08 登校では仲良くいきたい

「や、夜嗣さん……?」


 おそるおそる夜嗣に声をかけると、笑みが返ってきた。圧も圧な圧圧の笑みが。それはもう恐怖でしかないんだが。美形の笑みはただでさえ強すぎるんだからさあ、やめてくれないかね。夜嗣は俺が勝てると思っているのか? だとしたら、見当違いも見当違いだぞ? 勝てるわけがないんだからな。


「ど、どうした? 大丈夫か?」


 大丈夫なのかは、このヤバい雰囲気でもそんなことを言ってしまう俺の頭の方かも解らないが、自然と出てきてしまったんだよぉ! もうどうにもならなくなってしまったから、なるようになれぇ!


「それはなに?」

「それ? ――ってどれ?」


 静かに返ってきた夜嗣の言葉に首を傾げる。俺はよく解らないものは持ってきていないんだけども、なにが夜嗣の琴線に触れてしまったのだろうか。「解らないから教えてくれない?」と聞き直すと、優雅に門を潜り抜けた夜嗣が、一目散に俺のカバンの端を掴んだ。鷲掴みと言った方が正しいな。それだけの勢いがあったのだから。


「もしかしてそれっていうのは――」


 クマ次郎のことだったのか! 顔を掴まれたクマ次郎は、「ぶひゅぅぅっ」と苦しげに呻いている。手をバタバタさせながら。夜嗣は夜嗣で、「にゃにをするー!」との抵抗虚しく、引きずり出したクマ次郎をぶん投げた。こちらが止める隙もなく行われた犯行は、なんとものの数秒で終わりを告げる。綺麗なフォームは見ていて気持ちがよかったのだが、クマ次郎は星になってしまいましたよ!?


「夜嗣、おっ、お前、なんてことを……っ」

「元の場所に戻してあげただけだよ。俺の前で朝からいちゃつかれるのは腹が立つし」

「はあ!? どこにいちゃつき要素があるんだよ! ちょっとお前眼科に行こうか!」


 しれっとなにを言い出すのかと思えば、わけの解らないことだったので、脱力しそうになる。眼科のお世話になった方がいいぞ、本当に。「俺の視力は問題ないよ」なんて答える夜嗣を置いて先に行くのは、自衛に他ならない。またなにを言い出すのか解らないのでね。


 慌てるように「しーちゃん待って!」と後を追いかけてくるような声と駆け寄って来る足音が聞こえてくるが、「こらー! なにをするんですかー!」という憤慨する声も混じっている。簡単に言えば、泥沼化しそうである。俺は徹底的に傍観者に徹していたいが、止めなければならないことにもなりそうなので、成り行きを見守る人にもなってやろう。


「なにって、クマ次郎が悪いんだよ? 俺にひとこともなくしーちゃんと一緒にいるなんて、そんな羨ましいことを俺が許すはずもないでしょう?」

「黙らっしゃいです! クマ次郎はマスターによって作られましたからぁ、マスターと一緒にいるのは当たり前なのですよ!」

「その当たり前は、ではないよ?」


 夜嗣はクマ次郎の怒りに対してにこにこ笑いながら答えるが、クマ次郎は空中に浮きながらも、びしぃっ! という効果音がつきそうなほど強く夜嗣を指し示した。夜嗣はそのままにこにこしながら反論するが、クマ次郎は「はぁん!」と鼻で笑った。とたん、夜嗣のこめかみに青筋が浮かんだような気がしたが、気のせいかな、うん。


「そっ、それは、ですねっ」

「俺もそれは解ってる。だから俺は――」


 言い淀むクマ次郎に対して、夜嗣は自嘲気味に笑いながら、「自分を抑えるのが大変だよ」なんて言ってのける。いや、お前はクマ次郎に対して遠慮が全くないではないか。とは言わないのは、傍観者だからだ。二人の世界を壊すのは野暮だし。


「ふん。マスターのこんっ、ぶぅんっ!」

「だからそれはまだ早いから」


 言葉の途中でふたたび顔を鷲掴まれるクマ次郎。マスターのこんぶ……? なんだろうか。昆布菓子でも食べたいんだろうか? クマ次郎には悪いが、昆布菓子は持ち歩いてないんだよなあ。後でちゃんと謝らないと。


 なんだかんだで仲直りしたらしい二人は、仲良く俺を間に挟んでの登校となった。なんだか俺だけが羞恥という割を食った形になったわけだが、機嫌を損ねられると面倒臭いので、我慢しよう。



 ◆◆◆



 教室に入る前も入ってからも、微笑ましい目があちらこちらから向けられており、羞恥が限界突破していた。クマ次郎からは「マスター」「マスター」とこめかみあたりに頬を擦り寄せられたし、夜嗣からはなぜか手首を掴まれていた。まあ確かに、道案内でもなんでもないのにしっかり手を繋がれるのは、なにを言われるのか解ったものではないからな。おそらくは先生とその同類が狂喜乱舞するだけだ。あっ、想像したらイラッときたぞ、いま。


 斜め後ろの席の夜嗣と離れて席につくと、クマ次郎が前髪ごと額に頬擦りしてきた。


「マスター、クマ次郎は一度特進科に戻りますね」

「そっか、解った。気をつけてなー」


 見送るように右手を軽く握ってやると、クマ次郎は「はい」と頷いて姿を消す。うーん、こうも簡単に高度な魔法を発動させられてしまうと落ち込むなあ。なんというのか、自分がいかに凡人なんだと思い知らされるというかね……。成長は期待できないことを解らせられるんだよなあ。天才と凡人の違いなんだけどもさあ。


 しかたがないことなのだと、小さく嘆息を吐いて気持ちを切り替えると、夜嗣に向き直った。昨夜のメモに対して意見を聞くために。


 結論からいえば、メモには少々の事柄が新たに書き加わることとなったが、大きな変更はない。野営のためのテントは完全に頭から抜けていたわ。後は雨具かな。これも頭になかったなあ。あと水か。食料の次に大事なものだというのに、ころんと抜け落ちていたらしい。


 腕輪型端末を使用してその場でお嬢様たちに連絡をとった夜嗣にお礼を言うと、夜嗣は「会いにいく手続きが面倒臭いからね」と言う。確かにそうだが、連絡は何度もできないと言っていたので、きちんとしたお礼は必要だろう。


 ダンジョン実習では端末に送られてくる情報しかないので、こちらで印刷するしか道は残されていない。それがしおりや手引の代わりとなっていたのだが、必要な道具の欄がなく、自分たちで手探りで進めていく方式である。要は、なにが必要でなにが不要かを話し合えということだ。そこで生まれる連帯感や責任感なんかが、ダンジョン実習の醍醐味だろう。実際にはひとつの班に冒険者や騎士団という見守り役の人たちがきちんと付けられるようなので、先輩たちに聞いてもいいようだが。


 俺たちにはどんなパーティーが付くんだろうなあ。それも楽しみのひとつなんだよなー。


 夜嗣に聞いてみると、「俺は聞いてないなあ」と短く返ってきたので、サプライズが始まってるのか! と楽しみの度合いが上昇してしまった。あ〜、楽しみー!!


 明日は休日だから、実習に関しての買い物に行こうか。夜嗣と一緒にな!


 にやにやと口元が緩んでしまう俺を見ながら、夜嗣はなにかを呟いたようだが、うまく聞き取れなかった。いや、正確にいえば、聞き取れない箇所がまたあったのだ。「……『  』ねえ……」と言っていたのにな。


 やっぱり、買い物はやめて耳鼻咽喉科に行った方がいいかな? 俺の耳はどうなってしまったというのかね。


 両耳を押さえだした俺を「なにしてるの?」と、面白そうに見る夜嗣に視線が集まっているのは腹立たしい。思わず足を蹴り、「モテる奴はこれだから嫌だ」と顔を逸らす。


 耳鼻咽喉科はやめだ! 荷物持ちにしてやるわ! 俺を面白がった罰を受けるがよい!


 あーもう、どうして夜嗣がモテて、俺は一切モテないんだろうなあ! 原因は解り切っていますけどぉ!


 背と顔だろ!? 解ってるんだよ、そんなことは! でも俺だって、薔薇色の学園生活をおくりたいんだよ! ぬいぐるみに懐かれても違うしっ、お嬢様たちに好意を持たれても違うんだよー!


 ――俺は彼女と一緒にいたいの! 夜嗣とではなくて!


「面白いほど顔に出てるけど、解ってるのかな?」


 軽く両頬を引っ張ってきた男からは、笑みが消えておりました。嫌だなあ、夜嗣さん、冗談ですよぉ! 

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