03 学園では平穏にいきたい(3)

 夜嗣のお蔭でどうにかこうにかなんとか落ち着いてきたので、気を取り直してふたたびテディベアに近づいてみる。そうしなければならない気がしたから。ぬいぐるみはいまなお忍び泣き続けているので、情けなくもおそるおそるなんですが。


「あっ、あー、アノー、コワクナイデスヨー」


 お互いの緊張を解すべく、なにをしたらいいのかとぐるぐる考えも巡らせていたのだが、思わず片言でテディベアに語りかけてしまっていた。いやね、俺も驚いたわ。なんで片言なんだよってね。テディベアはテディベアで柔らかであろう躯を大きく跳ねさせる。こちらもこちらでひっと小さな悲鳴が出そうになるし、なんなら躯も固まりかけるのだが、テディベアが勢いよく飛びついてきたのでそれどころではなかった。パニックにしかならない。頭は真っ白だ。


 遠くの方で「マジュダぁあぁあぁ!」「マジュダぁあぁあぁ!」「マジュダぁあぁあぁあぁ!」と泣き叫ぶような声が聞こえている。「ああ、こらこら。しーちゃんが天に召されかけているから、落ち着こうね」という夜嗣の優しげな声も聞こえてきた。察するに、テディベアは夜嗣の腕の中にいることだろう。いてくれ、お願いしますから!


 電池も種も仕掛けもなく、ひとりでに動く摩訶不思議なテディベアはこの時代では不思議さもなにもない。この世には不思議さを内包したダンジョンが存在しているんだから、小さな怪奇現象など些事よ些事、という具合である。ホラーが苦手層にはそれはそれは生きづらいのですよ。泣きたくなるほどには。


 最早半泣き状態でテディベアを眺める俺ではあるが、当のテディベアは夜嗣の胸に顔を埋めつつも時折ちらちらと俺を見てきていた。「マスターです」「やっと会えました」「マスターのところにいきたいです」などと言いながら。夜嗣は夜嗣で「しーちゃんが落ち着くまでもう少し待ってね」とあやし続けている。


 凡人も凡人な俺を見てもテディベアにとってはいいことはなにもないと思われるのだが、言葉どおりに受け止めれば、このテディベアのマスターは俺のようである。しかし、俺はテディベアを作った記憶はない。ましてや袴姿で、かつ眼帯である。しかもよく見れば、左右の腰にしっかりと帯剣していらっしゃるしね……。いや、本物の剣かどうかは解らないけれども。果たして厨二病感満載の見た目のこの子を俺が作ったというのなら、いつ作ったというのか。まずはそこからだろう。


 小さな頃から一緒にいる夜嗣に聞けばなにか解るだろうかと、テディベアの頭を撫でている男の腕を掴むが、にゅにゅっと腕が伸びてきた。ふさふさの腕が。な、なんだろうか、なにがしたいんだ? と注視すれば、テディベアは夜嗣の腕の中から俺の胸元へと移動してきた。この子はまた飛びついてきましたけどー!?


「マスター」

「あ、はい」


 反射的に返事を返すと、テディベアの雰囲気が明るくなる。えへえへ上機嫌に笑ってもいた。服装も豊かながら、どうやら感情表現の方も豊かな子らしい。


「マスター! マスター! マスターぁ! 佐々木クマ次郎はずっとずっとマスターをお待ちしておりました!」

「さ……、佐々木、クマ、次郎っ!? えっ、それが名前なのか?」

「はい! クマ次郎はクマ次郎です!

名前はマスターからの最初の贈り物ですよぉっ」


 興奮気味にテディベアはそう言うけれども、俺が名づけていたとしたら、ネーミングセンスがない。ヤバいくらいになさすぎだろ。いやまあ、元から備わってはないんだけども。けれども、もう少しなんとかならなかったんだろうか、いつかの俺よ! これはあれだろ。有名な剣豪から拝借してるよな? すぐに解るからな!? もう名づけてしまったようだから、ここで悶てもまるで意味はないんですけどぉ!


 羞恥に荒れ狂う心を落ち着かせるように、頬を擦り寄せてくるテディベア改めクマ次郎を撫でてやると、また泣かせてしまったようだ。クマ次郎の言葉から察すれば、長い空白期間があったようだし、再会して泣いてしまうのも解らなくはない。というよりか、佐々木クマ次郎だから袴姿なのかとここにきて理解してしまった。眼帯の方の意味はいまいち解らないが。


 それにしても、流々是さんや守青さんの声がさっぱり聞こえないのだが、二人は大丈夫なんだろうか。クマ次郎を撫でながらも周りの様子を窺うと、なぜか二人ともに泣いていた。揃ってタオルハンカチを手にしつつも。


「よかったですね、クマ次郎……。わっ、わたくしはこの時をっ、待っておりましたよ!」

「私もですよ」


 お嬢様は号泣で、坊ちゃまはホロホロ静かに泣いている。対極だなあという感想が湧いたが、夜嗣が「感動の再会はここまでにして、話を進めましょうか」と空気をぶち壊してきたのですぐさま消える。やだ、夜嗣くんこの人強すぎぃ! クマ次郎の方は我関せずと言いげに変わらずに頬擦りをしてきておりますね。おそらく空気を読んでおとなしくしているのは俺だけだろう。


 お嬢様は「ん゛、ぞうです゛ね……」と軽く頷くと、目元を冷やし始めた。同じように守青さんもしている。ああ、本当に魔法は便利だよなあ。その場でなんとかなるのだから。いちいち顔を洗いに行く必要がないのはよいよね。庶民な俺が使えるのは、小さな火を起こしたり、少しの水を生み出したり、洗濯物を乾かすような緩い風を起こすといったような生活魔法ぐらいだが。凄い魔法使いというのは、異世界人との血を繋いだ者たちのことを言うのであって、本来ならば雲の上の存在なのだ。なぜかここには、その雲の上の存在方が三人もいるが――。


 いまより遥か昔、前触れもなく突如として現代日本に現れた機構物があった。そう、迷宮――ダンジョンである。教科書に載っていることには、当初の混乱は凄かったらしい。それはそうだろうな。想像しなくても解ることだよね。


 いまはそれから五百年ほど経っているわけであり、安寧とした平穏の日々が続いております。こうして学園もあるし、国も健在も健在だ。だがしかし、混乱の時期にいろんなことや物が消えたり残ったりしている。前時代にはあり得なかった異世界交流が盛んなのも、そのためだ。いまなら異世界旅行も容易い。お値段はそれなりなんですが。なぜならこの国は、ダンジョンの混乱を解決に導いた異世界人たちの血を引く『五つの家』が治めているのでね。


 つまりこの世は、流々是、守青、弦路つるじ世樹せじゅ、在茶の者たちが牛耳っているのだよ。といっても、圧政でも悪政でもないので、五家や異世界に対しての敬遠や悪感情はないに等しい。


 家格は流々是からの順々らしく、みな一様にエルフの血を引いているようだ。まあ、全ては教科書の受け売りでしかないんだけれども。家が近い夜嗣との付き合いが長い分だけ忘れているが、夜嗣は正真正銘の坊ちゃまなんだよなー。いつか不敬だと言われて対処されてしまうかもしれないが、染みついた友人枠はどうにもならないので、このままよき友人でいよう。


「マスター」

「どうしたー?」


 クマ次郎は上目遣いに俺を見ると、にへらと笑みを浮かべる。安心しきった顔はかなり緩んでいるようだ。「なんでもないです」と短く答えると、ぐりぐりと頭を擦りつけてきた。名前を呼んでみただけかね。いいけどね。


 聞き慣れた「しーちゃん」と呼ぶ声に視線を投げると、いつの間にやら高級ソファに腰を下ろしていたらしい夜嗣が手を招いている。高級ソファにまったく引けを取らず、似合いすぎている姿には感心するしかないだろう。さすがお坊ちゃま。さては座り慣れておるな? かーっ、羨ましいですなあ! と若干嫉妬しつつも、「はいはい」と歩み寄ると、隣のソファへと座り込む。包み込むようなこの感じはやっぱり高級ソファですわ! クマ次郎はひとまずは膝の上だ。


「しーちゃんも準備はできたようだし、話を続けようか」


 夜嗣のその一言によって、空いた丸テーブルにはティーセットが出現するという怪奇現象が発生していたが、気にしてはいけない。この世は不思議に満ちているのだから。頭ではそうだと解っていても、心の方はまだついていけていないようで、この空間ヤバくね? 怖すぎぃ! とひゅぃーと魂が抜けかけるが、クマ次郎が抱きついてきたことで運よく阻止された。ああ、ありがとう、クマ次郎。

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