12 情けないので負けたくない
ただ黙っているのも居心地が悪いと口を開くが、聞かない方がよかったかもしれない。それほどまでに衝撃的だったのだから。
「その心に決めている人に、告白はしたのか?」
「親同士が決めた婚約者だから、告白以前の問題だと思うけどね」
「婚約者!? えっ、なに、婚約者なんているのかよ!?」
驚きすぎて腰が抜けるかと思ったのだが、意外としっかりと立っている。案外、腰が抜けることは少ないかもな。……まあ、背中には温もりが存在していますがね。
冷静さを取り戻しつつもよくよく考えてみれば、五家の内のひとつなわけだし、幼い頃から婚約者がいてもおかしくはないのか。お貴族様はいかに血を残すのかが重要な面もあるわけだしね。現に流々是さんと守青さんはお互いに婚約者だったよなあ。俺には解らないけれども、夜嗣やお嬢様たちには、重い責任が乗っかっていたりするんだよな。自由なのは学生の内までという、お金持ちにはよくある話になっていたりするのだろうか……? 大学卒業後は決められた会社に就職して、婚約者との生活が待っているのかね? ああ、本当に世界が違いすぎるわ。
「その子のこと、俺にも紹介してくれたりする?」
「いまはまだ無理かな」
困ったように笑う夜嗣を見て気がついたが、夜嗣は婚約者のことが大好きなんだから、こんな誰かも解らない凡人には会わせたくないか! 気持ちは解りすぎるな! 変なこと言って悪かったわ! マジでごめんな!
「悪い! いまのは忘れてくれ! お前の婚約者となるとお貴族様だもんなー、会わせるにも手続きやなんやが面倒だろっ?」
いやー悪い悪いと肩を叩くと、夜嗣はその手を取った。なんでだよ。え、えぇ……と戸惑ったが、すぐに終った。なぜなら、夜嗣はちょっと機嫌が悪くなったのか、むっとしたような顔をしているのだ。その顔でも神々しいのは、美形の特権だとしか思えない。
「俺の話をちゃんと聞いてくれないかな? まだ続きがあったんだけどね」
「あ、そうなのか。じゃあどうぞ」
「『いまはまだ無理かな。でもきっと、その内に会えると思うから、楽しみにしていてね』」
「おおー! 会えるのか! マジかー! 楽しみだなー」
「俺も楽しみだよ」
あー、お貴族様同士だとお互いにいろいろ忙しそうだし、会うだけでも日程の調整がありそうだもんな。めげずに頑張れよ、夜嗣くんは!
「話はそれだけだから。ああ、あとは――」
「なにすんだお前!」
ぺちりと軽く額を叩かれたが、「いい夢を見れますようにね」なんて言われてしまえば、「あ、はい」となるしかなかろう。前回という前科があるし。気持ちよく寝ているところでまた夜中に呼び出されるのなら、俺なら怒りたくなるね。
「じゃあ、気をつけて帰るんだよ?」
「すぐそこだから! お前は俺の母さんか!」
「いや、違うけど」
真面目に返さなくていいから! と突っ込みながら家路に着くと、「ただいまー」と元気よく門を潜る。夜嗣の婚約者はどんな子なんだろうかと、残りの時間はずっと考えていた。下世話だけども、止まらなかったんだよぉ。クマ次郎にも聞いてみたりしたが、「クマ次郎からは言えません」の一点張りだったのでよけいに気になったといってもいいだろう。気にならないのならソイツはアホだ。アホすぎて笑える。俺はこうして気になりすぎているから、課題だって明日に回したんだぞ。夜嗣に見せてもらうんだー!
やっぱり、夜嗣に似合う人なんだろうか。清楚系で、隣に並ぶと絵画になるやつだよね。いやいや、かわいい系かもしれないではないか。いや、いっそお姉様かも解らないぞ!? いやいや、ここは色気たっぷりの女性が大本命か!? 夜嗣は愛らしくてかわいいとは言っていたけど、人によって主観は異なるからな。まあ、どの子にしても、夜嗣からの愛情は厚いよね。――あれ? なんでまた胸が苦しくなるんだろうな?
いままでお互い彼女がいなかったのに、いきなり婚約者がいることを聞かされたから、モヤモヤしたものが生まれたんだろうか? 大分先を越されているなんて思わなかったもんなあ。いやまあ、あの顔と家柄だし、婚約者がいないなんてことはまずあり得ないわけだけどもさあ!
でもちゃんと、言ってほしかったんだよ。理不尽だけども。あー、こんなんだから俺はモテないわけなんだなあ。はっきりと突きつけられた現実が痛すぎて嫌になるわ。
もう寝る! と不貞寝に入る準備をして、明かりを消す。クマ次郎はやっぱり、布団ごと腹の上に来ましたわ。もう定位置になっております。
「クマ次郎」
「はい、マスター」
「今度健康器具買うわ」
「はい!?」
ジムに行くのは絶対に面倒臭くなるからな。家でコツコツ頑張ることにしよう。まずは躯作りからだ! 鍛えても筋肉がつきづらいけれども、頑張る! 俺は頑張ってみせますよ! モテるための努力は惜しみませんぜぇ!
マスター! どういうことですか!? とクマ次郎がうるさいが、俺は不貞寝中なんだ。答えはないのだよ。
辿り着きそうな答えはあるにはあるが、寝なければいけないのが厄介だよね。
◆◆◆
――平凡な人生だったと思う。ただ名前負けだけはしていたが。
それが終わりを告げたのは、偶然、見てしまったからだ。躯が動いてしまったのだ。とっさに。
周りは悲鳴に飲まれたような感じがしたが、本当かどうかはよく解らない。俺の感覚は鈍くなっていたのだから。
気がつくとよく解らないところにいてさ、美しい人と出逢った。高位の存在だというのは、その神々しさからすぐに理解した。
なにか話をしたが、内容までは思い出せない。話の中で重要なことを託されたというのに、その重要なことさえも朧気だ。思い出そうとしてもうまくいかない。
なんで、こうなのか。まるでわざと
なんだって? いま、なにを思ったんだ? 俺は早く――――――――いけない、のに。
◆◆◆
「っっ!!」
飛び起きたのは必然か。それとも、歯痒すぎる夢から逃げたかったのだろうか。どちらかなんて知らないが、全身が心臓になってしまったんじゃないのかというほどに、鼓動が早くなっていた。
――早く、早くしないと。早く、なにを、しなければならないんだ?
寝起きすぐにぐるぐる巡る思考は「マスター?」という不思議そうな声に掻き消されていく。ああ、俺はなにを考えていたんだろう。
「おはようございます、マスター」
「クマ次郎、おはよう」
昨日は魘されていませんでしたという報告にはそっかと短く返す。おそらくは夜嗣のおまじないが効果を発揮したんだろう。なんだかんだで、やっぱり凄い魔法使いなんだよなあ。
マスター着替えましょうというクマ次郎の声に対して、「はいよ」と答えてから着替えに入る。もそもそ着替える間に今日見た夢を反芻するが、いつもの夢ではなかった。俺は誰かに出逢って、大事な約束をしたはずだ。それなのに、もう霞んでいる。思い出そうとすればするほど、靄のような霧のような、そんなものに阻まれていく。
大事なことなのに。思い出さないとダメなのに。頭が割れそうに痛くなるのはなんでだよ。理不尽すぎるだろうが。
俺の不調を察したのか、マスターと寄り添ってきたクマ次郎を抱きしめると、涙がボロボロ流れ出した。
なんでこんなにも情けないんだよ。やらなければいけないことがあるはずなのに、どうして解らないままなのか。どうしてこうも気持ち悪さが湧いてきやがるのか。俺がなにをしたというんだよ!
吐き気に堪えながら泣いていれば、異変に気がついたらしい母さんが部屋にやって来た。いつもなら朝食の途中だからだろう。
「な、なにがありましたか!?」
俺の様子を見て慌て出した母さんが誰かにダブって見えた先、俺の頭は壊れたらしい。すぐに痛みと熱さの両方が頭の先から足の先まで走る。
理不尽が極まりすぎていませんかね? 俺は痛みを快感に変える人間ではありませんから、声にならない悲鳴しか上げられませんよね。
それでも思ったのは、負けてたまるかということだった。俺って意外と負けず嫌いだったんだな。新たな自分を発見できたのはよかったのだが、死にそうなくらいの痛みと熱さはどうにかしたいですね……。
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