02 学園では平穏にいきたい(2)
午後の授業後、いわゆる放課後になったので、約束したとおりにお嬢様に会いにいく。といっても、特進科に突き進むには手続きが必要なので、まずは職員室へと直行になるのだが。夜嗣曰く、また騒ぎになるといけないので、俺たちが向かうほうが絶対にいいらしい。お嬢様にも連絡はしておいたとのこと。
いやいやお前、連絡手段があるのなら、昼間も連絡してこればよくね? という俺の言葉には、日に何度も使えないからという短い答えが返ってきた。そういうことならば仕方がなかったのか……。目立ちたくないんだけども、終わってからではどうにもならない。涙を拭くしか道はないのだ。
沈んだ気持ちを上向かすように、失礼しまーすと軽い挨拶もそこそこに担任のデスクへ。気怠そうな顔をしながらマグカップに口をつけている妙齢の女性は、俺たちに気がつくと軽く片手を上げた。白色の中央に眼帯をつけたテディベアの顔が描かれたマグカップの中身がココアなのは誰もが知っている。というか、匂いで解るんだよね。
黒髪に白い肌が印象的な人であるが、普段の服装は学園のジャージに白衣を羽織っている。どうにもダサさが先行してしまうが、不思議と色気は失われていない。そう、この担任にはなんだか妙な色気があるのだ。美魔女とも言えるのかね。まあ、気怠い様子が全てを台無しにしているんだけども。なぜ教師になったんだろうかという疑問だけが残る、残念美人さんである。
「どうした、津々浦。坊っちゃんと倦怠期か?」
「違いますよ。どう見たらそう見えるのかが謎ですけど、先生はどうしてそう俺と夜嗣をくっつけたがるんですか?」
「腐った世界を生きている者の性だ。平凡に甘い美少年はおいしいに限る。情熱的に注がれる無償の愛は尊いではないか。いい……、すごくいいぞ……」
うっとりし始めた先生に引きたくなるが、用事は終わっていないので付き合いは続く。
「先生が腐っているのはいいんですけど、生徒で妄想を捗らせないでください!」
「津々浦、これは性だと言っているだろう。平凡は愛されて輝く原石なのだぞ? いや、津々浦はよく見ればかわいらしい顔をしていることは解るがね」
「よく見ればは余計です!」
なんでだか頭を撫でられる手を払い落とすが、先生は楽しげにはははと笑うだけだ。これが大人の余裕だというのなら、腹が立つしかない。俺ならもっと冷静な大人の余裕を身に着けたいですね。
「怒るな怒るな、私の作った小説本をやるから」
「いりませんよ! そこ! 表紙にアダルトオンリーと書いてあるじゃないですか!」
「おっと、これはいとこにやる方だったわ。愛憎渦巻く軍部ものだぞ。飲んだ飲まれたした後に団長にお初を奪われた副団長の話だ。今回はノリノリで書けたな。試し読みの反応もよい感じだったぞ」
「なんてものを持ってきてるんだよおおおお!」
差し出された小説同人誌の表紙はあれでそれな淫靡なものだったし、なんだこの担任は! と大きく嘆くと、斜め後ろにいた夜嗣が「しーちゃん、そのへんにしようか」と突込みを入れてきた。夜嗣がいなかったら無駄な応酬がずっと続いていただろう。なにせ止めに入る人がいないんだから。
夜嗣は先生にも「先生もそろそろやめにしましょうか?」と笑みを向けると、「美少年の暗黒微笑いただきましたー!」とテンションが上がったようだった。俺も夜嗣も、強すぎる先生には乾いた笑いしか出ない。
ようやく佇まいを直した先生に用件を伝えるべく口を開こうとするが、「まあ待て。言わなくとも解っているよ」と顔の前に手を翳される。
「津々浦は特進科に行きたいんだろう?」
「まだ用件を伝えていないのに、よく解りましたね」
「ああ、昼の騒ぎから考えればすぐに解るというものだ」
「先生の間でも広まってたんですか!?」
「そりゃあなあ、あのお嬢様が普通科に来るなんて騒ぎにならないわけがないぞ。ほら、早く学生証を出す」
デスクの引き出しからタブレット端末を取り出した先生は、学生証を求めてきた。はいはいと差し出すと、端末から浮かぶ立体画面と学生証をタッチさせる。用が終わればすぐさま投げ返されましたが。先生! 他人の学生証だからといって、粗末に扱わないでくださいよー!
「認証は完了した。特進科の門を堂々と潜れるぞ。まあ、門に行くよりもフェンスにある非常口からの方が早いがな」
「浪漫を壊すのはやめにしませんか?」
「なにを言うか。制服は脱がせるためにあるものだし、ロマンは壊すためにあるものだぞ?」
「……前半で台無しですよ、先生」
「いやいや、お褒めの言葉をありがとう」
「褒めてませんから!」
きー! と睨むと、先生は喉で笑った。「本当に津々浦は遊び甲斐があるなあ」と。わしゃわしゃ頭を撫でるのもやめてくださいよ!
「先生」
「睨むな坊っちゃん。返してやるから早く連れて行け」
夜嗣へと押し返された俺は、その夜嗣によって腕を引かれながら職員室を後にした。先生は実に楽しそうだったが、俺で遊ぶのは禁止ですからね! そりゃあ、いちいち突っ込む俺も悪いけどぉ! ――いや、やっぱり突っ込ませる先生が悪いな!
最初こそ呆れたような顔を見せていた夜嗣だが、ずるずると俺を引きずる内に呆れがどこかにいってしまったらしい。フェンスのドアを潜る頃にはにこにこ顔に戻っていた。よかったわー、小言はごめんだもんな。
特進科の校舎脇のフェンス前に立ち並ぶと、早速違和感に気がついた。普通科とは全然違う。主に空気が。ピリピリしている。
「なんか空気が変わったな」
「結界の中だからね」
「普通科込みで学園全体に結界張ってるんじゃなかったか?」
学園が開いた説明会ではそう聞いていたが、ここまでの重苦しさはないはずだ。現に普通科では違和感はないわけだし。
「二重結界になってるんだよ。特進科には子息子女も多いからね」
「いや、普通科にも子息子女はいるだろ?」
「それでも次男や次女以下だからね。三男や三女からともなると、扱いが違うんだよ」
「金持ちの世界はどこの世界も世知辛いんだな……」
「貴族とはそういうものだからなんとも言えないな。最重要人物は王族であって、その中でも力の強い『第八王女様』は別格になってるよ。本来なら姫様もこの学園に通うはずだったらしいんだけどね」
「ということは、通えていないのか?」
「
「……なあ、それ、俺に話してよかったわけ? 絶対に機密事項扱いだろ?」
「口は固いでしょ?」
唇に人差し指を添えた夜嗣の色気は凄まじい。エルフの血は凄いなあと感心していると、ふたたび腕を引かれていく。夜嗣はこうして、俺を小さな子どもと勘違いしているところがあるようだがね、何度言っても直してくれないんだよな……。あとしーちゃんと呼ぶところな。ちゃんづけはやめてくれと言ってるんだけどなあ。なんとか威厳がほしいこの頃ですわ。
昇降口から上がって下がってまた上がって下がってとやってきたのは地下である。なにがあるのかとドアを開けた夜嗣に続けて入ると、そこそこ広めの室内がお目見えした。ここは薄暗いというわけではなく、教室のような明るさがある。
中央に置かれた丸テーブルはアンティーク調であり、その周りにいくつか配置されたひとりがけ用だろう背凭れつきの高級そうなソファもきっとアンティークなのだろう。座れば世界が変わる可能性が高い。いま座っているのは流々是さんと守青さんだけだが。
丸テーブルの上にはテディベアがちょこんと乗っている。しかも袴姿の。左目には眼帯があり、先生のマグカップに描かれたテディベアに酷似しているようだ。いや、おそらくはこのテディベアを元にして描かれたんだろうな。
近づいてテディベアの右手にそっと触れる。と、テディベアががたがたと震え出した。と同時に「ふぐぐぐぅ」と声を殺して泣き出したものだから、恐怖しか湧かなかった。
ひぃいぃっ、怪奇現象が始まったのか!? 突如として始まってしまったのか!? と内心慌てて夜嗣の後ろに隠れるが、夜嗣は「大丈夫大丈夫」と俺をあやして怖がる素振りが微塵目もない。なるほど、モテる奴はいつでも冷静でなくてはならないのか!
俺には無理だなと悟ったのは言うまでもないだろう。恐怖には勝てそうもないのだから。
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