【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました 後日談
高槻はカメラを携えて鷺駅近くのオフィス街にやって来ていた。
鷺駅は典型的なオフィス街で、無機質なビル群が立ち並び、今日のような春の日にはビル風でしっちゃかめっちゃかになる。高槻はあるビルの前で立ち止まり、スマホのマップを確認して中に入って行った。ホールでエレベーターを待つ。ドアが開くと、箱の中に入って三階のボタンを押す。三階に着くと、すぐにオフィスの入口が待ち構えている。≪木曽川法律事務所≫……その無人の受付にある内線電話を持ち上げてアポがある旨を伝える。しばらくすると、中からスーツに身を包んだ若い女が現れた。
「高槻さん、お待ちしてました!」
ショートカットの彼女は快活そうな声で頭を下げた。胸元に金色のバッジが光っている。
「ええと、豊橋さんですか?」
「はい、豊橋です!」
快活なのはいいが、声がデカい。高槻は恐縮したように豊橋の後について事務所の中に足を踏み入れた。
応接室に通されると、高槻は手にしたカメラを掲げた。
「これ、回してても大丈夫ですか?」
「あ、どうぞ! お茶持ってきますね!」
高槻はカメラをセットして、椅子に腰を下ろした。
「いいお茶が入ったんですよ! 五千円のやつです!」
そう言いながら豊橋は部屋に戻ってきた。
「値段を言われると困るんですけど……」
豊橋が正面に座ると、高槻は頭を下げた。
「すみません、お忙しい中」
「いえ、大丈夫ですよ!」
「金谷さんの状態はどうですか?」
豊橋は溜息交じりに答える。
「記憶の錯乱が見られますね……」ようやく一般的な声量に戻る。「事件当日に自分がどこにいたかを思い出せないようなんです」
「ニュースでも結構報じられていましたよね。起訴間近みたいな」
「メディアはそうやって決めつけるんですよ」
「客観的な証拠みたいなものはないんですか? 防犯カメラの映像とか」
「それがないんですよねえ!」また声量がバカになる。「鷺市ってまだまだ防犯カメラの普及が進んでないんですよねえ! 古臭い街だし!」
「検察はその辺りの証拠を洗ってるんでしょうか?」
「そうですね! そもそも、金谷さんの自宅から押収された証拠物から金谷さんの指紋が検出されていないというところから始まってるんですよ!」
「でも、金谷さんや彼の自転車を目撃したという証言者もいますよね」
「検察としては、そこを足掛かりに証拠固めをするという思惑のようですね! それから、金谷さんにはもう一つ問題がありまして……」
ここで豊橋は声を潜めた。声を潜めるということができたらしい。
「なんですか?」
「金谷さん、あまりのことに気が動転しているのか、お母さまが自分のことを罠にハメたんだと言い出しているんです」
「罠ですか? お母さんが金谷さんを……?」
「いやでもおかしいんですよ。だって、私どもの費用を負担しているのはお母さまなんですから」
「正常な精神状態ではないんでしょうか」
「そうなんですよ!」
高槻は突然の大声にビックリして声が出そうになる。
「留置場に初めて入る方の中でそういう人もたまにいるんですよ!」
「その調子だと金谷さんの取り調べもあまり進んでいないんでしょうか」
「私とも満足にコミュニケーション取ってくださらないですよ! 童貞かってレベルで!」
声が大きいせいで怒っているように聞こえるが、そうではないらしい。考え込む高槻を見て、豊橋は首を傾げた。
「ところで、瀬田さんはどちらに?」
金谷はずっと瀬田に助けを求めるように豊橋に要請していたようだった。そこで、豊橋が二宮を通じて高槻に接触を図ってきたのだ。
「ちょっとですね……どこで何をしているか、教えてくれないんですよ。あの時から」
「あの時?」
* * *
≪梟亭≫のボックス席で摩耶を見送ってから、瀬田は深い溜息をついた。その目に点った火はまだ消えていないように高槻には見えた。
「何を考えてるんですか、瀬田さん?」
「あのさ、高槻くんさ、北本宮町のマンションの前で金谷の自転車が停まっているのを見たって証言があったじゃん」
「長岡さんの証言ですね」
「あのマンションの放火された場所さ、車道からそんな隔たったところじゃなかったでしょ」
「まあ、そうですね」
「自転車が停まってたってことは、金谷はまさに放火の最中だったってことじゃん」
「そうですね」
「じゃあ、なんで長岡って奴は金谷を目撃してないの?」
「金谷さんが見えないところにいたんじゃないですか?」
瀬田は溜息をついて腕を組んだ。高槻の言葉に納得が行っていないようだ。
「本当に金谷が犯人なのか?」
「えっ?!」予想していなかった言葉に高槻は素っ頓狂な声を上げてしまった。「いきなりなに言ってんですか?」
「あの巾着袋にさ、灯油の入ったペットボトルとライターが一緒に入ってたじゃん。俺の感覚だとそれってなんか変なんだよね」
「言われてみれば、一緒の袋に入れるのは危ない感じがしますね。とはいっても、実際に金谷さんの部屋から見つかってる以上は言い逃れできないんじゃないですか? っていうか、よく今までずっと黙ってましたね。十万取られてんすよ」
「だって、確信が持てないままだったんだもん」
「別に犯人がいると思ってるんですか?」
「うん」
瀬田にしては弱々しく、しかし、すぐに瀬田は返事をした。
* * *
「それって、確証があることじゃないですよね?!」
豊橋が声を上げた。
「そうだと思います」
「もしそれが本当だとすると、ちょっと大変なことになっちゃいますよ!」
「というと?」
豊橋は高槻に顔を寄せて声を低めた。
「今回は緊急逮捕プラス刑訴法二二〇条なので、問題が大きくなる可能性があります」
「大きくなるとどうなるんですか?」
「今回の逮捕が警察による違法捜査だと捉えられるかもしれません」
「ええと……そうなるとどうなるんですか?」
「国家賠償法というのがありまして、その法律に則ると違法になるということですね」
「違法な捜査で得られた証拠は、確か、裁判では使えないんですよね」
「つまり、無罪になる可能性もあるということです。私からすると手間が一つ省ける感じですけど」
「なんか……とんでもないことになってきましたね」
「ただ、状況を見る限り、証拠品は金谷さんの自宅から発見されていますので……そんなに大きなことになるとは考えにくいんですけどね」
高槻は腕時計に視線を落とした。午後二時を回ろうとしている。
「もしかすると、瀬田さんは真犯人を探そうとしているのかもしれません」
豊橋は壁のカレンダーを見つめた。菜の花畑の写真が載っている。三月だ。
「勾留期間は、まずは十九日までで、延長されれば二十九日までですよ」
「最長であと二十日ですか……」
*
*
*
勾留延長が決まり、それも残りわずかとなった三月二十八日の正午頃、とりあえず日課のように≪梟亭≫のボックス席に陣取っていた高槻のもとにヒゲを生やしっぱなしで、いつも以上に髪がボサボサになった瀬田が現れた。高槻は慌ててカメラを回した。
「……一瞬誰かと思いましたよ」
瀬田は言葉もないまま椅子をくっつけて、その上に横になった。
「ずいぶんお疲れのようだね」
菊川がコーヒーを片手にやって来た。
「マスターさ、なんか甘いものない? 親の仇みたいに甘いやつ」
「あると思うよ。ちょっと待っててね」
カウンターの方へ下がっていく菊川を見送って、高槻は背筋を伸ばしてテーブルの陰に隠れた瀬田に目をやった。
「この二週間以上、どこで何をやってたんですか?」
「図書館」
「図書館?!」
「逓信新聞ってさ……一九五〇年からあるのよ」
「いや……待ってください。まさか、紙の新聞を全部チェックしたんですか?」
「うん。おかげでこの街の歴史に詳しくなったよ」
「ああ、そうですか……」
菊川がやって来て、サンドウィッチのようなものを載せた皿をテーブルの上に置いた。
「チョコクリームサンド。瀬田くん好きだったでしょ」
「ありがてえ……」
そう言って瀬田は椅子の上に寝ころんだままチョコクリームサンドを頬張った。
「で、今まで時間がかかったんですか?」
やきもきした様子で高槻が聞くと返事がある。
「開館から閉館まで毎日入り浸りよ。……知ってた? この街でもレッド・パージは行われてたんだぜ」
「なんすか、レッド・パージって?」
心配そうに瀬田を見守っていた菊川が答える。
「いわゆる赤狩りだよ。共産党員とかそのシンパを職場から排除したりとかしてた」
「意外と詳しいんですね」
「私が学生の頃に学生運動の末期みたいな感じだったから、色々調べたことがあったんだよ」
菊川はチョコクリームサンドにがっつく瀬田を見て安心したのか、カウンターの方へ帰って行った。
「よっこいせ」
瀬田が身体を起こしてテーブルに頬杖を突いた。盛大に溜息をつく。ヒゲが伸び放題になって浮浪者的な風貌に磨きがかかっている。
「大丈夫ですか?」
「毎日毎日新聞をめくりまくって放火関連の記事を探してノイローゼになりそうだったよ」
瀬田はスマホを取り出して、メモに目を通した。
「なんでそんなに調べてたんですか?」
「だってさ、十六年間も放火の被害が続いてたんだよ。その前も気になるじゃん」
「で、どうだったんですか?」
「きっとビビると思うよ。今回と同じ手口の放火事件が初めて出てきたのが一九五六年五月……」
「一九五六年? 六十六年前ですよ」
「二〇〇六年までの五十年間で七十九件もあるからね。二〇〇六年以降も合わせると、全部で九十五件」
あまりの遠大さに高槻は言葉を失ってしまう。瀬田はズボンのポケットから鷺市の地図を取り出してテーブルの上に広げる。地図には、数々のバツ印でいっぱいになっていた。全ての放火のあった場所をプロットしたらしい。
「被害はもう鷺市の全土っていう感じですね」
河原町の辺り一帯が大きな丸で囲まれている。
「ここは何ですか?」
「ここだけが被害の傾向があるのよ。河原町の被害は一九五六年から一九七二年がピークで、その後は一件もないんだよ。五十年間も被害のなかったエリアというのは他にない」
「それ以外は完全にランダムなんですか?」
「いや、全体の事件数の推移にも変化がある。放火の件数は二〇〇〇年代に向かって減少傾向にあるんだけど、二〇〇〇年代に入ると緩やかに増加してるんだよ」
「それって、何を意味してるんですか?」
瀬田は頭を掻いた。
「まだ分からん。一応、データを集めてたんだよ。調べてみると、九十五件の内で人が死んだケースが二件ある」
「いつですか?」
「一九五八年と一九七八年。寝てた住人が逃げ遅れたらしい」
「人が死んでたんですか……」
「あと、鷺市の近隣でも同じ手口の放火が一九五〇年以降に十四件起こってる。関連があるか分からないけど、データ化されてる全国版の新聞記事で同じ手口のやつを調べたら、十二件もあった。どれも犯人は捕まっていない。そのうちで、一番遠いのが三重県の事件だった。で、東京以外の放火は二〇〇〇年代以降に明らかに急増してる」
「全部で百二十一件ですよね……とても金谷さんが単独でやったとは考えにくいですよね」
「というか、そもそも金谷の年齢だと六十六年前には生まれてないからね」
「瀬田さんは今でも金谷さんは放火犯じゃないって考えてるんですか?」
「少なくとも長年続いてきた放火と今回の放火が本当に関連があるかは分からないわけよ。犯罪者の心理として、金谷なら自分が住んでる街で放火はやらないだろうしな」
瀬田はチョコクリームサンドの最後の一口を頬張った。高槻はこの二十日間、ずっと抱えていた疑問を口にした。
「米原さんが摩耶さんのスポンサーになった理由って、一体何なんでしょうね?」
「分からんけど、なにかしらメリットがあったんだろうな。そう考えると、金谷が犯人だってのをやたらと推してきたのも不可解ではある」
「でも、目撃証言があったじゃないですか」
「その目撃証言にしても、米原が声を掛けて引っ張ってきた奴らだろ。しかも、令状の要らない家宅捜索についてやけに詳しかったのも何か臭う」
「豊橋さんと話をしてきましたけど、金谷さんが犯人というのは覆りそうになさそうでしたけどね」
瀬田は長くなったヒゲをいじりながら、記憶の糸を手繰り寄せていた。
「でもさ、結果的にあいつらが言ってたシルバーの自転車が金谷の物だったわけだけどさ、シルバーの自転車なんて腐るほどあるじゃん。なんでシルバーの自転車を見て、イコール金谷になるのか、俺には理解できないんだよね」
「最近はニュースに出てこなくなりましたけど、新聞でも金谷さんが犯人みたいな書かれ方してましたね」
「メディアはそういうことすぐ言うんだよ」
高槻は力なく笑った。
「豊橋さんと同じこと言ってますよ」
「金谷はどうしてるんだ?」
「勾留期間が延長されて、ずっと鷺市警察署に留置されてますよ」
「本人に話でも聞いてみるか」
瀬田が立ち上がると、高槻はすぐに豊橋に電話を掛けた。
* * *
豊橋に連絡がつき、彼女と共に金谷に面会をすることになった。
「すいません、ちょっと遅れました!」
警察署の前で豊橋と待ち合わせをしていた。駆け寄って来る彼女に瀬田は腕時計を指さした。
「こっちは時間がないんだ」
いつもは全てにルーズな瀬田だが、他人には南極の寒さよりも厳しい。
「ホントすみません! さっさと行きましょう!」
豊橋は大股で署の中に入って行った。
三人は面会室に向かい、金谷の到着を待った。
「なんか瀬田さんって、アクリル板の向こうにいそうな風貌ですよね!」
無邪気に笑い声を上げる豊橋に、瀬田はモンスターを見るような目をした。
「お前、よく弁護士なんかやってられるな」
「たまに言われます!」
「うるさいな……」
不快そうに顔をしかめると瀬田は面会室の向こう側のドアが開くのを見た。姿を現した金谷は瀬田の顔を認めるなり、アクリル板に駆け寄ってきた。
「やっと来てくれたか! 家をなくしたのか?」
「ホームレスになったわけじゃねーよ。お前、元気だったのか?」
「いや……元気なわけないでしょ。来る日も来る日も牢屋の中で過ごすなんて、地獄そのものだよ」
「でもお前ニートだったんだろ」
「別に引きこもりじゃないから」
目の下の隈が目立ち、かなり痩せたように見える。高槻は心配そうに言った。
「一時は精神的にも不安定だったと聞きましたよ」
「だいぶ落ち着いてお話しされるようになりましたよね!」豊橋が明るく笑顔を見せた。「最初は内心ぶっ壊れちゃったかなって思ってたんですけどね」
「もう連日の聴取が厳しいんだよ……もう俺がやったのかと思い始めてきてさ……」
「バカが……諦めるな。今まで分厚い面の皮で穀潰しをやってきたんだろうが」
「なんかそう言われると勇気が湧いてくる」
「湧くような流れじゃねーだろ」
高槻は金谷の目を覗き込んだ。
「お母さんのことを疑ってたと聞きましたけど」
「あの時はオレはおかしくなってたんだよ。バカなことを言った」
「お前さ、逮捕される時になんで逃げようとしたの?」
金谷は顔のパーツをギュッと中心に寄せた。渋い顔だ。
「消えようとしてたのかもしれない……≪小津の社≫の怨念が全部ぶっ壊してくれるかと思ったんだよ」
「なんでそんなに怨念に信頼感があるんだよ」
「昔から怨念の話でビビらせられてきたからな」
「確かに金谷さんが≪小津の社≫に入ろうとした時に通りすがりのおじいさんが全力で止めようとしてましたもんね」
「暇な奴らがずっと監視してんだよ」
「金谷さんが一番暇そうですけどね!」
豊橋が無自覚にチクリとやる。金谷はアクリル板に縋りついた。
「オレを助けに来てくれたんだろ?」
「さっき話聞いたけど、事件の当日にどこにいたか覚えてないんだろ?」
金谷は無念そうにうなずいた。
「思い出そうとすればするほど記憶がゴチャゴチャになる……」
「まあ、もう少し待ってろ」
* * *
署内で二宮の姿を見つけた瀬田は駆け寄って行った。アグレッシブな瀬田は人類史上初めてではないだろうか。二宮は背後から喋りかけられて飛び上がるほど驚いた。
「金谷はこの前の二件の放火の容疑で逮捕されたんだよな?」
「そうですよ」
「この街で昔から放火が起こってるの知ってるよな?」
「ええ。ですが、複数の放火のうち、どれが金谷さんの手によるものなのかというのが問題になっているんですよ」
「今回の放火以外で金谷の仕業だと思われてるのは?」
「目撃証言やらから判断すると、今回の件だけだと思われます」
「ふ~ん……」
瀬田は考え込んだ。高槻は腕時計を確認する。午後二時半を過ぎている。
「もう勾留期限まで二十四時間くらいしかありませんよ」
「うん……ちょっと行きたい場所があるんだけどさ」
瀬田が速足で歩き出した。
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