第17話 魔導大聖堂のグリファス神父

 魔王と裏で共謀するすることになって早数か月。

 エブリンは順調に出世の道を進んでいた。


 魔王もまたエブリンのリークで帝国を相手に今まで以上の戦果をあげている。

 魔王からの情報で、反逆者や反乱軍の居場所などを突き止めやすくなったエブリンは、流れ作業的なポイント稼ぎでもするかのように余裕をもって任務に当たっていた。


 そしてついに、エブリンは上位師になることが確定した。

 上位師になったのはエブリンを入れて5人ほど。

 天使の次に栄誉ある立場ということで、近々皇帝直々に労いをかけてくださるということだ。 


 皇帝に一歩近づいたエブリンは、笑みを浮かべながら、夜の寮の廊下を歩いていた。

 向かうのは、寮の隣にあるカマエル大帝国で最も神聖な場所とされる魔導大聖堂だ。

 ここにいる"ある人物"に用がある。


 夜間の大聖堂は基本立ち入り禁止だ。

 エブリンは魔女アルマンドの叡智を以て、この聖域に張られている侵入者を感知する魔術システムをかい潜り、奥へと進んでいく。


 蝋燭の火のほとんどは消え、暗闇に迷わぬように点々と間隔をあけて灯っているだけに過ぎない。

 聖堂内は厳かな静謐さと、今の季節に相応しい冷たい空気で満ちていた。

 その中での蝋燭の小さな灯りと、それに薄っすらと照らされる宗教美術は、昼間見る以上に美しく、そして幻想的に感じる。


 夜中の聖堂内にエブリンの靴音と寒さに耐える息遣いが、小さく響いていた。

 彼女以外の人間は見られないが、確信がある。


(魔王が言ってた"あの人"は遅い時間まで聖堂に残っていることが多いらしい。この時間帯ならもうすぐここを通るはずだけど……────お!)


 廊下の向こう側から靴音が響いてきて、動きのある黒いシルエットが闇の中で浮き彫りになる。

 長身の神父服をまとった男がいくつもの書物を脇に抱えながら歩いてきた。


「────お待ちになって神父様」


 白亜の彫像の陰からエブリンは神父に話しかける。

 神父は固い表情を崩さず、ピタリと足を止め、声のしたほうへ顔を向けた。


「誰かな? ……教会の関係者ではないようだが。どうやって入った?」


「フフフ、不粋な探りなどやめましょう。私はアナタに会いに来たんです。他の誰でもないアナタに」


「私に? さて、違反を犯してまで私に会いに来る物好きなどいないと思うのだが」


 エブリンは人差し指の先に魔力を込め、光を灯しながら彫像から出てくる。

 妖しい笑みを絶やさず美しい碧眼を細めながら神父を見据えた。


 白銀の長い髪を後ろで束ねた、褐色の肌をした真面目そうな神父は、その光を煩わしそうに見ながら溜め息をひとつ。

 ひと目で目の前の女の正体がわかったからだ。


 燎原のエブリン。

 今度上位師になるエリート。

 神父はそれくらいの情報しかなかったが、それだけで十分だった。


 その美貌とプロポーションは聖堂内の神父の間でも人気が高く、彼女こそ神の使いだというような変な考えを持つ者も多少なりともいる。

 だが、神父にとってはその他大勢に過ぎない。

 それはきっとエブリンのほうもそうだろうと思った。


 なんの力も才能もない一介の神父など歯牙にもかけないだろうと……。


「……確かまだ今は中位師だったな。では中位師殿。この私になにか? こんな夜中になんの許可もなく入ってくるなどとは。余程の用がおありなのでしょうな?」


「えぇありますとも。────アナタ、?」


「……なんのことやら」


 神父は真っ直ぐエブリンを見据えたまま低く言い放つ。

 動揺の色は一切見せないあたり、普通の人間より肝は座っているのはわかった。

 

 魔王とこの神父は繋がっている。

 これは紛れもない事実だ。

 なにしろ魔王の口から直に聞いた証言なのだから。


 詳しい関係までは深く教えてはくれなかったが、魔王が施設にいるときに唯一心を開いた存在で、彼の教えには素直だったらしい。

 そして帝国への憎しみを共有する仲だったとも。


「フフフ、誤魔化してもダーメ。私、知ってるんですよ? アナタが魔王に情報をリークして、魔王が動きやすいように仕組んでたって。でなきゃ魔王がたったひとりであそこまで帝国に抗えるものですか」


「それで?」


「……魔王から大方のことは聞きました。アナタは命の恩人とも。アナタと魔王は帝国に復讐の念を抱いてはいるもののその対象は違う。魔王は皇帝そして第一天使を。アナタは、────"聖女"を」


「……もしそれが本当だとして、どうする気かね? 私を殺すか?」


「まぁまぁ落ち着いてください。……ねぇ神父様。もしもこの私が、アナタと同様に魔王と手を組んでいるとしたら、どうします?」


「なに?」


 神父はこの場で初めて表情を変える。

 目を見開きながらエブリンを見ていると、こめかみから汗が伝うのを感じた。

 目の前の少女の言葉と視線が、まるで凶悪な呪術のように神父の身体にまとわりつく。 

 

 嘘を言っているようには見えなかった。

 むしろ明確な殺意のような信憑性を感じ取れる。

 

(まさか、本当に? だがどうして? 反逆者を捕えるための罠か? いや、罠などかけずとも私如き力で抑え拷問にかけるかその場で殺したほうが効率はいい)


 疑念が脳内を渦巻き、身体の節々を硬直させていく。

 肌に感じる冷たい空気が、そのまま凍り付くような感覚が襲った。

 どちらにしろエブリンからはもう逃げられないのは明白だ。


 美しい少女の顔をしたこの宮廷魔術師が、自身を惑わす悪魔に見えた。

 神父が色々と曇った思惑を過らせていると、エブリンは面白おかしそうに、且つ上品に微笑んでみせる。


「そんなに怯えないでくださいな。私はアナタを裁きに来たのではありません。……────神父様、ともに復讐を果たしませんか? 私と、魔王と、そしてアナタがいればさらに成功率は跳ね上がるでしょう」


「なんだと?」


「私もかつて施設で凄まじい迫害を受けたものです。ですが魔女の力を得て、顔も変えて蘇ったのです。覚えておいででしょう? 魔導機関本部の大爆発事故。あそこを破壊したのは私なんです」


 エブリンから語られる驚愕の事実に、神父は息をのむ。

 エブリンはかつてみすぼらしい少女だったこと、そして壮絶ないじめのあとに強大な力を以て復活を遂げた。

 これらの話を聞き、神父はだんだん引き込まれていく。


「アナタと魔王の関係も、魔王自身から聞きました。アナタのことを話しているときはいつもより穏やかに見えました。かなりの信頼関係があるようで」


 そのほかにも、魔王と神父しか知り得ない情報をエブリンは吐露していく。

 それは些細な思い出であったり、ずっと記憶に残る出来事であったりと多岐にわたった。


「そうか、あの男がそんなことまで口走ったか……。しかし、凄いな中位師殿。まさか魔王を実力でねじ伏せるとは」


「どうです凄いでしょう? 天使ですら難しいとされる魔王との激闘を生き残っただけでなく勝利まで掴んだんですから」


「そのようだな。……君の言うとおり、私は帝国に憎しみを、そして聖女に復讐を誓っている。だが、有効的な手段が見つからずずっと暗闇の中を歩いていた。……そこに君が現れた。私を仲間に引き入れてくれる、と?」


「えぇ、ともにこの帝国に復讐を」


「だが私はどうすればいいのだ? 私は君や魔王のように力を持っているわけでもなければ、魔術の才能があるわけでもない」


「それはこれから考えましょう。大丈夫、私には最高の魔女(パートナー)がいますから」


「……頼もしい。わかった。君と手を組もう。────改めて自己紹介だ。私の名は『グリファス』という。ついでに魔王の名も言っておこう。魔王の名は『ドゴール』だ。私以外この名で呼ぶことはないから、君の口からこの名が出たら奴もビックリするだろう」


「まぁ、うふふ。でしたら今度会ったときに言ってみますね」


 神父改めグリファスは久々に笑んだ。

 といってもやや皮肉めいたような笑みだったが、グリファスの中では温かいものが満ちていた。


「私のことはエブリンで結構です。復讐仲間に上下関係はありません。皆対等の存在ですので。……さて、私はもう帰りますね。またお伺いします」


「そのときは手紙のひとつでも……いや、言うまい。好きなときに来たまえ」


「────では」


 光が消えると同時に、エブリンの姿は聖堂内から消えていた。

 ひとり佇むグリファスは天井を見上げ、深く息を吸って冷気を肺一杯に取り込み、吐き出す。


「とうとう地獄への門が開かれたか。今は亡き妹よ……見ているがいい。私の行く先を」


 グリファスは踵を返し、再び歩き出す。

 日が昇ればまた普段と変わらぬ日常が始まるのだ。


 だが、その裏側で確実に汚染されていくのが見えていた。

 魔王にも、グリファスにも、エブリンにも、そしてアルマンドにも。


 そしてエブリンとグリファスが出会って手を組んでからしばらくの日々。

 エブリンが直々にグリファスの部屋へと、お忍びでやって来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る