた。
ひとり孤独に佇むグレゴリーの心は仄暗い空虚に支配された。
同時に、沸々となにかが煮え滾ってくる。
空っぽのはずの心に、熱が宿っていくのがわかった。
憎しみに近いなにかだ。
正体はわからないが、グレゴリーはその心のままに行動を移す。
闇色の瞳を見開いたまま、彼は裂けんばかりに笑んでいた。
向かった先は、────エブリンの部屋。
グレゴリーの行動など露知らず、エブリンは蝋燭や松明で照らされた廊下を歩き、部屋へと戻ろうとしていた。
グレゴリーが現れるかもと内心身構えていたが、特にその様子もなくスムーズに部屋の前まで来れたことに違和感を感じる。
(おかしいな。もしかしてアルマンドが言ってた未来予知の内容ってあれだけだったの? ……まぁそれならいいか。さて、部屋でゆっくり休んで、早めに寝なきゃね)
そうしてドアノブに手をかけ、室内へと一歩二歩と踏み入れる。
しかし、五歩目で感じた嫌な魔力の気配。
────何者かが攻撃をしようとしている!
ゾワリと身を震わせ、いざ臨戦態勢を取ろうとした直後だった。
「────……、……え?」
エブリンは胸に感触を覚えた。
視線を落として見ると、【影の手】が彼女の胸を掴んでいる。
背後から脇下をぬうように、平面の手と指が彼女の柔らかな女肉に食い込んでいた。
一瞬なにをされているかわからなかった。
嫌な汗が噴き出る。
確かな手の感触がエブリンの胸を伝い、彼女の本能に警鐘をならしていた。
────ぐにゅ、むに……。
手は巧みな指使いでエブリンの胸を堪能し始める。
幾重にも感じる嫌な感触と恥辱に思わず叫びそうになったそのとき、その手から凄まじいまでの魔力が流れ込む。
「ガァッ!?」
高圧電流を浴びせられたような衝撃を受け、エブリンはそのまま前のめりに倒れた。
数秒の静寂のあと、部屋の闇の中から人影が現れる。
気配を消し、息を殺し、エブリンが帰ってくるのを待っていたのだ。
「お帰り、エブリン」
グレゴリー。
このとき彼は、エブリンを手に入れ完全に勝利していた気になっていた。
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