近づき離れる

 六月中旬になっても梅雨入りしないのは、ここ数年では最も遅いらしい。平年であれば、今頃は雲に覆われ、鬱屈とした雲に覆われがちなこの地も、長雨らしい長雨もなく、むしろそれらを通りこして夏にきてしまったかのような陽気が続いている。


「いよいよボール触れるのかな」

 グラウンドへ向かう途中、慎吾が誰に言うともなしにつぶやいた。返事を求めているふうでもなかったが、僕も同調した。

「ああ。三年生が引退したしな。そろそろかも」


 高校スポーツでは、年二回の全国大会があるのが一般的だ。いわゆるインターハイと選抜大会だ。野球では、インターハイに相当する主要な大会を、開催地の名前を取って甲子園と呼ぶが、それと同様に、ラグビーでは「花園」と呼ぶ。ただし、ラグビーは、屈強な選手たちが激突し、密集し、走り続けるスポーツであるため、夏より冬に行うことが適している。冬のスポーツであるラグビーのインターハイ「花園」は、正月明けの決勝戦を目指し開催され、新人戦の意味もある選抜大会は、「花園」の興奮冷めやらぬ二月頃から地方予選が始まり、四月目前に決勝戦である。つまり、夏の期間は、総体と呼ばれる地方ブロックで完結する大会はあれど全国大会は無く、地方ブロック大会以外は合宿等に当てられることが多い。ほかのスポーツではインターハイのことを総体と呼ぶことが多く、紛らわしいが、ラグビーで総体と言えば、初夏の大会のことを指す。

 この、ある意味偏ったスケジューリングによって起こるのが、強豪校とそれ以外の高校における引退タイミングの違いである。強豪校においては、三年生は、花園がある年明けまで部活を続けることもあるが、大学受験を目指す大半の高校生は、初夏の総体で引退する。ご多分に漏れず、超強豪校でもない有来高校でも、三年生の引退は、この県ではゴールデンウィーク明けから行われる総体であった。

 

「花園予選までは、長い時間があるようで、たった半年しかない。県予選三回戦で負けた我々が県大会優勝、そしてその先を目指すためには、一時たりとも無駄にできない」

 夏さながらの陽気に、顧問の松落が運動部顧問には似つかわしくない色白の額へ小さな汗の粒を浮かべながら一、二年生のみとなった部員たちに発破を掛ける。もうすぐ夏至を迎える。随分日も長くなり、放課後といえど、涼しさは感じられない。

「一年生も、ここまで基礎練をよく頑張ってくれた。今日からいよいよラグビーらしい練習をしていくことになる。目下の目標は、来月に行う一年生だけで構成するチームでラグビースクールの中学生との交流試合に勝つことだ。それまでにラグビーの基礎をお前らに徹底的に叩き込む」

「中学生……?」

「なんだ、慎吾」

 松落は、名字の岸山ではなく、下の名前で呼びかけた。

「いえ……ただ、中学生だと、体格差がありすぎるのかな、と思いまして」

 さすがに勝負にならないのでは、とも言いたげな慎吾の言葉に、松落は不敵な笑みを浮かべた。

「そう思うか。だがな、慎吾。ラグビーは体格だけではない。もちろん、体格は大きな武器になる。ただそれだけじゃラグビーは勝てんよ」

「はぁ」

 慎吾は、不満と言うわけではないが、どこか腑には落ちていないようだった。松落は、そんな慎吾には取り合わず話を続ける。

「二年は、一年の試合の一週間後に、新チーム初の練習試合がある。海川高校とだ。さらにその一か月後には、県下の有志の高校による新人大会がある。六校ほどの参加だが、総当たり方式で優勝を決める。新人大会までに、一年生が戦力になるように仕上げる。もちろん、頭角を表す奴がいれば、次の練習試合から一年生を使っていくぞ」

 それを聞いて俺は、練習試合に使われる一年がいたとしたら俺だろうな、と考えた。この部活の一年生に、ラグビー経験者は一人だけだ。来月までに試合に出られるレベルにあるのは、自分だけだろうなと考えた。

「じゃあ、練習を始める。まずは、一二年一緒にウォーミングアップだ。一年は見様見真似でいい。その後は、二年は昨日と同じメニュー。一年はパス練だ」

 はい、と威勢のいい声がグラウンドにこだまする。

 ウォーミングアップのランニングに向かう途中、同じ一年生部員の長田匡が、僕に小声で話し掛ける。

「なあ、航太郎。中学生怪我しないかな」

 匡は、大柄で身長は、百八十センチメートル代中盤、さらにそれでいてマッチョというほどではないにしろ、決して線は細くない。松落は、体格が全てではないと言ったが、やはりラグビーといえば、体当たりのイメージが強いのだろう。そうであるならば、その心配は無理もない。

「いや、松落先生の言うとおりだ。俺もこの街のクラブチーム出身だから、俺が中学生のころには、この学校の高校生と試合をした」

 俺は、中学生時代に、この高校と、中学一年生の頃から対戦しているはずだが、記憶にあるのは中学三年生のときの試合だけだ。でも、その三年生のときの試合はなぜか鮮明に覚えている。

「そうなのか。で、どうだったんだ。」

 試合の行く先を尋ねる匡に、僕は、淡々と続けた。

「四十五対十」

 へぇ、と匡は頷き、意外そうに言った。

「なかなか中学生も善戦するんだな」

 僕は、ため息をつきながら答える。

「何を言ってるんだ、匡。四十五点取るのは中学生だよ。」

 匡は目を見開く。

「まさか。だって中一の奴もいるんだろう?足の速さだって、体重だって、筋力だって、高校生のほうが一枚も二枚も上手だぜ」

 信じられない、といった様子の匡に、俺は独り言のように語りかける。

「多分、その固定概念を壊すために、その試合を組むんだよ、松落先生は。」

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