パス

 概ね球技においては、一番初めに練習することになるのはパスだろう。味方から味方へ球を渡す手段であるパスは、球技においてもっとも基礎的な技術の一つと言える。ラグビーにおいてもそれは同様だ。

 ラグビーは、ボールを前方にパスすることができないスポーツだ。パスするときは、攻撃方向に対して垂直、つまり真横か、あるいは後方に対してパスすることになる。

 このラグビーのパスの種類は、大別すると二つある。スクリューパスとストレートパスだ。スクリューパスは、ラグビーボールをドリルのように回転させながら投げるパスで、ストレートパスは特に回転を掛けないパスだ。簡単に言うと、スクリューパスは、投げるのに技術がいる代わりに、ストレートパスと比較して遠くまで球を投げることができる。ラグビーボールがドリルのように回転することで、空気抵抗が低減されるためだ。ラグビーの初心者は、まずより基礎的なパスであるストレートパスから習得するのが通常だ。


 ランニングと準備体操が終わった後、いよいよ一年生が初めてボールを触る時が来た。一年生は、顧問の松落を取り囲むように円形になり、彼の話に耳を傾ける。

「ラグビーボールは、見てのとおり楕円形だ。さらによく見ると、縦方向に線が入っている。この線に中指を沿わせるようにしてボールを持ち、消防士がホースを構えるときのように、体の横の、腰の近くでボールを持つんだ。そして、手を振り子のようにして振りながらボールを投げる。これがパスだ。ほかの球技と同じで手首のスナップがコツだ」

 松落の身振り手振りを交えた話し方は分かりやすかった。ほかの一年生部員たちも、ひとまず頭ではやり方がわかったようだ。

「それじゃあ、二人組に別れて、まずはやってみよう」

 松落の号令に合わせて、一年生がグラウンドに散っていく。と言っても、フィールド内は、先輩部員が練習しているため、ポールが立っているゴールラインより外側、インゴールエリア内に広がっていた。

 俺は、たまたま近くいた砂田豪と練習をすることになった。

「航太郎は、ラグビーやってたんだよな?……あっ、悪い」

 砂田が、元々は白色だったのだろうが、使用するうちにグラウンドの土の色に染まったのだろう、黄土色がかかったラグビーボールをこちらに放ってくる。初めての経験だということを差し引いてもスムーズにパスができているとは言えず、松落が言うような体の横からではなく、正面から、ちょうど股の当たりからパスを出している。ボールの行方も、僕の足元から二メートルほど手前に落ち、ラグビーボール特有の不規則なバウンドであらぬ方向へ跳んでいった。

「ああ。一応小学校の頃からな」

 俺は、逸れていったボールを拾い上げ、小さい頃から慣れてるが故、松落が言っていたハウツーは無意識のうちに全て実行し、パスを投げ返す。俺が投げたボールは、綺麗な無回転で、砂田の胸元に収まった。

「お!さすが、経験者。球筋が違うな」

「茶化すなよ」

 パスをしながらも、俺は、今後のこの部活の過ごし方に思いを馳せていた。元々、ラグビーは辞めるつもりで高校に入った。別にラグビーが嫌いなわけではない。ただ、好きでもなかった。それに自分の体格にも自信はなかった。中学校では背の順で前から二番目。高校では、中学にも増して、フィジカルの強さが大切になるスポーツであることは、わかっていた。そんな世界で、大したモチベーションもなく、自分が県や地方ブロックの強豪相手に伍していける自信は全くない。それでいて、小学校から長く続けてきたというプライドのようなものはある。パス一つとってもどうだ、砂田とは雲泥の差がある。

「お、今度はちゃんと行った」

 先ほどと同じめちゃくちゃなフォームで、しかしボールの行き先だけは、ノーバウンドで俺の手の届く範囲に砂田がパスを投げてきた。

「上達が早いな」

 心からの言葉ではないが、嘘でもない曖昧な言葉を砂田に投げかける。そしてまた考え事をしながら、砂田の胸元に寸分違わずパスを返す。その行為の中に、自身の未来を見た。きっと今、無意識にそれなりのパスを砂田に投げたように、俺は部活も、力を入れるでもなく、かといって底辺に燻るでもなく、やり過ごしていくのだろう。そんな生き方に別に負い目は感じない。だって、部活なんて、一部の強豪を除けばみんなそんなもんだろう?人はそれを逃げと呼ぶだって?それは、人の自由だ。

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