【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました EP6
米原邸から歩いて少し行くと、昔ながらの店構えの畳屋がある。その脇の路地を行くと二階建ての一軒家が目に入って来る・
「あれが金谷の家です」
先頭を行く摩耶が指を差す。小ぢんまりとした庭のついた古めかしい木造の家だった。二宮の指示で警察官が集まって来た。彼らは家の周囲の様子を探っている。
「金谷の自転車があります。在宅中の可能性が高い」
摩耶が庭に置かれている自転車に目を向けた。二宮は緊張の面持ちで門の脇にあるチャイムのボタンを押した。家の中からチャイムの音がする。門のそばに木が植えられていて、玄関が見づらい。三十秒ほど経っても音沙汰がない。二宮はもう一度チャイムのボタンを押した。それでも、やはり応答はない。
「金谷さーん!」
二宮が声を上げて、三度ボタンを押した。少しして、玄関の向こうで何かが動く音と、ドアのロックを外す音がした。
「はい……?」
顔を覗かせたのは、年老いた女だった。
「金谷さんですか?」
女は顔をしかめて、門のそばまでやって来た。
「なんだって?」
今度は二宮は声を大にした。
「金谷さんですか?」
「そうですけど、何かご用ですか? そんなに大勢で」
「」
「幸吉さんは家の中にいますか?」
「幸吉? いますよ」
「お母さまですか?」
女はうなずいた。
「ちょっとね、幸吉さんにお話があるんですよ。呼んでいただけますか?」
幸吉の母は怪訝そうな顔をしたものの、素直に家の中に戻って行って、家の外に聞こえるくらいの声で幸吉の名を叫んだ。
「そんなデカい声出さなくても分かるよ!」
家の中から不機嫌そうな返事がある。
「聞こえてたなら自分が出てくればよかっただろ……」
瀬田がボソリと一言を発する。摩耶がニヤリとする。
「君と一緒で鈍臭いんだろう」
幸吉が姿を現した。しかし、大挙してきた警察官の姿を見て、ギョッとした。
「な、なんすか、あんたたち?」
二宮貝を決したようにまっすぐと金谷に視線を送った。
「金谷幸吉さん、あなたを本宮町のアパートと北本宮町のマンションに対する現住建造物等放火罪の疑いで逮捕します」
「おい、どういうことだよ!」
警察官たちが門を開けて、喚き散らす幸吉の身柄を拘束した。
「では、証拠物の差し押さえを」
二宮が言うと、集結していた警察官たちが金谷の家に雪崩れ込んだ。
「おい! 令状ないのにこんなこと許されるのか!」
そう叫ぶ金谷の脇を涼しい顔をして摩耶は通り過ぎていく。
「令状なくてもできるらしいよ、家宅捜索って」瀬田が地面に組み伏せられている金谷を見下ろした。「まあ、今までの行いが悪かったってのがデカかったかもな」
「ふざけんな! オレは無実だ!」
金谷の家の周囲には騒ぎを聞きつけた近所の住人が人だかりを作っていた。すでに彼らを近づけさせないように警察官が立っている。
「灯油のポリタンクありました!」
家の中から声がする。瀬田と高槻も靴を脱いで上がっていった。廊下の中ほどにある何度の中から赤いポリタンクが運び出されていく。呆気にとられる母親から金谷の部屋を聞き出した警察官たちは階段を駆け上がっていく。五分ほどすると、二階が色めき立つのが分かった。
「何かありましたか?」
二宮が問いかけると、両手で抱えるほどの大きさの巾着袋を持った警察官が下りてきた。
「見てください」
袋の中には、透明な液体の入ったペットボトルとライター、そして逓信新聞が折り畳んで入れられていた。手袋をした二宮がゆっくりとペットボトルの蓋を開けて、飲み口に鼻を近づけた。
「これは灯油ですね」
「おい、そんなもの知らないぞ!」
様子を向こうで見ていた金谷が喉を引き裂かんばかりに叫んだ。
「ちょっと待ってください」摩耶が袋の中を覗き込んでいる。「その新聞、一部そのまま入ってますけど、一面がないですね」
二宮が新聞を手に取る。
「三面から始まってますね。……ええと、ちょっと待ってくださいよ。日付が二〇二〇年十一月九日……本宮町のアパートの放火で使われたのも同じ逓信新聞の同じ日付のもの……しかも一面を含んだ一枚でした」
「ということは……、北本宮町のマンションで使われた新聞は二面を含んだ一枚?」
摩耶がそう言うと、二宮は目を丸くした。
「その可能性はありますね」
「そんなものは見たことがない」
いくぶん落ち着いた金谷がそばに来て首を振った。瀬田は二宮に尋ねた。
「こいつずっと否定してるけど、どうなの?」
「ただまあ、具体的なものが出て来てますからね……」
「あっ!」
警察官たちが一斉に声を上げた。金谷が一瞬の隙を突いて、家の外に靴下のまま飛び出していた。
「待て!」
警察官たちと共に、思わず高槻も駆け出していた。素早く靴を履いて家の外に目を向ける。金谷はすでに路地を畳屋の方へ全速力で走っていた。高槻はカメラを抱えながら金谷を追う。警察官の怒号が飛び交う。野次馬たちがざわめきながら、逃げ惑う金谷を目で追っている。
金谷は路地から出ると、米原邸の方へ走っていく。通行人が猛スピードで走っていく金谷とそれを追いかける警察官を振り返る。金谷は意外なほど足が速かった。伊達に真夜中のサイクリングに精を出していない。
「逃げるな!」
背中に投げられる言葉の投げ縄が金谷を捕えることはない。それで止まるようなら逃げ出しはしなかっただろう。
「あっ、おい!」
先の方で誰かが叫んだ。金谷が≪小津の社≫のフェンスに足をかけており、それを通りがかりの老人が止めようとしている。通行人たちが固唾を飲んで見守る中、警察官たちがフェンスをよじ登る金谷の体に飛びついて、追跡劇は終わりを告げた。
「やめろ! オレは何もしてない!」
ニートの金谷が絶叫する。今度こそ彼の体はアスファルトの地面に強く押さえ込まれた。
「手錠!」
金谷を組み伏せていた警察官が言うと、もう一人が手錠を取り出して素早く金谷の手首に掛けた。
「往生際の悪い奴め」
瀬田がゆっくりと駆け寄ってきた。
「瀬田!」金谷が死に物狂いの顔でこちらを見た。「信じてくれよ! オレはやってない! お前、ダメ人間の味方だろ! オレを助けてくれよ!」
「いや、俺を勝手にダメ人間グループに入れるなよ……」
ダメ人間がそう言う。
「あんなもの俺は一回も見たことないんだ! 触ってもいない! オレは無実なんだ! 瀬田、オレを救ってくれ!」
サイレンを鳴らしてパトカーがやって来た。金谷は車の後部座席に押し込まれて、ドアが閉まった頃には彼の声は微かに漏れ聞こえる程度になってしまった。
「ふん、呆気ない幕切れじゃないか」
いつの間にかそばに来ていた摩耶が勝ち誇った顔で走り去っていくパトカーを見つめた。瀬田が意地の悪そうな顔で応じる。
「つまらない人間が推理を披露するとこういうことになるんだよ」
「つまらない人間と事件を解決できない役立たずのどちらかを選べと言われたら、僕なら前者を選ぶがね」
「お前、最初に俺のところに来る前にこの事件の調査を進めてただろ」
目を合わさずにそう糾弾する瀬田に摩耶も明後日の方向を眺めつつ応戦する。
「どこにそんな証拠があるというんだ? 負けたからといって言いがかりをつけるとは、負け犬の風上にも置けない奴だ」
「そういう疑いをかけられるということ自体が恥ずかしいことだと思えないのがお前の心が悪に染まっていることの証なんだよ」
「心とかいう実体のないものにどうやって色がつくというんだ? それこそ君の妄想がなせる業じゃないか」
「瀬田さん」
高槻は二人の不毛な争いに割って入って、瀬田を引っ張って少し離れた場所まで連れて行った。
「なに?」
「いつまで子どもみたいな言い争いしてんですか。どうするんです? 金谷さんは逮捕されて、証拠も見つかりました。摩耶さんの勝ちですよ」
瀬田は認めたくないと言わんばかりの顔で唇を噛んだ。
「君たちが屯してる喫茶店で話をまとめようじゃないか」
摩耶が向こうの方でそう言った。瀬田に断る術はなかった。
* * *
端的に描写をすると、空気は最悪である。
いつもは心を豊かにするジャジーなBGMも、今では臨戦態勢を整えるリズムを作り出しているようにさえ感じられたし、菊川が運んできたコーヒーも時間を待たずして冷めそうな勢いであった。──そう、ここは≪梟亭≫だ。
「君の敗因は、余計なことに気を取られて時間を無駄にしたことにある」
「俺は無駄なことはしてない」
「いや、図書館で新聞記事を調べる暇があれば、一刻も早く犯人特定に繋がる目撃者を探すべきだっただろう。その点、僕は丁寧に目撃者を洗い出し、容疑者を推定した」
「なんだ、将棋の感想戦でもしようとしてるのか?」
「いかに君が探偵を名乗るのに実力が伴っていないかを知ってもらいたいんだよ。これももちろんWeTubeで流すんだよな?」
摩耶が高槻のカメラを指の背でコツコツと叩いた。瀬田は何も言わなかったし、高槻は答えなかった。これを流すことによって、瀬田に何か利があるわけではない。しかし、第三者である摩耶が絡んできている以上、動画を配信しないのもリスクに繋がる恐れがある……高槻にとっては悩ましいことだった。
「お前は俺の集めた情報をタダで持って行きやがった」
「とはいうものの、君の情報が役に立ったことはなかったから、どちらにせよ意味はなかったと言える」
「まず気に食わないのが、あのデカい家に場を設けたことなんだが」
摩耶は口の端を歪めた。想定通りに事が運んでいると、思わず笑ってしまうものだ。
「米原藤吉郎さんは、この放火事件の調査をするにあたってのスポンサーになってくれたんだよ」
「スポンサーだと?」
「ああ、君には馴染みのない言葉だったか。僕の調査に協力を申し出てくれたんだよ。彼の呼びかけのおかげで、金谷幸吉逮捕に繋がる証言を得ることができたというわけさ」
「あのな、お前な、それは〝独力〟とは言わねーんだよ」
「不思議なことを言う。君だって聞き込みをしたんだろう。証言者の情報をもとに推理を組み立てているのは、君も同じことだ」
「そうじゃない。目撃者探しを他人にやらせてたってことなんだぞ」
「それも僕のコネの力さ」
「汚ねえぞ」
恨みのこもった視線も暖簾に腕押しで、摩耶には通用しない。
「なら、君も民間人の協力者を頼ればよかっただけだ」
「卑怯な奴め」
「最初にルールを明確にしなかった君が悪い。詐欺に引っかかるタイプだな。可哀想に」
瀬田は奥歯をギリギリといわせた。
「こんなクソみたいな結果は認めんからな」
「自分に都合が悪い事実は認めないというわけか。卑怯者のやり口だ」
「フェアじゃないだろ。お前は俺のところに来る前に事件を調査してた。初めから俺をハメようとしてたに違いない!」
「君が先に事件を解決できればよかっただけの話だ」
「そうできないように、犯人をほぼ特定した状態で俺に話を吹っ掛けに来たんだろう」
摩耶は笑った。眼鏡をクイッとやると、レンズが光った。
「だから、どこにそんな証拠がある? いいか、君は僕と米原さんの関係性に文句をつけてるが、これは僕が築き上げてきたものだ。君と違って、僕は努力してきた。あらゆる人間と鎬を削り、手を結んで、今の僕がある。これまでの僕の実績と信頼が米原さんとの協力関係を生んだんだよ。ところが、君はどうだ? これまでの人生を腐り切って過ごしてきたんだろう。君が漫然と過ごしていた日々に、僕は死に物狂いで動き続けてきた。君が捨てた時間を僕は大切に過ごした……だから、僕と米原さんの関係性をとやかく言う資格は君にはないんだよ」
喋り終えて冷めたコーヒーを口に運ぶ摩耶の顔には複雑な感情が浮かび上がっていた。瀬田はそっぽを向いたままじっとしていた。まるで摩耶の言葉を噛みしめるかのように。
「瀬田さん……」
ずっと黙って見ていた高槻が声をかけると、瀬田は座り直した。
「まあ、いいさ。こいつがどんなに卑劣な手段でも使ってくるような野郎だということは分かった」
「先に事件を解決した方に十万円というのが約束だったはずだ。もしかしたら、覚えていないのかもしれないが」
鼻の頭に皺を寄せて瀬田が返す。
「お前と違って、俺は卑怯ではないんでね」
沈痛な面持ちでポケットから財布を取り出す。十枚の一万円札を抜き出すが、名残惜しそうにそれらに目を落とす瀬田を摩耶が鼻で笑った。
「君に十万円を支払う能力があったというのが驚きだよ」
差し出された一万円の束をサッと取り去って、摩耶は札の枚を数えた。
「確かに十万円ある。これで今回の勝負は決したな。君は自分の中途半端な能力に溺れて、この勝負に負けたということだ」
瀬田は不機嫌そうに前を向いたままだ。摩耶と目を合わそうともしない。摩耶は立ち上がった。ずっとテーブルの脇に立っていた立花が店の入口の方へ歩いていく。勝ち誇った顔で摩耶は瀬田を見下ろした。
「いい暇潰しにはなったよ。所詮、WeTubeの中だけでいい気になっていた蛙だったんだと、これで自覚できたんじゃないか?」
「黙って出て行くことはできないのか?」
瀬田がチクリとやると、摩耶は鼻で笑って店を出て行った。
* * *
「あの野郎……」
瀬田が悔しそうに拳を握った。
「まあ、今回ばかりは仕方ないんじゃないですか。相手が悪すぎましたよ」
「いや、そうかもしれないけどさ、高槻くんさ、十万だよ、十万」
「っていうか、現金で十万も持ち歩かない方がいいですよ」
「うるさいな。そんな大金を持ち歩いたことないから、やってみたかったの」
「まあ、おかげでお金の受け渡しがスムーズになったのでよかったですけどね」
「いや、よくないだろ……」
高槻は間を取って先を続けた。
「ということでね、今回は残念ながら失敗というか、摩耶さんとの勝負に負けてしまったわけですけど、振り返ってみてどうでしたか?」
「次は二十万だね」
「取り返す気ですか?」
「一度この俺に喧嘩を売ったからには、奴が額を地面に擦りつけるまで俺は諦めんぞ」
「うわぁ……また面倒な人を敵に回しましたね、摩耶さんは」
「人生トータルで勝てばそれでいいのよ」
「それ、駅前のパチンコ屋で抜け殻になってたじいさんが同じこと言ってましたよ」
「俺を場末のジジイと一緒にするなよ……」
「というわけで、まあ、今回は悔しい結果になりましたが、また次回も頑張って行こうと思いますんで、よろしくお願いします。では、瀬田さん、締めの一言を」
「観てくれてありがとうな。人生は勝ち負けじゃないからな、お前らは懲りずにフォローといいねをしといてくれ」
瀬田は力が抜けたように椅子に体を預けた。
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