07 家では不安を取り除きたい
「いきなり哲学的なことを言い出すから、驚いたじゃない。どんな姿であろうともあなたの魂は変わらないのよ。なら、あなたが何者であっても、あなたはあなたでしかないわ」
母さんは少しの間固まっただけで終わり、俺の疑問に答えをくれる。俺を哲学的だと言ったが、魂について語る母さんの方が哲学的なことを言っていないだろうか? でもなんかすっきりした。母さんの言うとおり、俺は俺でしかないんだよなー。ならもう、悩む必要もないのか。早めに聞いていてよかったかも。悩みに悩んだ後では、素直に聞き入れられなかったかもしれないしな。
「ありがとう、母さん。すっきりした」
「はい、どういたしまして。では、手伝ってくださいねー」
「解ってるって」
夕食の手伝いはそこそこしていたので、今日もまた手伝うだけだ。野菜炒めに中華風わかめスープ、たくわんにごはん。母さんの作るものはなんでもおいしいんだよな。
父さんが帰ってきてからの夕食後には、自室にて買い物メモの作成に入った。ダンジョン実習に際しては、学園から縦ポシェット型のマジックバッグが貸し出されるから、それに荷物を入れればいいわけだ。容量は小さいらしいが、それでもあるのとないのとでは大違いだろう。荷物持ちを雇うには経験がどうしても足りないので、貸与が苦肉の策らしい。といっても、こじんまりとした一軒家分は荷物が入るという話なので、結構入る気がしないでもないが。
「回復薬と状態異常を解く各種解毒薬は絶対に必要でー、後は包帯とかの救急セットと食料とかか」
ゲームでは荷物の事前準備は必要ないから楽なんだけれども、現実ではそうもいかない。準備を怠ると、それこそ命取りにもなり得る。たとえ初級ダンジョンであっても、ダンジョンはダンジョンに変わりはないのだから。
簡単にだがメモは書き終わったし、風呂に入って寝るか。後は夜嗣やお嬢様たちの意見を聞いて書き足していけばいいわけだしな。
上機嫌に入浴を終えて布団に入ったが、夜中に目が覚めてしまう。もちろん、夢のせいである。ズキズキ痛む頭に涙が滲むが、今回はどうしてだか痛みの度合いが大きかった。
俺はいったい、誰に向けて手を伸ばしているんだろう。解らないというのがこんなに怖いことだなんて、いま初めて知ったわ。幼い子たちが金色の髪だというのはなんとか解ったけれども、顔はぼやけて解らないままだ。逆光なのかなんなのか、そんなものは必要ないというのにずっとである。まるで、これ以上はまだ早いと言い聞かせるかのように――。
見せたくないものを無理に見てもいいことなんてあるわけがないので、夢の輪郭がはっきりしてくるのを待つしかないか。長いなあ本当に、と呆れとともにそう思いつつも、何度か寝返りを打つ間に頭の痛みは遠のいたらしく、小さく安堵の息を吐く。朝まで痛みが続くなんていうのは、生殺し感半端ないからな。
水を飲みにいくかーと一階へと降りると、リビングには明かりが点っていた。音を立てないようにそっとドアを開けて中を窺うと、左手側にあるダイニングテーブルに母さんと父さんがいるのが解った。隣合わせで。こちらからは背中側しか見えないが、雰囲気から察するに深刻そうだ。声からして、父さんが母さんになにやら話している。
「見つかってしまったというのは本当でしょうか?」
「はい。もう時間の問題となっています。五百年よく堪えましたよ。ですが、私が最後に能力を授けた『■■■■■』の力はまだ完全ではありません」
「それでは『■■』がこの世界に渡ってきては対抗できないと?」
「おそらくは。しかし、近くには『■■■■■』を慕う者たちがいますから、場合によっては解りませんが……」
なんだ? うまく聞き取れなかったところがあるな。よく聞こえるように耳に手を添えるが、続けられる会話は飛び飛びだ。
「『■■』の狙いは『■■■』なのでしょう?」
「そうです。『■■■■■』を喰らい、力を得て世界を壊すことが彼女のしたいことです」
彼女という言葉を聞いた瞬間にまた頭が痛くなり、急いでドアを閉めて二階に上がる。音は大丈夫だったかと気がついたのは、布団に丸まってからだった。それでも、痛みは中々引いてくれなかったけれども。なあ、知ってるか? しつこいと嫌われるんだぞ。だから早く終わってくれと、ふたたび眠りに落ちるまで祈るように思った。
◆◆◆
軽く揺すられるとともに、「マスター、朝ですよー」という軽快な声が聞こえてきました。なんだよ、こちらは朝方にようやく眠れたんだからさあ、もう少しだけ寝かせてくれない?
んーと、声で抵抗するが、「マスター」「マスター」「マスター」とうるさい。声の主を手探りで探しあてると、流れ作業のように目の前に持ってきたが、眼帯姿のテディベアと目が合った。ヘラっと笑ったテディベアは「マスター!」と抱きついてきたのは言わなくてもいいかな?
「なんでクマ次郎がここにいるんだ……?」
「マスターに会いたくて会いに来ました!」
眠い頭を無理矢理に働かせて問いかけると、クマ次郎からは明るい声が返ってくる。そうか、会いたくて来てしまったのか。歩いてか? いやそんなまさか。
頑張って起き上がり、腹にクマ次郎を乗せてふたたび問う。「クマ次郎はどうやってきたんだ?」と。
「マスターが身につけていたネクタイをくれたので、ようやく居場所が把握できるようになりました! ですからクマ次郎は分身体を作って、本体を飛ばしましたよ!」
「そうなんだ」
転移の魔法陣かなにかを覚えているらしいクマ次郎は天才である。上級魔法にあたる空間系統の魔法は細かいんだよな。術式も陣も。教科書でしか知らないけれども。
「これからはずっと一緒ですよ、マスター」
「それはそれで困る」
「にゃんででしゅかー!?」
衝撃を受けた顔をするクマ次郎だが、プライベートがないのは困るだろう。お互いにさ。そう伝えるが、クマ次郎は「マスターの寝顔が見られないのは嫌ですー!」とごねる。俺の寝顔はいいものでもなんでもないのだが、クマ次郎は大丈夫か? それとも全然大丈夫ではないから、寝顔が見たいと駄々をごねるのか?
クマ次郎を落ち着かせるために頭や背中を撫でると、笑顔が戻ってくる。今度はおずおずと頭を腹に擦り付けてくるクマ次郎は、「クマ次郎は、マスターが嫌がることはしないです」と言ってきた。賢すぎるから、空気を読むのがうまいんだな。自分の言いたいことをこうして曲げてもしまうんだろう。
「ありがとう。でもクマ次郎が俺の言うことをちゃんと聞いてくれるなら、一緒にいても問題はない」
「本当ですか!?」
「本当本当。クマ次郎は一緒にいたがってはいるけど、俺はトイレには連れていかないし、風呂もダメだぞ?」
「はい!」
「よし! なら今日から一緒だ。ああ、でも、分身体には気を配れよ?」
もう一度「はい!」と元気よく返事をしたクマ次郎はといえば、早速腹に頬を擦り寄せてくる。「マスター」と嬉しそうに。「はいはい」と頭を撫でてから、クマ次郎を退かして着替えを開始する。このままでは通学時間に間に合わなくなるかもしれないしな。
朝もしっかりと食べ、家の門を開けてはたと気づく。母さんも父さんも、クマ次郎に対してなにも言わなかったなあと。マスターマスターと騒がしかったのに。いやでも、あまりにも馴染んでいるものだから、突っ込みたくとも突っ込めなかった可能性もあるか。
カバンから顔を出したクマ次郎を撫で回しながら歩いていても、目的地である三軒先に到着するのは早かった。玄関を開けてすぐに長身痩躯の美形の顔が険しくなるのを見てしまうと、連なるように俺の躯も竦んでしまったのだが、夜嗣はどうしたというのかね。
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