スクラム 吉田ラグビースクール戦

前半3分

有来ありく高校ラグビー部 0対0 吉田ラグビースクール


 ラグビーを代表するプレーの一つにスクラムがある。軽微な反則があった場合の試合の再開方法だ。例えばサッカーでは、反則後の試合の再開はフリーキックによることが多い。ラグビーの場合の反則からの再開は、ペナルティキック、フリーキック又はスクラムのいずれかによって再開することとなる。その中でも、スクラムは、特徴的なプレーだ。

 両軍のフォワードの全員、つまり敵味方合わせて十六名のフォワードが押し合っているところに、ボールが投入され、押し合いによってお互いがの確保を試みる。なお、完全に五分五分で取り合うのではなく、反則をした相手方がボールの投入などのタイミングをコントロールでき、大方、ボールを投入した側ボールの所有権を確保しやすくなっている。といっても、安全上の配慮もあり、中学生のカテゴリーでは、フォワードの人数は、各チーム五人に減らされており、またそれほど激しく押し合ってボールを争奪しあうこともない。今回は、中学生のルールに準じ、両チーム十名ずつが

 スクラムは、試合の停止状態からの再開、いわゆるセットプレーであり、ほかの球技でもそうであるように特殊なプレーを仕掛けやすいタイミングのひとつだ。ただ、俺たちには高度なサインプレーを行うだけの技術はまだない。

「いいか、フォワード!ここ突破のポイントだぞ!」

 俺は、もう一度確認するようにフォワードに呼びかける。しゃあ、とか、おう、とか思い思いの返事が返される。

 俺は改めてグラウンドを見渡す。先ほど試合開始のキックオフを蹴りこんで、そのあとすぐ俺がタックルしたため、敵陣ゴールラインまでは二十メートル強。ラグビーのコートは、ラインから中央のハーフウェイラインまでおよそ五十メートルである。また、ゴールラインから二十二メートルの地点に、その名のとおり、二十二メートルラインが引かれる。ひとつの目安として、二十二メートルラインよりゴールライン寄りは、かなり陣地の深くというイメージだ。二十二メートルラインを跨ぐと、攻撃側としては、得点まであと一歩といったところだ。今回は、その二十二メートルをまたぐ形でスクラムが組まれようとしている。つまり、ワンチャンスで先制点だ。

 グラウンドの左右タッチラインにも目をやる。ラグビーコートの幅は、おおむね七十メートルだ。目測でスクラムの左側は十五メートル、右側は三十五メートルほどだろうか。俺は、定石どおりに、広い側、すなわちオープンサイドにオフェンスラインを敷くように指示した。スタンドオフの俺、第一センターの小田、第二センターの長山、右ウイングの鈴木となる。この場合、左ウイングの佐藤がどこにいるかというと、スクラムを挟んだコートの狭い側、つまりブラインドサイドだ。通常、ブラインドサイドにも攻撃側のプレイヤーを配置することが多い。ディフェンスの狙いを一転に集中させないためだ。

 俺の前方では、まさに今スクラムが組まれるところだった。

「クラウチ、タッチ、ホールド、エンゲージ」

 レフリーが、スクラムの合図を叫ぶ。エンゲージ、の発生に合わせて両軍のフォワードが激突した。しっかりと、有来高校側がボールをキープした。フォワードの最後尾の足元にあるボールに、砂田が手を伸ばす。砂田は、ボールを掴むと、パスを。そこには、左ウイングの佐藤がいた。


 実は、サインプレーと言えるほど大したものではないが、一つだけ暗号を作っていた。

「俺が、セットプレーの時に『突破』と口にしたら、そのとき俺がいるほうとは逆側にボール出せ」

 これが、唯一この一か月で練習した変則プレーだ。やっていることは、ごく単純なので、技術も何もいらない。プレー中ではないので、瞬発的な判断もいらない。それでいて、はじめて聞いただけでは、ただの発破のように聞こえ、サインプレーであると疑われにくい。ただ、砂田には、逆方向にパスを出すことが丸わかりにならないよう特訓をしてもらった。

「こんなん自然にやるって無理じゃない?だって体が向いているほうにしか投げられないし」

「豪、別に体が向いていないほうに投げろと言っているわけじゃない。いくつか方法はあるんだ。例えば、ボールにたどり着くや否や、構えるそぶりなくすぐ放れば、構えで投げる方向はばれないだろ?」

「なるほど」

「相手の想定を超える動きをすれば、相手はついてこられないんだ。だから、ボールにたどり着くまでは、必要以上にゆっくり歩く、そしてボールに手がかかったら、素早く逆を向いて、投げるんだ。そうすれば、その緩急で、必ず相手は出し抜かれる」

 俺は、砂田に何回もやって見せた。最初はぎこちなく、またボールも取りこぼす砂田だったが、何十回も練習するうちに、動きが体にしみついてきたようだった。それから、一週間、砂田は、毎日一人居残り練習をしていた。試合前日も居残り練習をしようとするので、さすがに、休むのも練習だ、と言って止めさせた。それに、彼は既に、このプレーにのみ関していえば、教えることがないほどの水準だった。


 砂田の逆方向へのパスがあまりにスムーズだったことに加えて、おそらくサインプレーなど想定していなかったであろう吉田ラグビースクールの相手ウイングは、一瞬反応が遅れた。ラグビーは、ただ相手から走り逃げるのにも技術がいる。闇雲に敵から逃げても、上手なディフェンス相手には、スペースを巧みに潰され、捕まえられる。ただ、それには限度がある。佐藤の走りは、正直に言えば下手だった。砂田から投げられたボールをがっちり、意地の悪い言い方をすれば、手慣れた様子とは真逆のぎこちない動きでキャッチすると、いきなり全速力で敵ディフェンスとタッチラインの間目がけて走りだした。緩急を付けて相手ディフェンスのペースを崩すことなどは、全く頭にないだろう。たぶん、俺程度の足の速さでは、あんな走りをしたらタッチライン際に追い込まれて終わりだ。ただ、佐藤は、まさに俊足だった。相手のウイングは、手を伸ばしても、佐藤の体に触れることすらできない。佐藤は、相手ウイングを抜き去ると、進行方向をゴールラインに対して垂直に取り直し、最短距離でゴールラインを目指す。パスを放った砂田や、スクラムを組んでいたフォワードは、得点を確信してその場に立ち止まっていた。

「馬鹿!走れ!追いかけろ!」

 俺は、自身も全速力で追いながら、彼らに檄を飛ばした。ラグビーの極意のひとつにフォロー、つまり攻撃する仲間を追いかけ、付いていくことがある。そうすれば、敵に捕まったとしても、自分がパスをもらい受け、さらに攻撃を継続することができる。仮にタックルで倒されてしまっても、その倒された地点に敵より早く駆け付ければ、そこで発生するボールの奪い合いにおいて、敵に対し数的優位を作ることができ、それにより攻撃継続の可能性を高める。

 佐藤は、ウイングを抜き去った。ディフェンスライン突破だ。ただ、喜ぶのはまだ早い。最後の砦、フルバックがいる。フルバックは、ディフェンスラインが突破されたときの頼みの綱だ。吉田ラグビースクールのフルバックは、有来高校のオープンサイド側への攻撃を警戒して、そちら側にポジションを取っていたが、ブラインドサイドへの攻撃と見るや、こちらにカバーに走ってきていた。左タッチライン際を直進する佐藤、佐藤の右やや前方から、左コーナーへ追い詰めるように佐藤を追いかける敵フルバックという構図だ。俺も佐藤の右後方から追いかけるがいかんせん佐藤の足は速く、彼との差は開くばかりだ。

「佐藤……!」

 二の句を継ごうとするが、うまく出てこない。速度をあえて落として、俺のほうによって来い?右前方にキックだ?そんな芸当はまだ彼にはできない!

「佐藤、行けー!」

 ゴールまであと十メートル。ここまで来たら走り切ってもらうほかない。もともとのプランは、シンプルに走りきる、だったはずだ。佐藤と俺との差はどんどん広がっているが、それでも次のプレーに備え、俺は懸命に佐藤を追う。しかし、フルバックもポジション取りがよかったのか、反応が早かったのか、佐藤を射程圏内に捉えそうだ。

 まずい。俺は、焦りを感じた。タッチ際のプレーには、難しい点がある。それは、タッチラインから出てしまえば、相手ボールでの再開となってしまう点だ。だから、敵は、タッチラインの外へ押し出す方向でディフェンスをする。ふつう、オフェンス側は、もし、タッチライン際でディフェンスに追いつかれそうになったら、外に押し出されないよう、あえて内側に切り込むなどの対応が必要になる。だが、佐藤にその考えはまだないだろう。

 フルバックは、まさに佐藤のユニフォームに手をかけんとしている。佐藤は、相変わらず前だけを見て、トップスピードで走り続ける。ゴールラインまであと五メートルを示す点線に、佐藤の足が掛かったときだった。果たしてフルバックが、片手一本を精一杯伸ばし、佐藤のユニフォームを捕まえた。相手フルバックは、右方から追いついてきた勢いそのままに、佐藤を左タッチラインの外へ引きずりだそうとする。万事休すか。おそらくこの『突破』は、二度目以降は警戒されて効果が激減する。敵陣深くでのセットプレーは、試合始まって早々、またとない好機だった。ここを潰されたら……いよいよ勝ち目はなくなる。勝利を諦めたその時だった。

 佐藤が、飛んだ。本当は、跳んだというのが正解なのだろう。でも、俺には、佐藤が『飛んだ』ように見えた。佐藤は、ヘッドスライディングのような形で、ゴールラインの向こう、インゴールへ飛び込んだ。敵フルバックは、佐藤の跳躍をなお握り続けるだけの握力はなかったのであろう、佐藤のユニフォームから手が離れ、一人グラウンド外へ転がっていった。佐藤は、勢いそのままにインゴールで二三回転する。トライを示す、レフリーの長い笛が響き渡った。

「やったな、佐藤!」

 後ろから、チームメイトたちが駆け寄ってくる。文句なしの奇襲、そして先制であった。
















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