09 学園では平穏にいきたい(7)
夜嗣は酷い男である。冗談だとちゃんと言葉にもしているのに、先生が教室に来るまでずっと頬を引っ張っていたのだった。伸びたらどうしてくれるんだよぉ! 先生の目もめちゃくちゃ怪しく光っているし、俺はまた妄想の餌食にされてしまうんだぞー!
不機嫌をまったく隠さない俺をいまも面白がっている夜嗣になにかを言う前にクマ次郎が戻ってきたので、命拾いをしたのも気に入らないわー。よかったなぁ、本当に。嫌味だけどな。
クマ次郎はクマ次郎で「マスター」と逆さまで呼ぶ姿から解るように、頭の上に張り付いた格好かな。一瞬どこか勝ち誇ったような顔をしたのは気のせいだろうか? まあ、いまは俺をひとり占めしているから、得意顔になるのもしかたがないのかね。夜嗣に対しての怒りが少しばかり収まったのは、クマ次郎のお蔭だろう。俺はこの時間はクマ次郎としか話さないからな。夜嗣は悔しがるといい。
「クマ次郎はそこでいいのか?」
「はい。ここがいいのです。クマ次郎はマスターの邪魔はしません」
「いいならいいけど、疲れたら肩車でも大丈夫だからなー?」
「はい」
朝のホームルームの最中にこそこそ小声で話す俺たちだが、頭にぬいぐるみを乗せた者が目立たないわけがない。「津々浦、職員室に行くぞ」と連行されてしまうのは至極当然の流れだ。こうなったのは夜嗣のせいなのだからと一緒に引き摺っていく――といっても、夜嗣は最初から嫌がってはいないので、ただ連れたって歩くだけだが――と、先生が何度も何度も振り返る。「おいしい」と、笑顔を浮かべて。なにもおいしいところはないと思いますが?
半ばげんなりしながら職員室に足を踏み入れても、先生の後に続いていく。自身の席に戻った先生は、イスを回してこちらを向いた。今度は真面目な雰囲気を纏いながら。
「津々浦、ダンジョン実習についてだが、無理はするな。ゲームと現実とは違うことをよく理解してくれ」
「解ってますよ」
「本当に無理はするなよ? 津々浦がヘマをすると、私の職にも関わってくるからな。くれぐれも気をつけてくれ」
「はい」
話はそれだけだと、怒られることなく終えたのはよかったのだが、先生から発せられる圧が凄まじかったよな……。俺が特進科に迷惑をかけると、先生にもペナルティーかなにかがあるのかな? 戦力差がありすぎるものな。
そんなに念押ししなくとも、自分がいかに無力かは自分が一番よく解っている。俺はどんなに努力を重ねようとも、絶対にヒーローにはなれない人間だ。ヒロインに好かれることもないわけだし、物語をただ彩るためだけのモブでもない。そうなんだよなあ、俺はモブにもなれない人間なんだよなあ。
お嬢様たちが俺に好意を寄せているのは謎すぎて解らないだけで、本来ならばお近づきにもなれないわけだし。クマ次郎もおそらくはバグだろう。そもそも、クマ次郎が姿がバグっているよな……。夜嗣は夜嗣で小さな頃から一緒にいる分、情に絆されているだけだ。
いま解ってしまったんだけども、なんか俺ってなんにもないんだなあ……。あるのはモテる奴を妬む心だけかよ。なんて虚しい人間なんだ。
教室に戻る中でも悲しいなあとひとりごちると、なぜか夜嗣が手を握ってきた。驚いて視線を遣ると、柔らかな笑みを溢す。くっ、見惚れてしまうほどに美しいのは反則だろう。あー! 美形はこれだから嫌いなのー!
「大丈夫。不安にならなくても、俺がいるよ」
「まあ、そうっすね」
俺はダンジョン実習に対して不安を抱いているわけではないんだが、この気持ちを説明しても夜嗣には解らないであろう。できる奴は、できない奴の気持ちは解らないわけだし。あ、でも、逆もそうか! 俺は夜嗣の気持ちは解らないんだよな。美形で金持ちでモテていても、内までは知らない。俺はもっと夜嗣に優しくするべきか? いやでも、美形で金持ちでモテるのは俺の遥か上をいっているんだから、このままでもいいよな?
「マスターは顔がころころ変わって飽きないです」
「んぇっ!?」
クマ次郎に指摘されて思考が停止したが、俺はそんなに顔に出ているのか!?
「俺は解りやすくていいと思うけどね」
楽しげにくすくす笑う夜嗣はやっぱり気に入らない! 夜嗣の扱いはこのままを続行だ!
「なにも思いつめる必要はないよ。俺はそんなしーちゃんが好きなんだから。他の誰でもなく、しーちゃんがいい」
真っ直ぐに俺を見つめる夜嗣の言葉が、痛いほどに躯中を巡っていく。やさぐれた心が解されていくのが解ったが、素直になれないのが俺なのだ。
「おっ、俺に言ったってなんにも出ないんだからな!」
「もう貰っているから、大丈夫だよ」
「あげた記憶はございませんが!?」
ゆっくりと歩いていたからか、一限の予鈴が鳴り始めてしまい、慌てて教室へと走り出す。憂鬱な気持ちなんて、初めから存在しなかったように。
夜嗣の「しーちゃんを不安にさせるなんて許せないなあ。泣かせていいのは俺だけのに」なんて小さな声がはっきり聞こえてしまったのだが、聞かなかったことにしよう。怖いもの。なにを考えているんだろうな、本当に。
◆◆◆
一限は間に合うかどうかの瀬戸際だったが、なんとかセーフだった。一日の授業が無事に終った放課後、家に帰ると母さんが倒れていた。まさかの玄関先で。
「母さん!?」
そりゃあ驚いたよ。救急車か警察か、どちらにしようかと慌てていたところで、母さんが目を覚ます。壁伝いにのろのろと起き上がり、躯を預けた母さんに「母さんっ、大丈夫か!?」と駆け寄ると、「ああ、すみません」と青白い顔をした母さんと目が合った。こうなるまでなにをしていたのかは解らないが、無理をしたことが明白だろう。
「少し、無理をしまして……」
「母さんは休んでて」
やっぱり無理をしていたらしい。ブレザーを脱いで肩にかけてやると、「ありがとうございます」と小さな声が返る。
「ダンジョン実習は、もうすぐでしたよ、ね」
「そうだよ。二、三日中には買い物に行ってくるな」
「ええ、解りました。ですが、無理はしないでください」
「先生にも言われたよ」
「それは、そうでしょうね。――あなたを失うわけには、いきませんから」
茶化すでもなく真剣そのものの表情にどこか引っかかりを覚えたが、なにが引っかかるのかが謎なので、すぐに消える。「マスター」と心配そうな声がカバンから聞こえ、慌ててクマ次郎を取り出した。
「クマ次郎は酔ってないか?」
「大丈夫です。クマ次郎は強いですから!」
頭に飛び乗る前に、クマ次郎は母さんに頭を下げた。見るに、クマ次郎は礼儀作法に明るいらしい。できるテディベアは違うなあ、やっぱり。
「母さん、夕食の買い物は行った?」
「買い置き食材を使うので、買い物に行く必要はありませんよ」
顔色も息も整ってきたらしい母さんはといえば、やはり壁伝いに立ち上がるが、動作にも問題なさそうだ。
「なら、もう少しだけ休んでから夕食の準備をしようか」
俺には無理をするなと言っておいて、母さん自身が無理をするなんてわけの解らない話は無しにしないとな。母さんの手を取ってリビングに向かうと、ダイニングテーブルに座らせて着替えに戻る。
――母さんの瞳の色が黒から金色に変わっていたのだが、どういうことなんだ? 俺の黒髪黒眼は母さんからの遺伝のはずなんだけども、違うのか?
父さんは混血エルフの子どもの子どもだと聞いているので、薄ーくエルフの血が入っているようなんだけども、髪の色は金色だし、瞳の色は薄い紫だ。エルフの血は薄くとも、強く出てしまうものらしい。
俺は養子ってことなのかな。いまはまだ話してくれないということは、成人したら教えてくれるというやつかね。あー、解った! いま解った。養子だからこそ、母さんと父さんの能力が受け継がれていないんだな!
だからさ母さん、俺に期待しても無駄なんだよ。俺には物語の主人公が持っているような力なんていうのはないんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます