第18話 上位師前夜のふたりだけの密会

 上位師昇級式の前日。

 すでに夜中の0時は回り、寒さも一層極まって窓の表面は凍ったような彩りが上から下までを覆っている。

 グリファスは暖炉に火をくべながら、ソファーでくつろぐエブリンに語りかけた。

 

「正義、自由、平等、そして幸福。誰もが憧れてやまない高みだ。国内外問わず、こういった思想や概念はかなり根強い。これまで紡いできた歴史がそうさせているのだ。だが、これらの思想を抱く者にとって最も恐ろしいこととはなにか? 敵対する悪に敗れることか? 圧制によって束縛されることか? 違う、そんなものは彼らの意志を燃え上がらせるだけ。争いの種にはなるし、不安もあるだろうが、恐怖とは言い難い」


「では、なに?」


「────正義、自由、平等、幸福……これらを感じ取り行使する上で最も重要な要素、『時代』だ。時代によって自由の意味も幸福の内容も異なる。だが、新たな時代になり、新たな自由や幸福、正義が生まれたとしたら? それまで信じてきた思想を容易に捨てられるかね? これまで生きるために培ってきた指針であり行動原理であり、信仰とも言える主観的価値観だ。そう、正義は新たな正義の力を恐れ、幸福は自分とはまったく違う価値観の幸福を嫌悪する。『古い価値観として捨てられること』……言ってしまえば、これはあらゆる概念に共通する恐怖だ」


 グリファスは暖炉から少し離れ、両腕を腰に回しながら語る。

 さながら教壇に立つ教師か、教会で説法を行う神父そのもの。


 エブリンは黙って彼の話を聞いていた。

 こういったグリファスとのコミュニケーションは心に落ち着きをもたらしてくれる。

 なにより声が良い。

 どこか渋くて余裕のある声調で、エブリンの耳介に心地良く響いてくるのだ。


 アルマンドや魔王とも知的な話はするが、元の性格が荒っぽいゆえか言葉が乱暴で、ときに聞くに堪えないようなことを喋りだすことも。

 それに比べて、グリファスはかなり紳士的だ。

 これが父親、若しくは兄がいるという感覚なのだろうかと、エブリンの頭の中を撫でるようによぎる。


「正義を例にしてあげるとだ。大抵の正義を謳う者の行動はどこか常軌を逸していて見えるだろう? 中には道を踏み外していると言わんばかりに過激なのもある。彼らの目的は自らの正義を成すことだが、そのほかにも欲している。────『永遠の価値観』だ」


「永遠の価値観……? 自分たちの正義が未来永劫の価値として残るってこと?」


「そうだ。選民思想を正義とするなら、それを世界の真理として残そうと活動するわけだ。拝金主義こそ幸福であるならそれをずっと続かせようともする」


「でも、永遠の価値観なんてないわ。私もアナタもそうだもの」


「そうだな。……だが、このカマエル帝国、そして皇帝は違う。帝国も自分も永遠たる存在にしようとしている。それに付き従う臣下たちですらその思想に酔いしれている。悪酒よりも始末が悪い。帝国が長きにわたり定めた『幸福』や『正義』を永遠のものとするため、我々のようなものを多く輩出し、そして処分してきた」


「気に食わないわ……。ほんっとぶっ壊しやりたい。聞けば聞くほどイライラするわね」


 不機嫌そうに頬を膨らますエブリンを見ながら、グリファスはニヒルな笑みを浮かべ、壁側へと歩き部屋に飾ってある絵に目を向ける。

 グリファスの趣味なのか、部屋の隅にはいくつものキャンバスと使いかけの絵具が置いてあり、彼はいくつもの作品を壁に飾っているのだ。

 

 時間の経過による空間の変化、光と影の中にある人々の営みであったりと、それは暖かな画風であったりどこかセンチメンタルな印象を思わせたりと多岐にわたる。

 四角いキャンバスの中の世界はどこまでも自由で、生命の気が溢れているようだった。


 まさに今の自分たちの人生とは真逆の世界観だ。

 この絵はグリファスにとっての反逆の意志のひとつなのだろう。

 絵を通して伝わってくるのは憎しみでも怒りでもなく『悔恨』だった。

 グリファスの過去の思いが、キャンバスの中に描かれている世界に満遍なく詰め込まれている。


 エブリンとの初の顔合わせのあと、魔女アルマンドも一度彼と出会って話したらしいが、グリファスの性格や考え方が気に入ったらしく、互いに絵のことを話したりする仲にもなっているらしい。


「ふぅん、こんなに描いてるんだったら1回個展でも開いてみれば? 私観に行くわ」


「冗談。下手の横好きに過ぎんよ。……私には妹がいた。妹は私の絵をいつも楽しそうに見ていてな。妹が死んでからもずっと描いてる。描いているときだけ、心が落ち着くんだ」


「妹さん……確か聖女候補のひとりで、謎の死を遂げたっていう。その結果、今の聖女がいるってわけよね?」


「あぁ、『ユナリアス』……それが今の聖女だ。本来は私の妹が選ばれるはずだった。誰よりも優しく、美しく、そして能力もあった。無能な私と違ってね。……鼻が高かったよ。だが奴に殺された。ユナリアスもまた優れた能力を持ってはいるが、自分の精神と行為はすべて正しく清らかなものだと信じて疑わないという恐ろしい女だ。妹は毒殺された……裏はすでに取れている。だが、一介の神父の言葉など簡単にもみ消せよう……。私が今生きているのは、"妹は病気で死んだ"という報告を信じているフリをしているからだ」


「それで、アナタは聖女に復讐を?」


「そうだとも」


「ん~、魔王とずっとつるんでるアナタに今さらこんなこと聞くのもなんだけどね? ちょっとした好奇心からで前から思っていたことなんだけど、それって信仰的にどうなの? アナタはそれでいいの? アナタとっても熱心で信心深い神父様じゃない。もしかして、その信仰も仮初? 実は神様なんて愛してないとか?」


 エブリンは右足を上に乗せるように足を組む。

 半目のように目を細める彼女は、グリファスを試しているようでもあった。

 だがグリファスはその問いに対し鼻で笑いながら振り返る。


「心配は無用だ。私はどんなときでも神を愛している。例え神が私を見捨ててもだ」


「それは、なぜ?」


「私は神を愛している。他人と違うところは、。天国へ連れて行ってほしいという願いも抱いていない。────ただ"神"という存在そのものを愛しているのだ。それに対して神に見返りを求めたりはしない。己の利益のために神に仕えているのではないからだ。もしも神が私を地獄へ突き落としたいのなら、そうすればいい。無限の苦しみを味わわせたいのなら、それも甘んじて受けよう」


 グリファスの発言にエブリンは表情を変えないまま目をゆっくり見開く。

 彼の中にある狂気じみたなにかに、心が震えたのだ。

 それはまるで無償の愛に近い、おぞましいなにか。


「もしかしたら、神という価値もこの先の時代によって変化するかもしれない。永遠の価値観ではなくなるかも……。人類は"もしかして神は無力なのではないか?"、"神は人類を救わないのではないか?"というような疑問を抱くかもしれない。────だが、それでもかまわない。私は神を愛すると同時に、"神の無力"すらも愛してみせるのだから」


「それってなんの見返りもなく生きるってこと? 見返りのない信仰と復讐の人生のために」


「私にとって生きることは、見返りなき試練の連続だ。その最果てが虚無であったとしても、私は復讐を遂げて見せる。その復讐に神が怒りするのなら、喜んでこの魂を捧げよう」


「それはないわ」


「なに?」


「私がそうさせない。神に邪魔なんてさせないわ。私とアルマンドがいれば必ず復讐は成功する。失敗するわけがない! 私もアナタも魔王も、必ず復讐をやり遂げるのよ。世界をひっくり返して見せる!」


「……フッ、頼もしい応援(エール)として受け取っておこう」


 ソファーから立ち上がったエブリンの熱のこもった言葉に、グリファスは笑みを零す。

 エブリンの真っ直ぐな瞳に、彼は励まされた。

 もしかしたら、神は自分の復讐を応援してこの子を遣わしたのかもしれないとふと思うが、すぐにそれを振り払う。


(この子は魔女アルマンドの力で立ち上がったのだ。ならば神の怨敵以外にあるまい。そして私はその怨敵の持つ力を借りて復讐を成そうとしている……。神が私を愛するはずがない。だが、それでもいい。届かぬ愛もまた、偽りなき愛。私はこのまま神を愛そう)

 

 グリファスは一息ついてからエブリンとは向かい側にあるソファーに座る。

 エブリンも同じく座ってまた足を組んで彼を見つめる。


 その真摯な眼差しに、人を殺す際の狂気は見られない。

 敵には厳しく味方には優しいという、一種の仲間意識が芽生えているのか。


「そうだ。魔王……ドゴールはどうしてる? 私からのリークから君からのリークに変わって、戦いがやりやすそうだが。その分奴との関わりが減ってしまってな」


「そんな彼から伝言よ。『俺は大丈夫だ。アンタはアンタの目的を果たせるよう頑張れ』って」


「アイツが? クックックッ……アイツが"頑張れ"などと……随分と変わったなアイツも。君のお陰かな」


「フフフ、もっと褒めていいわよ」


「すぐ調子に乗るのはもう少し直したほうがいいかもな」


「ぐ……うっさいわね。……ん? ねぇ、さっきアナタが見てたあの壁の絵。あれもアナタが?」


「あれはアルマンドからの贈り物だ。異界の画家が描いた絵を彼女が模写してくれたんだ。模写とはいえかなり精密な筆遣いでね。出来を見たとき、一気に心を奪われたものさ」


「あ、あの女そんな特技もあったのね……」


「……『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。この絵のタイトルだ。こうして眺めていると不思議な気持ちになる。君はどうかね?」


「……さぁ」


 その声調はどこか寂し気でもあったが、グリファスはそれ以上は聞かなかった。

 しばらくこの絵をふたりで見つめてながら時間を過ごす。


 時刻は1時になろうとしていた。

 明日も早いのでエブリンは帰ることにした。


「明日の式に立ち会えないのは残念だが、緊張せずにな」


「緊張? 誰に向かっていっているのかしら? まぁいいわ。これで私は上位師として活動できる。天使の連中に一歩近づいたわ。うまくやれば天使の秘書に選ばれるかも」


「ほう、そんな制度があるのかね?」


「えぇ勿論。狙い目は第四天使の『彼』ね。うん、これを逃す手はないわ。……あ、そうだ。これもアナタに報告しなきゃね」


「なにかな?」


「私の上司のエインセル上位師なんだけど……彼女も昇格して聖女の守護術師(ガーディアン)になるそうなの。情報いる?」


「エインセル? ふむ……」


 エブリンは首を傾げる。

 彼女の名前を言った途端、グリファスはなにかを考え込むような表情と仕草をしたからだ。


「どうかした?」


「……ん、いや、ただの思い違いかもしれない。その情報だがね、今日はもう遅いからまた後日ということにしてくれ。私のほうもキチンと調べてから話そう」


「そう? なら、今日はもう帰るわね。ありがと、お話に付き合ってくれて」


 エブリンは屈託のない笑みを見せながらグリファスに可愛らしい仕草をして見せる。


「……さぁ、行きたまえ。君の出世を心から祝っているよ」


 そう言ってエブリンを見送った……かと思いきや、エブリンは部屋を出て、その途中でクルリと身を返して微笑みながら。


「────お休みなさい。


「ッ!? コラ! 私はまだ30代だぞ! 君のような娘がいるか! おいコラ笑うな! おいったら、待て! 待ちやがれッ! ……く、最後に人をからかって逃げやがった。……まったくしょうがない子だ」


 最後に見せたエブリンの意地悪な笑みのもと放たれた言葉と投げキッス。

 グリファスはハンカチで顔から出た動揺の汗を拭いながら、部屋の扉を閉める。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る