【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました 後日談2

 午後三時過ぎ。

 棚引く雲が次第にオレンジがかる頃、瀬田と高槻は河原町へやって来ていた。警察署で豊橋と別れた二人は、瀬田の要望でこの場所を訪れた。

「昼間でも薄暗いですね……」

≪小津の社≫は道路に面した場所から眺めても鬱蒼と木々が生い茂っているせいで奥まで見渡すことができない。フェンスの内側には神社のような石造りの欄干が並んでいて、入る者を拒もうとしている。鳥居のある場所も人が通れるようになっているわけではない。

「周囲は全部フェンスと石の柵で囲まれてるらしいです」

「ふ~ん」瀬田は鳥居のそばのフェンスの外に立っている由来書きに目をやった。「武蔵七党の村山党をルーツに持つ金子氏の武将・金子忠政……一五九〇年、小田原征伐の影響下で勃発した金子氏の乱で弟の忠良の謀反に遭い、討ち取られる……その後、統治下にあった領内で疫病が流行したため、忠政の祟りと畏れられた……」

「それを鎮めるためにこの社が」

「でも、一九五〇年頃にここに移設されてきてるらしい」

 瀬田は由来書きを写真に撮ると何やらスマホを操作し始めた。

「中には入るなよ」

 ふいに背後から声が飛んでくる。通りがかりの老人が鋭い目を二人に向けながら歩いていく。

「ホントに監視されてる気分になりますね……」

「そりゃ、そうだよ」瀬田はスマホの画面に目を向けながら言う。「敷地の中に防犯カメラが設置されてる」

 高槻が驚いて見上げる。≪小津の社≫の敷地の角に五メートルほどの高さのポールが立っていて、その先端にカメラが取りつけられているのを見つけた。

「あれを設置した人は敷地内に入ったんじゃないですかね?」

「それだけじゃなくてさ、向かい側の家にも防犯カメラがついてるんだよね」

 瀬田はスマホをいじっているままだ。高槻は背後を振り返って車道の向こう側の家の玄関先にカメラがあるのを発見する。

「米原の家にもカメラがあったでしょ。この辺り一帯にカメラのある家がちょくちょくあるんだよね。セキュリティ意識が強そうだよね」

「まあ……この辺り空き家が増加傾向で治安が悪くなってるみたいな話も出てきてますもんね」

「それもあるけどさ、そういうのを知ってるから放火犯は河原町で犯行に及んでないってことなのかもしれないよ」

「ってことは、やっぱり犯人はこの街に詳しい人物……?」

 ようやくスマホをポケットにしまって瀬田は言った。

「その可能性はますます高くなってきたね」

「誰にFINEしてたんですか?」

「安倍川夏子」

「なんでまた……?」

 安倍川夏子とは、前回の≪文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた≫で知り合ったオカルト研究家だ。今はコメンテーターとしてテレビに出演することもある。

「ちょっと気になることがあってね」

 瀬田は歩き出す。高槻が慌ててカメラで追う。

「どこに行くんですか?」

「図書館」


* * *


 午後三時半。

 瀬田は図書館のカウンターから閉架図書になっていた二冊の本を抱えて閲覧コーナーにやって来た。

「何の本ですか?」

「ええとね……『鷺市の歴史』と『鷺市郷土史』」

「鷺市の歴史のお勉強ですか? そんな暇ないですよ」

「無駄な調査なんてないのよ」

 まるで摩耶に向けた言葉のように高槻には聞こえた。

「とはいってもですね、勾留期限までもう丸一日くらいしかないんですよ」

「まあ、慌てなさんなって」

 高槻は歯痒い思いで『鷺市郷土史』の表紙に目をやった。「市制百周年記念」とある。

「この街も百年以上歴史があるんですね」

「湿地帯で鷺が多かったから鷺市らしい。安直だな」

 そのせいで紛らわしい名前の街になってしまったことを考えると、瀬田の言うことはもっともである。

「何を調べてるんです?」

「金子忠政」

「あの≪小津の社≫の?」

 瀬田は勢いよくページをめくって、一気に安土桃山時代の項目に目を通し始めた。しかし、しばらくすると、勉強に集中できない子どものようにスマホを取り出した。さっき撮影した由来書きの文章を読み、溜息をついた。

「〝『鷺市の歴史』より〟じゃなくて、『鷺市の歴史』とほとんど同じことが書いてあるだけじゃねーか」

「瀬田さん、その項目の執筆者見てくださいよ」

「金子氏の隆盛」と題された章の執筆者名には長岡常正と書かれている。

「長岡……どっかで聞いたような……」

「米原さんの家にいた目撃者の一人ですよ」

「偶然名字が同じだけだろ……」

 しかし、『鷺市郷土史』にもその名が現れることになる。しかも、こちらには巻末に著者近影が付されていた。その顔は紛れもなく、あの長岡であった。

「あのジジイ、郷土史研究家だったのか」

 ブツブツと言う瀬田は長岡が執筆した章を読み進めた。そこにはこの街で発見されたという金子忠政に関する書簡の写真が掲載されていた。注釈には、「金子忠政の怨霊に怯える様子が記されている」とある。

「〝鷺市郷土資料館所蔵〟……なるほどね」

 瀬田は図書館内ではあるまじき勢いで本をパタンと閉じた。遠くの方で女子学生らしい女が迷惑そうに顔を上げた。


* * *


 午後四時過ぎ。瀬田の姿は鷺市郷土資料館にあった。

 ブースに再現された実物大の竪穴式住居や当時の人々の人形には目もくれずに奥まで足早に進むと、瀬田は金子氏を扱ったコーナーに辿り着いた。

「なんか、小学生の社会科見学みたいなコースでここまで来ましたね」

 瀬田は高槻に取り合わずに素早く目を動かして展示物を確認していった。その様子が刻一刻とタイムリミットが迫っていることを物語っている。

 展示は金子氏に言及する数点の書簡に移行していた。江戸時代の商人のものと見られているというそれは、訓練していなければこれっぽっちも読むことができない崩された文字で書かれている。

「んっ?」

 瀬田が声を漏らしてガラスケースに手をついた。

「どうしたんですか?」

「この書簡……〝米原藤吉郎氏寄贈〟って書いてある」

「ああ、あの家ならそれくらいの歴史がありそうですよね」

 瀬田は顎に手をやって考え込んでいる。

「瀬田さん、いい加減、放火の件を調べないと取り返しのつかないことになりますよ」

 瀬田はじっと黙っている。やがて、重々しく口を開いた。

「あのね、高槻くんね、今回ね、場合によっては動画にできないかもしれないよ」

「え、それは困ります。なんでですか?」

 瀬田が答えようとしたところに、スマホのFINE着信音が鳴った。サッとスマホを取り出し、メッセージに目を通した瀬田は、大きな溜息をついた。

 館内に閉館時間がやって来たことを知らせるアナウンスが流れる。午後四時半だ。瀬田は急いで出口に向かった。

「間に合うか分からないけど、急ごう」

「いや、ちょっと待ってください! 色々聞きたいことがあるんですが……今からどこに行くんですか?」

「法務局!」


* * *


 午後五時十五分。営業時間終了の十五分前に受付に掛け合って五分ほどすると、瀬田は一枚の書類を手に瀬田の待つベンチに戻ってきた。

「何を調べてたんですか?」

「≪小津の社≫がある場所の土地の権利者を調べてた」

「土地の権利者? なんでそんなことを?」

「見ろ」

 瀬田は書類を高槻の眼前に突き出した。高槻は思わず声を上げた。

「米原藤吉郎?!」

「少なくとも、相続して現在の権利者はあのジジイだ」

「いや……それを調べて何をしようっていうんですか? 僕たちは放火事件の調査をしてたんじゃなかったんですか?」

 瀬田は答えるより先に、スマホを取り出してどこかに電話をかけ始めた。スマホを耳に当てて十秒ほど待つと、瀬田の目が明るく開いた。

「……おお、三河屋」

『三河屋じゃない。三河だ』

 スマホの向こうの声が微かに聞こえてくる。高槻はスマホの近くに耳を寄せた。

「久しぶりじゃないか」

『そっちこそ。生きてたのか?』

 青藍大学での試験問題流出事件を調査した際にも清州という人物と久しぶりに顔を合わせた瀬田だったが、その時にも生存確認をされていた。生きていても死んでいるような男である。

「頼みがある」

『なに? 金庫破り?』

「あのな、俺はまっとうな人間なんだよ」

 まっとうとは思えない男がそう言う。

『じゃあ、なに?』

「調べてほしい錠前があるのよ。FINEで場所送るからすぐ来てほしいんだが」

 しばらく沈黙がある。

『一時間くらい手が離せないんだが』

「それでもいい」

『分かった』

 瀬田は電話を切ってベンチの上で伸びをした。

「瀬田さん、何が起こってるのか教えてくださいよ」

「もう少ししたらね」

 やきもきしている高槻を尻目に、瀬田はスマホで何かを調べ始めた。

「近くにカツ丼の店があるじゃん。腹ごしらえしよう」

 戸惑う高槻を連れて、瀬田は法務局から数十メートルのところにある小ぢんまりとした蕎麦屋に入って行った。

 よっぽど腹が減っていたのか、瀬田は運ばれてきたカツ丼をものの数分で平らげてしまった。

「見た目からして無人島から生還してきた人みたいに見えますよ」

「ヒゲ剃るのを忘れてたんだよ」

「ヒゲ剃るっていう概念が瀬田さんの中にあったことに驚きですよ」

「いつも途中で面倒臭くなっちゃうのよ」

「ヒゲ剃りを途中で諦める大人なんていませんよ」

「まあ、それも良さだよ」

 そう言ってお茶を啜る。

「どこに良さがあるんですか……。そんなことより、さっき誰に電話してたんですか?」

「三河屋」

「誰ですか? 絶対に勝手口から入ってきそうな名前してますけど」

「鍵屋だよ」

「知り合いだったんですか?」

「昔のね」

「で、なんで鍵屋さんに電話したんですか?」

「ちょっとね、調べてもらいたいことがあってね」

 それ以上は、高槻がいくら質問をしても芳しい返事はなかった。


* * *


 午後六時二十分。

 瀬田はワンボックスカーの窓から道を眺めていたが、一台の車が姿を現すと、ドアを開けて飛び出していった。すっかり暗くなった道路のど真ん中に痩せぎすの男が現れたので、相手の車はクラクションを鳴らして急ブレーキをかけた。運転席から顔を出した男の目が丸くなる。

「瀬田じゃねーか。死にてーのか、バカヤロー!」

「早くこっち来てくれ」

 瀬田が目の前の一軒家を指さす。金谷の自宅だ。

 高槻は三河と簡単な自己紹介を交わして、瀬田の後について金谷の家の門前に立った。チャイムのボタンを押した瀬田はバカでかい声を上げた。

「さっさと出てこ~い!」

 すると、玄関の明かりがついて、金谷の母親が顔を覗かせた。

「……なんですか?」

 門の近くまでやって来ると、瀬田の顔を認めて目を細めた。

「あの時の……何か用かい」

 心を閉ざしたような声色だ。金谷逮捕の現場に居合わせた瀬田に敵愾心があるらしい。

「幸吉が助けをもとてた瀬田ってのが俺なんだよ」

 母親の目が見開かれる。

「あら、そうだったんですか。てっきり……アレかと思いました」

 アレとやらの正体を聞くのは野暮というものだ。瀬田は玄関を指さした。

「ちょっと玄関の錠前を調べさせてほしい」

「どうしてまた?」

「それで幸吉の無実を証明できる可能性がある」

 そう言われては、母親も黙っているわけにはいかない。二つ返事で門を開けると三河が早速作業に取り掛かる。

「ああ……こりゃ、ディスクシリンダー錠だな」

 ヘッドライトをつけてツールボックスからドライバーを取り出す三河に高槻が尋ねる。

「ディスクシリンダー錠って古いタイプのやつですよね?」

「そうそう。空き巣からしたら、あってないようなものだよ」

 三河は素早い手つきで錠前をドアから外した。そして、今度はその錠前を分解し始めた。

「そんなバラバラにして大丈夫ですか……?」

 金谷の母親が心配そうな目をしていたが、三河は笑った。

「これつけてても意味ないから、あとで別のものに変えるから大丈夫だよ」

「ああ、でも……」

「お代は取らないから安心して」

 三河がそう言うので、金谷の母親は口を閉じて見守るしかなくなった。三河はシリンダーを開け放って、内部のピンを子細に調べ始めた。すぐに残念そうに声を漏らした。

「やられてるね」

「えっ、何が分かったんですか?」

 高槻がカメラを寄せる。

「ピッキングツールでいじくると、ピンの底に細かい傷がつくんだよ。この錠前もピッキングされてる」

 ピンには細い金属の棒の先で擦られたような痕跡が微かに残されていた。

「そんな……」

 金谷の母親はショックを隠し切れない。

「あのさ、この家に今まで泥棒が入ったことある?」

 母親はブンブンと首を横に振った。それを見て、瀬田はニヤリとした。三河の方を向く。

「それってさ、三河屋さ、警察にも証明できる?」

「できるよ。警察からの依頼で調べることもあるし。あと、三河な」

「じゃあ、ちょっと諸々頼むわ」

「オーケー」

 三河が後ろで手サムアップする。瀬田は門の外に出てスマホで電話を掛けた。

「ああ、豊橋、金谷を牢屋から出す時が来たぞ」

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