【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました 後日談3

 午後七時半には、木曽川法律事務所の応接室には瀬田と高槻と豊橋が集まっていた。

「電話で詳しい話を聞けなかったんですけど、どういうことですか?!」

「時間がないから端的に言うぞ」瀬田は真剣な表情だ。「金谷の自宅の玄関からピッキングされた跡が見つかった」

 三河から送信してもらった写真データをスマホで見せる。

「確かなんですか?!」

「鍵屋に調べてもらった」

「いや、でも、これが何を意味してるんですか?!」

 豊橋は興奮もあってか、いつもより声が大きくなる。

「金谷の部屋から見つかった証拠物にあいつの指紋がついてなかったらしいな」

「そうですよ! 検察側は手袋をつけて犯行に及んだからだろうって言ってましたけど、疑わしいもんですよね!」

「あの家は玄関が奥まった場所にある上に、門のところの木のせいで玄関の前でゴチャゴチャやっていても人目に付きづらい。おまけに、金谷自身は夜中に自転車で街を走り回っていて不在だ。ピッキングをして侵入するには好都合だろ」

 豊橋は首を捻る。

「でも、家には金谷さんのお母さまがいますよね」

「耳が弱いからちょっとの物音では気づかないんだよ。金谷の部屋から見つかった証拠物は、その侵入者が置いて行ったものだ」

「ええっ?! マジで言ってますか?!」

「マジもマジ。二千パーセントマジ」

 豊橋は頭の中をフル回転させていた。瀬田は判断に迷っている彼女にさらに言葉を続けた。

「金谷の逮捕のきっかけになったのは目撃証言だった。それも、どこにでもあるようなシルバーの自転車と結びつけられてた」

「大塚さんの証言では金谷さんの顔を見たということでしたけどね……」

 ここにきて豊橋は気弱になる。重大な決断が迫られているからだ。

「その証言が出てきたタイミングは、米原がバックについた摩耶大河というクソ野郎が調査に乗り出してからだ。なぜか警察の捜査線上では浮かび上がらなかった」

「まあ、それは、タイミングとか運がありますからね……」

「都合の良い証言に、都合の良い証拠物。出来過ぎてると思わないか?」

「いや、でもですよ!」頭の中の雑念を払うように豊橋が声を上げる。「万が一、その仮定を飲み込むとしても、というか……飲み込むとしたら……、その……結構な人数がグルになってるってことになっちゃうんですけど」

「そうなんだよ。奴らはグルなの」

 瀬田はいともたやすくそう返した。

「いやいやいや……」豊橋は苦笑した。「なんでそんなことをする必要があるんですか?」

 瀬田はスマホを手にして別の写真を表示させた。≪小津の社≫の由来書きだ。

「これ、なんだか分かるか?」

「ああ、≪小津の社≫ですよね。入ると神隠しに遭うとかいう……」

「この土地の権利者は米原藤吉郎だ」

「ええ……マジですか」

 巨大企業グループの会長の出現に豊橋は隠すこともなく嫌な顔をした。

「ここには金子忠政とかいう武将が祀られてるらしい。だが、安倍川夏子が言うには、金子忠政とかいう武将の存在自体が疑問視されてるそうだ。最近になってあの辺りが絡んでくる歴史の研究が進んだが、周辺に割拠していた武将の史料から一つも金子忠政とか金子氏の乱とかいうものについての記述が見つかってない」

「それが今回の件と何の関係が……」

「河原町の放火件数は一九五六年から一九七二年がピークだ。≪小津の社≫が移設されてきたとされているのは一九五〇年頃……その六年後から河原町で放火が頻発した」

「いつの話してるんですか……」

「そもそも不思議なのは、なんで社が私有地に移設されてきたのかということだ」

「それは色んな事情があったんでしょうけど」

「五十年くらいかけて全体の放火件数が減少していって、なぜか二〇〇〇年代に入ると増加傾向に移る。しかも、他県の件数も増えていった」

「すいません。今回の件とどう繋がるのかさっぱり……」

「二〇〇〇年代に放火件数が増加した最大の理由はインターネットなんだよ。インターネットで≪小津の社≫の情報が拡散していって、それを見た連中が≪小津の社≫にやってくるようになった。千葉県にも似たような≪八幡の藪知らず≫って場所がある」

 高槻が顔をしかめる。

「≪小津の社≫に来る人と放火件数が相関関係にあるってことですか?」

「そうなんだよ。放火の件数のうち八月が多いのは夏休みだからだ。学生どもが肝試しもかねてやってくる。そうやって、≪小津の社≫に入った奴らが放火のターゲットになってるんだよ」

「どういうことですか?! 放火の動機がいわゆる不法侵入ってことですか?!」

 豊橋が当惑して頭を抱えた。

「金子忠政の祟りだよ」

「いや、だって、さっきは存在がどうとか言ってたじゃないですか!」

「金子忠政が存在してほしい連中が祟りを再現してるんだよ。≪小津の社≫に入ったから祟りが起こるんだと」

「どうやって誰が入ったかを確認するんですか! ずっと見ているわけにはいかないでしょうし、見ていたら注意すればいいだけじゃないですか!」

「あっ」高槻が閃いた。「防犯カメラ!」

「そう。敷地内に防犯カメラがある。しかも、河原町には防犯カメラをつけた家が多い。日常的に≪小津の社≫を監視している人間も数多くいる。もちろん、本当に祟りを恐れている人間もいるかもしれないが、大規模な監視網を敷いている連中にとっては、≪小津の社≫への侵入者は残らず敵なんだよ。だから、侵入者の情報を集めて祟りとして放火を実行してきた。六十六年もの間」

「え、待ってください! じゃあ、河原町の住人ぐるみの犯罪ということですか?!」

 瀬田は表情もなく口を開いた。

「そうだよ」

「一体何のために?!」


* * *


 数日が経った。

路肩に停めたワンボックスカーの中で瀬田が窓の外を見つめている。ヒゲがひどい時より短くなったが相変わらずの無精ヒゲである。

「早川署長、かなりバッシングされてますね」

 鷺市警察署の署長・早川は金谷の誤認逮捕にあたって記者会見を開いたが、令状なしの家宅捜索が週刊誌にすっぱ抜かれると世間は批判に傾いた。

「あの人、炎上慣れしてるだろ」

 ずいぶん前にも早川は失言からネットで炎上騒ぎを起こしていた。

「メディアも金谷さんを叩いてたのに、今じゃ警察組織のバッシングに躍起になってますよ」

「節操のない連中だ」

「金谷さんも釈放されたものの家が特定されて、今は警察が用意した場所に移ってるらしいですよ」

「ピッキングを心配しなくてよくなったんじゃないか」

 意地悪そうに笑う。

「郷土資料館の書簡も鑑定に回されて科学的な分析がされたみたいですよ」

「どうせ偽物だろ」

「なんでも、紙は当時のものだったみたいですけど、墨に膠が入ってなくて、カーボンブラックってやつが入ってたらしいです。当時の技術ではカーボンブラックは作れないんで、百パー後世の作り物だとか。で、長岡さんがそれを認めたんだそうです。というのも、書簡の筆跡と長岡さんの筆跡が一致したらしいんです」

「つまり、『鷺市の歴史』も『鷺市郷土史』も捏造なわけだ」

「本だけじゃなくて、金子忠政って武将自体も存在が怪しいってことですよ」

「≪小津の社≫はますます存在意義が疑わしいな」

「移設されてきたっていうのも信憑性が疑わしいですね」

 車はそんな≪小津の社≫のそばに停まっている。周囲には警察車両も数多く駆けつけ、今では河原町全体に厳戒態勢が敷かれている状況だ。今回の犯罪の規模を考慮して、住民からの報復行為を未然に防ぐことが目的らしい。現に、今も社の敷地前で大勢の住民が居座って警察の捜査を妨害している。ついさっき≪小津の社≫の捜索令状が発行されたのだが、捜査員たちは未だに敷地内に踏み込めていない。

「ただちに道を開けなさい!」警察官がメガホンで住民たちに呼びかける。「公務執行妨害ですよ!」

 居座る住民たちから口々に野次が飛ぶ。そのいざこざを遠巻きに見つめる人だかりがある。

「まだまだ時間かかりそうだね」

 瀬田は溜息をついた。


* * *


 照明が焚かれる中、鬱蒼と茂る木々の中から大きな声がした。

「骨が出たぞ!」

 夜になって急に寒さが増してきた。瀬田と高槻は手をこすり合わせながら敷地の外のフェンスのそばで中の様子を窺っていた。捜査員たちが忙しなく走り回る。瀬田はそのうちの一人を捕まえた。

「ねえ、どこから見つかったの?」

「社の下ですよ!」捜査員は興奮気味に答えた。「ちょっと入って行ったところにあるんですけど、念のためにそこの下を調べていて見つけたんだそうです!」

「人の骨?」

「そうです!」

「ああ、そう」

 瀬田から解放された捜査員はパトカーのもとに走って行った。

「人骨……?」

 高槻は祟りよりも恐ろしい話を聞いたというような顔だ。投光器からの光が表情に暗い影を投げかける。

「俺の思ってた通りだ」

 寒さに震えながら、瀬田は車のほうに歩いていく。野次馬の中からは時折怒号が発せられ、騒がしい空気の中、瀬田は静かに話し始めた。

「一九五〇年六月二十五日の朝鮮戦争は東西冷戦の一環として位置づけられていた。自由主義と社会主義の衝突が海を挟んだすぐそばで起こったことは、日本国内にも大きな影響をもたらした。それが共産主義に対する恐怖心を煽ったわけだ」

「え、いきなり真面目になってどうしたんすか?」

「俺もなんか深遠な歴史に端を発する事件の真相をねっとりと解説したいのよ」

「なんでねっとりなんですか。じっくりやってくださいよ」

「とにかくだな、一九五〇年は、そのせいでレッド・パージが激化したんだよ」

 瀬田は車のドアを開いて中に乗り込んだ。運転席に収まった高槻が言う。

「そういえば、鷺市でもレッド・パージが……とか言ってましたね」

「放火事件の始まりは一九五六年。レッド・パージが激化してから六年後。≪小津の社≫が出現したのも一九五〇年。暴徒化した人間が共産党員のシンパをリンチに掛ける殺人の例はいくつもあるんだよ」

「え……まさか、社の下から見つかった人骨って……」

「その時に殺された奴だろうな。米原藤吉郎は九十歳で、一九五〇年には十八歳。奴は死体を埋めて、その場所から人を遠ざけるため、そしてこれから誰もそこに入らないようにその場所を禁足地にしたわけだ」

「それで今まであの土地に入った人の家に火をつけてきたってことですか? そんなに長い年月そんなことを続けられますか?」

「殺人は複数で行ったんじゃないかと思う。もうその頃の仲間は死んでるかもしれないけど。そいつらは祟りがある場所だと思わせるために放火を続けたんだよ。歴史を捏造して、大勢の人間の心に働きかけた。今の状況を見ると、その輪はどんどんと広がっていったんだと分かる。多くの人間を引き込んで〝罰〟を与えるようになったってわけだ」

「じゃあ、監視網の一部になっている人たちはみんな……?」

「誰もが全部を知ってるわけじゃないだろうな。祟りを恐れることで≪小津の社≫に入った奴らに義憤を感じる連中もいただろうし。その意味を知らずにやってる人間もいると思う」

「同日に複数の放火があるケースは、学生が友達と一緒に≪小津の社≫の中に入ったからですかね」

「恐らくそうだろうね。……おっ、ちょうどいいところにバカ面が現れたぞ」

 瀬田がドアを開ける。視線の先に摩耶が立って≪小津の社≫の方を茫然と見つめている。今日は立花を連れていないようだ。

「おい」

 瀬田が声を掛けると、摩耶は深刻な顔で近づいてきた。

「何があった?」

 彼を車の中に招き入れ、瀬田は勝ち誇ったような顔で摩耶を見つめた。瀬田がひと通り事件の真相について話すと、彼の顔は青ざめていった。

「そんなバカなことが……」

「ずっと引っ掛かってたんだよ。なんでお前が俺のところに来たのか。それすらも、あのジジイの思惑通りだったはずだ」

 摩耶が驚いたように顔を上げる。

「米原さんから依頼があって事件を調査していた。金谷幸吉の容疑が固まったあたりで、君に接触して勝負を吹っ掛けるようにと言われたんだ」

「二〇〇〇年代に入ってインターネットの影響で≪小津の社≫を訪れる人間が増えた。しまいには放火と関連づけられることにもなった。だからこそ、今度はインターネットで〝≪小津の社≫と放火は無関係だ〟と発信する必要があると考えたわけだ。まんまとダシに使われたんだよ、俺たちは」

 心の底から失望したように、摩耶は頭を抱えた。整えていた髪がぐしゃぐしゃに崩れた。彼は顔を上げて瀬田を見た。

「こんな時になんだが、もらった十万は……」

「もう要らん。それに俺は──」

 車の外が騒がしくなった。瀬田がドアを開けて外に出る。≪小津の社≫から少し離れた場所から火の手が上がっているのが見えた。夜空にもうもうと黒い煙が吸い込まれている。警察の車両がサイレンを鳴らして急発進する。

「米原さんの家の方だ……!」

 摩耶がそう言って走り出した。瀬田がその後を追う。高槻もカメラを持って運転席から飛び出した。

 米原邸の周囲に人だかりができていた。火の手が回って、立派だった母屋はオレンジ色の光に包まれている。燃え盛るごうごうという音と、迸る熱気が人々を慄かせていた。遠くから消防車のサイレンが聞こえる。誰かが呼んだらしい。

「米原さん!」

 門のすぐ近くに、腰を抜かしてへたり込んでいる米原の姿があった。そのそばには、瀬田たちが訪れた時に案内をしてくれた女もいる。警察官たちが野次馬を遠ざけながら、周囲を駆け回る。

「こっちに怪しい人間の目撃情報はない!」

「そっちは?!」

「車は?」

「そんな奴、どこにもいるわけありませんよ!」

 河原町の全域には厳戒態勢が敷かれていた。住民の動向を牽制するために多くの警察官が配備されていたのだ。

「た……祟りだ……! 祟りだ!」

 米原が取り乱してそう叫んだ。その声を聞いた人だかりの間にも恐怖が浸透していく。最後には、悲鳴が上がった。逃げ惑う足音が飛び交う中、米原は平伏して燃え盛る炎を見上げた。

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