04 学園では平穏にいきたい(4)

 俺が怪奇現象ごとに弱いのは、単純明快、魔法ではないからだ。つまり、いまのティーカップ出現だって、魔力の流れが解らないからこそ怖いわけである。理解できないことは理解できないし、恐怖やなんやら、そこらへんの感情を呼ぶだけだろう。


 魔力の流れを読むことができてしまうのが、俺の唯一の特技とも言える。物心ついた時からそうだったんだけれども、周りを見るに、この能力は希少も希少なようだった。知られれば面倒事にしかならないのは目に見えているから、誰にも言ってはいない。そう、これは親や夜嗣にだって教えていないことである。そしてそれは見事に正解だっただろう。狭い自由の中で生きるお貴族様を見ていれば、自ずと解るというものだ。


 どういう原理で現れたんだろうかとじっと丸テーブルを眺めていた俺であるが、にゅっと顔の前に現れたクマ次郎により中断される。やっぱり解らないものは解らないままかー。


「マスター、どうぞ」

「あ、ああ……、ありがとう」


 クマ次郎から手渡されたティーカップにはまさかのココアが注がれていた。紅茶ではないのは、俺があまり好きではないからであろう。その証拠に、夜嗣の方から漂う匂いは紅茶のようだし、対面に座る流々是さんたちから香る匂いはコーヒーっぽいし、どうやらそれぞれで違う飲み物が提供されているらしい。正体不明だが、できる奴だと思う。


 ティーカップは二口ほど口をつけてからソーサへと戻すが、とたん、満足そうに笑ったクマ次郎が「マスター!」と上機嫌でふたたび俺の腹に抱きついてきた。のだが、ささっと夜嗣が取り上げてしまう。なぜなのか。クマ次郎はすぐさま頬を膨らませて「離せー! マスターのところに行くんですー!」とジタバタ暴れるが、所詮はテディベアでもあるので、対処は難しいだろう。大きさとしては、小さな子が難なく抱きしめられるサイズだからな。二十センチあるかないかか……? 正確には解らないが、テディベアの中では小さめであろう。


 暴れるままのクマ次郎を自身で抱きかかえることにしたらしい夜嗣は、そのまま話を続けていく。頬を膨らませたままのテディベアと美少年の組み合わせはこれはこれでありかもしれない。先生なら喜びそうな一面だ。


「よく聞いてね。この学園の防衛と防犯は、この佐々木クマ次郎が維持しているんだよ」

「魔術具ではなくて?」


 バカ高そうな魔術具はどういう立ち位置だというのかね。首を傾げて問いかければ、それを見た守青さんが「魔術具は補助扱いですね」と続ける。となると、この学園はクマ次郎にかかっているようだ。この、袴姿の小さなテディベアに。それで大丈夫なんだろうかと疑問が湧いたが、問題がないからこそここまで来たんだろう。そもそも、ただのいち生徒でしかない俺が心配したところで、揺らぐものがないはずだし、それこそ高が知れている。なにより、この学園の長い歴史がそう物語っているのだから――。


「なるほど。ならクマ次郎は大切にしないといけないな」


 立派な自我があるのだから、機嫌を損ねられると厄介だろう。まあ、現在進行系で機嫌が悪いんだが。夜嗣の抱きしめからどうにか逃れようとしているしな。だが無理なようで、最終的には「……ますたぁ……」と消え入りそうな、悲しげな声で呼ばれてしまった。こちらを見る表情だって哀愁が漂っている。よしよしと頭を撫でるのは自然な流れだ。クマ次郎がんへんへ笑うのはご愛嬌か。


「しーちゃん、頭を撫でるなら俺も撫でてよ」

「お前はなにを言い出してるんだ?」


 夜嗣の突然の狂乱にはドン引きである。え、それはいま言わなければならないことなの? なんだかよく解らない空気感になってしまってはいるが、言わなければならないことは考えようぜ?


「小さな頃はよく撫でてくれてたじゃない」

「あー、まあそうだけど」


 ことあるごとに撫でていた気がするが、それはまだ俺の背の方が高くて、丁度よい位置に夜嗣の頭があったからだ。いつの間にか逆転してしまっていて、いまや頭一つ分ぐらいの身長差が存在している。鍛え方も違うのか、体格差もあったりするのだが、そこに目をつけると落ち込むしかないので、見ないようにしている。いいか、時には見ないフリも大事なことなんだよ。


「――撫でてほしいな」


 にっこり笑顔はただの圧。クマ次郎だって固まるほどなんだから、俺はモロに固まるしかない。撫でてもどうなるわけでもないからいいけどさ。ただちょっと、コイツ頭大丈夫か? というなんとも言えない気持ちになるだけで。


 クマ次郎に続いて夜嗣の頭も撫でてやると、「私も撫でてください!」と流々是さんの声を聞いた。なぜか。続いて、「では私もよろしくお願いします」と守青さんの美声も響く。みんなどうした? 地下室だから空気が悪いのか? というように、頭の中はクエスチョンマークが現れては消えていく。やがてひとつの答えに行き着き、納得したが。そうだよなあ。夜嗣以外の二人は、勉強のしすぎで疲れが溜まっているんだろうな。なんといっても特進科だしな。


 ここは一肌脱いでやろうかと、みんな纏めて一通り頭を撫でてから席に戻ると、また夜嗣が口を開いた。クマ次郎は未だに捕らわれの身のようだった。悲しげな顔は見ておりません。


「ダンジョン実習のパーティーも、クマ次郎が選別しているんだよね」

「それだよ! 俺と三人じゃ、戦力が違いすぎるんだって! クマ次郎、どうにかならないか?」

「もう発表済みなので、マスターの頼みといえども、どうにもならないです。これはでもあるために、人を変えてしまえば、クマ次郎が怒られてしまいます」

「怒られるって、誰から?」

「神様からです。クマ次郎はマスターの御手によって作られましたが、いまはあくまで陰ながらマスターの手助けをする存在です。クマ次郎が表に出てしまうと、マスターの存在が危うくなります」

「んん? クマ次郎の存在ではなくて?」

「はい。マスターの存在です」


 魔法生物みたいだし、動いて喋る表情豊かなテディベアの価値は高そうだけどもね。それでもクマ次郎自身は違うと言う。ならばどういうことなのか。続きを促すように「もう少し詳しくお願い」と口を開くと、クマ次郎は大きく頷いた。


「そもそもマスターは――」


 クマ次郎の口からは「ぶひゅっ!」といった音が漏れた。夜嗣の片手がクマ次郎の頬を強く挟んだからである。痛そうだ。


「しーちゃんがは言わなくていいよ。特にいまはね」

「ご、ごめちゃ、ぃ」


 しおしおとなるクマ次郎はかわいらしいのだが、夜嗣もクマ次郎もなにを言っているのか。流々是さんや守青さんも止めには入らないし、なにやら俺だけがなにも解らないままのようだ。なにがどう解らないのかが解らないので、重症も重症だろう。こちらも隠し事をしているのだから、明確に暴くことなんて無理な話だ。まあ、いま言われても、夜嗣の言ったとおりに混乱するだけかもしれないが。


「俺には言っている意味がさっぱり解らないけど、変えられないのなら無理は言わないよ」


 クマ次郎の頭を撫でながらそう言うと、明らかに安堵したような空気が訪れた。クマ次郎からも夜嗣からも、まさかの二人からも。いや、俺だってな、クマ次郎が怒られるのは本意ではないからな?


 パーティー変更が不可能となると、俺ができることなんて知れている。夜嗣たちのお荷物にならないようにするだけだろう。ということは、準備は抜かりないようにしないといけないわけだな!


「夜嗣、買い物には付き合えよ」

「もちろん。どこまでも付き合うよ」

「いや、どこまでもは必要ないからな?」


 いやいや、なにを言っていますかねと言うように顔の前で左右に手を振ると、夜嗣は目を細めた。楽しげに。このやり取りのなにが楽しいのかは解らないが、楽しそうならいいや。


 それにしても、ダンジョンパーティーの選別がコンピューターではなくテディベアによって行われていたのは驚きだよなー。しかも不具合ではなく神のお導きとは、これにも驚くしかないだろう。さすが特進科、もうなんでもありなんだなあ。

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